双子の太陽の街
あたかも、そして至極当然のように私の頭上で輝く双子の太陽。周囲の人達も、この異常さを気に留めている様子はない。この異様な光景の説明を求めるために、先行するハルの肩をつつくと、彼女はちらとこちらを振り返った。
「ねえあの、その、あれって……なんで二つあるんですか!?」
「……は?」
太陽が二つあるのは当たり前の事だ、そんな事は教科書にも載っている。そんな事も知らないなんて、まともな教養を身につけていないのか? そう言わんばかりの顔を彼女は見せた。そして、ああ、そういえばコイツは何も知らない稚児同然の存在だったな、と、ふっと思い出したかのように表情を戻した。なんとも、考えている事が分かりやすい少女である。
「はー……アンタってホント、何も知らないんだ。というか何、アンタの知っている太陽は一つしかないわけ?」
「いやその……常識的に考えても、太陽って一つしかない気がするんですが……」
「ふーん……。ああ、いや、でもこれで一つ分かったことがあるわ。アンタの住んでいた場所は、太陽が一つしか見えない場所だってこと。ここじゃ、大昔からずっと太陽は二つあるしね」
やはり此処は、私の知識を大きく上回る常識を備えた世界らしい。
「今、丁度傾いてる方の太陽が、多分アンタのよく知ってる太陽。それで、真上のあの位置。あの太陽はね、ずっとあそこから動かない、そういう太陽。此処だと『聖陽』って皆呼んでる」
「聖陽?」
「そ、聖陽。あの聖陽の光がこの街を守ってるの。アンタ、私に助けられる前に襲われたでしょ? シルエットに」
シルエット。逃げ惑う私の首を締めあげ、殺そうとしてきた影の異形。思い出すだけで、背筋へ水滴が伝うような恐怖を感じる。ハルが助けに来てくれなかったら、私はあの草原で命を散らしてしまっていたのであろう。
「シルエットはさ、アンタも見たと思うけど、アイツら、姿が無いの。本来なら影すらもできない存在だから、完璧に景観と同化できるわけ。だけど、あのシルエットは聖陽の光にあてられると、姿が影として照らし出されるの。それで、姿さえ見えればあとはスライスしてお終いってわけ」
「はあ……」
景色に溶け込む怪物とは何ともインチキである。人間が最も恐れるものは、姿形あるものではなく、目に見えぬ恐怖であるとはよく言ったものだ。目に見えぬ恐怖というものを具現化した存在は、どうやら、あの二つ目の太陽が照らし出してくれるらしい。眩しさをこらえてじっと見つめてみると、聖陽は本来の太陽のある場所、すなわち、宇宙空間……とは違い、どうやら、この町の上空に固定されているようだった。
私はハルに手を引かれながら、見知らぬ街をずいずいと歩いていった。
此処はベル曰く、アータリアと呼ばれる国の中の街である。白壁と赤煉瓦で彩られた街並みは思わずため息が漏れる程美しく、人々は皆が活気づいており、喧騒と熱気、それと、程よく漂ってくるアルコールと、果物の甘い香りが私の五感を刺激した。記憶の片隅にある、何かの雑誌で見た外国の旅行写真、朧げに残る景色や色彩とも酷似している気がする。
この記憶は、いつのもので、どこのものなのだろう。
「そういえば聞きたかったんだけれど、アンタ、この後どうするの?」
「この後?」
「そ。だって無一文で住居もなくて、仕事もないじゃない。絶賛人生詰んでるでしょ」
言われてみれば、確かに私は危機的状況に置かれているのではないか。命からがら生き延びたというのに、待ち受けるのは非情なる現実。行くあてもない持たざる者にはあまりにも寒すぎる世界である。
「ど、どうしたら良いんでしょう、私……」
「どうもこうも、何もできないでしょ。まあでもアンタ、色々な人に目つけられてるから、生活環境くらいは用意してもらえそうだけど」
「え。目をつけられてるって、どういうことですか?」
「そりゃ聞いてたでしょ? アンタは9万人相当の深力を持ってる化け物なんだって。のほほんとしてるから教えたげるけど、研究者からすれば、眼球が飛び出るくらい有り得ない存在なの、アンタは」
深力という言葉が再び出てきた。ベルの部屋で話した時もそうだったが、皆々曰く、私は特別な存在で、おおよそ9万人分の深力とやらを持っているらしいが、全くもって自覚はないし、勿論、何か特殊な事が出来るわけでもない。ハルのように空を飛ぶことはおろか、自分で認識できる範囲では、速く走れるわけでもない、力持ちでもない、視力が良いわけでもなく、頭脳明晰でもなさそうである。
「まあ、行くあてがないなら私の家にでも居候しなさいな。部屋は余ってるし、女同士なら気楽で良いでしょ?」
「ええ? でも、大丈夫なんですか? ご迷惑とか……」
そう私が言いかけた途端、ハルの眉間にしわが寄る。
「アンタ、堅い! 堅い硬い固い! 見た感じ歳も離れてないんだし、もっと、こう、なんというかさ、ぐいぐい来なさいよ! 友達感覚で!」
「え、ええ!? でもまだ知り合って間もないですよ!?」
「別に、知り合ってすぐ仲良くしたらいけないって決まり事はないでしょ? 良い? 今度から私の事はハルって呼びなさい。あとそのへりくだり気味な喋り方も禁止すること!」
ハルは右手の人差し指を、我が子にしつけをする母親のように、私の顔に向けて突き出した。友達感覚で接しあおうという提案には一瞬感心したが、彼女はどうにも、こういったやや傲慢……いや、傲慢とまではいかないのかもしれないが、やや、当たりが強い点がみられる。根は、とても良い人なのだと思う。
「気を付けます……あっ違った。うん、気を付けるね、ハル」
「その調子その調子、うんうん、良いじゃないの」
私に突きつけていた指を引っ込めると、ハルは再び私の手を引いて、石畳が敷き詰まった賑やかな通りをずんずんと進んでいった。私はその大きな歩幅に少しずつ合わせながら、ちらと彼女の横顔を見てみると、心なしか、うっすらと笑みが浮かんでいるように見えた。鮮やかな街の風景に彼女の表情が溶け込んで、まるで、芸術的な一枚の絵のように美しかった。
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歩き始めてから30分は経っただろうか。通りの喧騒は、歩を進めれば進める程、一層強い熱気を帯びてきているようだった。どうやら、ハルはこの街の中心へと向かっているらしい。
歩きながら景色を楽しんでいる最中に気付いたが、この街は中心部へと向かうにつれて、緩やかに下りの傾斜となっているようである。私が先程出た建物が、今はもう遠方ではあるが、現在地よりも明らかに高い場所に位置していた。
「ねえハルさ……ハル。この街って、もしかして傾いてるの?」
「え?」
一瞬ハルが不思議そうな顔をしたが、すぐに私の質問の意図を理解したらしく、ほうほうと感心するように頷いた。
「ああー、それはね、この街、めちゃくちゃ大きいクレーターの上に作られてるのよ。だから今の私達は、中心に向かう度にどんどん降りていく形になっているわけ」
「クレーター?」
「そ。誰が何でこんな場所に街を作ろうだなんて思ったのかは知らないけれど、300年前くらいだったかな……いや、まあ、この話は私の家に着いてからにしましょ。ほらあれ、あの赤い屋根、見える?」
彼女の目線を辿り遠方へ目を向けると、確かに赤い屋根の家……いやあれは、家、と呼ぶべき建物ではない。館、と呼ぶのが適切であろう大きな建造物が見えた。雪のように白い壁、所々に施された芸術的な意匠や、整然と嵌め込まれた無数の大きな窓、そして、吸い込まれるような深紅の屋根も相まって、威厳と力強さ、美しさを内包した芸術として、その建物は君臨していた。
しかし、いや、あれは本当に彼女の家なのだろうか。本当にあれがハルの家なのだとしたら、大変な大富豪で、それでいて、お嬢様なのである。この粗雑な性格をした少女が、育ちの良いお嬢様だという事になるのだ。
「……ねえハル、貴方の家って、あの赤い館?」
「そうだけど。え、何、びっくりしちゃった?」
「正直、すごく。だって、ハルみたいな子がまさか、お嬢様だとは思わなくて」
「アンタ、ナチュラルに喧嘩売ってきてない? 人は見た目で決まらないって習わなかったの?」
私が言いたいのは外見ではなく性格の事なのだが、これ以上突っ込むと彼女が背負っている鋭利な槍で刺されるのではないか、と思ったので、止めておくことにした。
先程は遠目に見えたハルの館が、私の視界を埋め尽くさんばかりの大きさになる距離にまでなった。改めて外観を確認してみるも、やはりため息が漏れるような美しさである。建造物そのものの美しさもあるが、その館がさらに二つ程すっぽり入るのではないかと思われる大きさの外庭も圧巻だった。
中央のやや派手な噴水を始めとして、完璧に整えられた樹木、美しい色彩を放つ花々。加えて、それらの自然美を崩さないように、しかしその存在感をしっかりと感じられる大きな模様花壇は感動の一言である。
庭の芸術に見とれながら、ハルに手を引かれ館へと歩を進めると、館の出入口と思しき両開き扉がゆっくりと開くのが見えた。中からは、黒いドレスと白のエプロンで統一された服装の女性たちが、6、7人、ぞろぞろと出てきて、私達を出迎えるように列を作り始めた。所謂、使用人……メイド、と呼ばれる人達だろうか。この目で見るのは、恐らく初めてだと思う。
「お帰りなさいませ、ハルお嬢様」
「ただいま、メリア。今日は友達がいるから応対お願いね」
「お、お嬢様にお友達が!?」
メリアと呼ばれた黒髪のメイドは素っ頓狂な声を上げた。同時に、周囲のメイド達もざわざわと騒ぎ出す。
「うるさいわね! 私にだって友達くらいいるわよ! ばか!」
「ああ、申し訳ありませんお嬢様。いえ、ふふ、私、自分自身の事のようにうれしいのです」
「あっそあっそ! それと私お風呂入りたいから、準備しといてね」
「かしこまりました。セリス、湯舟の方をお願い。私はお客様のご案内をします」
並んでいたメイドの一人がぺこり、と頭を下げ、静かな足取りで館の中へと消えていった。
黒髪のメイド、メリアはその後姿を見送った後、私の方へ向き直り、深く頭を下げた。使用人という存在をそのまま具現化したような、完璧な所作である。
「グレイスメロウ家にようこそ。お客様をご案内いたします、メリアと申します。ご要望等御座いましたら、なんなりとお申し付けください」
「は、はあ、どうも……よろしくお願いします」
「ご迷惑でなければ、お客様のお名前を教えていただけますでしょうか」
当然の質問であるが、返答に困り果てて、言葉に詰まってしまった。今の私は、自身の名前すら分からない、傍から見たら非常に怪しい存在である。何と答えるべきか、どう返すべきか、全く思いつかない。中々答えない私を見て、メリアは不思議そうな顔をしている。
偽名を用意すべきだろうか。いやしかし、罪悪感が滲み出てくる。ここは本当の事を話すべきだろう。
「その、本当に申し訳ないんですが……私、自分の名前が分からないんです」
「……へ?」
メリアの表情が硬直した。このやりとりは、本日二度目だろうか。彼女の反応は当然である。私が逆の立場でも、きっと同じ反応をしただろう。
私は心の中で深いため息をつきながら、自身の今後の事を真剣に憂い始めた。