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肩書戦争  作者: サケ/坂石遊作
一章 不遇のヒーロー
6/16

スポットライトは照らさない(4)

 夢が幻か、それとも現実か。

 昨夜の記憶に自信を持つことのできない俺は、右ポケットから白い羽根を取り出した。

 親指と人差し指で根の部分を摘んでくるくると回す。


「……はぁ」


 クラスメイトが鞄から弁当を取り出す光景を傍目に眺めつつ、昨夜のことを思い出す。

 肩書戦争だとか、天使だとか、荒唐無稽な言葉を散々聞かされた一日。そう言えば黒髪の女性に殺されかけたが、その後の説明があまりに印象的過ぎていまいち実感がない。

 兎にも角にも、ヒーローになれるかもしれないという事実があればそれでいい。

 どうせ放課後にまた会えるんだ。理解できないことを思考したって意味がない。


「真司、図書委員の人が呼んでるよ?」


 教室の入り口を指差す英傑に、視線を動かす。

 確かに図書委員の子だ。名前は知らないが、ひと月前の会議で見た顔だった。今日は当番ではないが、呼び出された以上は出向くしかない。

 いつも通り数人の女子生徒を侍らす英傑を横切り、教室の扉に向かう。


「あ、あの……今日、山田君が欠席だから……」

「代わりに俺が当番ってことだよな?」

「す、すいません!」


 大声で謝られ、教室中の注目を集めてしまう。こういったやり取りには慣れっこなので、俺は苦笑しながらも何とか宥めようと試みた。でもどうせ上手くいかないので、後の対応は英傑に任せて俺はさっさと図書室へ歩き出す。英傑と一緒に昼食を食べようと約束していたらしい数人の女子生徒からは、一斉に非難の目を向けられた。俺のせいじゃない。

 階段を一つ上り、校舎四階の図書室前へと辿り着く。


「……そりゃあ、誰もいないよな」


 開いた扉の先には人の気配が感じられなかった。まだ昼休みになったばかりだし、ここを利用する生徒も今は昼食の時間だろう。この時間に割り当てられたのは運が良かったと言える。

 図書委員の仕事は、主に書物の貸し借りの手続きだ。手渡された本の裏に張られてあるバーコードを専用の機械で読み取り、パソコンに表示されるデータを確認するだけ。あまり難しい仕事ではないものの、混乱を防ぐために普段は二人で役割分担を行っている。

 じゃんけんに負けたというありがちな理由で図書委員になった俺は、新しく入荷された本に目もくれず、所定の位置であるカウンターの傍に寄った。関係者以外立ち入り禁止と記された紙を人の目に入る位置に置き、椅子の背もたれに全体重を授ける。


「……萩一?」


 本棚の先から聞こえる声に、俺は反射的に背筋を正す。誰かいるなんてこれっぽっちも思っていなかったため、驚いて肩を跳ね上がらせた。


「大和か?」

「そう」


 小さな歩幅で本棚の先から顔を見せたのは、大和綾女という名の同級生だった。藍色がかった髪は肩まで伸びており、前髪は切り揃えられている。容姿や仕草で何となくわかる大人しい性格の持ち主である彼女は、小柄な体型も相まって存在感が薄い。探そうと思えば見つかるものの、そうでなければまるで置物のように感じてしまうだろう。

 だが、俺はそんな大和に並々ならぬ感情を抱いていた。


「俺と大和が当番か。久しぶりの組み合わせだな」


 一冊の本を両手で抱えながら、大和が隣の椅子に腰掛ける。


「誰も居ないし……やるか?」

「……うん」


 折角持ってきた本をカウンターの上に置き、大和は後ろの荷物置きからゴソゴソと何かを取り出す。大和が準備万端なのは相変わらずだ。


「今日は、これ」


 どん、と長方形の箱を俺に見せる大和の顔は、少し楽しそうだった。

 箱の表面に記されたそのゲームのタイトルに俺は得意げに笑う。


「チェスか。俺、こう見えても結構自信あるぜ?」

「私もある」


 てきぱきと箱の中からチェス盤を引き抜き、片側に駒を配置する大和。実はルールはうろ覚えだし、プレイした経験もあまりないのだが、彼女の好意を無碍にだけはしたくなかった。

 大和は、俺を怖がらない数少ない友人だ。英傑のように幼馴染というわけでも、由奈のように兄妹関係というわけでもない。図書委員の会議で初めて出会ったあの頃から今に至るまで、彼女は一度たりとも俺に対して怯えを見せることはなかった。

 それが俺にとって、どれだけ救いになることか。

 こうして図書委員で顔をあわせるときは、いつもボードゲームで時間を潰していた。人恋しいなんて考える柄ではないが、無言で過ごすのを寂しい、或いは暇だと感じるのはおかしくないだろう。彼女は俺にとって、学園生活を彩ってくれる大切な存在なのだ。


「最初はぐー。じゃんけん……」


 ぽん、と二人が手を伸ばす。俺がグーで大和がパーだ。

 通常ならこれで先攻、後攻が決まるのだが、大和ルールではこの後更にもう一つ、行わなければならないことがある。


「あっち向いて……」


 ほいっ、と可愛らしい声を漏らす大和は、人差し指を向かって右に突き立てた。同じく右を向いた俺は、真左にその小さな指があるのを確認。敗北に呻きながら、チェスの駒を並べる。


「前から思ってたんだけど、じゃんけんだけで良くないか?」

「駄目。勝ち数が一つ減る」


 大和なりのこだわりがあるらしい。

 たかが先攻と後攻を決めるだけのじゃんけんに、勝ち数も何もないと思うのだが……。


「よし、それじゃ始めるか――」


 大和の見様見真似で駒を並べた直後、ガラリと図書室の扉が開かれた。


「ちっ」


 大きな舌打ちをかます大和。本人は隠しているつもりだろうが、きっとこれが本性なのだろう。今までも遊んでいる最中に邪魔が入ると、わかりやすく苛立ちを露わにしていた。

 素の性格を見せる大和に気づかない振りをして、俺はチェス盤の片付けに専念した。

 利用者にこの体たらくを見られるわけにはいかない。

 そう思っていたものの、人影の正体に気づいた俺はチェス盤を片付ける手を止めた。


「なんだ、椙鳴さんですか」

「なんだとはなんだ、萩一」


 腕を組んでこちらを睨む彼女――椙鳴麗華に、他意はないことを視線で伝える。俺のことを怖がらない数少ない友人その三だ。ちなみに一は英傑で二は目の前の大和。認めたくないが、友人と呼べる友人はこの三人だけである。これでも小学校低学年までは友人関係に恵まれていたのだが、本当にどうしてこうなったのやら。


「それで、生徒会長さんが何か御用ですか?」


 嫌味抜きの質問に、椙鳴さんは俺の隣に座る大和を見た。言葉の通り、椙鳴さんは俺たちの一つ上の学年で、この学園では生徒会長の役職に就いている。スラリとした日本人らしくない体型に、ポニーテールに束ねた黒の長髪が凛々しい。成績優秀、容姿端麗とはこのことだ。


「そこの馬鹿を探していてな」


 馬鹿呼ばわりされている大和は、完全に無視を決め込んでいた。

 彼女は我関せずといった態度で、ポーンをニマス前進させる。


「萩一の番」


 椙鳴さんのこめかみがピクリと動く。

 ああ、まただ。またしても、この二人は喧嘩するのか。見慣れた光景だが、それ故にいつまで経っても変わらない二人の関係に俺は深く息を吐いた。


「貴様、あれほど言ったのにまだ……」

「本人承諾済み。双方合意の上でのこと」


 額に手をやる俺に、大和が視線を注ぐ。

 確かにチェスには俺も乗り気だったが、相手が生徒会長となると分が悪い。しかし、それでも大和は一歩も引くこと無く、二人は見えない火花を散らしていた。


「萩一はまだ自覚していない。合意を求める時点でふざけている」

「法規は破っていない」

「仁義を問うてるんだ!」


 しかもその内容が、俺にはさっぱりわからない。

 喧嘩する程仲が良いという言葉は知っているが、それが真実だとしたら彼女たちは親友を越えて恋人になるだろう。大和が俺に勝負事を挑む際は、毎回のように喧嘩するのだから。


「とにかく、彼が参加者でない以上は看過できない。最悪……力尽くで止めるぞ?」


 椙鳴さんのその一言が争いに幕を下ろした。悔しそうに眉間に皺を寄せる大和を背に、椙鳴さんは悠然と図書室を去る。

 いつの間にか横に倒れていたポーンを元の位置に戻し、俺は大和に声を掛けた。


「えーっと……続ける?」

「……いい。今の私じゃ、まだアレには勝てない」


 首を横に振る大和に、俺は「そうか」とだけ告げてチェス番の片付けに入る。最後の最後に大和が敗北を認めるのも普段通りの光景だ。その悔しげな表情の中に、まるで親の敵を目の当たりにしたかのような恐ろしい感情が篭っているのも。

 二人がどんな関係なのか、気にならないと言えば嘘になる。それでも、俺は無言でチェス盤を箱に詰め、もうじき来るであろう利用者のためにカウンター周辺の整理に没頭した。

 しかし、この二人は何故こうも事ある毎に喧嘩するのか。

 大和によると、「根本的に馬が合わない」だそうだ。

 俺からすれば……どっちもどっちである。


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