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九那伝  作者: 豊子
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霞ヶ原①

 一路を疾風のように駆け抜ける人馬があった。

 季節は夏、生い茂る青々とした野草を尻目に人馬は土煙を上げてひたすらに走る。時折行商人や修行僧と見られる人物と数人行き違えたが、彼等は首を傾げてその人馬を見送るばかりであった。これが男であれば往来の人もそれほど訝しげに思わなかっただろう。大方早馬かと検討をつけたはずだ。

 しかし馬に跨る颯爽とした袴姿の麗人は女である。それも身形よく、腰には意匠を凝らした太刀をいていた。はてさてどこぞお武家のじゃじゃ馬娘かと思案し、すれ違ったのちに彼等はようやく合点するのだ。


 この人、久山(くざん)の国に生まれ、姓は 月夜里(やました)、名は(てる)仮名(けみょう)九那(くな)と言った。久山国は朝与(ちょうよ)の西部に位置し、北東山々に囲まれている。

 久山国国主は菖蒲院(しょうぶいん)家十三代目当主(あきら)、仮名は孫五郎。彼の祖は朝与二代皇帝(さとし)様の折に起きた乱を平定した菖蒲院(たける)で、褒章に久山を賜ったのちそのまま土着したと伝わる。


 その菖蒲院家初代から仕える譜代家人、四管領(しかんれい)のひとつに挙げられるのが月夜里家だ。久山北に山城を構え、四管領の中ではもっとも武名高い家柄である。

 紅奈山くなざんから名を取った山城・紅奈城は北の鬼峠を越えると、目と鼻の先に皇尊すめらみことのおはする都玉琴(ぎょくきん)が控えている。月夜里家は主命により幾度となく官軍を退けてきた。

 今上帝きんじょうていはまだいとけなく外祖父の為すがままに政治は乱れ、各国の名だたる者達が各々帝を擁立しようと跋扈ばっこする御世。久山とて例外ではなく、月夜里家はその武家衆筆頭として先鋒を担っている。

 春先になれば意気盛んに押し寄せる都の武者達を千切っては投げ、夏頃には怒涛の勢いで攻め込み、秋にはとんぼ帰りで刈穂に勤しみ、冬は雪に閉ざされる。月夜里家は、こうして久山と玉琴の境に立ち、戦禍に脅かされ続けるからこその武勲を持つ。


 そうしたのどかとは言えぬ激戦区でたくましく育ったのが、月夜里家の長女であり現当主の九那だ。月夜里家先代、九那の父彦次郎(ひこじろう)てるには男児がおらず、相続権は女性にも与えられているため九那が継いだ。表向きはそうなっているものの、実際は九那が彦次郎を隠居に追い込み、家督をもぎ取ったとみてよい。幼き頃より数々の武勇伝を持ち、馬術に秀で、よく書を読み、彦次郎はこの娘男でありせばと幾度も思った娘だ。

 このような気性から九那はその生涯戦乱の世だけあって波乱万丈に満ちており、後世『本朝烈女伝ほんちょうれつじょでん』にも名が挙げられている。



「見えてきた」

 とうとう日が暮れてから九那はようやくその足を止めた。額に滲む汗を拭い、眼前に広がる久山の主要都市霞ヶ原(かすみがはら)に目を凝らす。夜間でもくっきりと見える天守閣は、四管領東久瀬(ひがしくぜ)家の普請によって建立されたものだ。

 壮麗たる黒塗りの霞ヶ城(かすみがじょう)に九那はこれから登城する。本来ならば戦支度はとうに済んでいてよい頃合の時期なのだが、国主孫五郎の発した召集の声がかかり、こうして九那は参上した次第である。

「ようやく追いつきました……」

 疲れきった表情で後ろから声をかけたのは、梧月晦(ひなし)(あまね)、仮名は喜一郎(きいちろう)。九那とは乳兄妹の仲で、月夜里に代々仕える家柄だ。九那にとっては気の置けない相手で、傅役(ふやく)である彼の父共々敵の多い彼女を支えてくれる人物である。なにしろ九那は先述した通り、父を紅奈から追放したほどの実力を持つが、一方で彼女の性急な行動を危ぶむ家臣も少なくはない。女城主は古来の例にあるとはいえ、彼女の気性ではやはり不安の声も高かったようだ。

 故に信頼にたる喜一郎と、若手の侍衆を五人ほど見積もり、供につけて九那は紅奈を発った。もっとも後者は、二人の早駆けに未だ追いついていないようだが。

「随分と悠長にしていたこと」

「朝与広しといえど姫様に早駆けで敵う者はいないことぐらい、ご自身がよく知っていらっしゃるでしょう」

「あら、そうだったかしら」

 白々しく言いのけて、さもどうでもよいとばかり、再び馬に鞭を呉れてやる。慌てて喜一郎が後に続いた。



 二人はまず霞ヶ原の城郭外にある堀之道ほりのみちという宿場町に入った。紅奈を出た時点で使いに一報入れされておいた為、労せずして行きつけの蜂須賀屋はちすがやに宿泊が決まっている。

 何故そのまま城下町に泊まらないのかと疑問を抱くことだろう。理由がある。夜間には霞ヶ原の東西南北に設置されている大門が全て堅く締められており、内外の通行が禁止されているためだ。

 九那は蜂須賀屋の女将に簡単な挨拶を済ませて、馬を使用人に預けた。すぐさま女将は長旅で疲れた二人の埃を払うために湯殿へ通し、夕食を部屋へ運ばせる。

 余談だが、遅れて到着した若武者衆は戸口に折り重なって倒れていたところを、蜂須賀屋の娘に発見されたそうな。

「なにやら霞ヶ原では九那様の話で持ちきりだそうですよ」

 女将自身、上客である九那をもてなすために再度挨拶へ向かい、世間話を持ちかけた。九那もまた城下町の様子が気になっていたようで興味深げに話を促す。

「九那様が当主になられまして早三年。それと同時に征北奉行に任命されてから、たくさん功をお立てになりましたでしょう?しかるべき恩賞を受けてよいはずが、御本城様ごほんじょうさまはとんとご沙汰を下さりませんでした。ところが俄かに九那様を呼び寄せたというじゃありませんか。何かないほうがおかしいと思います」

「そうね」

 女将に言われるまでもなく、九那自身思っていたことだった。今度こたび北伐の下知がないことを考えてみるに、これはよほど何か働きかけがあったとみてよい。問題はそれが内部からなのか、外部なのか、だ。

 その点は既にお抱えの軒猿に探らせていた。報告では若鷹じゃくようの使者が孫五郎に目通りを願ったという。若鷹は日翔山脈(にっしょうさんみゃく)を越えた久山東に位置する国だ。かつて玉琴を中心に栄えた頃は、鷹狩りに適した平野として著名な地であった。後々貴族たちの別荘が増えて人が住み着いたらしい。特に学業を盛んに奨励しており、様々な分野にて抜きん出ている。独自の技術を開発し、国土を豊かにすること余念がなく、まさに今を時めいている国だ。

「まあ、他人事のように返事なさいますこと。万が一にも改易などに遭いましたら、」

「その時は我が家臣団が黙ってはいないことよ。さすがに御本城様は久山の懐刀とも言うべき月夜里家を廃することなどなさいません」

「でもねえ……」

 なおも心配げに女将はため息をついた。実際のところ九那も安心させるためにああは言ったが、御本城様こと孫五郎は何をしでかすか分からない人であった。

 仮名から分かるように、孫五郎は菖蒲院家五男に生まれた。うち長男は北伐の折に流れ矢を受けて薨御(こうぎょ)し、次男は病に倒れた。こうして次に三男、四男に分かれて御家騒動が起き、互いに疲弊したところを孫五郎が四将家を味方につけて家督を相続するに至る。これが孫五郎二十のときであるから、その驚くべき才覚は自ずとしれよう。

 ただいま孫五郎四十二歳にあって取り潰した旧臣たちは数え切れない。それもこれも今まで散々私腹を肥やし、領民を虐げてきた者たちがほとんどだが、中には忠誠を誓った優秀な者も同じ憂き目に合った。菖蒲院家にとって脅威となりかねないことを危惧しての処置だったのだろう。災いの種は先に摘むという孫五郎の心情は九那にとって共感できることでもあるが、自分の身にいつ降りかかるとも分からない悩み所だった。



「それで?」

 女将が退去し、足音が遠のいたのを確認してから喜一郎は声を潜めて尋ねる。

「何」

「おひい様のことですから、おおよその見当はついていらっしゃるのでは」

「当たり前のことを聞かないで。私を誰だと思っているの」

 いっそ清清しいほど自信たっぷりな九那の笑顔に、喜一郎は毎度のことながら苦笑するほかなかった。

「生憎と目的まではいかなくても、その若鷹の使者の素性自体は軒猿が探り果せてくれたわ。伊知地いちぢ深草守ふかくさのかみよ」

「あの連盟派で有名な?」

「そう。―――十中八九、同盟の申し込みでしょう」

 伊知地遊三(ゆさ)あおいは若鷹の西に位置する深草を治める当主であり、また国にあって数少ない連盟派であった。連盟派とは、群雄割拠の時代となって独立している諸国の力をひとつにし、玉琴にいらっしゃる今上帝を奪還する動きを唱える者たちのことを差す。遊三は早くから連盟のために奔走し、海を渡った南にある奥海(おうみ)国との架け橋を担った。両国間には既に国交が開かれており、遊三の評価は広まっている。

「久山と若鷹の同盟が成れば、いよいよ我が紅奈の出番というわけ」

 征北奉行の九那としては、若鷹と呼応して北伐を行うにあたっての軍議召集と思えた。今までは冬になると、補給路が断たれて国に戻るしかなかったのだ。若鷹の後ろ盾があればどれだけ心強いか。

 喜一郎曰く、玉琴の貴族達も裸足で逃げ出す悪人面で九那は笑ったという。



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