第3話 「そら、剣にばかり注意を割きすぎだぞ、お嬢ちゃん」
荘厳な鐘が鳴り響く。澄み切った蒼天に鐘の音が吸い込まれて消えるよりも早く、リゼナ・ファインアットは踏み込んだ。
「先手必勝ですわ!!」
内界を巡る無色のエネルギーたる理気を巡らせる。そこに乗せるのは身体能力を大幅に強化する妖気。身体強化術の原動力たる理気と妖気を混ぜ合わせた妖理気を全身に流し、燃え盛る炎のように身体能力を通常の数十倍にまで引き上げる。
その踏み込みはまさしく爆裂だった。地面が爆ぜ、リゼナの体が弾丸のようにアランへと向かう。先ほどまでお嬢様と思っていたものから、まぎれもない戦闘者へと変貌していた。
「――っ!?」
だが、彼女の突撃はアランへは届かない。リゼナの目の前に矢があった。額の真ん中に向けられた、それに思わず目を見張り体をひねって躱す。
抜いた切っ先がアランに届くよりもはるかに前でその突撃は止められた。
「っ!!」
そこに続けて放たれる矢の三連射。避けた先にまるで未来でも見えていたとでも言わんばかりに放たれた矢は、人体の急所を正確に射貫かんとしている。
それを剣で打ち払い、背後に跳んで躱す。連続するバックステップによって避けた二本の矢が地面に突き刺さった。
「避けるか。流石」
何が流石なのか。
「く、このいやらしい!」
放たれる矢は全ていやらしい場所ばかりだ。全てギリギリの場所を狙ってくる。致命傷にはならないが避けなければ不味い場所や、機動力を奪う足や死角、まぎれもない急所。
狙う場所がいやらしい。全て防がなければ、あるいは避けなければどうしようもならない場所にアランは矢を打ち込んでくる。
「さっすが三年のアランだな」
「しかし、ファインアット家の嬢ちゃんもよく避けてるぞ」
「うお、あれを弾くのかよ、すっげーな!」
野次馬たちの声を聴きながら、頭に血が昇りかけているのをリゼナは自覚する。
矢を放たれる位置が絶妙に神経を逆なでしイライラさせる。おそらくそれが狙いか。業を煮やして単調な攻撃や突撃をした瞬間にとるつもりだ。
「落ち着きなさい、リゼナ・ファインアット」
一度息を吐いて、体勢を整える。自身の熱しやすさの自覚はある。努めて冷静になることが勝利への道だ。
放たれる矢を一本一本丁寧にはじいていく。連射魔法でもなければ、魔道具でもない。連射速度は標準的なそれである。
迎撃できないわけではない。ならば迎撃して隙を探るまでだ。相手の矢筒にある矢を数えてそれらすべてを弾くことを決める。
そうすれば相手は速射可能な遠距離攻撃手段を失うのだ。あとは自身のある速度で肉薄して接近戦に持ち込む。そうなれば少なくともこのようないやらしいことをされることはないだろう。
体力は問題ない。いくら撃たれたところでこの程度の矢ならば数週間は躱し続けられるし弾き続けられる。仮に魔法であってもファインアット剣術には対抗策がある――。
「――なんて、考えているのだろうなぁ」
アランはぼそりと呟いて次の矢を番える。これで最後。リゼナの目が輝くのが見えた。理気に妖気が練りこまれて循環する。
最後の弓を放った瞬間、彼女は動いた。
「そこ!」
アランが最後の一本を放った。
剣を抜かせる前にリゼナはアランへと疾駆する。剣を構え、突きを放つ。もちろんこれで倒せるとはリゼナは思っていない。
必ず迎撃すると読んでいる。それくらいの実力はあるだろうとアランという探索者を調べて知っている。あの鍛え上げられた肉体は、嘘を言わない。
だが、それでいいのだ。まずは弓を捨てさせることが肝要。リゼナとて遠距離手段である魔法も、もちろん持ち合わせてはいるが、決闘で使えるような代物ではない。
威力が高すぎるし範囲が広い。自分の才能のおかげで、魔法はどれもこれも致死性が高すぎるのだ。調節が下手というわけではなく、あまりにも才能がありすぎてどうしようもなくなっているのである。
だからこそ、まずはその弓を捨てさせる。
――さあ、捨てなさい。
――剣の勝負なら負けな、
「な!?」
「弓を捨てるって思ったんだろうが、考えがまだ甘いぞお嬢ちゃん」
アランはまだ弓を捨てない。すでにここは剣の間合いだ。もうすぐアランの肉体に剣が突き刺さるだろう。
妖理気は剣にもまとわせてある。どんななまくらであろうとも鋼鉄すら切り裂く名刀に変える妖理気をまとわせた剣は鍛え上げた探索者の肉体であろうとも貫く。
そもそもこの突きは人外に使うようなものだ。人間に放てば過剰威力もいいところなのだが、如何せんファインアット家の剣術はこんなのしかない。
どこまでも相手を倒すという実直な剣だ。そのために腕の良い治療術師を連れている。だが、それは消して防がないでいいというわけではないのだ。
死ぬ気か。いいや、違う。
リゼナの思考は答えを即座に導き出す。
誘われた。この状況に誘われた。今、完全にリゼナは攻撃態勢。もしここで相手に攻撃手段があるのならば、剣を抜くよりも早く迎撃できる。
考えられる攻撃手段、それは――。
「魔法――!」
「正解だ」
一瞬のうちに彼の構えた手には炎の矢があった。簡易詠唱による高速術式展開。気が付いた時にはすでに定められたキーワードとともに魔法は装填されている。
一体どれほどの修練を積んだのか。術式構築速度が尋常ではない。一瞬でつがえられていつでも放てる状態。
手を離せば、それはリゼナの眼前で炸裂することが魔法式を見て彼女は理解した。
「く、このぉ!」
リゼナの咄嗟の判断は連続する。放たれていた突きを無理やりに止めると同時に、身体強化に物を言わせて地面を蹴った。
地面が陥没する。急ブレーキ。次は、思いっきり蹴った。前に進む勢いを、背後に進む勢いへと変える。急激すぎる方向転換に筋肉がぷちぷちと悲鳴を上げているが、魔法を顔面に食らうよりは何倍もいい。
なんとか腕をクロスさせ防御しながら最低限の爆炎だけを食らう。
「っ――」
爆炎によって再び距離が開く。ダメージは何とか最小限であるが、全身が軋むのを感じた。身体強化していなければそれで終わりだ。
「まだ!」
だが攻撃はまだ終わりではない。二撃、三撃と続く。炎の矢が着弾とともに爆裂する。派手な戦いに観客は沸き返っているがリゼナにとってはたまったものではない。
当然、魔法に対してもリゼナの中に対処法はある。剣による魔法破壊だ。魔法を構成する魔力によって描かれた魔法陣を破壊すること。
そうすれば、魔法は制御できずに消滅するかその場で爆裂する。だからこそ、放たれる矢の魔法式を見てそれを妖理気を込めた剣で切ればいい。
魔力と理気は遠い位置にある。相性は当然のように悪い。そこにさらに妖気も乗れば切り裂けない術式などない。
「くそ、なんて無駄がない!」
――ないが、それはあくまでも切れればの話。
アランが構築した術式は一切の無駄がなく、斬るという行為が不可能なほどに微細だった。かろうじて読み取れるが、それを斬るまで行かない。
あともう少し見れば斬れるようになるかもしれないが。
「さて、そろそろこちらもこれで行こうか」
アランはその前にとんとんと腰の剣を叩く。
「馬鹿にして!」
「いいや、馬鹿にはしていない。おまえならあと少しで俺の術式が斬れるようになるはずだ。まず魔法を撃っては勝ち目がない。ならばこれで行く方がいい」
小細工や魔法を弄したが最後にはやはりこいつだろう。
そうアランは言った。
「どこまでも嫌なやつですわね!」
それはつまり、剣を使うならば勝負は終わると言っているようなものだ。最後とはつまりそういうことだ。
「ですが、剣を抜いたこと。同じ土俵に立ったことを後悔させてやりますわ!」
剣を構えて疾駆する。
過去最高の身体強化。まるで風になったかのように剣が舞い踊る。放たれる突きの数々は、どれもこれも凄まじい威力。当たれば最後、肉後とえぐり穿つ剛のそれだ。
それをアランは刹那の見切りではじいていく。突きとは点の攻撃だ。どこに来るかがわかればはじくのはたやすい。
アラン自身もリゼナと同じく身体強化をかけながら、わざと隙を作りだしてそこへ攻撃を誘導している。護る場所がわかればたやすくリゼナの剣を弾くことができる。
「ならばこれはどうですの!」
これが通じないというのならばと、さらに身体強化のギアをあげていく。どこまであがるのか、彼女の身体能力は上昇を続けている。
気が付けば彼女は大気すら踏みつけていた。縦横無尽、変幻自在の突きがアランを襲う。
「大した強化率だ。俺では到底追いつけん」
「一発も食らっていない男が何を言っていますの!」
しかして、それでも当たらない。
視線、体幹、構え。あらゆる要素を利用してアランはリゼナの攻撃を誘導している。これではどれほど強い一撃を放ったところで意味がない。
すべての攻撃は当たって初めて意味を持つのだ。当たらない攻撃などそよ風と同じ。しかし、当たれば勝てるという思いがリゼナの行動を縛っていく。
「く、この! このぉ!」
そもそも彼女は熱しやすい。それを自覚してはいるが、到底理性で押さえつけるには足りない。
攻撃が激しくなるに連れて、虚実もなくなれば、冴え渡る技巧も力押しの単調に変わる。
「攻撃が単調になってきてるぞ、ほれ」
「――っ!」
「そんなだから弾かれる」
横合いから撃たれて剣が大きく弾かれる。
まずい、追撃が来る。
リゼナの思考と同時に、アランが引き絞った剣に光が宿る。
何かする。
そう察するには十分な光だった。
まずい、防御を。
リゼナの判断は防御だった。剣を注視し、何が来てもいいように備えた。
「そら、剣にばかり注意を割きすぎだぞ、お嬢ちゃん」
だから、ただひたすら剣ばかり見てしまった。
空中に置かれるようにその手から離された剣を目で追ってしまう。からんと地面に落ちるまで思わず目で追ってしまった。
しまったと思ったのは、剣を離した後に握りこまれた拳がその顔面にめり込んだ時だった。
「ぐ――」
容赦なく顔面に放たれた拳は重い。流石に身体強化は切られているが、それがなんの慰めになるというのか。
彼の肉体ははるかに鍛えられている。身体強化などなくとも彼の体はすでに武器そのものなのだ。
連続する殴打。一撃を受けたときの痛みと混乱によってリゼナが使っていた身体強化は見る影もない。
腹を殴られ頭を下げればそのまま顎に一発良いのが入って頭がかちあげられ、胴が空いたらまたそこに重い一撃が叩き込まれる。
「ぐ、ふゅ――」
「降参するか。俺とて女を殴るのに抵抗がないってわけじゃないんだ。降参すればこれ以上殴らんで済む」
「わ、たく、しは、リゼナ・ファインアット、です、わ、よ」
絶対に降参などしない。
そんな絶対の意思が言葉となって聞こえてきそうであった。
「なるほど、わかった」
ぴたりと、アランは拳を止めた。
「――?」
「参った。降参だ。こんな女から、参ったなんて言わせれないだろう」
「やれやれ。あなたらしい。勝者、リゼナ・ファインアット!」
「お嬢様、早く治療を」
「やめておけ。その程度なら治療をしなくても十分治せる。若いうちから治療魔術に頼っちゃいかんぞ。弱くなる」
勝者を宣言させ、アランは言いたいことだけいってあとは消えた。その場に残されたのは、賭けで負けた嘆きやら、勝った歓喜やらで悲鳴や絶叫を挙げる観客とわけのわからないリゼナだけであった――。
さて、そんな面白イベントも収束し、第六番迷宮口探索者組合の酒場は探索者であふれていた。今日も今日とてにぎわい、昼間の決闘についていろいろと言ったり、明日はどんなモンスターを倒すのだと言っている。
そんな中、アランは指定席に呼び出されていた。呼び出し人は、リゼナ・ファインアットである。
「良い面構えじゃないか」
「嫌味ですの」
リゼナの顔は、治療されているが魔法は使っていない。自然回復だ。そのためボロボロで多少痛々しいが、生来の美しさはその程度では損なわれないらしい。けがでボロボロながらある種の美しさがあった。
「それで、呼び出しの内容はわかっている。ここは譲り渡すし、何でも命令を聞こう。さあ、言ってくれ」
「…………なぜ止めましたの? あなたならあのまま戦っていればどうとでもできたでしょう」
「さて、どうだろうな。おまえの意思が強いからなぁ。女相手にそうそうできることもない」
「その女の顔を殴っておいて何を言いますか」
「なんだ、女扱いしてほしかったのか?」
「まさか。って、話を逸らすんじゃないですわよ!」
「と言われてもなぁ、特に理由はない。俺は静かに飯が食えればいいだけで、この席にこだわりがないからな」
それだけだ。
とアランが言ったのを聞いて、リゼナはとりあえず納得した。声色にまったく嘘もないし、こんなところで嘘を言う理由はない。
この男は本当にこだわりなく勝利を投げたのだ。
「あなた、本当になんなんですの?」
「調べたんだろう。なら、知っていると思うが?」
「……あなたが3年のアランって呼ばれてることくらい。剣を使う、弓も使う。魔法も使う。その程度ですわ。思想や性格については調べてませんわ」
「ほう?」
「私、人づての性格とか思想は聞かないようにしてますの。どうやったって主幹が入って人物像がゆがみますもの。人の性格は自分で視ますわ」
「なかなか面白いなおまえさん、良い領主になりそうだ」
「おほめいただき光栄ですわ。それで? どうして、一つのランクに三年も居座っていますの。本当なら、色金にすら届くとまで言われていますのに」
アランという男は、リゼナが調べたところ一つのランクに三年は居座っている。
普通なら数週間もあれば昇級できる木ランクにも三年間彼は居座った。その上の石も、鉄も三年ずつ居座って、今年で10年、彼は探索者をやって鋼ランクである。
鋼ランクは、平均的な探索者なら三年もかければ誰でもなれるランクである。実力があるのならもっと早く、それこそ即座にランクが上がっていく。
探索者に求められるのは、探索技能や交渉術など多岐にわたるが、もっと求められるものは強さだ。それがあれば、限度なく昇格していく。
その例が今アランの目の前にいるリゼナである。彼女は登録して数週間というのに異例の速さで銀ランクまで駆け上がり、金ランク目前とされている。
アランの実力ならば鋼などとっくの昔に通過しているはずなのだ。だが、アランは十年やってまだ鋼にいる。各ランクで三年ずつすごしてから、昇格しているのだ。
「なぜですの?」
リゼナはそれがどうしようもなく気になった。
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