第2話 「リゼナ・ファインアットが、貴方に決闘を申し込みますわ!」
つかつかとリゼナ・ファインアットは、食事をしているアランの前にやってきた。
「ねえ、あなた、そこは私の場所ですわ。どいてくださらない?」
そして、そういった。柔らかな口調であるが有無を言わせぬ調子でもある。
アランが座っている場所は酒場でも隅の方である。出入口から遠いものの少しばかりほかのテーブルから離れていて静かだ。
さらにテーブルが大きく、一人で使うならゆったりと食事ができるしパーティーとしても利用可能である穴場席である。
ゆったりと食事をするにはここはとても良い場所である。
「断る。別の席があるだろう。俺はここで食事をしているんだ」
「私に反論しますの。あなたが?」
「……暗黙の了解を知らんようだな」
基本として誰かがキープしているというわけではないが、探索者の間ではそれなりに場所が決まっている。指定席というやつだ。
酒場は広いが、すべての探索者の席があるわけではないがその時間帯にその場所に座るというのはおのずと固定される。
この場所は、今の時間はアランの指定席だ。もちろん明文化されていない暗黙の了解であるが探索者たちの間では余計な波風を立たせないために、また気分よく食事をする為にも護られているルールであった。
しかし調子に乗った新人が入ってきたりすると時々であるが問題が起きる。これも似たようなものだろう。今までは、アランと時間が合わなかっただけだ。
今かち合ってしまったわけだが。
「そんなもの知りませんわ。私はファインアット家の次期当主ですわよ!」
「そうか。ならば少し待っていろ」
アランは食事に戻る。
「な!? なんですって!」
「…………うん、うまい」
家名を出せばその威光によって、命令通りに動くと思っていたリゼナはアランは命令を聞かないどころか、反論した上で、そのあとは何を言っても無視だ。
輝く美貌。流麗な剣技。高い魔力に理気。使える属性も攻撃的な妖気と相性の良い呪力。神に愛されたといわれても信じられるほどの天稟。
そこにこのメイシュトリアに存在する二十七家の一つ、第六位のファインアット家の次期当主。
誰一人としてリゼナ・ファインアットを無視できたものはいない。誰もが彼女を無視できない。
それをアランは無視した。今は食事中なのだ。ファインアットだろうが、今有名な探索者だろうが、何人たりともその食事を妨げること能わず。
食事とは豊かで、静かで、幸福をかみしめて甘受するものだ。騒がしいのもまた一興であるが、今現在、だれかと食べるでもなし。一人での食事なのだから好きにするというのがアランという男だ。
しかし、それはアランの事情である。そんな事情などリゼナは考慮しないし理解すらしないだろう。彼女にとっての問題は理由はどうあれ無視されたことなのだから。
プライドの高いリゼナに去来する感情は当然のように――怒りだった。自分を虚仮にされた。ならば貴族たる彼女がとる選択など一つだった。
「そう、私を無視する上に、どかない。ならばやることは一つですわ」
その手にあった手袋を外してアランの足元へと放る。
「リゼナ・ファインアットが、貴方に決闘を申し込みますわ!」
そしてそう宣言された。
それを聞いたアランはまず、厄介なことをしてくれたと思った。
食事を邪魔されたことはこの際置いておくとして――最も重要なことだが――アランとて大人だ。成人してまだ一年も経っていないような子供を相手に怒るほど大人げなくはない。
だからこのまま無視をしてさっさと食べてしまいそのまま立ち去るつもりであった。ことを荒立てることもない。ここは公共の場だ。暗黙の了解はあれど、絶対ではない。すぐに食べて立ち去ればそれでよかった。
だが、リゼナは決闘を申し込んできた。別段申し込んできたことは良い。神々の前で行われる決闘というわけではないただの私闘なのだ。断ったところでペナルティがあるわけではない。
問題は申し込んできた場所だ。ここは公共の場所。それもギルドの酒場だ。探索者というのは荒くれ揃いであり、こういったイベントを何よりも好む。
自分に降りかかってくることは嫌だが、他人がそうなる分にはむしろ面白可笑しく囃し立てる野次馬と化す。
つまり――。
「決闘だってよ!」
「ファインアットの嬢ちゃんがあのアランに決闘を申し込んだぞー!」
「逃げるんじゃねえぞー!」
「やれやれー!」
などといった煽りが酒場中に響き渡って、アランが断れない雰囲気を作った。
「はぁ。日時は」
「明後日の正午。ギルドの修練場で」
「良いだろう。もちろん、治療術師はそちらで用意するのだろうな?」
「無論ですわ。腕の良い最高の術師を用意いたしますわ。死ぬ心配はありませんわよ」
「ならばよい。こちらも立会人を一人連れていく。武器は?」
「なんでも使って構いませんわよ。私はこの剣で行きますので」
「なんでもだな?」
「もちろん。せいぜい負けたときの台詞を考えておくことですわね」
「勝負後の条件は、当日に決めるとしよう」
「良いですわよ。では、ごきげんよう」
そういって彼女は、来た時と同じようにつかつかと空いている席に座って料理を注文する。
「やれやれ」
このような小さなことで決闘になるというのは本当に荒くれ揃いの探索者らしいといえるが、平穏を愛するアランとしては溜め息もひとつも吐きたくなる。現に吐きながらアランは食事を再開した。
「うまいっ!」
少しばかり面倒ごとがあったが、料理のうまさは変わらない。ギャラリーたちは、面白いイベントがあったとすでに賭けが始まっているようであった。
――さて、そんなわけで時間はすぐに過ぎて決闘当日だ。やはりアランは朝風呂に来ていた。
「む……」
「あら……」
そこにはなんとリゼナの姿もあった。そこだけ貴族邸宅の個人風呂かというような、別世界の風情がある。湯船にぺたんと座っている姿は天女の水浴びとでも称されそうだ。
男の探索者などガン見である。ほぼ全員前かがみだ。もちろんガン見をしてはいるが、気が付かれないように気配を消している。
あまりにも露骨であると殴られても仕方ないし、何よりも混浴とは言えど許可なく女の体は見るものではない。
もちろん、男なのだから女の体の魅力に逆らえるはずもないので、気が付かれないように見ろといわれる。
彼女はどうにもアランの定位置とかしている場所の隣に座っている。今から決闘する相手の隣など気まずい以外の何物でもないが定位置は譲れない。
無言でアランは定位置に座る。
「…………」
「…………」
無言だった。
思わず風呂場にも緊張感が走る。一色触発というには気配が緩んではいるが、これから決闘をする二人だ、何かのはずみで、爆発するなんてことがあり得る。
ピリりと、どこか妙に緩んだ空気も内包した沈黙の時間が過ぎていく。
「なぜそこに座りますの」
最初に口を開いたのはリゼナの方だった。
「ここが俺の定位置だからだ。そういうおまえは」
「おまえではありませんわ。リゼナ・ファインアットですわ。3年のアラン」
「なるほど、一応は相手の下調べくらいはしてくるか」
アランは内心でリゼナの評価を上方修正する。酒場での猪突猛進っぷりというか、プライドの高さと彼女自身の能力からしてあまり相手を研究するタイプには見えなかったがそうではなかったらしい。
「もちろん。戦うとなっては、相手を侮ることなどいたしませんわ」
「なら最初から決闘などしないでほしいところだ。そこまでできるのならなぜあんなことをした」
「あれは……思わずですわ」
なるほど、こいつ考えるより言葉が出るタイプだ。顔が赤いのは風呂に入っているからだけではないだろう。
「ならばやめるか」
「やめるわけないでしょう! あんな公衆の面前で決闘を申し込んだのですわよ! それにファインアット家の次期当主が己の言葉をそう易々と取り下げるわけにはいきませんわ!」
「貴族というのは大変だな」
体面があるから、そう易々と謝罪もできない。
「それが貴族ですわ」
「ならばなぜ探索者などをしている」
「あら、知りませんの? ここうちの領地ですのよ。領地のことを知るのは領主の義務ですし、何より貴族として強くあらねばなりませんもの」
だから迷宮に潜ることにしたと。
「次の領主会議で行われる諸々の競技の結果如何では、迷宮口が他領に移る可能性もありますもの。手は抜けませんわ」
「なるほど」
この娘、意外と考えているな、と思いながらちらりとその体へ視線を動かす。先ほどから話しながらバレない程度にチラチラとみている。
リゼナの発育は控えめに言って良い。同年代の探索者女性と比べてもかなり良い。才能があるのだろう。その体に傷はないし瑞々しい肌は白く、まだ穢れを知らない蕾だ。
若々しい美しさにあふれており、熟れた女性とはまた違った良さがある。出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいるし、ほどよくついた筋肉で全身にハリがある。
だが、ここで観察するのは尻と胸ではない。もちろんそれらも見るが、今見るべきは筋肉だ。
アランが持つリゼナの情報は多くはない。もちろん決闘までにどのように戦うのか、どんな相手なのかを調べることはしたが、彼女はソロの探索者だった。
パーティーメンバーはおらず、誰かと一緒に迷宮に潜ったという話もない。そんな状態では得られる情報というのは限りなく少ない。
性格的なもの、評判的なものにとどまる。あとは伝聞でこんな魔法を使っていた、あんな剣技を使っていたなどだが、正確性に欠ける。
ゆえにここで視るのだ。筋肉を見れば、どのような動きを常にしているかがわかる。探索者は体を鍛えなくてもいいが、必然的に使う筋肉は鍛えられていくのだ。無駄に鍛えないからよりそれは顕著になるといえる。
畢竟、筋肉の付き方一つでその剣術理を丸裸にできてしまう。
「ふむ……」
片手剣。速度重視の手数勝負。決め技は突きだ。防御に関しては避けることを重視する、人外戦闘の基本に忠実。
小さなことをこつこつと積み上げていく戦いが得意なようだ。見た目や伝聞とはずいぶんと違う戦い方をするようである。
「なんですの? さっきからチラチラとこちらを見ていますわね」
「実に素晴らしい肢体だと思ってな」
「マナー違反ですわよ」
「うむ。これは失敬。あまりにも素晴らしいものであったからな本能が抑えられん」
「これだから男は。まあいいですわ。なにせ、私はリゼナ・ファインアット。この肉体に恥ずべきところなどどこにもありませんもの。まあ、見られて気分が良くなるというわけではありませんが。では、また。決闘楽しみにしていますわ」
「ああ」
立ち去る彼女に対して、最後にもう一つ見る。
「ふむ、剣技だけでなく魔法も一流とくればやはり貴種というべきなのだろうな」
そうぽつりとつぶやいてアランもまた湯船からあがり水をかぶって体の火照りを覚ます。
完全武装を整えてアランは指定の広場へ向かった。
「少し早いですが、よろしいですか?」
そこにはすでに完全武装のリゼナがいた。細身の片手剣を腰に帯ている。防具もまた最小限。概ねアランの見立て通りの恰好といえる。
あとは彼女の背後に控えるのは執事だろう。ファインアット家の使用人らしき人物が控えるように立っていた。
「問題ない」
「そちらが立会人ですの?」
「ああそうだ」
アランは立会人にルーベルトを連れてきていた。
「もちろん、武器は持っていませんので」
「そこは疑いませんわよ。準備はいいですわね?」
「ああ問題ない」
背中の弓をアランは構えて弦を張る。
「決闘で弓とは、舐めてますの?」
「舐めちゃいないさ。広い広場を有効に使いたいだけだよ」
「そう。なら良いですわ。それでは、決闘の条件を決めましょうか。勝った方があの席を使う。負けた方はさらに勝者の言うことを一つ聞かせられる。これでよろしいですわね?」
「構わない」
自身の身をかけたもどうぜんであるが彼女はそれでも勝つ自信というものがあるらしい。
「ルールは単純。どちからが参ったというまでですわ。立会人もそれでよろしいですわね?」
アランも立会人の二人もそれにうなずいた。
「では、決闘をはじめますわ。正午の鐘が鳴った瞬間に始めますわ」
互いに武器を構える。野次馬共も今か今かと固唾をのんで見守っている。聞こえる音は、このイベントに乗じて儲けようと商売を始めた商人どもの声ばかり。
しかしそれも、時間とともに二人の決闘者の聴覚からは消えていく。
音がすべて消えた瞬間、正午の鐘が鳴った。
というわけで活動再開に伴い新連載です。
転生要素も転移要素もありません。
あるのは筋骨隆々なおっさんと美少女だけです。
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