お返し
どうも皆様。
え? ここでございますか?
ここは、“店”です。
何の店か…ですか。
うちが扱うのは、何かこれといった物と言う訳ではございません。
そうですね。俗世の言い方に倣うなら、サービス業のようなものです。
うちが扱うのは、その中でも少し…特別なものですがね。
その都合上、やっかいなお客様も多く…。いやいや、楽な商売はございませんなあ。
今日も迷い込んだ客が、その胸中を隠そうともせずぶちまけています。
「いいか!? あいつにはこれ以上無いほどひどい目に遭わされてきたんだ! 死んだって構わない! それくらいとんでもない奴なのさ!」
「…お客様もわからないお方ですねえ」
「うるせえ! せっかくこの店を見つけ出したんだ…。お前は! なんだってやり返してくれるんだろう! ええ返し屋!?」
「ええ。何であっても、お返ししましょう。何であっても…ね」
この店に入れる人間は、運がいい。ここはこの世のどこでもあり、どこでもない処。
“返す”という行為には…。いえ、正確にはこの世のあらゆるものには、“力”が備わっているのです。
そんな中、私が生業としているのが貸借の均衡…。
送り、返す事。
それは物でも、行動でも、何であっても…。何かを送る事で、力の天秤が傾きます。
私は少しばかり、それを操る術を持っていましてね。“何かを返す”という事象限定で、あらゆる依頼を承っているんですよ。
だと言うのに、今日の客と来たら…。
「いいからやり返してくれ! どんな事でもいい…倍返しにしてやってくれよぉ!!」
「はぁ…」
どうやらうちの店も、人間界で結構な噂になっているようですが…。そのせいか、どうにも勘違いした客が増えて困りますね。始めたばかりの頃は、訪れたお客に、うちの店の説明から入ったものですが…。
「ここはそういう店なんだろう!? てめえ舐めてると…」
「お客様」
「お…おぅ」
おや、少々圧が強すぎましたか。…まあいいでしょう。
「要するにあなたが返したいのは、不幸という事ですかね? これと言った具体的な事ではなく…」
「ああそうだよ! いいからやってくれ…。もうこれ以上我慢するなんてコリゴリなんだよぉ!」
「ええ、ええ…。ですからその不幸の度合いを決めましょう。あなたが受けてきたその屈辱、私に話して…」
「うるせえええええ! なんでそんな事しなきゃならねえ!? 俺の受けた不幸! 何倍にもして返してくれりゃあいいんだよ!!」
「………」
私、これでも客商売を営む者。お客様にはそれなりに礼儀を払い、接しているつもりです。
しかしうちのルールを守れない…。つまりは客でも無い人間に気を使うほど、物好きではございません。
たかが………人間ですからね。
「私に出来るのは返す事だけ。それ以上を望めば…ただでは」
「さっさとしろぉ! やっと…やっと恨みを晴らせるんだぁ!!」
「…此度の件、確かに承りました。では、良い余生を…」
「は―――」
…ふぅ。やっと静かな店内に戻りました。
先程の方? ええ、ちゃんと現世にお返ししましたとも。私は物好きではありませんが、外道という訳でもありませんからね。
ただ…。
私に出来るのは、天秤を平らになる方向へ傾ける事だけなのです。そういう制約のある“力”なんですね。
だから先程の方のように、曖昧な事を言われても叶えるのは難しい…。
今回、私は先程の方がお返ししたがっていたお相手に、不幸をお返ししました。ご要望どおり、喚き散らしていた内容の数倍程度。しかしそれが、もし多すぎてしまったら…。
私の手が入った以上、天秤は水平になろうとするでしょうね。不足する分には、特に問題ないのですが…。
まあ、あれほどお怒りだったのです。きっと私がお返しした程度の不幸は、そのお相手から受けていたのでしょう。それならば、揺り戻しは起こりません。問題は有りませんね。
本日はもう、店仕舞いに致しましょうか…。一日に何度も人間が訪れる事など、そうはありませんからね…。
願わくば…。
次回のお客様には、当店を正しくご利用いただきたいものです。
さて。
どうやら今日も、迷い込んだ人間が…。
………おや? これは珍しい。
「ようこそ私の店…通称“返し屋”へ。かわいいお嬢さん」
「ほ、ほんとに来れちゃった…」
うちの店に訪れるには、いくつか条件を満たす必要があります。そのうちの一つとして、何かを返したいという強い気持ちが必要です。
その為大抵は、先日の方のように、負の感情を抱えた人生経験豊富なお客人が多いのですが…はてさて。
「どうやら、うちの事をご存知のようですね」
「なんでもお返ししてくれる、神さまのお店…」
神ですか。そのような恐れ多い存在では無いのですが…。まあ幼子の言う事。無粋はせず、そのまま話を進めましょうか。
「はい。それで、あなたの返したいものは何でしょう?」
「…ほんとに、なんでも返せるの?」
「ええ。何でもですよ。物でも、それ以外でもね」
「じゃあ…」
「はい」
「うれしいをお返ししてくれますか?」
「…ほう」
これは…。
私、随分長い事この店をやっております。これまでも、正の感情を抱いてうちを訪れた人間くらいなら、まあ数名いらっしゃいました。
しかしそれらの多くは、とてつもない量の物的な恩…。とてもその人間では返せないような借りがほとんどでした。それも致し方ない事で、正の感情を持つ客が少ないのは、そもそもうちの店の力などなくとも、ある程度の事は自力で返せる人間が多いという部分もあるのです。
そんな中…このような若いお客、その上この内容は珍しい。
私は話を聞きました。
しかし何とも解せません。
うれしいの内容を端的に言えば…。やれ頭を撫でてもらっただの、作ってもらった食事がおいしかっただのと…。とてもうちの店に来るようなお客人とは思えない。
しかしながら、理解した部分もあります。このお嬢さんが返したいのは、要するに幸福なのでしょう。
なんと数奇的な事か、前回の方とは真逆ではありませんか。
とはいえ…いやはや困りました。またしても随分曖昧でございます。この子が利口なら、まあ問題ありませんか。
「同じように、お相手を撫でたり、食事をご馳走したい訳ではないのでしょうね」
「はい。…うれしいのお返し、むずかしいですか?」
「いえいえ、そんな事はありませんよ。うちの店は、なんでもお返しいたします」
「…わたし、いっぱい…いっぱいうれしかったんです。だから、わたしがどれだけうれしかったか…。それを伝えてほしいの」
ふむ…やはり解せませんね。
結構な数の人間を見て参りました。それなりに、人間の事情にも精通していると自負しております。
このようなお嬢さんであるなら、ご自身でそれを伝えても良さそうなものです。
「それは、ご自身の口で伝えれば良いのでは?」
気の迷いでしょうか。気付くと私は、それを聞いておりました。
しかしそれに対し、お嬢さんは首を横に振っております。
「できないの」
「それはなぜ?」
「もう、居なくなっちゃったから」
ここで、私はようやく合点がいきました。
この子がお返ししたい相手と言うのは、おそらくもう…亡くなっているのでしょう。
しかし、新たな問題が発生してしまいましたね。
生と死…それは、それこそ神の領分です。私には手が出せません。
「神さま、お返し…できますか?」
ですが…。
このお嬢さんは、これまで見てきた人間と大きく違います。どうにも最近、人間と言うものに愛想が尽きていましたが…。
ええ、そうですね…。少しばかり、人間に冷たくなってしまっていたかもしれません。
私はこのお嬢さんを気に入りました。こんな感情でも、この店の扉を叩く事が出来るのですね。人間と言うのは。
………。
“私には”手が、出せませんがね。
一つ、ズルをする方法に思い当たりがございます。
「繰り返しになりますが、もちろん返せますとも。しかし…」
「…はい」
「そのまま返すだけでよろしいのですか?」
「えっ?」
「あなたの受けた“うれしいの気持ち”。何倍にもして返したいとは思いませんか!」
「それは…思う、けど…」
「はて。…けど?」
「返し屋さんでは、もらった分しか返せないから、それ以上はおねがいしちゃだめって…」
おやおや。さすがはこの店に、こんな感情で入り込んだだけはある。随分と利口なようだ。
「確かにその通りでございます。しかし今だけ特別サービスをしているかもしれません」
「と、とくべつ…?」
「していないかもしれませんがね?」
立場上、仕事で嘘はつけないのです。あとはこのお嬢さんが、今だけ…。
「……わたし、たくさん伝えたい」
「ほう?」
「できるだけ…。神さまにできる分だけ、たくさんお返しとどけてくださいっ!」
ふふ…。こんな口車に乗って、言いつけを破るとは悪い子だ。
ですが…。
「その願い、聞き届けましょう。それでは…」
「神さまっ!」
「はい?」
「ありがとうございました! よろしくおねがいしますっ!」
「…それでは、よい…人生を…」
私は珍客を、いつも通り現世へと送り届けました。
さて、今回私がしたズル…。神は許してくださるでしょうか。万が一にも琴線に触れれば、私とてどうなるか…。
しかしそれを押してでも、応えたくなるものを私は見たのです。
こんな場所で、こんな店をしているからこそ…。先程のお嬢さんが、どれほど綺麗な心根を持っていたかがわかります。
「善なるお返し…ですか」
人の世には、そちらがより多くあって欲しいものですね。