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よもや異世界で人生やり直しとは!  作者: あくぎ
亡失の私と不可思議な世界
6/8

不意の一撃


 メイドのメリアの案内を受けて、私は館の中へと足を踏み入れた。

 両開きの厚い扉を越えると、まず、妙に甘ったるい香りが鼻をついた。匂いを辿ると、広いエントランス・ホールに、名も知らぬ大きな花々が並んでいるのが目に入った。最初こそ慣れない匂いだ、と感じてはいたが、時間が経つにつれて鼻が馴染んてきたようである。中々、良い香りではないか。



 「ハル様のお気に入りのお花です。緊張が解れる香りなんですよ」



 どうやらこれは、緊張が解れる香りらしい。来客をリラックスさせる為の、ハルなりの気遣いだろうか。今までの言動を顧みると、到底想像もつかぬ心遣いのような気もするが、今は伏せておこう。冷静に考えて、彼女の父親か、母親の意向なのだと思う。

 

 エントランス・ホールを抜けると、長い廊下へと出た。上等そうな赤絨毯が敷き詰まった廊下である。その上をメリアは、姿勢の良い完璧な歩行で、音もなく歩いていく。今までメイドという存在を見たことはなかった……いや、『私』が見たことがあるのかどうかは、脳にこびりついた記憶の限りでは不明なのだが、何にせよ、素晴らしい後姿には違いない。ああいったものを見てしまうと、自分の歩行の姿勢が気になってしまって落ち着かなくなる。

 

 廊下を少し歩いたところで、メリアが立ち止まり、こちらを振り返った。



 「この扉の向こうは入浴場となっております。湯に浸かってお身体を癒してください」

 「あ、お風呂、ですか?」

 「はい。大変お疲れのように見えますので……中で、ハル様もお待ちしております」



 他人の家にお邪魔して、真っ先に風呂に入る事になるとは思わなかったが、自分の現在の姿、腕の肌にこびりついた汚れだとか、ぼさぼさの髪だとかを改めて確認すると、着ているものを全て脱ぎ投げて、すぐにでも入りたい気持ちだったのは確かである。



 「ごゆっくりどうぞ」

 「え、あ、ありがとうございます」



 私はメリアの丁寧なお辞儀をしっかりと見届けた後、浴場へと続く扉をゆっくりと開いた。

 

 

 ▼



 浴場への道のりは想像以上に距離があるようで、私は、冷たい木張りの廊下をほそぼそと歩き続けた。歩き続けるにつれて、段々と空気中に水分が増してきたような、そんな雰囲気を感じ取れるようになり、やがてそれは徐々に色濃くなり始め、とうとう目に見えて湯気がもうもうとたちこめてきた。湯気に交じって甘酸っぱい匂いも鼻に飛び込んできている。どうやら、ハルの待つ浴場はすぐ近くにあるらしい。

 

 なおもひたひた歩き続けると、脱衣所らしき場所に辿り着いた。脱衣所、とは言ったものの、私の常識の範囲にはない物が沢山ある。無造作に洗面台の上に置かれている、一見ドライヤーに見えなくもないこの物体も、電源ケーブルのようなものが付属していない上に、よく見ると、風が吹き出てくる穴が存在していないのである。スイッチにあたる部分も見当たらなかったので、一先ず元の位置に戻しておいた。


 ちらと洗面台の横にある棚を覗いてみると、そこには大きな木製のバスケットが置かれており、中には先程までハルが着ていた衣服が無造作に詰め込まれていた。彼女は衣類を畳むという事を知らないのだろうか。いや、恐らくメイドに任せきりにしているのであろう。


 私は自身の着ているよれよれのパジャマを、もたつきながら脱いだ。走ったり座り込んだり、空を飛んだりして、よれよれ具合に更に磨きがかかっている。これを着て街中を出歩けば誹謗の対象になる事間違いなしだろう。……いや、まあ、つい数分前まで、この格好で出歩いていたのだが。

 

 しかし、そんなよれよれのパジャマでも私の私物であることに変わりはないので、とりあえずは綺麗に畳むことにした。……が、パジャマの上着の内側、丁度、右側の脇腹にあたる部分に、何やら、シールのようなものが貼ってある事に私は気が付いた。加えて、そのシールの表面には黒字で文字が書いてあるようだった。


 『まち』


 ……とだけ、油性マジックで書いてある。普通に考えれば、これは、名前だろうか。

 

 まち。まち、真智、真千、万智? ひらがななので漢字の特定はできないが、名前であることは間違いない。そして、これを着用していたのは紛れもなく私である。つまるところ、私の名前だ。

 

 しかし、まち、という響きに全く心当たりがない。自身の名前なら、何か記憶を思い出すきっかけになるかもしれないと思ったが、現実は厳しいようである。

 

 それでも、自身の名前の一部を知る事が出来たのは、ほのかな安心を感じられた。私の名前はまち、まちである。苗字は分からないが、とにかく、まちなのである。



 「おーい。何か物音聞こえたんだけれど、誰か居るの?」



 奥側にあった浴場の扉ががらりと開いて、中から反射でエコーの掛かった声が響いてきた。この声には聞き覚えがある。



 「ハル?」

 「ああ、アンタだったの。ぼさっとしてないでさっさと入ってきなさいな。あんまり遅いと私がのぼせちゃうし……あ、服は適当なバスケットに放り込んどいてね。湯上りの頃にはアンタの服、用意できてると思うから」

 「あ、ありがと……何か、色々してもらっちゃって」

 「いいのよいいのよ、後でちゃんと恩返ししてくれれば」



 しっかりと売った恩の回収の方はするようである。

 

 恩返し、といっても、今の自分は無一文な上、特殊な技能も備えていない完全なる凡人、いや、この世界ではそれ以下の人権しか持たないであろう人間なので、難しい話である。

 

 私は着ているものを適当なバスケットに畳んで入れると、ハルの待つ浴場にゆっくりと足を踏み入れようとした。が、浴場への入り口の手前に、一枚の大きな姿鏡が置いてあることに気がついた。


 鏡に映る少女は、紛れもなく私の姿なのだろう。年齢は16、いや、17くらいだろうか。私の知っている世界でなら、高校生あたりの風貌である。しかし、身体の肉つきは良くないようで、全体的に貧相に見える身体だった。空気中の湿気を吸った黒髪はやや潤いを取り戻してはいるものの、ボリュームがありすぎて、誇張かもしれないが、まるで椎茸のようである。顔は童顔気味ではあるものの、客観的に評価してみれば、まあまあ、整っている顔だろうか。


 あまりハルを待たせると怒られそうなので、自己外見評価はこのくらいにして、私は浴場の中へと静かに足を踏み入れた。







 湯気の立ち込める浴場の周囲を見渡すと、ハルは入ってすぐ左側、その奥にある丸い湯船に浸かっているようだった。金色の頭髪をタオルで纏めて、肩までしっかりと湯に浸かっている。



 「おー、来た来た。まあ湯船に飛び込みたい気持ちはわかるけれど、先にそっちで身体を洗ってからにしてね」

 


 この世界でも入浴の際のマナーは変わらないようである。特に今の私は、それこそ全身くまなく汚れにまみれていること間違いないので、ハルの指差した場所、大きな鏡、風呂椅子と四角形の桶……のような物が置かれている壁際へと移動した。

 

 見ると、風呂椅子は私の知っている物とほぼほぼ同じような機能性をしているが、一転、桶のような物体は全くもって理解しがたい形状をしている。口は正方形なのだが、まず、縦に長い。100円ショップで売られている安物の浅いゴミ箱のようである。加えて、この一帯には蛇口、それと、シャワーと呼べるものが見当たらなかった。

 

 「あの、ハル?」

 「なーあに?」


 ハルが気の抜けた声で応答する。



 「これ、その、ええと……どうやって、どうするの?」

 「……いやいやいや、具体的、もっと具体的に言って? 主にどの点で困ってるの?」

 「いやあ、どこからお湯が出るのかなあって……」

 「あー……そうだったそうだった、忘れてた。アンタ、ホントのホントに何も分からないんだった」



 浸かっていた湯船からざぶんと立ち上がると、ハルは私の方へと歩み寄ってきた。目のやり場に困ってしまったので反射的に目を逸らしたが、ハルが「何恥ずかしがってんのよ」とクスクス笑う。



 「椅子と鏡の使い方は説明しなくても分かるとは思うからパスね。良い? まずこの桶なんだけれど、まあ、どの家庭にも大体あるやつ。この桶の両側に、手で掴むところがあるでしょ?」



 桶の両側面を確認すると、確かに、丁度手で掴みやすそうなくぼみが出来ている。しかし問題なのはそこではない。お湯の供給手段がなければ、これは何の役にも立たなさそうなただの容器でしかないのである。



 「でもお湯はどこから……」

 「まあ見てなさいったら。ここを掴むとね……」



 ハルが両側面のくぼみを、それぞれ右手、そして左手で掴む。すると、たちまちに桶の中身がなみなみと液体で満たされ始めたではないか。しかも、丁度湯加減の良さそうな無色透明のお湯である。

 

 私の目には、無から有が生まれているようにしか見えなかった。トリックの一種なのだろうか。



 「ど、どうやってお湯が? 今何もないところから!」

 「あっはは、別に普通よ、普通。まぁ、これが販売され始めたのは最近だけれどね。つまるところ、このくぼみを掴んだ人間の深力を利用して、それをお湯に変換しているわけ」

 「深力って……私が、とても凄い大きさだっていう、あれだよね」

 「そそ、アレ。生き物なら誰しもが一定以上は備えてるって研究で分かってるから、それを生活の一部として利用できないか、って研究が進んでるわけ。応用で鍋の水を満たしたり、その水を沸騰させたりする、なんてことも出来るわよ」



 何とも便利な力だと思った。だが、どういった原理で水を生み出しているのか、その水は何で出来ているのか、色々と突っ込むべきポイントは見られる。所謂、魔法のようなシステムだが、この世界ではどうやら常識らしい。

 

 しかし冷静に考えてみれば、大昔の人間は空を飛ぶ事など夢物語だとぼやいていたかもしれないが、人間は見事、大空を飛んでみせたのである。人間の想像しうる事はおおよそ実現が可能である、という言葉もあるように、何も入っていない容器にお湯を満たす事も、やはり何者かの絶え間ない努力の成果なのだろう。



 「ほら、アンタもやってみなさいよ。一応深力はあるんだし、問題なく出来ると思うから」

 「うん、やってみるね……」



 既に桶の中をなみなみと満たしているそれを、私は肩から背へと流すように被る。ほどよい温度のお湯が、疲労で強張った全身を優しく癒した。全身が多幸感で包まれるような喜びを感じて、お風呂というものの重要さを改めて認識する。良いものだ。

 

 快感の余韻を感じながらも、私は空になった桶を置き、その両側、くぼみのところに両手をあてがって、しっかりと掴んだ。ハルの言う通りなら、この後、間を置かずに中身が湯で満たされる筈である。

 

 少し待つと、桶の中に湯が渦を巻いて現れた。素晴らしい事に、私にもこの魔法のようなシステムを扱うことが出来るようである。思わず、不意に笑顔がこぼれてしまう程に感動した。ちらと隣を見やると、ハルはやれやれ、といった風に呆れているようだったが、どこか安堵を感じているようにも見えた。


 ……が、その瞬間である。

 

 突然、持っていた桶が強烈な破裂音と共に爆散した。完全に油断しきっていた私は悲鳴すらあげる余裕がなく、反射的に後方へ飛び退いた反動で足が滑り、無様にも浴場の床へと強く尻餅をついてしまった。飛び散った破片は猛烈な勢いで八方に飛び散り、私の額と胸、足に痛烈な一撃を加えていたようで、尋常ならざる激痛の信号が脳へと駆け込んだ。


 破裂した桶の破片が、そこら中へと散らばる音が耳に入る。浴場特有の閉鎖空間いっぱいに音が反射して、そして、水音一つすら聞こえない程、しんと静まり返った。


 ……一瞬何が起きたのか分からなかったが、状況確認の為に冷静になって、全身の節々から感じる痛みを堪えつつ周囲を確認すると、さっきの衝撃をもろに受けたのだろうか、私の隣に居た筈のハルが、先程まで彼女が浸かっていた湯船に、上半身を突っ込んでぐったりとしているのを確認できた。どうやら先程の爆発の衝撃、その本命は私の方ではなく、ハルの方へと流れていたようである。4、5メートル程押し飛ばされて、そのまま湯船へと放り込まれたのだろうか。


 何にせよ、大変な状況になってしまった。私は痛む足に力を入れて立ち上がると、桶の破片を踏まないように早足でハルのもとへと駆け寄った。ぴくりとも動かないので、もしかすると、一大事かもしれない。意識を失ったか、それともまさか、死んでしまったのだろうか。全身の血が、さあっと引いていく。

 

 

 「ハル!? ハル、ちょっと!? 大丈夫?! ハル!?」



 そう呼びかけながら、私はハルの身体を抱きかかえるようにして、湯船から身体を引っ張り出すべく力を込めようとした……のだが、同時に、ハルの上体が湯船からざばんと、跳ね起きるようにして出てきたので、再び私は尻餅をついてしまった。


 よかった、彼女は無事のようだ……と安堵するのも束の間。私は、見てしまった。湯船から起き上がるハルの、その表情を。女神の微笑のように笑う顔を。そして、額に浮かびあがる青筋を。

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