愚鈍な解決
「…で、結局そのままにしてきたのかい?」
そう問われた途端、草間はびくりと肩を震わせた。
まるで悪戯を叱られる少年のように、草間は顔を俯かせたまま、目線だけを主治医の佐久間に向けた。
佐久間は寛容な笑みを作り、草間を柔らかな目で見つめる。
「それも、幻だと思って…」
おずおずと草間は答えた。
「しかし、君が血の跡を見た家で後日遺体が見つかり、事件となった」
草間は再び肩を震わせた。
彼が全てを幻覚のせいと決め込みその場を去った後、近所の住人がその家の主婦の刺殺死体を発見した。
しかし、犯人は見つからず、妻を殺された夫はその悲しみと怒りをマスコミに顕にしている様が、連日報道されていた。
体をちぢこまらせ、怯える草間に、佐久間は一層柔らかな笑みを向けた。
「あの奥さんが死んだのは、君が悪いわけじゃないよ。それに、君の今の状態を考えると、その場を去ったのだって仕方のないことだよ」
その言葉を聞き、草間はようやく体の強張りを僅かに解いた。
その様子を見、佐久間はうんうんと頷いて見せた。
「それにしても…」
佐久間は子供がモノを不思議がるような顔で、草間に訊く。
「さっき『それも』って言ったよね。ということは、その前にも見たのかな?」
「…はい」
草間は苦々しげに答える。
「その日は採用試験で、面接があったんです。その時に、その…」
「”おかっぱの少年”、かい?」
草間は顔を一層顰め、肩を落とした。
「そう、です…」
「その”少年”は、何かしたのかな?」
佐久間は体を引き気味の草間に向け、目の前の机に肘を突き前かがみになる。
「面接官の服の裾を…引っ張っていました」
「うーん、そうかぁ」
佐久間は前かがみのまま、手で顎をさすり、何かを考えるような様子を見せた。
そんなのんびりとした尋問に、草間は耐えかねるかのように声を上げた。
「先生!これでも僕は良くなってるんですか!?本当に、病気は治りつつあるんですか!?」
懇願をするように乗り出された草間の顔に、佐久間は慌てて両手を振り静止する。
「草間くん落ち着いて。僕は君と一番仲がいい医者だって自負してるんだ。そんな君のことを、見誤ったりはしないよ」
佐久間は患者を安心させる為の一等柔和な笑みを見せた。
それを見て草間は「はい…」と言い、泣き笑いのような顔でゆっくりと体を戻してゆく。
「本当に気味が悪いんです。あの日以来”おかっぱの少年”はうちの包丁指差してるし、外出したと思ったら見知らぬ山道まで気づかない間に何度も歩いていたり、おまけに報道された家の苗字が面接官と同じ苗字で…頭がどうかしそうです…」
「え?」
佐久間は咄嗟に声を上げてしまった。
草間はきょとんとしている。
「いや、それより、最近は眠れているかい?もしかしたら睡眠の質が良くないのかもしれないしね」
取り繕うような佐久間の問いに、草間は気づかない様子で答えた。
「そういえば…あれ以来眠れていないです」
「そうか。じゃあまた薬の内容を見直そう。少し日中眠くなるかもしれないけれど、夜はきっと快適になるよ」
「ありがとうございます」
「じゃあ、また来週。何かまた変なことがあったら、教えてね」
草間は自身の診察ファイルを受け取り、挨拶もそこそこに部屋を出て行った。
佐久間は草間の体が扉の向こうへ消えて行ったのを確認し、患者には見せない疲れ顔でため息を吐き、椅子に深く背を預けた。
「全く、困った探偵だな…」
そう言い、佐久間は知り合いの警察関係者に連絡した。