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第5話 「ここの子供は五年くらいはやってることだ。三年など短いもんだろうさ」

 もうもうと立ち込める湯気。魔法灯と窓から差し込む月と星の明かりが浴室とここにいる男女らの裸体を照らす。

 さざ波により乱反射する光がしっとりと濡れた肢体と石室を輝かせてどこか幻想的な光景を作り出していた。

 ここは探索者組合ギルド浴場。探索者たちが日頃の汗を流す場所らくえんであった。


 そんな浴場に湯を供給する獅子像の側の定位置にアランとリゼナの姿はあった。もちろん何一つ身につけていない生まれたままの姿をそこに晒している。

 そこはこの浴場で最も水温が高い場所であり、普通の探索者ならば近寄らない。事実、周りには二人以外の姿はない。ただ、それは二人の方にも問題があった。


 まずリゼナの方だが、べらぼうに美しい。女だろうが見た途端に恋に落ちるレベルの美貌はしっとりと濡れた髪や首筋を伝う水滴により更に磨きがかかっている。均整の取れた肉体は染みひとつなく輝いて、美しく艶のある髪の毛は、彼女が動く度にサラサラと音を鳴らし光の粒子を放っているかのようだ。

 そこに付与される貴族特有の香り立つほどの気品と、息を吐く所作にすら感じられる洗練された上品さはまさしく別世界の人間のように思える。


 有り体に言って近づきがたい。男ならお声かけをして仲良くなりあわよくばなどと思うが、あまりにも隔絶し過ぎていて見るだけで満足してしまうようだった。

 ただそれだけなら馬鹿者はどこにでもいる。あわよくばなどと無謀に挑む勇者はどこにでもいる。しかし、それすらもリゼナは封殺している。

 理由はただひとつ。彼女がこの場にいる大多数の男どもよりも強いからだ。わずか数週間で銀ランクの探索者という、上位探索者一歩手前のランクにまで至った探索者を相手にあわよくばなどと思えるはずもない。


 次にアラン。彼の場合は単純に恐ろしい。さながら人食い鬼も裸足で逃げ出すほどの恐ろしい顔つきをしている。そこに鍛え上げられた筋骨隆々の肉体が加われば、その印象は凶悪の一言だ。

 探索者ランクこそ鋼とリゼナより二段階劣るが、先日そのリゼナと決闘をして圧倒した男をただの鋼ランクの探索者と見るものはいない。


 それに加えて他の探索者と異なりはるかに鍛え上げられた分厚い筋肉は彼をまるで巨人か熊のように思わせる。それが多大な威圧感となっているのだ。

 そんなわけで、彼らの周りには人がいない。ゆったりくつろげるだけ彼らもまったく気にしてなどいなかった。


「はぁ~」

「はぁ~」


 二人して溜め息を吐く。消して重苦しいものではなく、軽い吐息だ。心底安らいだ時に出るそれは、風呂の気持ちよさを堪能していることを示すものだ。

 二人はともに仕事を終えて風呂に入り汗を流しに来ていた。


「やはり風呂は良い。隣に良い体の美人までいる、最高だ」

「あなた、少しはデリカシーとかそういうのありませんの? 素直に褒められるのはうれしいのですけどそうも明け透けだといろいろと思うところくらいはありますわよ」

「何を言う。言う相手くらい選んでいるわ」

「それはわたくしなら言っても問題ないということですの?」

「ああ。同じパーティーの仲間だからな。隠してバレた時の方が問題になるからな」


 そのため、アランには最初から遠慮がない。リゼナに対してはすでに決闘までやって殴り殴られといった関係である。

 すでにいろいろ今更であろう。なるべくパーティーの関係を円滑にするためにもアランは隠し事などをするつもりは毛頭ない。


「そういうわけだ。おまえも言いたいことがあるのならはっきり言うようにしろ。言わなかったことで解散したり全滅したパーティーなんて歴史上いくらでもあるからな」

「それには同意ですわねぇ。歴史上でもって、あなた歴史も学んでますの?」

「もちろんだ。暇な日は図書館で過ごすこともある」


 リゼナはアランが図書館の椅子に座って本を読むところを想像した。性格的には似あっているのだが、見た目が甚だしく似合っていない。


「…………」


 微妙な顔になるリゼナであるが、アランは目を閉じているので気が付いていない。しかし、雰囲気は感じ取った。


「どうした。何かあったか」

「いえ、何でもありませんわ」

「そうか」

「…………」

「…………」

「はぁ~」

「はぁ~」


 ゆったりと湯船で温まり、汗を流せば次に待っているのは食事だ。

 二人の定位置となった酒場の端にテーブルについてすぐにメニューのかかれた板からアランが注文する。


「今日は水羊ラクアのスープと、花生魚キマチェブのムニエル、水野菜のサラダとビールを二人前」

「かしこまりましたー」


 注文を終えると女従業員は即座にビールを持ってくる。もちろん、アランの方は一口だけ飲まれている。


「うむ、では乾杯といこうか」

「あなた、本当に慎重ですわよね」

「なにがだ」

「いえ、ビールとか料理まで毒見させるの」

「性分だからな。確認せずにはいられんのだ」

「貴族より貴族している気がしますわ」


 ともあれ、乾杯しキンキンに冷えたビールを流し込めばそんなことはどうでもよくなる。程よい酒精と麦の甘味と苦みが同時に来る。

 高低差が激しく階段の多いメイシュトリア第六迷宮口都市を走り回った疲労が全て吹き飛ぶ。今日一日の労働はこの時のためにあったのだと思わずにはいられない。

 美味い、形容する言葉などこれ以外には必要ない。


「あぁ、美味い! もう一杯だ」

「はーい」


 アランが頼めば料理と一緒にビールも持ってきてくれた。


「こちらが水羊のスープ、こちらが花生魚のムニエル、それから水野菜のサラダになります」

「これスープですの? こっちの方がスープに見えますけれど」


 リゼナは運ばれてきた料理を見て従業員に問いかける。見た目からそうとしか思えなかったからだ。なぜならば、水羊のスープと紹介された料理には一切のスープ要素はなくなにやらぷるぷるとした肉が皿の中にあるのみだ。

 それから水野菜のサラダの中にあるのは水である。こちらの方はサラダ要素などどこにあるのかまったくわからない。


「はい、間違いありません」

「ああ間違いないな。水野菜はその名の通り水野菜だ」


 水の中でできる野菜とかそういう意味ではなく文字通りの水でできた野菜のことである。匙を入れてみれば、水だと思われていたものは固形物であり、野菜の姿をしていることがわかる。


「これ栄養ありますの……?」

「あるぞ。普通の野菜よりも水分が多めだが、その中にきっちりと入っている。しゃきしゃきとした触感は楽しめないがぷるぷるとした不思議な触感が楽しめるぞ。貴族は食わないか?」

「食べたことはありませんわね。これどこで採れるものなんですの?」

「美しの森だ」

「あぁ、あそこならファインアット家で出ないのも当然ですわね」


 迷宮でもなければ都市の中でもない。ダンジョンの上に存在する不可思議な環境領域の一つが美しの森である。迷宮と異なる生態系を持つモンスターが存在している。

 大半は人間よりも弱いが、狩人でもなければそうそう狩ることは出来ない程度である。浅い場所ならば子供でも遊べるし、採集もできる。

 石ランクの探索者の依頼はほぼこの森での採集依頼や狩猟依頼である。


「貴族が食べるのは迷宮産の最高級品ばかりか」

「ええ、そうですわ。しかし、こんなにおいしいものならうちでも扱っていいかと思いますわね」

「やめとけ。ここの料理長の腕があって初めてこの味だ。それ以下の腕前なら貴族にだすような味にはならんぞ」

「それうちの料理人への侮辱ですわよね。まあ、私から見てもあの料理長の腕前はおかしすぎるというか、スカウトしたいくらいですわ」

「第六迷宮口探索者組合のすべての探索者を敵に回したいのならやってもいいぞ」

「やりませんわよ」


 ちゅるりと飲むように食べられるサラダは栄養満点であるし、味付けはドレッシングでいかようにも変えられる。

 野菜嫌いの子供でも食べられると平民の間では重宝されていたりする。


「ん、美味しいですわね。こうさらっとしているのが疲れているときに心地よいというか」

「そうだろう。こいつは実に美味い。食事の開始にはちょうどいい。次はこいつだ」


 あっさりとしたものの次はがっつりとムニエルだ。バターの芳ばしい香りが鼻腔をくすぐる。本来はソースをかけるが花生魚のムニエルに関しては必要ない。

 すでにソースがかかっているかのような柑橘系の匂いも同時に漂ってきている。


「はふ、はふ、――うまい!」


 一口食べれば、外側はかりっと、内側は柔らかな魚の身が味覚を出迎えてくれる。噛み締めれば噛み締めるほど溢れ出すのは身に沁みこんだ味だ。

 それは断じて後付けの調味料の味ではない。この花生魚が持つ本来のうまさだ。柑橘系ソースがしみ込んだ魚の淡白だが爽やかな味わいは、まるで舌の草原に風が吹いているかのようだ。


「あむっ、んんん! なんですの、これ!」


 二口目を食べれば、先ほどの柑橘系の爽やかさはどこへ行ったのか、ぴりりとした刺激が舌を突き刺し、脳内でスパークさせる。

 汗が溢れ出す辛さにビールをあおれば、最高の官能が全身を駆け巡っていく。


「これ、本当に花生魚ですの!?」


 花生魚。それは花が生えた魚のことだ。どちらが本体なのかモンスター生物学者はいろいろと迷うところもあるようであるが、そこは関係ないので置いておく。

 重要なのはその花の種類によって身の味が変わるのだ。柑橘系の花が生えて入れば、身に柑橘系の味わいや風味が宿る。


 本来は毒をその身に宿すためのものであるといわれており、この花生魚は食用に品種改良されたものだ。ただ、これはただの改良ではない。

 花生魚がその身に宿す植物は常に一種類とされていた。そのため味も一種類。しかし、今、この花生魚にあった味は二種類だ。


「料理長は、また腕を上げたな。ついに花生魚の二輪刺しを成功させたようだ」


 道理で今日のオススメにでかでかと花生魚のムニエルが書いてあったわけである。


「二輪刺しって、花生魚に二本の植物を植えたってことですの!? ありえませんわ!?」

「それがありえたからこうやってここに並んでいるわけだ。やはりここを選んでよかったな」

「選んだって、あなたここの出身じゃありませんでしたの?」

「そうだ。だが、話は食事の後だ。まだスープが残っている」

「スープというかただのぷるんとした肉にしか見えないのですけど」


 つんつんと突けばぷるると震える。肉というよりもスライムとかゼリーのようにも見える。果たしてこれは本当にスープなのか。

 固形物のスープは確かにあるが、どうみても肉である。


「食ってみろ、そうすればわかる」

「そうですわね。あむ…………」


 咀嚼して、驚愕して、味わって、驚愕して――。


「な、なんですの、これ!? 肉だけど、スープで、スープだけど肉ですわ! 濃厚な肉の味わい深いスープが噛めば噛むほど溢れ出してきますわ! まるでスポンジを絞っているような感じです――あ!」


 そこでリゼナは気が付いた。

 この味のからくり。この料理がどうしてスープなのかを。

 水羊とは、海に生息する生き物である。姿かたちは普通の羊と何ら変わらないがその生息領域が水の中だということが最大の違い。

 非常におとなしく海藻などを食べて生きている。攻撃手段を何も持たないが、その膨大な毛を使って体を大きく見せて、外敵から身を守っている。


 そんな彼らの肉は非常に保水性が高い。どのような水でも一瞬のうちに吸収して内部に蓄えてしまう。水羊のスープとはその性質を最大限利用したスープだ。

 もともとは非常食として乾燥させた水羊の肉を水で戻す際に面倒くさがった探索者がスープで戻したのが始まりだ。スープで戻した水羊の肉はスープの味が文字通りしみ込んでいて、噛めば噛むほど味がしみだしてくる非常に濃厚な料理になった。

 それからは水羊の新しい調理法が確立したといっていい。これはそれをさらに発展させたものになる。味付けも複雑。水羊自身の淡白ながら独特の味わいを活かすスープを長い時間かけてしみ込ませた一品である。


「確かに、これはスープですわ」

「ああ、うまい! 実に濃厚で五臓六腑に染み渡るわ!」


 ちなみに、滋養強壮にも良い。


「堪能しましたわ。色々と食べてみるものですわね。あなたに任せて正解でしたわ。昼に虫が出てきたときはどうしようかと思いましたけど」

「あれは美しの森にのみ生息する虫を使った料理だ。この第六迷宮口都市の下町ではよく食べられる料理だからな。どうせ食べたことがないんだろうと思ったから食わせた。これから先虫を食うこともあるだろうからな」

「それに何の意味があるかは置いておいて、見た目はともかくあれも味は良かったですわねぇ。こう、パリっとしているとこと、ぶちゅっとしているところとか――ってちょっと待ってくださる? え、これから虫を食うこともあるって言いました?」

「さて、それで本題だが」

「ねえ、ちょっと話をそらさないでくださいまし? ねえ、これから先――」

「とりあえず、俺が木クラスの依頼をお前にやらせた理由、わかったか?」


 あまりにも強引な話題展開に納得いかないリゼナであったが、ひとまずはそれ以上の追及をするのはやめておいた。


「そうですわね。生活の知恵というか、の街のどこに何があるのかとか、どこで何を買えばいいのか、剣術道場の手伝いとか、手伝いは名ばかりの剣術を教えられる依頼でしたし、これから探索者になる子供にとって有用になりそうなことがよくわかりましたわ。木クラスは子供のクラスってことでしたけどそういうことでしたのね」

「そういうことだ。腕に覚えがあるならやらなくても構わないというやつがいるが、配達依頼だけでもやるべきだろう。この街の外から来たのならなおさらだ。そうすればこの街のどこにどんな通路があるのか、どこにどんなものがあるのか、店があるのかがよくわかるからな」

「まあ、三年もやり続けるのはやりすぎに思えますけれどね」

「ここの子供は五年くらいはやってることだ。三年など短いもんだろうさ」

「その口ぶりだと、やっぱりあなたはここの出身じゃないのんですのね」

「まあ、そうだな。メイシュトリア・ダンジョンとは別のダンジョンから来た」


 さらっとアランは言った。思わずリゼナも聞き逃してしまうようにさらっとだ。


「ちょ、今ものすごく重大なことさらっと言いましたわよね。他のダンジョンから?」

「ああそうだ」

「それはつまり、没滅の地を越えてきたということですの?」

「そうなるな」

「ありえませんわ」


 没滅の地。それは荒廃したダンジョンとダンジョンの間。つまり、巨大なダンジョンの上ではない、通常の世界のことである。

 ありていに言えば、滅びの大地。黄昏の谷とも呼ばれる。


 旧時代の瘴気や猛毒の沼、不可視の刃がそこら中にあるとされる魔の領域。人間が足を踏み入れれば最後、生きて帰ってきたものはいないとされている。

 幾度となく、ダンジョンから降りて、そこに新天地を求めたものがいたとされているが、例外なく戻ってきたものがいなかった。


「なぜそう言い切れる」

「誰もやったことがないからですわ」


 その言葉にアランはフッ、と笑った。


「誰もか。ならここにいる俺はなんなんだろうな」

「他のダンジョンと接触するようなことは稀にありますからほかのダンジョンがあるというのは本当でしょうけれど、没滅の地を越えたなどと言われても到底信じられませんわね」

「そうか。まあ、別に信じないのならそれでいい。人の言うことをホイホイ信じるやつの方が信用ならん」

「ただ、嘘とも思えませんわ。あなたはそんな嘘をつくような人ではないですし。一先ず何か証拠などありませんの?」

「証拠なぁ。さて、何を以て証拠とするかはとりあえず考えておこう。そろそろ遅い。あんたは帰った方がいい時間だ」

「……そうですわね。では、また明日」

「ああ、明日は岩クラスの依頼だ」

「ええ、わかっていますわ。さっさと終わらせて迷宮に潜りたいですわ」

「ならしっかりこなすんだな」


 こうして今日は酒場で別れた。

 ギルドのパーティーランクは岩クラスに上がった。

ほのぼのおっさんと美少女剣士の日常。

基本的に、仕事と風呂と食事じゃ。

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