匿名作家の可否
「完全匿名に変更ですか?」
「うん、悪くないと思うんだけど」
「悪いと思いますよ。匿名なんて、感想欄が2ch化するだけじゃないですか」
「荒らしに対してはブロック機能があるし、連絡すればアク禁とかはできる。というか、それは今もあまり変わらない気がする」
「作者さんが動いてくれるならいいですけど、荒れてる感想欄だと無関係な読者でも嫌がりますよ。感化されて余計なことを書いたり、感想のせいで楽しめなくなったり……」
「そこはユーザー一人一人の質の問題だよ。ここは学校でも家庭でもないんだから、運営が関与することじゃないと思う。
それにね、匿名を与えたいのは読者じゃなくて、作者になんだ」
「作者にですか?」
「うん」
「それって必要ですか?」
「不思議に思ったことはないかな? なんで匿名作家はいないんだろうって」
「ゴーストライターがそういう職業じゃないですか?」
「ゴーストライターは、別の人が表立つ名前の人の代わりに書く場合、みたいなことだね。僕が考えているのは完全に素性を伏せて出版する人だよ」
「それ、出版社はともかく作家になんのメリットがあるんですか? いなくても不思議でもないですよ」
「商業的に見ればほぼない。あるとすれば、作家としての矜持とか」
「作家の矜持、ですか。それは実売部数や知名度で満たされるものかと思いますが」
「仕事だからね。無謀なチャレンジはしないのが賢いし、正しいんだとは思う。
だけどね、そこで終わりたくない作家さんもいると思うんだ」
「えっと。どういう意味ですか」
「人気がある作家さんっていうのは、名前だけで一定数の集客がある。まぁ、ファンとか儲とか言われる類の人達だ。
そこに名前だけは知っているような一般層が付随していく。
次に、人気があるというのが目に見えると流行に弱い人達もそこにくっ付く。これは簡単なバンドワゴン効果だね。
たくさんの人が集まった。人気作家の名前は伊達じゃない。普通の人なら手が届かないほどの支持だ。
さて、作者ではなくて作品を見て、理解して、好いた割合はどれぐらいだと思う?」
「え、急になんですか。わかりませんよ」
「うん、判らない。『名前に寄ってくる人達』を出したかっただけだよ」
「あの、ファンは違うんじゃないですか? 少なくともファンになるようなきっかけが別作品にあったからファンになったんでしょうし」
「入れ込み具合はどうあれ、作品を知らなくても作者のファンにはなるもんだよ、今の時代なんて特に。だからSNSで盛んに活動をする人が多い。個人で出来る宣伝活動だからね」
「そんなもんですかね。でも、やっぱりそういう人達とそうじゃないファンとを一緒にはできないと思いますよ」
「一緒だよ。どちらも既にフラットじゃない。既知であって、先入観すら存在してるんだから」
「フラット、ですか」
「不思議だよね。嫌いなもの、敵対するものに対してのバイアスについて注意を訴える人は多いのに、好意的なものや懇意な相手に対してのバイアスを取り去ってみようと発言する人は少ない」
「はぁ」
「『好き』なんてのは作品と真摯に向き合うときはただの色眼鏡にしかならない邪魔な「感情」なのに」
「悪いことではないと思いますけど。好きなだけなら誰も損しませんし」
「その考え方自体がもうフラットじゃない。善いとか悪いとか、損とか得とか」
「えっと……別にそこまでフラットじゃなくても、いいんじゃないでしょうか」
「作品内容以外の評価基準に触れそうな価値観はどんな些細なものでも可能な限り除去しないと、作品と対峙しての評価なんて不可能だよ。
個人的な感情や主義主張、社会的商業的思想的な価値観は排除して、理解するための知識だけを残すか入手するかをすればいい。
というかね。お前の好き嫌いなんて××どうでもいい感想をレビューとして書かれても、他の読者はどうしろっていうのさ? 夏休みの感想文を書いてる気分だったのかな? レビューで自己表現して承認欲求満たすなんて×××××以外からは作品に向かって××××してるようにしか見えてないんだって×××××には気がついてほしいね。なんでこうも××××が増えたのかな」
「いや、あの、落ち着いてください。
でも、そんなことを言い出したら、誰にもできないんじゃないですか、フラットに読むなんて」
「そうだね。だから可能な限りって付けたんだ」
「あ、そうですか」
「そこで匿名作家なんだよ」
「そこで、と言われましても。
ああ、わかりました。要は名前や周囲の評価じゃなく、作品内容……というか作家としての実力だけで自分が評価されるかどうか、みたいなものですか」
「大雑把に言うと、まあ、そんな感じ」
「本当に、商業的にはなんのメリットもないですね」
「だから『作家としての矜持』って言ったんだよ」
「矜持ですかね。人気作家ならそんなことをしなくても、立派ですし誇っていいと思いますけど」
「それが仕事だからね。だけど最初に言ったように、そこで終わりたくない人達も、一定数はいると思うんだ」
「いますかね」
「いるだろうね。作家なんていう一般社会よりも苛烈に潰し合う競争の上で成り立つ奇特な仕事をしている人種が、他の作家よりも『商業的』ではなく『実力』で一つ上の段階にいるんだと、そう誇っても許されるような仕組みがあったら? 多分、少なくはない数がやると思う」
「そうですかね。プロにそんな暇はないと思いますけど」
「一部の「超」がつくような人気作家以外はドングリの背比べでしかないのが現実だよ。そんな集団の中から頭一つ飛び出すチャンスがあったら、向上心か野心がある作家たちなんだからチャレンジしないわけがない。
匿名の出版でもきっちりと結果を出せたとなれば、それは本当に当たる作品を書ける作家なんだという印象が植え付けられる。その印象は先入観で決めつけが激しい現代の情報化社会では適したステータスとなる。話題性だって生みだすことが可能だ。これで作家なんていう自己主張の塊みたいな連中は安心してほくそ笑むことができるのさ。『売上も人気も、きちんと作品内容で俺は他の奴らに勝ってるんだ』って」
「あの、作家への見方がフラットどころかとんでもなく歪んだ偏見になってませんか。どんなイメージですか」
「作者と作品は別に見ることが大事だよ。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いなんて、ねえ」
「ひどい詭弁ですね」
◇
「ところで、途中から? 話がサイトのことから商業プロの話に変わってましたけど、どうしてサイトで匿名を行うことが作者のためになるんですか?」
「数日前かな、相互評価について書かれたエッセイがあったから」
「……?」
「完全匿名にして作者同士の繋がりを不可能にして、作品から作者を辿れなくすればそういった行為は消せる。少なくともサイト内ではね」
「まぁ、外部での活動はどうしようもないですね。それも人気のための活動なら責めることはできませんし、懸命に活動していて人気が出ていないのを見ると切なくなりますけど。
でも、そんなことをしたら作品が好きになった人達も使い勝手が悪くなるんじゃないですか? この作者ならハズレはないだろうって、他のものも読もうとする人はいるでしょう」
「それはさっきプロの話に出した先入観、『好意という無自覚な害悪』と似たようなものだよ。自分たちの便利さを有意にして、個人の好き嫌いを優先させて、他の大事なものを徐々に腐らせていく。さっきのはプロの矜持で、今度は作者の価値だ」
「そこまで大層なことですかね」
「誰かが楽になれば、誰かの面倒事や負担が増えるようになっているんだよ、人の世っていうのは」
「偉そうにそう言われましても」
「自覚がある内は自省が伴うことに期待ができる。だけど誰かしらに不便を強いているという自覚がなくなると人は簡単に横柄な思考に陥る」
「はぁ」
「今度はその無自覚な人達に不便を強いることにする、それだけ」
「ユーザーの多くが怒りそうですけど」
「仕方がないよ。明確な解決を望んでいるのもユーザーだし」
「でも人離れが起きます、確実に」
「それも仕方がないよ。そんなちょっとの不便で離れるなら、このサイトで読むことに執着はないんだろうし」
「一部の人達のせいで全体が不利益を被って、解決のために他の一部の人達に不便を求めて、なんだかマイナスばっかりですね」
「こういうのは人間の程度が変わらないかぎり、何処でだっていつだって起こる問題さ。そのマイナス面をどれだけ抑えられるかが大事なんだと思うよ」
「プラスに持っていけるような解決策は考えないんですか?」
「え、だって僕は不便じゃないし。他の便利なサイト使えばいいし。普通はそうするでしょ?」
「……」