第50話 こんな終わりは許しませんsideアゲイル
「ふざけないでくださいまし。私は……私は、こんな終わりにさせる為に、界渡りをさせたのではございません」
私は皆からすればあの世、つまり天界からミリサとこの世界を見守っていた。本来ならミリサは地球に詰めていなければならないが、そこは元領主の娘。前世で詰め込まれた知識を活かし、行動指標と計画を全てマニュアル化する事で、天使たちに任せっきりでも世界が回るようにしている。天界での私のスペースによく立ち寄る彼女はポロポロと涙を流しながら下界を映す水鏡を見つめる。涙の波紋が何重にも重なり、ゆらゆらと景色を歪ませていく。
「あいつらは何で、こうも変に一途なんだ」
いくら心中した私たちでも記憶を消すなんて真似はしない。愛した時間を喪うのはどれほどの苦しみなのか、考えたくもない。
「自分の記憶も消したことは驚きましたわ」
ショックのせいか、未だにお嬢様言葉が引っ込まないでいるミリサも私の味方のようで安心した。
「軽く覗いてみたんだけど、自分が覚えていたら彼女を『松川玲』に重ねてしまう可能性があるからだって。重ねるも何も本人だろうに」
頭を抱えた私をミリサは苦笑いした。水鏡を覗き込めば『アトラス夫婦』はふわりとした笑顔を浮かべながら朝食の支度をしている。仲睦まじく、前世の記憶がある無しに関わらず、愛し合っていることがよく分かる。
「でも、愛する者の為に家族も親友も自分も欠片も残さず消すなんて、一途で素敵だと思いますわよ」
「それはそうなんだがな……」
「でもね」
そこで一度言葉を切ったミリサは再度水鏡を覗き込み『ヒュージ・オファニエル・フォン・アトラス』を見つめる『レイ』に悲しみと哀しみの眼を向ける。
「記憶のない時間と奪われた愛ほど悲しいものはございません。ミリサは……いいえマリサは、こんな終わりは許しません」
ミリサは自らの頬に流れる涙を掬い取り、一滴二滴と垂らしていく。四滴目を垂らしたミリサは堕ちていき、同調して世界の色を消した波紋は存在を歪ませていく。
◆◆◆
sideミリサ
水鏡にできた波紋が消える前に、手をネジ入れる。ピリピリと痛みが腕を伝い全身に広がる。今なお警告を発しているが今引くわけには行かないの。身体全体を蝕んでいくような痛みはまだ大丈夫。これくらいならまだ大丈夫。
「ミリサ、何をしている」
冷たい声が私を責める。お願い、今だけ、今だけこの禁忌を犯すことを見逃して。
アゲイルの瞳に感情が見えない。ただそれだけなのに、とても怖い。
「お願い、アゲイル。見逃して」
ねぇ、。私が貴方にあげたこの名前の意味、覚えているかしら。
『知らない人』だから巻き込まないわ。
ねぇ、わざわざ綴りを変えてまで同じ名前を使い続けるんだから、私の考えてること分かってるんでしょ?
『a Gail』
この名前に込めた意味がどれほどあるか、分かってる?
この言葉に込めた願いがどれほどあるか、分かってる?
私の世界を吹き飛ばした貴方が、どれほどこの心に温もりをくれたか、分かってる?
だから、今だけでいいから、都合よくこの名前を呼ぶ我が儘を許して。
◆◆◆
sideアゲイル
「私は、何をしているのか?と聞いた。質問には答えろと教えられなかったか?」
自分の喉から出た声なのに、自分の声じゃないように聞こえる。
冷えた声は鋭い銀のナイフのように肌を斬りつける。
「何がしたいんだい、マリサ」
するりと口から出た名前は何千年と呼ぶことのなかった彼女の昔の名だった。
「私の我が儘を叶えるの。『白石秀司』と『松川玲』を蘇らせる。邪魔しないで」
ミリサは額に汗を浮かべながら肩まで水鏡に突っ込んでいる。創造主様曰く火で焼かれながら金槌で叩き潰されるような痛みだというのに、諦める様子も無い。
管理神権限を使いミリサを弾き出す。古くなった人形のようになってしまった右腕からヒビが広がっていく。
彼女はもう世界の潤滑油(神)には戻れない。
「ミリサ、マリサに戻る覚悟は出来てるんだな?」
力強く頷いたマリサは不敵に笑う。
「もう一回だけ我が儘聞いてちょうだいな、お兄様」
「あぁ、愚妹ではあるが私の唯一の家族だ。連帯責任と言うことで、開き直らせて頂きましょう」
ニヤリとした三日月のような笑みは、愉悦に満ちたこの心はあの日以来だ。他の奴らを出し抜く時程楽しい事はない。シアトリカルに笑い声を上げて銀のナイフを手首に充てがう。
やっぱり、私は己の思うがままに動くのが1番楽しい。
例え、人に堕とされても彼女の願いを叶えるためなら構わない。
例え、生まれ変わった地が宇宙の端と端でも迎えに行けばいい。
例え、身分の差があっても出世するなり身請けするなり方法はある。別の国に逃げてでも一緒になってやる。
例え、許されぬ恋になっても彼女が幸せになるならそれで良い。彼女が不幸になるなら横から拐えばいい。
例え、記憶が無くなっても愛しあう心は残ると彼らが教えてくれたから心配する必要は無い。
だから、2回目もこの命を君の為に。




