第49話 おやすみなさい
眠ったレイの額と俺の額を合わせ、そこからアルバムの写真を映画のスクリーンに映すイメージをする。
視界が白く染まり、ゆっくり瞬きをすると淡い水色の壁紙に月夜と黒猫のファンシーなタペストリー。赤茶のカーペットに金と銀のシャンデリアが輝くなんともミスマッチな空間に立っていた。
グルリと辺りを見渡すと〈まれ〉〈松川 玲〉〈レイジナ・マレ・ディアナ・カーベイン〉〈レイ〉と書かれた別々のプレートの下にそれぞれ廊下が奥まで延びている。俺が立っている七角形の部屋の中からは最奥は見えない。
しかしそれはとは別に〈マレ・ディアナ・ヘルマキア〉のプレートの下は立待月が書かれたドアに鎖が巻かれ開かなくなっていた。
フーと息を吐き出し、〈まれ〉のプレートと廊下と部屋を繋ぐフレームに手を置く。プレートを外し、シャッターを降ろすような動作でプレートを床に置く。パタンと音がして、上弦の月が刻印されたドアが立ち塞がり、廊下は見えなくなった。
〈松川玲〉のプレートも同じようにすると満月が刻印されたドアが立ち塞がった。
どちらも開かないことを確認して、その上から【封印】をする。何処からともなく現れた鎖が覆い隠すように巻かれていき、満月は見えなくなった。
〈レイジナ・マレ・ディアナ・カーベイン〉のプレートを潜り、いくつもあるドアを開け中を覗いていく。
◆◆◆
数え切れないドアを潜り、前世の記憶による行動の記憶を消したり、書き換えたりした。
無論、矛盾なくスムーズな流れになるように。
あと、『バロン』に対する恋心も消して純粋な兄貴分に対する好意に書き換えた。
文句は受け付けないし、文句を言うであろう本人は記憶がない。只の嫉妬だが抑え切れなかった。
勝手にしたのは反省するが後悔はしてない。というか絶対しない。
廊下を戻りながら矛盾点を消していく。俺が帰った後ろには居待月が刻印されたドアの多くが鎖で硬く閉じられていた。
◆◆◆
〈レイ〉と書かれたプレートを潜るとモヤモヤとした霧のような何かがところどころに渦巻いていた。
ドアがある筈のところにあるそれは一陣の風を吹かせると跡形もなく消える。
いくつかのドアに【封印】をすると、臥待月が刻印されたドアに鎖が巻かれていく。
◆◆◆
全ての記憶を辿り、最初の部屋に戻ると、七角形の部屋で唯一どの廊下にも繋がらず何も掛けられていなかった壁に〈レイジナ・マレ・ディアナ・アトラス〉のプレートがかけられ、直接部屋に繋がっていた。
部屋に入るとそこは正に今日、我が家のリビングで起きた時と全く同じ光景が広がっていた。
俺に似た何かに泣きつくレイがスースーと寝ている以外は。
「ヒュ……ジ?」
舌ったらずに俺を呼んだレイに歩み寄る。
「レイ、外に出るよ」
コクンと大きく頷いたレイは俺の手を取った。手のひらを合わせ、指を絡み合わせて歩き出す。黒猫のタペストリーを捲ると下弦の月が刻印されたドアがあった。
鍵は掛けられていたが、俺はレイの『鍵の者』だから問題ない。鍵前に指を当てると鍵が開く音がした。ドアの先に続く真っ白い世界にレイを行かせる。
ドアを開けたままタペストリーを降ろし、描かれている黒猫を撫でる。
「おやすみ、黒助。『玲』を頼んだよ」
ニャーオと返事をしたことに軽く驚いたが、
「良い子だね」
そう言いながら(おそらく)眉間に当たる部分を撫でて、ドアを潜る。
「おやすみなさい」
ドアを閉めるその一瞬だけ、あの日の『玲』が黒助を抱きながら手を振っていた気がした。
ただの夢幻と思ったけど、ドアをまた開いて確認する気にはなれなかった。
「バイバイ、『マレ』。おやすみなさい、『玲』」
◆◆◆
外は既に暗く、とても眠い。魔力を消耗したとはいえ、ここまで酷いことはなかった。
レイも眠いらしくポンポンと軽く叩いて眠りを促す。
コテンと夢の世界に出発したレイを抱き締め、俺は精神世界に旅立つ。
◆◆◆
白い世界を真っ直ぐ進むと『白石』と書かれた表札が現れた。岩手のおっちゃんが作ったぶきっちょな表札は俺の記憶のままで、そのまま門を通り抜ければ準日本家屋の白石家が建っている。
本邸を通り過ぎ、その裏にあるプレハブ小屋にいくと『秀司』が俺を迎え入れた。
もう何年も帰ってない、これからも帰れない俺の部屋はUターン就職した従兄さんが家から遠いし、近場に見つからないということで作った部屋を俺が引き継いだやつだ。冬場は寒くて夏は暑いという不満も無い。商店街の人からタダでエアコンを貰った従兄さんの人柄の恩恵だ。……あの人タラシも役に立つと感じた数少ない瞬間かもな。
トラクターの横の階段を登り、いつものように黒助を膝にのせ座椅子に座る。
「なぁ、『秀司』。俺はお前に消えて貰いたいと思ってる」
意を決して口を開くと俺からは意外な返事が返ってきた。
「そういうと思ってたよ。…なんだよ、その呆けた顔は。『ヒュージ』の体の主導権は『ヒュージ』のものだ。俺は『白石秀司』の身体から写されて、居候してるに過ぎない。
『秀司』はいつか消えなきゃいけなかったんだよ」
達観したような表情を見せる俺……いや『白石秀司』は裏山にある獣道に向かって屋根から飛び移った。一階の屋根から1メートル程しか離れていないその道は故郷の街だとしたらどこに行くにしても近道になる。
「何するつもりだ?」
俺はイタズラの内容を聞くように、ニヤニヤと尋ねた。
「分かってないなぁー。それでも『ヒュージ』かい?どうせこの世界は僕が消えたら終わる。いっそのこと、パーっと壊そうじゃないか!『秀司』こと『シュウ』からの最後のプレゼントは派手に豪華にいきましょう!」
俺と同じイタズラっ子の笑みを浮かべた『シュウ』は俺と追いかけっこをしながら裏山の天辺にある小さな祠に向かう。
「とーちゃく!」
どうだ!僕の勝ちだぞ!と言いながら振り返った『シュウ』の頭に松ぼっくりを投げる。
「残念。竹やぶのとこでこけたのはフリだったのに気づかなかったのか?それでも『秀司』かい?」
祠の近くにある、俺が産まれた日に埋められた松の木に寄りかかりながら馬鹿にしてみた。
竹やぶでこけたフリをして実は竹にロープ(もちろん精神世界だからできた)を引っ掛け、遠まわりする必要のない(前世で一回試したっきりだが)竹登りをして竹やぶの上にある祠の前に出た。
自分でも呆れるほどに能力の無駄遣いだ。
「ちぇっ。最後まで負け越しかー。まれにも一回も勝てなかったよなー」
まぁ、いっか。そう言いながら『シュウ』は手を空にかざした。
途端に空は暗くなって、十三夜月が登る。そして
「ほら、あの日はこんな景色だったんだよ」
花火が上がった。
1つ。2つ。と上がる花火は数え切れないほど上がっては、満天の花を咲かせる。
「なぁ、俺は記憶を持ったまま向こうの世界に行ったのは間違いだったのかな」
『僕』の話を聞く『シュウ』は小6の筈なのに鋭い光をその目に宿して『僕』を見つめる。
「確かに玲は好きだし、レイジナを愛してる。
でも、俺が行かなかったらレイジナは前世の記憶を取り戻さないで『マレ』として生きられたんじゃないのか?
『バルシオン次期子爵』と『レイジナ・カーベイン国家呪術魔導主席』はお似合いだし、『バル』と『マレちゃん』も幸せになれたんじゃないか?『Mrs.ヘルマキア』も『Mr.ヘルマキア』もそれなりの幸せを手に入れるぐらい出来たんじゃないのか?」
フッと微笑んで僕の頭を撫でようとした『シュウ』の手は胸の辺りまでしか届かなくて、微笑ましい。
しゃがんでやるとよしよし、と言いながら頭をクシャクシャにされた。『シュウ』はゆっくりと口を開くと
「ねぇ、『ヒュージ』お兄ちゃん……」
その言葉の先は涙に掻き消された。
「ありがとな。『シュウちゃん』……」
しばらく2人でその花火を眺めているとうとうとしてきた。気がつくと花火が最後に近づいていて……
ヒュー、ドン。
花開かぬ花火が上がった。いや、落ちた。
地に紅い花を咲かせど、彼は花開くことはない。




