日常は追いやられて(1)
「お兄ちゃん郵便届いてるー!」
休日の昼下がり、自室で机と向かい合っていた俺は背後からの声に椅子を回転させた。ガチャリと開かれた扉の先には、一通の封筒を手に持った由奈が立っていた。
「また勉強? 最近頑張ってるね」
「おう。お兄ちゃんちょっと勉強に目覚めたかもしれん」
似たようなやり取りを何度も繰り返しているだけあって、少しは心の余裕があった。然りげ無く机の上に散らばった資料の全てを裏返し、カモフラージュ用に置いてある参考書の適当なページを開く。そこに書かれてある内容はちんぷんかんぷんだ。
一通の封筒を手渡され、届けに来てくれたことに礼を言う。
部屋を出て行く由奈を見送った俺は、はぁ……と安堵の息を吐いた。
「心臓に悪いな」
エロ本を隠し持っている青少年は、いつもこんな気持なのだろうか。そんなことを考えながら、俺は参考書を机の片隅に寄せ、裏返した資料を再び表に向けた。
肩書戦争統括本部で配布された資料は、主に二種類。
一つは、肩書戦争の基本的な法規を記したルールブックのようなもの。
もう一つは、比較的有名度の高い肩書の特典効果を記したものだ。
フィアは肩書の特典を曖昧なものだと言っていたが、それを大雑把に解釈したものはある。特典に便宜上の名称を加えることによって、記憶に残りやすいよう工夫されたものだ。
俺の所持する『高校生』の特典は【青春の絆】と名付けられている。効果は過去にフィアが説明した内容そのままだが、名称があると確かに覚えやすい気もしなくもない。
また、それとは別に嬉しい誤算があった。
俺が新たに入手した肩書である『人見知り』。その効果が記されていたのだ。
「肩書にも、色んな効果があるんだな……」
探偵や社長といった肩書も、地位や職業の他にもれっきとした特典がある。社長は人を使う腕が長け、探偵は推理力に磨きがかかる。一見地味な特典だが、一概に戦闘といっても様々なケースがある肩書戦争においては、油断のできない力である。
「……『英雄』」
その肩書を、口にする。
俺が欲しているのは、この肩書だ。憧れの特撮ヒーロー……ではない。正真正銘の、真の意味での『英雄』がそこにある。
この世界には怪獣も、巨大ロボットも、悪の組織も存在しない。あるのは顔立ちの整った役者と、掌サイズの人形と、高度な映像の加工技術だけだ。悪を倒すのは警察官で、その肝心の悪も不良や酔っぱらいといった安っぽい連中に過ぎない。
特撮ヒーローに憧れているが、かと言って特撮ヒーローになりたいのではない。
俺は、本物のヒーローになりたいのだ。
肩書として存在する『英雄』は、本物の英雄としての価値を持っている。だからこそ入手難度は困難極まりないし、存在する世界だって限られてくる。戦乱の世か、はたまた剣と魔法のファンタジーな世界か。英雄が存在するのは、英雄が必要とされる環境だけだ。
悪が蔓延り、争いが勃発する世界で生まれた肩書。
それを狙う好敵手は……きっと、山程いる。
「……にしても、差出人不明は流石に怪しいだろ」
由奈から渡された封筒をひらひらと天井の照明に翳し、中身を確認する。変哲のない一枚の手紙だけが入っているようだった。
封を開け、山折りにされた手紙を手に取る。
「開会式の知らせ……やべ、すっかり忘れてた」
手紙の内容は近々行われる公式大会開会式への招集だった。
招集に応えるか否かは任意だが、俺はフィアの助言に従って出向くつもりだ。
公式大会は規模が大きく、それ故に進行が遅い。新規参加者である俺が肩書戦争に慣れるまでの猶予は十分だとフィアは説明した。
肩書戦争の資料を机の引き出しに仕舞い、外出用の私服へ着替える。
「由奈、ちょっと隣町まで出かけて来る」
「お土産よろしくー!」
毎度お馴染みのやり取りを終えた俺は、靴を履きながら玄関扉に手を伸ばす。行き先が近所の公園だとしても、由奈はお土産を頼みそうだ。
休日の昼間は清々しい晴天だった。昔は昼食を食べた直後に家を出て、英傑とヒーローごっこに励んだものだ。あの頃の俺たちはここら一帯ではちょっとした有名人だったそうだが、今はどうだかわからない。ただ、英傑はあのルックスと相まって今でも十分有名だ。
過去を思い出す度に、脳にチラつく英傑という存在。
やはり顔か。顔なのか。この人に怯えられる顔が悪いのか……。
肩書戦争に巻き込まれてからは、日課である町中パトロールに時間を取れていない。これではヒーロー失格だ。俺が隣町に出向いている最中にこの町で事故が起きてしまえば、などと考えるとおちおち夜も眠れない。しかし、隣町の危険も俺には見過ごせない。それを言ってしまえば世界中の危険を見過ごせないわけだが、流石に俺の身体はそこまで丈夫ではないのだ。
たまには隣町のパトロールも悪くない。何様のつもりだ、とツッコミが入れられてもおかしくない考えを抱きながら、俺は最寄りのバス停を目指した。
「この町も、久しぶりだな」
バスに揺られて僅か十五分。隣町の停留所に到着した。
その間、吊り革に掴まっていると、眼下で座っていた同世代くらいの少年と目が合ってしまい、「ひぇあ!?」と悲鳴を上げられただけでなく、何故か席を譲られたりしたが……気にしない。忘れることにする。だから公共の交通機関は嫌いなんだ。自転車で来れば良かった。
隣町には大きな買い物をする際に来たりするが、土地勘が培われる程ではない。俺はあらかじめ印刷しておいた町の地図を広げ、教会の位置を確認しながら歩き出した。
「……あれか」
石畳と華やかな花壇の先にある教会に、俺は足を止めた。敷地内は西洋らしい赤や黄の色に染まった花もあれば、松の木といった和風の趣もある。それでいて整った景観を導き出せるのは、ここを管理している人の手腕だろう。
砂粒が一切乗っていない路面を進むと、箒を持った女性の後ろ姿が見えた。
「白羽、だよな?」
こちらの声に気づいて振り向くその女性はやはり白羽で間違いなかった。
流れる水のような模様が入った和服を翻し、彼女は箒を動かす手を止める。
「二日ぶりですね、真司様」
異世界へ公認登録をしにいったあの日以降、俺は白羽を見かければ適当に声をかけていた。傍から見れば、どこにでもいる友人同士のような関係に見えただろう。近くとも遠くともない微妙な距離感だが、これは俺たちの関係がある意味で公にできないのだから仕方ない。
最も、俺が挨拶して白羽がそれを返す確率は極めて低い。
あの無愛想なところだけは、どうにかならないものか……。
ちなみに、彼女はまだ俺の専属サポーターだ。でないと教会に足を運ぶことはない。
いつもは無造作に腰まで垂らしているその銀髪も、今日は根本で一つに結んでいた。白い首筋から見えるうなじに一瞬だけ視線を奪われた俺は、誤魔化すように口を開く。
「ああ二日ぶり。教会で和服はどうかと思うぞ」
「別に良いじゃないですか。私、この国の文化が好きなんですよ」
白羽の和服には繊細な装飾が施されており、安物でないことは目に見えてわかる。初めて会ったときも和服だったし、本音なのだろう。幾度となく世界を渡ってきた白羽にそう言われると、国民である俺としては誇らしい気分になった。
「英傑がお前に会いたがっていたぞ」
「素直に困りますね。いえ、この場合は迷惑と言うべきでしょうか?」
「俺に聞くな」
白羽の持つ、存在感を薄める肩書は、他者の記憶に干渉する程の効果は持っていない。
あの日、俺を呼びに教室までやって来た白羽のことを、英傑はきっちり覚えていた。
やれ知り合いなのか。やれどういう関係だ。俺の複雑な人間関係上、正面切って尋ねてくる人は少なかったが、その代わりと言わんばかりに英傑は度々質問してくる。俺としても語るに語れない関係であることに違いはないが、しかしそれを誤って解釈されても困る。適当に知り合った友人だと言っておいたが、英傑は納得していないようだった。
「特に深い意味はないが、こうして二人きりになると落ち着いて会話ができるな」
「まあ、そこは認めましょう。学園では真司様がいつ口を滑らすかわかりませんし」
「信用ねぇな、俺……」
実際、何度か危なかったことは黙っておいた方が良さそうだ。
左右に首を動かし、自分たち以外に人がいないことを確認してから俺は本題を切り出した。
「以前、開会式の知らせが届いたら来いって言ってたよな? 来たぞ、招待状」
「……そんなこと言ってましたね」
遠くを眺めてそんな風に言う白羽。冗談だと信じたい。
白羽は箒で足元の砂を払ってから、こちらに手を差し出した。
「では、招待状を貸してください」
後ろポケットに突っ込んでおいた招待状を取り出し、四つ折りにしておいたそれを開く。受け取った白羽は「……生暖かい」と嫌そうな顔をする。箒を隣の木に立て掛け、帯板からシャチハタタイプの印鑑を取り出した。
「はい、これで終了です」
角に印鑑の押された招待状を受け取る。妙に見覚えがあると思ったら、異世界ジルヴァーニで見た肩書戦争統括本部の看板と同じマークだ。
「え、これで終わり?」
てっきりもっと時間を要すると考えていた俺は、拍子抜けする。
白羽はコクリと頷いた。
「この印鑑は世界間渡航の認可を意味しています。私は開会式に同伴できませんので、真司様お一人で向かってください。それさえ持っていれば大丈夫なので」
親指と人差し指で印鑑を摘みながら、白羽がそう言う。
「あのジルヴァーニってとこの本部に行けばいいんだよな?」
「はい。扉自体は私が開きますので、規定の日時となったらまた例の公園に行きましょう」
扉というと、あの気持ち悪い空間の波のことか。
厳密には波ではなく壁と表現されるそうだが、俺は波、もしくは膜のように感じられた。
肩書戦争は複数の世界で行われているため、その行動範囲はとんでもなく広大になる。特に本部のあるジルヴァーニには、今後何度も足を運ぶことになるだろう。
日常が追いやられていくというか、非日常が日常になりつつあるというか。
あっさりと変わってしまった自分の世界に複雑な気持ちを抱きながら、俺は踵を返した。
「……これも何かの縁です。幾つか助言をさせてください」
思わず、俺は耳の調子を疑った。
あの白羽が、そんなことを宣うだなんて。
勢い良く後ろに振り返った俺は、自分でもどうしてこんなことを言ったのかわからない、といった表情を浮かべている白羽を見る。
「一つ。肩書の特典は、知識ではなく経験として理解しておくべきです」
それはつまり、実際に使用しておけということか。
数日前から資料ばかり読み漁っていた俺にとっては非常に的を射ている助言だ。
「二つ。開会式前後は特に襲撃を警戒してください。ジルヴァーニでは治安維持が行き渡っていますが、それ以外の世界……例えばこの世界がそうとは限りません。開会式の場で狙いの肩書所持者を見定め、終わった後に待ち伏せして襲撃、なんてことはザラです」
真剣味を増した白羽の声色に、俺は喉を鳴らした。
相手の所持する肩書を見抜く肩書。それを所持している者からしてみれば、開会式は最高の狩場だと言える。仮に襲撃されなかったとしても、自分の所持している肩書を相手は知っているわけだ。再び対峙した場合、その情報を基に戦われると厄介極まりない。
「『鑑定士』、だったか。かなり便利だよな」
「肩書戦争は情報戦という一面も持ち合わせていますから、『鑑定士』が重宝されるのは仕方ありません。他人の肩書の情報は戦いだけでなく、様々な取引にも有用ですから」
頭を使うことが苦手な俺にとって、情報戦という単語は聞いただけで頭痛がする。
向き不向きで言えば、闘技場で行われたあのような戦いの方が俺には向いているに違いない。とは言え、『高校生』と『人見知り』でどうやって戦えばいいのやら。
「――以上です。どうかご健勝を」
「ああ。助言、ありがとな」
恭しくお辞儀する白羽に礼を言い、俺は教会を後にした。
忘れてはいけない。肩書戦争は俺の夢を叶えるための舞台でもあるが、同時に危険な戦いでもあるのだ。既に一度、襲撃された俺はそれを良く知っている。
実力を付ける必要がある。手持ちのカードが弱いにしても。
「……情報戦、か」
白羽から聞いた言葉を、俺は無意識の内に呟いていた。




