第7話 「おい、アンタ。酔いすぎか」
風呂は命の洗濯、魂の浄化とも呼ばれている。大水湖を持ちそれらを各迷宮口都市に送るための水路があるメイシュトリア・ダンジョンだからこそ、毎日風呂にはいれるほど水を使えるのである。
これほど気持ちのよいものはほかにないだろうし、入ればいつでも幸せな気分になれる。体の汚れとともに心の淀みも全て流すことができるというのだが。
「…………」
リゼナは現在、ものすごーく不機嫌そうな顔であった。というか、拗ねているようだ。やれやれ、これではせっかくの美しく肉欲的に素晴らしい肉体も宝の持ち腐れである。
「何を拗ねているのだ。綺麗な顔が台無しだぞ」
「別に、なんでもありませんわ」
といっても拗ねてますという表情は消えていない。
やれやれ難儀な、とアランは思うが、得てして女心というものは男には難儀なものと相場が決まっている。といってもこうやって拗ねている理由はわかりきっているのだ。
昼間依頼で、彼女に剣術指導をさせなかったことが原因だ。しかしあのまま剣術指導をさせていては下手したら死人が出る可能性とトラウマ持ちが出る可能性があった。
もしかしたらそれすらなんとかするというか織り込み済みの流派なのかもしれないが、あれを子供に教えるにはアランの良心が憚られた。
一応教会のシスターもいたのだから、ファインアット家のお嬢様の評判を落とさないためにもやはり指導をさせるという選択肢はなかった。
しかし、このままというわけにもいかない。
「こういう時は飯だ」
こういった場合のアランの対処法は決まっている。
人間、おなか一杯になれば細かいことなど忘れる。飛び切りおいしいメニューで珍しい料理を食べさせれば忘れるだろう。
そうと決まればさっそく風呂からあがって料理の注文だ。
「よし、行くぞ」
「え、ちょ、ちょっ!?」
有無を言わさず手を引いて風呂から上がって着替えていつもの席へ。
「今日はビールじゃなくて、こっちのミクミ酒をくれ。それと迷菜の天ぷらと壁魚の煮つけを頼む」
「畏まりました」
アランが注文して視線を戻すと、先ほど注文した料理に興味津々なのだろう。先ほどまで拗ねていたのはどこへ行ったのか。
「ミクミ酒とはなんですの?」
などと聞いてきた。
「二番迷宮口都市でよく飲まれている酒だな。米を使った酒だ」
「米ですの。こちらじゃあまり食べませんわねぇ」
「六番迷宮口都市は平坦な土地が少ない上に、周りは美しの森と青石の湖だからな。そもそも農業に使える土地が少ない。輸入するにもダンジョンとして都市の位置はほぼ反対側と遠いからな」
「わざわざ仕入れてますのね、この店。迷宮を通っていけば近いからな。時々仕入れを頼まれてあっちまで行ってる」
「よくいけますわね。地図があるとはいえ、迷宮口都市の場所は秘密ですのに」
「この前、赤が来てただろ」
「あーレイス・グレイズが二番迷宮口都市の人間でしたわね」
大まかな場所さえわかればなんとかなる。あとはうまいこと潜りこむだけだ。ダンジョン表面の都市間を往復するゴンドラを使えば数日かかるが、迷宮を通れば一日とかからずに往復できる。
もちろん、それ相応の技術は必要になる。
「もしかして、酒の仕入れ頼まれたりするんですの?」
「時々な。ミクミの酒は良いぞ」
と言っている間に酒が来る。陶器で作られた徳利とお猪口が置かれる。
「ほらついでやる」
「ありがとうございますわ――とと。おかえしですわ」
「美人の酌ほど良いものはないな」
お猪口に並々と注がれた酒はビールのように黄金色をしているわけではなく、濁りのない透明で、水のようである。しかししっかりと強い酒精の匂いが感じられる。
「きれいですわね。水みたいですわ」
「水のようには飲めないがな。調子に乗って飲みすぎて吐いた連中は多い。気を付けておくことだ」
「もちろんですわ。きちんと節度を持って飲むに決まっています」
そういって乾杯をして少しだけ口に含んでみる。ほのかな苦みのあとに甘さが来る。水のようであるがキリっとした味わいは、ビールなどと違ってしみ込むようにじっくりと食道冷やし温めて熱が顔へと昇ってくる。
「はふぅ」
ゆったりと心地の良いため息が出た。一杯飲んだら、リゼナは先ほどまで拗ねていたのがなんだったのかと思うほどに心が穏やかになる。
なんだか月明かりの下で飲みたくなる味だ。冷ややかでありながら、どこか温かく、辛口でありながらほのかな甘みが体にじっくりとじっくりとしみ込んでいく。
「どうだ、うまいだろ」
「えぇ、美味しいですわ」
酔っているというわけではない。探索者は身体機能の上昇とともに内臓機能なども上昇するため、強くなればなるほど良いとは無縁になっていく。
ただ、いっぱいでどこかとろんとしてきたのは、きっとこの酒の魔力なのだ。静かにだれかといっしょに飲むミクミの酒はそんな効能をもたらしてくれる。
どこか喧噪が遠く、リゼナはまるでこの場に二人しかいないように錯覚する。穏やかな時間が流れていく。悩みは酒に溶けて消えた。
料理が運ばれて並べられる。
「おいしそうですわね」
「うまいぞ、ミクミの酒に合う料理ばかりだ。さあ、食え」
「いただきますわ」
まずは迷菜の天ぷらから。
「あむ……――!!」
さくりとした衣の中にある野菜。迷宮畑で育てられた野菜だ。ダンジョン本体からの栄養で育つ、人間にとってはこれだけ食べていれば百年は生きられるとすら言われる栄養価の高い野菜。
横に広がって食べる場所が大きい野菜。それに衣をまとわせてあげたもの。さくさくと衣が口内で音楽を奏でる。まさしく迷菜の音楽会。最初から最後まで大盛況の音楽会が繰り広げられる。
「おいしいですわ!」
ものが野菜であるためぱくぱくと食べられてしまう。味付けはシンプルだが、このサクサクとした衣が実にうまい。
「これをつけてみろ」
「なんですの?」
色のついた粉。
赤い粉だ。
「味付きの塩だ。試してみろ」
「わかりましたわ」
実家だとそんな怪しいもの食べられないというだろうか。
しかしここは探索者の酒場だ。止める執事や従者はいない。ならば試してみるかと、天ぷらをつけて食べてみる。
「んん! ぴりっとしましたわ。風味が変わっていいですわね」
辛味が増すと酒が進む。濃い味付けをミクミの酒で流し込む。
「くぅ、これ良いですわねぇ」
得も言われぬ極上の快感だ。
「気に入ったのなら何よりだ。そら煮付けも食え」
「ほろほろですわね」
身が容易くほぐれるほどによく煮込まれている。身の色は黒く出汁に染まっていた。
一口。ほくほくとした出汁醤油の旨味がふんわりと広がる。味に特徴のない迷宮の壁に生息する壁魚は煮付けにはうってつけだ。
素材の方に余分な味がない分、出汁が引き立つ。その調合の妙にただただリゼナはうなずいて食べるばかりだ。
おおざっぱな味付けに見えて、その実隠し味がそこかしこにあるようにも感じる。一体この出汁の黒の中にどれほどのものが隠れているのか。
貴族として良いものを食べて肥えた舌であってもそのすべてを把握することは出来そうにない。まさしく至高。美味だ。
「もう溜め息もでませんわねぇ。ここに来てからずーっとこの調子ですわ」
「だからこそ俺もこの都市を選んだわけだがな。それで、どうだ? 下らん悩みはどっか行っただろう」
「まあ、そうですわね。こんなにおいしいもの食べたらあんなことで悩んでいたのが馬鹿らしく思えましたわ」
「そいつは何よりだ。明日は鉄級の依頼をやる。迷宮に入れるぞ」
「なんだかとても久しぶりに感じますわね」
「慣れないことをやっていたからだろう。貴族様が都市の子供らがやるような依頼をやったんだからな。だが、いい経験だっただろう?」
「そうですわね……わるくありませんでしたわ」
注がれた透明な酒をあおる。酒の味が口内に広がって、食道へ抜けていく。ほんわりと昇ってくる酔いにそっと肩を預ける。
ふっと、思考内ではなく現実としてそこに大きなものがあることにリゼナは気が付いた。そういえば今日はいつもと違って対面ではなく隣に座っていたのだっけ。
そうほろ酔いいい気分の中でそう思う。貴族としては未婚のくせに男性にそんなにも近づいてどうするのだという思いがないわけではないが、まあ、良いかとも彼女は思った。
今、寄りかかっている彼は無体をするような男ではない。むしろ、手厚く看護くらいしてきそうだ。酔い覚ましをいきなり口に突っ込まれるまである。
「ふふ」
その光景を想像して、ぷりぷり起こる自分の姿を想像して、ちょっとだけおかしくなった。自分って結構子供ですわね、などとか、ほろ酔いでゆらゆらと揺れる思考の中で思う。
「大丈夫か?」
「ええ、大丈夫ですわよ」
「それにしては、頭が重そうだな?」
「いろいろなものが詰まっていますから」
「そいつは大変だな。もう帰るか?」
「もう少し」
「じゃあ、肩を貸そう」
「遠慮なく」
「ほれ」
「ん、ありがとうですわ」
肩に乗ったリゼナの頭を少しだけ良い場所に誘導させてから、木の杯に水を注いで飲ませてやる。ミクミの酒は強い。探索者であろうとも慣れてなければ数杯で酔うくらいには強い。
リゼナはすっかりと酔ってしまったようだ。暴れることの多い無法者な探索者とは違って、彼女は貴族というものが根本にあるため実におとなしいものだ。
普段の荒々しい性質が強い彼女とはまったく真逆。ありていに言えば悪くない。荒々しい女が急におしとやかにするとギャップでぐっとくるのと同じ作用だ。
「これからも時折、飲ませるか」
月に一度くらいは飲ませてこの姿を見るかとアランは考えていた。毎日こんな風ではありがたみがないが、時折なら実に素晴らしいものである。
密着した体の柔らかさや、風呂上りの女の匂い。無論、アランは女など何度も抱いた経験があるが、貴種の彼女は他とはやはり違う。
「生きる世界が違うな」
そう思う。
まさしく違う世界に来たような彼女は一体どう思ったのだろうか。
「俺と同じか」
このダンジョンに来た時の自分と同じだろうか。あるいは、なにも思わなかったのか。
「……ふ、俺も酔っているようだ」
そんなことを考える程度には、酔っていたか。もしくは彼女がいるからか。
「……すー……すー」
どうやらリゼナも眠ったようだ。さて、酔い覚ましを口に突っ込んでやればすぐに目を覚ましてぷりぷりと怒り出すだろう。
それを想像してニヤりと笑うが、起こすのはやめておいた。
アランはテーブルに金を置いてリゼナを抱え上げる。気配を消して、そのままだれにも気がつかれないように酒場を出た。
夜風が吹き抜ける。よく晴れた夜空には満天の星々が輝いている。広場には人はいない。街灯が淡く照らす街路をアランはリゼナを起こさないようにお姫様のように抱えてゆっくりと歩く。
向かうのはこの都市を治める領主の屋敷だ。この都市で最も目立つ建物の一つ。屋敷というよりは要塞といった方がいいかもしれない建物がファインアット家だ。
それだけでリゼナの実家がいったいどんな家かわかるだろう。門まで行けば、二本の街灯の下に立つ門兵を確認できた。
「おい、ファインアット家の門兵だな?」
「そうだ。その顔は、探索者アランだな?」
「俺のことを知っているのか」
貴族の館を守る私兵である彼らに知られるようなことはしていなかったはずだ。
「お嬢様が良く話しているからな。顔の怖い探索者とパーティーを組んだと」
「なるほど」
顔の怖い……。それについてはいろいろと事実であるが、それだけで断定されるとは、この顔はよほど怖いのか? などとアランは地味に落ち込む。
「お嬢様をここまで運んできたのだろう? ありがたい。そろそろ迎えを出そうかと旦那様が飛び出していきかねなかったのでな」
「そいつは良かったが、何かされていないかとか気にしないのか」
「ファインアットの人間が警戒もせずに寝ているのだ。ならば何もなかったのは当然だろう。あったとしてお嬢様の本意であったはずだ。なので何も問題ない」
「はは。やはり面白いなファインアット家というのは。そら、お嬢様だ。眠っている。よっぽどのことがない限りは起きんだろうが、なるべく揺らしてやるな。夢見が悪くなる」
「了解した。あなたはやはり良い人のようだ。これからもお嬢様をよろしく頼む。お嬢様がここ数日楽しそうなのだ」
「ああ」
リゼナを兵士に引き渡して、アランは来た道を戻る。
立ち並ぶ街灯の光の下を通る、いつもなら誰かしら通りかかるものだが、今夜はだれもいない。いいや――。
「む」
「っ……」
街灯の切れ間からだれかが出てくる。光の下に出てきたのは、女だった。見慣れない服装を身にまとった女は、ふらふらと夢遊病のように歩いていた。
「おい、アンタ。酔いすぎか」
辺りを警戒しながら女に近づいていく。
声をかけると、ぴくりと体を震わせてからアランの方を見る。それが限界だったのだろう。糸が切れた人形のように彼女の体から力が抜ける。
そのままでは石畳に頭をぶつけるのでアランが支える。そのままナイフで刺されるということもなく、女はアランの腕の中に収まった。
その時、暗がりの中から影が現れた。黒づくめの何者か。手には剣や銃器を持った者ども。どこをどう見ても堅気ではないし、やつらが放つ殺気は紛れもなく本物で悪戯というわけでは断じてない。
「娘を見つけた」
「その娘を渡せ」
「渡せば命はとらない」
「逆らうならば命はない」
黒いフードの下には髑髏のような仮面をつけている。くぐもっているがはっきりと聞こえたそれは忠告などではなく命令だ。
向けられた武器と殺気が従わなければアランを殺すと言っている。
「選択の余地もなしか。良いだろう」
アランは女を片手で抱えて立ち上がる。
「そら受け取れ」
そう言って、アランは女を天高く投げ飛ばした。
仮面らの意識がそちらへ向く。人は目の前で目的のものが投げられると自然とそちらの方を目で追ってしまう。
そのわずかな間隙に、アランの剣が滑り込んだ――。
遅くなって申し訳ない。
なにぶんリアルが忙しいのですじゃ。
感想や評価、レビューなどがくると早くなるかもしれない。
なので、是非に、是非によろしくお願いします!
あ、世界観的に何が近いのか考えたら銃とかあるラジアータストーリーズでした。
あの世界観好きなんだよなぁ、町中走り回るだけでも楽しかった……。続編でてほしいなぁ、今ならもっといろいろできるだろうに。