スポットライトは照らさない(3)
「即答でしたね」
一歩後ろで着いて来る銀髪の少女の言葉に、俺は苦笑した。
得体の知れない二択を迫られたとき、俺は今まで見てきた特撮ヒーローのことを考えていた。
いつだって、ヒーローは初めからヒーローではない。
命の危機に陥ったからか。はたまた大切な人を傷つけられたからか。ヒーローはそういった大きな事件に巻き込まれた末に誕生する存在なのだ。絶体絶命の危機を覆し、囚われたお姫様を救い出し、絶望に希望を与え、不可能を可能にする。
普通の一般人だった者が、手に入れた力に四苦八苦しながら突き進む。
そんなヒーローだからこそ、俺は好きなのだ。
「ちなみに、どちらに向かっているのでしょうか?」
公園から歩いて五分。ポツポツと明かりを灯し始めた街灯を眺めつつ、俺は答える。
「俺の家」
「そんな……私を家に連れ込んで、一体何をするおつもりですか?」
「お前が人目につかない場所を希望したからだろ」
誤解のないように素早くツッコむと「わかってます」と返ってきた。
長い話になるようだと、時間的に外にいるだけで目立ってしまう。俺だけなら平気かもしれないが、この少女も一緒となると色々と勘違いされそうだ。昔、夜遅くに妹とコンビニに行ったときのことだが、偶然そこにいた警察に補導されたことがある。あれは嫌な思い出だ。
「それにしても、お前は俺のことを怖がらないんだな」
あの黒髪鉄球の女性といい、この少女といい、今日出会った人は皆俺のことを怖がらない。
背後の少女に顔を向けると、彼女は表情を変えずに口を開いた。
「少なくとも、私があなたを怖がる意味はありません」
やばい、本当に惚れそうだ。
そんなことを言ってくれた人は、今までに何人いただろうか。多分、五人もいない。
感激のあまり溢れ出る涙を隠すよう、ぐりんと首を回して少女から顔を背ける。散々怖い目に遭ったが、その分の幸福は取り戻せている。寧ろお釣りが出るくらいだ。
自由気ままに動きまわる表情筋を必死で抑えながら、俺は自宅へと向かった。
「ただいまー」
玄関を開き、家の中にいるであろう由奈に声を掛ける。
すぐにドタドタと慌ただしい足音が近づいてきた。
「――お兄ちゃんおかえ、り……?」
普段なら元気よく言い切る由奈も、俺の背後にいる人物を見るや否や、声が尻すぼみになった。円な瞳で俺と少女を交互に見た由奈は、やがて人差し指を俺に向けて、
「お、お、お……」
「お?」
「お兄ちゃんに、春が来たーーーーーーーーーーーーーーーー!?」
笑っているのか驚いているのかよくわからない表情で唇を震わせ、由奈は小走りで台所の方へ去って行った。俺はそんな妹の様子に「ふふん」と誇らしげな笑みを浮かべ、胸を張る。
「拙いですよ。早く誤解を解かないと、大変なことになります」
「お前何でそんなに必死なの? もしかして俺のこと嫌い?」
冗談では通じない顔でわなわなと慄く少女に、俺は眉を潜める。
脱ぎ捨てた靴を整えるために腰を曲げると、公園で転んだときの背中の傷が服と擦れて痛みを感じた。あれだけの出来事の後にも関わらず全く緊張していないのは何故だろう。
恐怖という感情よりも、期待という感情が優っているからか。
これから話されるであろう、少女の言う「全て」に対して。
「由奈、晩飯先に食べててくれ」
居間の入り口から、台所で調理する由奈に声を掛ける。
「別に良いけど、お兄ちゃん……と彼女さんは?」
「私は彼女ではありません」
俺を遮るように、少女が由奈に告げる。
軽く舌打ちすると少女に睨まれた。
「あ、やっぱり? 姫じゃないんだし、お兄ちゃんに恋人ができるわけないもんねー」
お玉で鍋をかき混ぜながら言う由奈に、少女が当たり前だと言わんばかりに頷く。知ったような顔をするが、事実この二人は俺のことをある程度は知っているので口出しできなかった。
説明にどのくらい時間が掛かるかを少女に訊くと、俺次第という答えが返ってくる。曖昧な返答に首を傾げながらも、由奈に二時間後に来ると伝えてから、俺たちは二階に上がった。
「……それじゃ、説明よろしく」
自室の電気を点け、俺はベッドに腰掛けて話を聞く体勢をとる。少女には学習机付属の可動式の椅子を貸そうとしたが、首を横に降って床にペタリと正座した。
「では、まずはあなたが巻き込まれた戦争について説明します」
開口一番、早速頭が置いてけぼりになった。
戦争? 何だそれ、俺はそんな物騒なことに巻き込まれているのか?
「世界の管理者である神様が、自らの世界に住まう知的生命体の更なる進化を目的とした、遥か昔から続く戦争です。今では凡そ三千の世界が参加していると言われてます」
神様や世界といった大きすぎる規模の単語に、俺はなんとか思考を回転させた。
知的生命体がどのような定義を持っていたかは忘れたが、俺たち人間がそれに当て嵌まっていたことは覚えている。真摯な態度を崩さない少女に、俺は固唾を呑んだ。
「地位、富、名誉……ときには命すらも天秤にかけるその戦争の名は――肩書戦争。己の所持する肩書を賭すことによって、他の参加者の肩書を奪う……謂わば争奪戦です」
肩書戦争……説明からして、そのまんまだ。
いや、ネーミングセンスを気にかけている余裕はない。得体の知れない戦争だが、俺もそれに巻き込まれている……つまり、強奪される可能性のある参加者なのだ。
混乱する俺を前にして、少女は口を閉ざす。
説明が中断されたことを悟った途端、頭に大量の疑問が湧き出てきた。
「肩書って、あれだよな。社長とか、探偵とか」
「はい。あなたはこれから、そういった肩書を奪い合うことになります」
「奪い合うって、どうやって……」
「奪いたい肩書の所持者に対して、接触を保ち続ければ良いだけです。ただ、それには長い時間を要しますので、最近だと気絶させた後に奪うというのが常套手段ですね」
殺した後で奪うというのも可能なのか……と尋ねたかったが、答えを聞くのが怖くて止めた。どこにでもいる一般人である俺にとっては、気絶する時点で十分に物騒だ。
「そ、その肩書を奪われたらどうなるんだ?」
「文字通り肩書が消えます。社長は社長という地位を失い、探偵は探偵という職業を失う。あなたは高校生という肩書を所持していますから、それを奪われればニートになりますね」
少女は微笑するが、俺は全く笑えなかった。場を和ませるためのジョークだとしたら、それは大失敗だ。先の公園での一件で非現実を垣間見た俺に、彼女の説明を絵空事だと割り切ることはできない。来るかもしれない未来の可能性を思い浮かべ、背筋に冷や汗が垂れる。
「俺の参加は、もう決定しているのか?」
命あってこその……自分あってこその人生だ。このままだと、ヒーローになる前に居場所を失ってしまう。下手に痛い目に遭うよりも、ずっと怖い。
「肩書戦争の参加条件は、己の所持する肩書を自覚することです。あなたはもう、それを満たしてしまいました。……全てを知ると言ったのは、あなたですよ? 真司様」
高校生という肩書を知った時点で、俺の参加は確定してしまったのか。
だが、ふと冷静になって考えてみる。
高校生という肩書を持っているからといって、それを奪われるとは限らない。社長などといった夢のある肩書ならまだしも、たかが高校生に自らの肩書を賭ける程のものはあるのか。実際に高校生という肩書を所持している俺は、そう思わない。
そんな俺の考えを見透かしたかのように、少女は説明を続けた。
「肩書には、特典と呼ばれる不思議な効力が宿っています」
ああ、そうだろうな……と納得する。
そうでもないと、態々他人の肩書を奪おうなんて思うものか。
「あなたの所持する高校生という肩書には、知人や友人との出会いを引き寄せる効力があります。あまり役に立つ特典とは思えませんが、その特典を抜きにしても、単純に高校生という境遇を望んでいる者はいるでしょう」
例えば、止むに止まれぬ事情で高校を中退した者などは、その可能性が高い。
甘酸っぱい青春の一ページを彩るには高校生活は必須。灰色の青春時代を送ってきた大人たちも、やり直せると聞けば飛びつく筈だ。
「随分と、曖昧な効力なんだな」
「創造者が神様である以上、その全てを我々が語るのは不可能です」
話している内に、話の規模の大きさをあまり気にしなくなった。……頭が麻痺している。
自らに非はないことを伝える少女に、俺は説明の続きを促した。
「特典の発動方法は『肩書名、発動』で可能です。試しに唱えてみて下さい」
「……『高校生』、発動」
疑心暗鬼に包まれながらも唱えてみると、頭の中で高校生という三文字がくっきりと浮かび上がった。灰色に浮かび上がったそれは、唱え終えたと同時に明るく反転する。
スイッチを入れたような感覚を覚える。
直後、誰かが階段を登ってくる足音に気づいた。
「お兄ちゃん、もしかしてその人今晩泊まってく?」
ガチャリと開かれた扉の先で、可愛らしいエプロンを纏った由奈が顔を覗かせる。
「いえ、結構です」
「あ、そうですか。ちなみに、よければ夕食も一緒に作りますけど……」
「それも結構です。お気遣いありがとうございます」
「いえいえ~」
丁寧にお辞儀する少女に、由奈は少し驚きながらも愛想良く笑う。
それから片手を腰に当てて、ビシッと俺を指さして、
「それじゃお兄ちゃん、私もう行くけど変なことしちゃ駄目だからね!」
などと要らぬ心配をする由奈は、言うだけ言ってすぐに部屋を出て行った。
閉じられた扉の先で由奈が階段を降りたのを確認した俺は、すぐに少女に視線を向けた。
「今のは偶然じゃないのか?」
「かもしれませんが、結果的に特典の効果は発揮されています」
胡散臭くなってきた少女の物言いだが、頭の中で浮かび上がったイメージだけは否定のしようがなかった。脳内のどこかでスイッチが切り替えられたような奇妙な感覚。物凄く地味な効果だが、高校生の特典はちゃんと発動されているらしい。
「永続系の特典ですと、任意で発動状態から待機状態に戻せますよ」
少女の言葉に、俺は高校生という肩書の特典を停止するイメージを浮かべる。カチリ、と発動したときと似ている感覚がすると同時に、発光していた肩書名は再び灰色へと戻った。
筆舌に尽くし難い感覚だが、これを何かに例えるとするなら……ゲームの操作だろうか。
戦闘画面でキャラクターの行動を選択する、あのRPG特有の操作を思い出す。
「自分が肩書戦争の参加者である事実は、飲み込めましたか?」
「……ああ」
この気持ち悪い感触が錯覚でなければ、飲み込む他ない。
憧れていた非日常への入り口。ヒーローへの第一歩……そう考えるには少し地味過ぎる。特撮ヒーローのように純粋な力技でどうこうできるものではなさそうだ。
「……おかしいですね。普通、そこは喜ぶところではないでしょうか?」
「何だそれ。これから危険な目に遭うかもしれないってのに、喜ぶわけないだろ」
随分と他人事のように言ってくれる。
少女は俺が何を言っているのかを理解していないのか、小首を傾げた。
「あなたもまた、他人の肩書を奪えるのですよ?」
「……え?」
咄嗟の言葉に、俺は口をポカンと開けて硬直した。
いや、そりゃあ俺も参加者なんだから、肩書を奪うことはできる。けど、社長や探偵だなんて肩書を奪ったところで俺の手には余るし、第一大した興味もない。
俺がなりたいのはヒーローだ。それ以外なんて欲しくも何とも……。
「……待てよ」
おいおい、どうして今の今まで思いつかなかった。
社長、探偵、高校生だけが全てじゃないだろ。
この少女が使った白い鎖。黒髪の女性が撃ちだした灰色の鉄球。あのような出鱈目な力を持つ肩書があるくらいなんだ。俺の望んでいるものだって存在するかもしれない。
「その肩書の中には……ヒーローもあるのか?」
唾を飲み、喉が鳴る。
ベッドから腰を上げ、全身を前のめりにして少女の言葉を待った。
「――あります」
出会ってから一切表情を変えない少女に対し、俺は自身の瞳が見開かれるのを自覚した。凍りついていた心臓が激しい熱を帯び、興奮が鼓動を加速させる。
「肩書戦争は複数の世界間で行われる大規模な戦争。ならば、その世界特有の肩書が他の世界に流れ込んでもおかしくはありません。勇者、僧侶、魔法使い……そして、英雄。肩書戦争とは、向上心と境遇が噛み合っていない者たちへの、救済措置でもあるのです」
この世界では、創作物の中以外では決して存在しない肩書。肩書戦争とは、それを手に入れることができる千載一遇の機会でもあると少女は述べる。奪われるリスクもあるが、こちらが奪えば自分の成りたいものに成ることができるのだ。
ごっこ遊びではない、本物の勇者や魔法使い。
なりきるのではなく、正真正銘の本物と入れ替わる。
努力しても決して叶う筈のない夢を、この手で掴むことができる――。
「ご理解したようでなによりです。肩書戦争に参加して最も得するのは、報われない夢追い人……つまり、あなたのような人です。どうかこの戦争で、良い結果を残して下さい」
興奮していることが目に見えてわかるのだろう。少女は優しく天使のような微笑みを浮かべ、輝ける未来への道標を俺に与えた。
ハイリスク・ハイリターン。夢を掴める程の戦いならば妥当だ。
無意識の内に握りしめた拳からは、汗が吹き出ていた。
「これにて説明は終了です。何か質問はありますか?」
青紫の瞳が真っ直ぐに向けられる。
そこで俺は、漸く一番知りたい事実を尋ねることにした。
「……俺が襲われた理由を教えて欲しい」
あの黒髪の女性は、明らかに俺を狙っていた。彼女が肩書戦争の参加者であるとしたら、目当ては俺の肩書ということになる。……しかし、鉄球を振り回せる程の力を持った彼女が、今更『高校生』の肩書を手に入れようと理由がわからない。効果も地味だし……。
「恐らく、あなたは高校生とは別の肩書を所持しているのでしょう」
「別のって言ったって……心当たりはないけどなぁ」
よもや、不幸星の不幸人なる肩書が存在してはあるまい。……いや、ありそうだ。だとしても、それを狙う意味はないだろう。俺は、狙われる程の肩書を所持しているということか。
「自覚していない以上、あなたはその肩書の特典を使用することができません。あの女性が真司様を狙ったのは、何かしらの手段であなたの所持する肩書を知ったからでしょう」
「他人の所持する肩書を知る肩書っていうのもあるのか?」
「対象となる肩書の特性によっては変わりますが、幾つかあります」
俺が所持しているのに、俺は知らずにあの女性は知っているのか。
顎に手を添えて、所持しているらしいもう一つの肩書の手がかりを脳内で探りだす。そんな俺に対し、少女もまた神妙な面構えで何かを考えていた。
「……肩書は、譲渡だけならば戦争に参加していない者にも行えます」
「どういうことだ?」
「あなたは過去に、他の参加者から肩書を譲渡されたのかもしれません」
過去……ということは、俺が自身の肩書を自覚する前か。
暫く二人で悩んでいると、やがて吹っ切れたように少女が顔を上げた。
「まあ、いずれわかるでしょう。それでは真司様、明日の放課後は空いてますか?」
「まあ、空いてるけど」
「それでは、明日の放課後に迎えに行きますので。今日はこれで失礼します」
衣擦れ音を鳴らし、少女は流れるような動作で立ち上がる。長時間の正座にも関わらず、少女は一度も足を崩さなかった。足が痺れている様子もない。
階段を下り、玄関で少女が靴を履くのを待つ。
サラリと首から垂れ落ちる銀髪に俺の視線は釘付けだった。
「……あ」
玄関に手を掛けた少女に、思わず声を漏らす。「どうかしましたか」とこちらに振り向く少女に対し、俺は一番大切なことを聞いていないことを思い出した。
「最後にもう一つだけ。……お前は何者なんだ?」
居間にいる由奈に聞こえないよう、小さな声量で尋ねる。
少女は斜め上に目を向けて、考える素振りを見せる。
「戦争の管理者です。こちらの世界では白羽雪で通っていますが、本名はフィアと言います。何かお困りのようでしたら、隣町の教会へとお越しください」
芸術品のような白い細腕が玄関を開き、少女が一歩外に出る。
雲ひとつない夜の帳を背に、彼女は最後まで無表情を貫いてそう言った。
「それと、種族は――天使です」
一対の翼が現れる。
隙間のなく純白の羽根で敷き詰められたその翼は、自然界に生きる鳥類には決して見られない清潔さを思わせた。どういう仕組か、それは浴衣を破くことなく少女の背中から生え出ており、小さな羽ばたきと同時に夜の肌寒い風が吹き込んでくる。
玄関が閉じられ、翼を生やした少女の姿は見えなくなった。
靴も履かずに慌てて玄関を開き、外に出る。しかしそこに少女の姿はなく、俺は今見た光景が……いや、ひょっとすると今日一日分の出来事が全て夢ではないかと錯覚した。
首を傾げたそのとき、足元に白い羽根が落ちていることに気づいた。




