第30話 0日は慌ただしい
あれから1週間があっという間で、もう0日だという自覚があまりない。
結婚式うんぬんもあるけど、一番はヘルマキアさんの実父殺害予告のショックがでかい。さすがにレイも色々思うところがあるらしく、時々ぼーっとしていた。
いつもなら、それこそ息をするように鍛錬と趣味と副業を兼ねた魔道具作成をしているのだが、この1週間は独り言をぶつぶつ言っているばかりで、全く手を付けていない。
依頼を受けないようにしていて正解だった。
とは言え、一昨日からは式場の最終確認とリハーサルでそれどころではない為レイも俺も仮眠の数時間を除きフルに仕事をしていた。なので、その件は忘れてしまっていた。
結婚式が始めるまで後1時間と少しになった頃、不意にノックの音がした。マナー本に栞を挟み、バッグにしまってから返事をする。
「どうぞ、お入りください」
入るよー、と間伸びした挨拶で入って来たのは情報屋のカルーさんだ。
カルミーアさんと同じアッシュブラウンの髪だが、暗めの色なので時々黒髪に見えるし、猫っ毛というわけではなくふわふわの癖っ毛だ。白いチョッキにダークブラウンのジャケットを羽織り、ジャケットと同じ色のスラックスを履くことでシンプルにまとめた礼服に身を包み、目尻を下げ口角を少しだけ上げるその顔はオフの顔を知らなかったら好青年にしか見えないだろう。
「今は情報を得ようがないでしょう?お休みのときと同じようにしてくださって構いませんよ」
彼が雇い主でしかない俺の結婚式に来ているのは結婚式に招待する事が報酬の一つだからだ。
もちろん現金でも渡したが、披露宴は良い情報源だから招待してくれれば安くすると言われたので了承したのだ。
「あれっ?バレちった」
28になったばかりとは言われなくては…いや、言われても思えない悪戯っ子のような顔と声なのだが、どこか年の離れた面倒見の良い兄がふざけているようだった。
「まぁ隠すつもりなんて一欠片もなかったけどね」
ふざけてるのか真剣なのか判断に迷うが、ニコニコとヘラヘラの間の笑みを浮かべる顔にはめ込まれたエメラルドの瞳が冷たい光を放っている。まるで別々の写真を持って来て目だけ入れ替えたような違和感に、ふざけている振りをしているだけなのだと感じた。
すっ、と大きな弧を描いていた口元が窄められ、頬の筋力と共に削ぎ落とされたかのように、高く持ち上げられて凹凸がはっきりしていた頬に落ちていた影がなくなる。笑みで隠されていた瞳が露わになり、翠眼の鴉に相応しく相手の出方を観察しつつもこちらにあたえる情報を吟味していた。
ヒクリ、と口の左端がヒクつく。一瞬グニャリと不本意だとでも言いたげな表情を見せると、口を開いた。
「Mr.アトラス、気を付けろ。Mrs.アトラスの祖父にあたるカイン・フォカロル・ヘルマキアはまだ諦めていない。貴族の生活を送ったことがある人だからな、貴族への執着が強い上に、従兄弟の、まぁ本当は弟らしいがアベル・ラザー・イフリート・サリバンへの嫉妬がまだ残っている。
この式の披露宴に潜り込もうとしていたし、それこそ毎週のようにお茶会を開いて招待状を送っていたしな。
その顔を見る限りMrs.アトラスが目に入る前に捨てていたようだな。
Mrs.ヘルマキアとハルマキアの御子息も何やら騒動を起こすつもりのようだしな。せいぜい火の粉に気をつけな。
ああ、報酬はいらん。祝い金だと思ってくれ」
言い終えたカルーさんは手を振りながら部屋を出ていった。
◆◆◆
sideレイジナ
レリエルさんがカインお爺様を殺すと言ってからもう1週間が過ぎた。
『玲』の記憶が戻る前の、『マレ・ディアナ・ヘルマキア』の自我が芽生えた頃の魔導で遡る事も難しい程の古い記憶におぼろげに写る
“マレ”を憎み、“ディアナ”を可愛がり、“ヘルマキア”を何より大事にしていたアベルお爺様を、殺すつもりのようだ。
◆◆◆
当時3歳の私を優しく抱き締め、レリエルさんと交代すると頭を軽く撫でる。暖かくカサついた手が離れると門をくぐり孤児院まで歩いていく。抱っこされている私はキョロキョロと初めて見る外を見渡している。孤児院に着くと今度はシスターに抱っこされ、レリエルさんは眼もとをぬぐい立ち去った。
家を継げない“マレ”を憎み、唯一の孫である“ディアナ”を可愛がるが、それ以上に、子爵の血をを引き伯爵繋がりを持つ“ヘルマキア”の血を守ることに腐心していた。
『マレ・ディアナ・ヘルマキア』が覚えているのはそれだけだ。
だから、何も感じない。
彼が死のうが、彼女が死のうが。
彼が生きようが、彼女が生きようが。
それが良いのか悪いのか
“私”には分からない。
◆◆◆
結婚式が始めるまであと1時間を切ったころ、不意にノックの音が響いた。
「どうぞ、鍵なら空いてますよ」
ガチャリと音がして冒険者ギルドの受付嬢・ミーアさんが入って来た。血のように赤く、女性にしては短すぎる髪は猫っ毛でフワフワと揺れている。真っ白なブラウスにダークブラウンのガウンを羽織り、同じくダークブラウンのスカートはストンと脚に沿って踝まで覆い隠していて、スタイルの良さを感じさせるものの、どこかズボンのようにも見える為に中性的な雰囲気が醸し出されている。
「レイちゃん、結婚おめでとう。遂に抜かされちゃったわね」
ニヤニヤとした笑みを浮かべ、深緑の瞳をこちらに向け、眩しそうに目を細めている。
「ありがとう、ミーアお姉ちゃん」
7つ上のミーアお姉ちゃんは私がいた孤児院に遊びに来た時に出会い、それ以降姉のように慕っている。
「幸せいっぱいって顔ね」
フワリと微笑んで、彼はよっぽどいいオトコなのね。と、頭を撫でられた。
「彼となら、本当に幸せになれるとおもうわ。ううん、運命にあがらってでも幸せにしてくれるわね」
まるで予言のように言われ、首を傾げた。ヴェールを下され、
「貴女をそんな幸せそうな顔にする彼が貴女を不幸にする訳ないじゃない」
そう言いながら振り掛けられた香水は私が最近作ったもので、私の誕生花を混ぜたものと、秀司の誕生花を混ぜたものだった。
「スケトシアの花言葉は『追想』。貴女、彼の事本当に昔から好きだったのよね。昔、寝言で「シュウ」って呼んでたもの」
顔が熱い。私は一体どれ程秀司が好きなんだ。しかも、聞かれてたなんて。私が身悶えていると、クスクスと笑われていた。お願いだからヒュージには言わないで。
「ネジバナの花言葉は『思慕』。思い慕う彼をやっと捕まえた『貴女だけは幸せになりなさい』。私は相手すら見つかってないんだから」
レリエルさんの言葉が重なる。一気に顔が白くなった私はミーアお姉ちゃんに尋ねた。
「私は幸せになっていいのかしら。だって、私だけ何もしてないのに。幸せになろうと頑張ってた人は不幸になったのに……」
それ以上続けられずに俯いた。泣きたいけど泣けない。涙が出てこないのだ。やっぱり私は薄情者だ。親のことなのに、他人事のように言っているのだから。私は幸せになっていいのだろうか。
「幸せになってはいけない人なんていないわ。幸せになれなかったその人は幸せを自分で逃してしまっただけなのだから、貴女がそれに惑わされる道理は無いのよ」
頭の上から降ってきたその言葉は少しだけ私の心を浮上させた。けれど、まだ不安が強い。顔を俯けたままの私の鼻の前に先ほど振り掛けられた香水の瓶が差し出された。
「彼なら“お前が不幸なら、俺も不幸だ”なんて言うんじゃないかしら。
リンゴの花言葉は『優先』、『好み』、『選択』。彼はきっと、間違いなく貴女が幸せになる道を選んで、そのためなら他の人を蹴り飛ばすわね。
ナスタチウムの花言葉は『勝利』と『困難に打ち克つ』。レイジナ・マレ・ディアナ・カーベイン」
そこで私の顔を覗き込んだミーアお姉ちゃんの顔はとても真剣で、とても優しい顔だった
「彼となら大丈夫よ。きっと貴女は『困難に打ち克つ』から」
ゆっくり息を吸うと、心が温かくなるのが分かった。ああ、きっと、彼がいるなら私は大丈夫。いっしょなら大丈夫だ。きっと彼がいてくれるから、きっと大丈夫。
彼はいてくれるから、大丈夫。
もう怖いものなんてない。




