異変は確実に(2)
放課後。日常、安穏、平和……それらを象った高嶺学園での一日が終わりを迎える。
英傑が数人の女子生徒と会話している内に早々と教室から抜け出た俺は、いつも利用している通用門ではなく正門へ足を運んだ。
「遅いです」
「そりゃ教師の問題だろ」
歴史の教師は毎回話が長い。部活に所属しているクラスメイトたちは不機嫌になるし、帰宅部で普段は気にしていない俺も今日ばかりは厄介だった。
待ち合わせ場所に先にいた白羽は、その瞳を左右させて周りを確認する。
「……いませんね」
「英傑のこと、そんなに苦手か?」
「厳密には嫌いです」
ピシャリと言い告げる彼女に俺は言い返すのを止めた。元々、俺と白羽が面と向かって会話するということは、ほぼ必ず肩書戦争のこととなる。英傑が苦手だろうが嫌いだろうが、どのみちあいつがこの場に加わることはできない。
「英傑を嫌う女子ってのも、新鮮だな」
少なくとも、俺の知る初めての相手である。
極力学園の関係者とは距離を置き、俺たちは帰路についた。隣町の教会に住んでいるらしい白羽は驚くことに、徒歩で教会と学園の間を行き来しているようだ。しかし確かに、白羽がバスやら電車やら自転車やらを利用している姿は正直笑える。
「ときに真司様は、身体を鍛えてますよね?」
「唐突だな。一応これでも、人並み以上には鍛えている自信があるぜ」
「それにしても、行き過ぎな気もしますが」
「そりゃあ……」
何せヒーローごっことは、ときに力をときに悪知恵を働かせる危険なものだ。それは最早遊びの領域ではないにしろ、他にどう表現すれば良いのかわからないので便宜上遊びと判別しているに過ぎない。勿論、人としての親切だって心がけているつもりだ。道端でおばあちゃんが大荷物を抱えて困っているようであれば、迷わず助けようと考えるだろう。
親切とヒーローごっこは、しかし別腹だ。前者で充実感は満たされない。俺の求めるヒーローとは悪役が存在する舞台でのみ成り立つものであり、逆に言えば悪役のいないヒーローごっこはただの親切に成り下がる。
俺は善行がしたいのではない。俺はヒーローごっこがしたいのだ。親切はその気にさえなれば誰であろうと可能だが、俺の望むヒーローはそうではない。人として当たり前に優しく、人として当たり前に葛藤し、しかし舞台に立てば万人には不可能な真似をしでかす英雄。故に、それを模す俺は身体を鍛える必要があった。
などといった説明を白羽にする前に、俺は今考えたことを他の相手にも説明したことがあるということを思い出した。相手は誰だったか。英傑はただ無言で俺について来てくれたし、たまに協力してくれた近所の悪ガキはそもそも尋ねて来なかった。……ああ、そうだ、思い出した。調子に乗ったボディービルダーだ。必殺技の試し打ちに協力してくれた大男だが、俺の自慢の飛び蹴りを食らって吹っ飛んだ挙句、説明を聞いた最後には「つまりあれだな、お前なりのポリシーなんだな、よくわかんないけど」とだけ感想を述べたあの男だ。
「……まあ、あれだ。ヒーロー目指してるからだ」
自分が説明下手であることを思い出した俺は、厳選に厳選した言葉だけを口にした。
ここで具体性を問われるようならば、またしても自らのポリシーを説かねばならないのだが、白羽はこの話題について深く詮索つもりはないらしい。理由はともかく、身体を鍛えているか否かが重要だったのだろう。
「今後は、更に精進することをお勧めします」
「精進ねぇ……筋トレと走り込みの他にも何かした方が良いか?」
「足運びや徒手空拳の型を一通り会得するべきかと。武術武道は肩書を入手すればそれなりに使えるようになりますので、学ぶ必要はありません」
「努力の完全否定、だな」
「何を今更」
その通り。一度足を踏み入れると決めた俺に、その是非を問う権利はない。不退転の決意は今もこの胸で強く生きていることを確信する。
剣道を習って、そこから人目につく程の実績を得るのにどのくらい時間がかかると思う? 俺にそのような経験はないが、具体的に予測して、早いと三年くらいだろうか。才能がある者ならばもっと早い時期に実を結ぶかもしれない。だが、肩書戦争に生きる俺ならば、それよりも遥かに早く実績を得られる。『剣士』の肩書を手に入れればそれで済む。本来の所有者が必死に汗水を垂らして会得した技術が、精神が、経験がそのまま手に入るのだ。
努々忘れてはならない。俺が肩書戦争に参加した理由――それは、今のままではどう足掻こうが届かない目標に辿り着くためだ。技術も精神も経験も関係ない。俺は、明らかに理不尽な虐げによって妨げられている。だからこそ、俺もまた理不尽な道を行くのだ。
文字通り、別次元の努力が必要になる……即ち、この戦争に勝つための努力が必要だ。
「きゃあああああああ!?」
突如、悲鳴が響き渡った。
声質からして、若い女性のもの。絹を裂くような悲鳴は、俺と白羽と、周辺で同じく帰路についている学園の生徒たちを、一斉に振り向かせた。
「――待って下さい」
白羽に腕を握られると、反動で俺の身体は勢い良く後方へ流れた。白羽も相当力を入れたのだろうが、それだけではない。俺が無意識の内に、駆け出そうとしていたのだ。
頭では考えていない。条件反射だ。
「何をするつもりですか……?」
「何って、そんなの決まってんだろ」
助けるんだよ――と言うまでもなく、俺は白羽の腕を振り解こうとした。だが、一度は離れた白羽の腕も、今度は服の裾を掴むことによって俺の動きを止める。
悲鳴は続かない。しかし間違いなく聞こえたのだ。
ならば、こんなところで時間を費やしている暇はない。
「また、報われないとしても?」
だというのに、俺は彼女のその一言によって、身体中を脱力させた。
心のどこかでそう思っていたからだろう。図星を突かれた感覚に、俺は顔を顰めた。誰かに言い触らしたことではない筈だ。しかしそれを白羽が知っているのは別段不思議ではない。俺の情けない体たらくは、きっと街単位で酒の肴にされているだろうから。
「……そうだ」
「何故」
この行動が、自己満足のためだけでないことくらい、自覚している。
だからこそ俺は肩書戦争に参加しているのだ。報われないことに悲しみを抱かないならば、戦争で勝つ必要はない。白羽はきっと、そういったことを尋ねている。悲しみを堪えてまで繰り返す理由。俺自身考えたことなかったが、多分それは――。
「――意地だ。ここで動かなければ、俺は今までの俺を否定することになる」
どこぞの主人公かよ、と笑ってしまうくらい格好良い台詞を吐いた。嘘偽りない言葉だが、果たしてそれは白羽に……否。俺以外の誰かに届くものなのか。人間の最たる特徴である学習を否定する俺は、ひょっとしたら異端なのかもしれない。決してマゾではない。
「断言します。あなたがその行為によって報われることは万一にもありえません」
「……理由は?」
それは、と白羽は口を噤む。
変に頭がクリーンだった。広まる視界は黄金色に染まる空と、戸惑いに明け暮れる生徒たちを淡々と映し出す。感情の機微に乏しい白羽が、嫌悪や苛立ちの他に初めて無表情を崩した瞬間だった。それが気遣いであることに理解した俺は、無理に聞こうとは思わない。
けれど、やがて白羽は自ら口を開き、答えた。
「あなたの所有する第四の肩書が、善行を否定する性質を持つからです」
放たれた言葉を細かく砕き、脳に注ぐ。端々を欠くことなく延々と反芻させる。
驚愕よりも納得が頭を占めていた。気の毒そうな白羽の表情から目を逸らし、今朝のことを思い出す。俺の持つ第四の肩書とはやはり、そういう力なのだ。
言い当てられる程の情報は与えられていないため、その候補足る肩書を幾つか予測する。
その中に『殺人鬼』が加わったところで、俺は苦笑した。
ああ、そりゃあ誰だって恐怖する。血塗れの包丁を片手に持った殺人鬼が人助けをしたところで、感謝なんてされるものか。つまるところ、俺が善行のつもりで起こした数々の行動は、他者から見れば奇行でしかなかったのだ。
「ま、関係ねぇけど」
それはそれ、これはこれ、だ。
先にも言った通り、これは意地の問題。肩書のせいで報われないとか、性質がどうとか、そういった問題は度外視する。単純思考がモットーである俺の頭は、これ以上深く悩むための時間を必要としていなかった。
「二の舞になるだけですよ? あなたの目的は達成されませんよ?」
「あーあーはいはい、面倒臭い。そんな台詞はもう聞き飽きてんだよ」
家族に、特に由奈に散々言われ続けていたことだ。
ぞんざいな俺の反応が気に食わなかったのか、白羽はズイと顔を近づけて抗議する。
「止めて下さい。……今まで、ずっと黙っていましたが。正直、見ていて気の毒なんですよ」
「じゃあ見なけりゃ良いだろ」
「そういうわけには……」
専属サポーターの義務は監視ではなく、あくまで補助だ。
同伴の義務は他世界でなければ発生しない。
「理解できません。それに、危険です」
端から理解を求めていないし、危険なのはとうの昔に理解している。
これもまた、考えるに値しない内容だった。
「悪い――俺もう行くわ」
学生服を翻し、裾を握っていた白羽の腕が空中に放り出される。
白羽はもう俺を制止しようとしなかった。その代わり、心底不可解だという念を視線に込めて訴えかけ、荒れた口調で吐き捨てる。
「――勝手にどうぞ!」
踵を返した俺の背に突き刺さるその言葉は、内心で謝罪してから切り捨てる。ここで罪悪感に負けて白羽を追えば、俺は一人の女性を犠牲にすることになるのだ。それは、過去から積み上げてきた自分自身の価値観を崩壊させるものとなる。
悲鳴のした方向には普段近寄ることのない、高級住宅地があった。下校時間である今は通行人が多く、俺は歩道から車道に出て走る。幸い車の交通量は少なく、多少変な目で見られようが構うこと無く駆け抜けた。
街路樹の合間を通り、崩したバランスを立て直す。
細々と聞こえてくる住民の会話に舌打ちをかました。
「って、どこだよ……!」
と、悪態を吐けば都合よく聞こえてくる悲鳴の続き。
流石は高級住宅地なだけあって、道の一つ一つが太く見晴らしがいい。背の高い建造物もあまりなく、迷うこと無く突き進んだ俺は今度こそ悲鳴の主がいるであろう場所へ辿り着いた。
しかし、そこにあった光景に呆然とする。
頭の中で勝手に組み立てていた悲鳴の主の人物イメージが、ものの見事に瓦解したからだ。
「何だ、こりゃ?」
それはもう、人ではなかった。
命を宿した者ではなく、物。メタリックなブラックカラーで染め上げられたそれは、隣接する家の塀によって影に隠れており存在感を薄めているが、紛れも無くラジオカセットレコーダー……通称ラジカセだった。コンセントは繋げられておらず、表面には幾つものスイッチやボタンが付いてある。不自然なところは見当たらない。では一体、何故こんな場所に?
ガチャリ、と音がした。
中央のカセットテープドライブが擦るような音を鳴らし、左右のステレオスピーカーからノイズの混じった音声が再生される。
それは、俺の追っていた悲鳴だった。
「はぁ?」
今まで幾度と無く悲鳴を聞いては駆けつけたが、こんな経験は初めてだ。
コケにされた? いや、それならばまあ別に問題ない。結果的に俺の救う人はいなかったということだ。ここまで駆り出した俺の苦労はともかく、悲鳴を上げる程の苦しみを味わっている人物がいなかったことにホッとする。
問題はそこではない。
やはり俺は非日常に毒されている。胸に去来した嫌な予感が渦巻くのを感じ、額に浮かんだ脂汗を手の甲で拭った。
これは、この状況はつまり、嵌められた? 誰に? いや、それ以前に何のために――?
似たような思考を俺は過去に一度だけ持ったことがある。そしてその答えも知った。鉄球女に襲撃されたあの日のことだ。あれを境に、俺は俺が襲われる原因を理解している。
よもや質の悪い悪戯ではないだろう。なら、可能性は必然と一つに絞られる。
これも、あの日の――延長戦だ。
「――賢いなぁ、お前! 自分のこと過小評価すんなよ!」
緑化運動の一貫か、綺麗に彩られた並木通りのある背後へ振り向く。
釣り上げた頬でケタケタ笑う、長身の男がこちらを見ていた。
「ほら、その瞳。その態度。良かったなぁ、おい。お前、この戦いに向いてるぜ」
良く言う。……お前ら程じゃあ無い。
口を開く代わりに、俺は思考を総動員した。喧嘩と肩書戦争は違うと今朝方白羽に説教されたばかりだ。いくらなんでも、この短期間に同じ轍を踏むような馬鹿ではない。
「おっと。俺としたことが。挨拶を忘れていたな」
金髪碧眼。遠目から見れば、物語の貴公子と見紛う程の美男子。だが、その巫山戯た振る舞いが全てを台無しにする。それが快楽と言わんばかりに、目の前の男は口元を歪めた。
「久し振りだな、萩一真司。俺のこと、覚えてるかい?」
「……あぁ。覚えてるよ。ベックテレン・ルーザーズ」
忘れる筈もない。かつて、路地裏で邂逅したあの男だ。
勝つ自信はない。なら逃亡が最善手だ。残念なことに、管理者である白羽は事前のアドバイスはしてくれるものの、参加者同士の戦いには干渉できない。協力要請は無理だ。
まだ人気のあるこの空間で荒事は起こせないだろう。無論、こちらから『人見知り』を発動するつもりはないが、相手が似たような肩書を持っていたら万策尽きてしまう。
「や、別に俺は戦わんよ。場を整える肩書も持ってねぇし」
信用ならない。流石の俺も、これで警戒を怠るほど馬鹿じゃない。
「しっかし、お前。思い切ったことしたなぁ」
「は?」
「選手宣誓に出たろ? 今やお前は、一躍有名人だ。……中々、考えてるじゃねぇか。おかげさまで、こっちは動きづらかったぜ。俺らの他にも、お前に眼を付ける連中が現れた。管理者側も、何人かお前を中心に視野を広げてるみたいだし。……勘弁してくれよ、マジで。先に目を付けたのはこっちだっつーの。……あぁ、もう。やってくれたな、ちくしょうめ!」
茶化したように、ベックテレンは人差し指を俺に向けた。
だが、俺は何も言えない。何故なら、そいつが何を言っているのか、わからないから。
呆然とする俺を前に、ベックテレンは、ふと、思い至ったような顔をする。
「もしかして、お前……何も考えてなかった?」
図星を指され、押し黙る。
「わーお。良いね。でもそれは、ビギナーズ・ラックだ。いいか、良く聞け? ビギナーズ・ラックってのはな、ビギナーがビギナーらしからぬ行動をしたからこそ、生じるものだ。基本的に失敗するからこその、幸運なんだよ。わかるか? 何が言いたいのか? 要するに、だ。あんまり調子に乗っていると……今みたいな風に、なるんだぜ?」
「そうだな。次からは真剣に気を付ける」
「次、ねぇ……あればいいんだけど」
柳に風、と言えばいいのだろうか。この男との会話は、変な違和感を覚える。会話が噛み合ってないわけではないのに、手応えを感じないというか……。
余計な思考は遮断した。逃走経路は三つ。背後は行き止まりだが、両脇の住民宅の塀を利用すれば壁を超えることも不可能ではない。次に右前方だが、こちらは住宅地の奥の方へと向かう道だ。人通りは徐々に減っていく上に地の利がまるでないから得策ではない。最後に左前方だが、こちらは成功すれば大通りに出られる。仮に『人見知り』のような肩書を持っていたとしても、戦いの場とするには難しい筈だ。後者二つは真正面の男を掻い潜る必要がある。かと言ってこの男に背を向ける程の蛮勇も持ち得ておらず、背後の経路も憚られた。
どうもコイツは口数が多い。ならそれを利用しよう。
会話の中で、どうにか隙を見つけてみる。
「お前らは、なんなんだ?」
「と、言うと?」
「なぜ、俺を狙う。お前だけじゃない。お前ら、徒党を組んでるだろ」
「その通り。ま、初心者狩りは俺たちに限ったことじゃないけどさ。……前までは、俺らが独占していた情報なんだけどな。おかげ様で、今は競合相手ができつつある。……だから、急いでお前を潰しに来たわけなんだが、うーん。思ったより、余裕ある。焦り過ぎたかも」
「熱烈だな。俺のファンかよ」
「んなもん実在すると思ってんのか?」
「……今のは効いたぜ」
息をするように繰り出された精神攻撃に、俺は呻き苦しんだ。
横目で男の態度を確認する。ベックテレンに戦うつもりはなくとも、彼の呼ぶ追っ手にはあるかもしれない。厄介な相手を呼ばれるよりも早く、この男は撒いておくべきだ。
「ああ、ところでそろそろ本題に入らせてもらうけどよ、お前ってさ、茶髪の可愛らしい妹がいるよな? 確か……萩一由奈、だったか」
「……だとしたら、何だ」
踏み出した一歩がアスファルトを擦るよりも早く動きを止める。
家族の名を出されて反射的に立ち止まってしまった。
「そいつ、今ピンチだぜ?」
言葉を理解するのに十数秒はかかったと思う。
何故、ここで俺ではなく由奈が危険になるのか。あいつは肩書戦争とは無関係の一般人だ。
――人質。その単語を連想した直後、俺は頭を真っ白にして駆け出した。
「いってらっしゃーい! ……まあ俺も行くんだけど」
ベックテレンが何やら言っているが無視して駆ける。
走りながら思考を結ぶ。由奈が狙われている、或いは既に襲われた後かもしれない。
高級住宅地を出た俺は、下校中の生徒たちとは真逆の方向へ足を進める。白羽と別れてから結構な距離を走っているが……今思えば遠すぎる。悲鳴の聞こえる直線距離は長くても百メートルとしよう。迂回しながら進んだにしろ、それ以上の距離を進んだのは明らかだった。悲鳴の正体があのラジカセであったことから推測するに、ベックテレンが移動しながら要所要所で音声を再生していたと思われる。俺はあの男に誘導されていたのだ。
その誘導はまだ終わっていない。自分が今も誘い込まれているという事実は理解できる。客観的に見れば馬鹿のやる真似かもしれないが、これがどうしようもないのだ。心情としては赤目の男に襲われたあのときに似ている。自分のせいで誰かが巻き添えに、危険な目に遭っているというのだから、何としても責任は取らなくてはならない。
「あれは……」
前方に見える小柄な人影に、俺は速度を上げた。隣町に住んでいる彼女にとって、ここ周辺は家路に含まれない筈だが……ともかく助かった。
「――白羽!」
人影に呼びかける。その銀髪は見間違いようもなく、白羽雪のものだった。
こちらに振り向く彼女の顔に、俺は僅かに動揺した。互いに気を悪くして別れた後だ、へそを曲げているに違いないと思っていたが……寧ろ、正反対だった。
「真司、様?」
酷く落ち込んだ様子を見せる彼女は、駆け寄る俺に戸惑いながらも、何か言いたげな表情で立ち止まる。両手を胸の前に持って行き、伏し目がちになった。
「あの……私、先程は失礼なことを……」
小声で、呟くように紡がれる言葉。学生指定の鞄を強く握り締めるその態度は、勇気を振り絞っている様相だった。親に叱られた子供が反省するときのような白羽に、普段の俺ならば頭を撫でてやりたい衝動に駆られていただろう。
しかし、今はそれどころではない。
「悪い。管理者としての白羽に、頼みがある」
一瞬、白羽は呆けたが、すぐに切り替えた。
「ご用件は?」
「妹が、由奈が狙われている。相手は以前も俺を襲ってきた連中だ」
不幸中の幸い……いや、家族の危険に幸いは駄目だな。
しかし、これが正式な戦いならば俺は白羽に助けを求められなかったのもまた事実だ。由奈という無関係者が被害に遭っている。その可能性があるからこそ、肩書戦争の管理者である白羽には動く理由が生まれる。
白羽は返事よりも早く、スカートのポケットから携帯電話を取り出した。キーホルダーもストラップもついていない銀色のそれは味気なく、白羽らしい。きっと中身も必要最低限のデータしか入ってないのだろう。
通話が始まると、白羽は矢継ぎ早に質問していった。やや声を荒らげている白羽に対し、通話口から漏れる声は淡々とした感情のないものだ。「反応がない?」と疑問を表す白羽はそこで眉を潜め、先程とは打って変わって冷静になる。
やがて通話を終えた白羽は、間断なく状況説明に入る。
「正式な救助任務を承りました。これより私は周辺の警戒に入りますが……」
「無論、俺もついて行くからな」
「わかりました。詳細の説明は移動しながらにしましょう」
二人して走りながら、俺たちは情報を整理する。
無関係者の被害は確認できていない。しかし白羽が連絡を入れてみたところ、運営側で反応のない者が数人いるようだ。現状、この街で行動できる運営側は白羽一人となる。
先に情報の伝達手段を断つことが目的か……。
「用意周到だな」
「……申し訳ありません。私の失態です」
「別に、白羽のせいじゃないだろ」
連中の狙いが由奈である確証はない。しかし、どのみち今のこの街は警備状態に大きな穴を開けられているのだ。無法者が暴れ出すのも時間の問題だ。
ベックテレン・ルーザーズについて、白羽は存在を知らないと述べる。
非公認参加者とて数が少ないわけではない。詳しくは規定に背くので教えることはできないそうだが、管理者は非公認参加者たちを個人ではなく派閥で捉えているらしいのだ。ベックテレンの所属する派閥はわからないが、そこで彼の言っていたことを思い出す。
非公認参加者で俺を狙っている組織は一つだけだと彼は言っていた。
「『スナッチ』……肩書の強奪に手段を選ばない組織です。無関係者への襲撃は勿論、非公認参加者ならではの命のやり取りも惜しみません。あまり敵対したい部類ではありませんね」
今回の一件は俺の所有する肩書が連中の目に叶ったからこそ生じた事態だ。専らの悪人ではないのだろうが、管理者としてはやはり目を瞑れないか。
「しかし……」
横を通り抜ける車による風圧を受けながら、俺は思考する。
目的が強奪と言うのであれば、交渉次第で荒事は回避できるかもしれない。
いざとなれば……肩書を譲るか?
三度に渡って襲撃される程の肩書だ。例えこの一件を終えようとも、次がないとは言い切れない。それに、白羽の言葉が正しければ、この肩書は俺のコンプレックスの原因でもある。これさえなければ、俺はもう無意味に怖がられないし、ヒーローごっこも満足のいく結果を作れるだろう。長年の苦しみから解放されるのだ。
「……馬鹿言うな」
そうじゃねぇよな、と弱気になった己に喝を入れる。
考えは間違っていない。俺はこの現状を、どう足掻こうがヒーローになれない状況を変えたくて肩書戦争に参加したのだから、その解決法が見つかれば食いつくのは当然だ。恐らく、この第四の肩書を手放せば俺はもう無闇矢鱈と怖がれないで済むだろうし、そうなればヒーローごっこだって昔のような輝きを取り戻せる。……それこそが、俺の望んでいたヒーローだ。
だが、それはあくまで過去の望みに過ぎない。
この戦争で手に入るものは、正真正銘の本物のヒーローだ。画面越しにある仮初のヒーローではない。そして、偽物のヒーローに魅入られた筈の俺は、肩書戦争という存在を知り、いつしか本物のヒーローを目指したいと思うようになった。
だからこそ、この肩書を譲渡することは許されない。
これはきっと、俺が肩書戦争で勝ち上がるための武器となる……。
「やる気があるのは構いませんが、真司様には主に事後処理を担当して貰います」
「ああ。……俺がアイツらに勝てるとは思えないしな」
白羽と出会っていなかったら、俺は考えなしに敵へと迫っていただろう。その結果は想像に難くない。しかし今は白羽が……つまり管理者が味方にいる。彼女さえいれば由奈も救われるだろう。それだけの力を有している分、下手に俺が関われば足を引っ張ってしまう。
けれども……俺には、不安があった。
既に、白羽と同じ力を持つであろう管理者の数人がやられている。不意打ちか、真っ向勝負かは不明だが、無法者を罰するべき存在が返り討ちにされたという事実は重い。犯罪者が警察よりも強いなんて事態は、あってはならないのだ。
口には出さない。出して、その結果を知れば……立ち止まってしまうかもしれないから。
それでも、どうしても思ってしまう。
お前、本当に、アイツらに勝てるのか……?
「――見つけました」
急遽、白羽は方向転換する。我武者羅に走っていたその足が、明確な目的地を定めた。
「あの角を曲がった先です」
前方を指差して、白羽は立ち止まった。呼吸を整えながら乱れた服装を正し、風に揺れていた銀の長髪を懐から取り出した黒い紐で一纏めに束ねる。皮膚が軽く湿る程度の汗をかいた俺に対し、白羽は汗一つかいていないように見える。
「作戦、どうする?」
連中は俺を誘っているため、最低でも一度は俺が顔を出した方がいい。犯罪者の捕縛だけならば相手の要望を飲む必要はないが、人質の有無が問題となる。いくら管理者といっても、無関係者を人質に取られたら手も足も出ないだろう。事前に他の管理者たちを行動不能にしたことから、何の策もなしに待ち構えているだけというのは考えにくい。
「……奇襲するか?」
相手の十八番である奇襲を思いつく。俺が顔を出し、人質解放の交渉を行っている最中に、待機している白羽が攻撃する。簡単な作戦だが、これが一番好ましい。
「それしか、ありませんね。……ただ、成功はしないものと考えて下さい」
「理由は?」
「通常、管理者は周囲の環境に溶け込むように振る舞う義務があります。そのための肩書も支給されている筈ですが……『スナッチ』は、その上で私以外の管理者たちを行動不能にしました。推測するに、彼らは管理者を察知する肩書を所有しているのでしょう」
「……望み薄だな」
それでも、正面突破よりは成功する確率が上がると信じよう。
「私が合図したら、真司様はできるだけ遠くに退避して下さい」
作戦決行――まずは白羽が回り道して、こちらの様子を窺いながら待機する。大凡一分の間隔を開けてから、俺は目的地へ向かい始めた。
小さな歩幅で足音を潜めて歩く。『人見知り』を発動するメリットはないし、人質に俺の知人が含まれていれば、『高校生』の肩書も意味を成さない。『大会参加者』なんてもっての外だ。武器となるのはこの身体一つ。頭の中で鉄球を避ける自分を何通りもシミュレーションしてから、角を曲がる。
「おっすおっす! さっきぶり!」
顔を出した途端、陽気な声が飛んできた。
「お前、どうしてここに……」
「うん? そりゃあ先回りしたからに決まってんじゃん」
緊張とは縁のなさそうなベックテレンの声が響く。ケラケラと笑いながら、彼は俺のことを新しい玩具を見るような目で見た。以前、路地裏で使っていた不思議な移動術。あれを使ったのか……なら、足でコイツから逃げるのは、難しいだろう。
視野を広げると……ゾッと、背筋に冷や汗が垂れた。
明らかに殺意を向けている赤目の男が、ベックテレンの傍らに立っている。あの日、路地裏で睨んできたその瞳は、あのときと同じように一瞬で俺を金縛りにした。催眠術のような、動きたくても動けないといった状況ではない。指先一つでも動かせば殺されそうなその殺気に、動きたくないという念が脳から信号として放たれる。
しかし、俺の目を釘付けにしたのはその男ではなく、彼の足元に転がる人影。
「……由奈」
眼球だけを動かして、辺りの状況を確認する。
何の変哲もない舗装道路にも関わらず、第三者の視線や人気を感じない。この場にいるのは俺とベックテレンと赤目の男の三人と、人質に取られた由奈の計四人。白羽がこちらの様子を見ながら待機している筈だが、敢えて俺にその位置は知らされていない。
「アグナ、その殺気解いたらどうよ? マトモに会話すらできねぇじゃん」
ベックテレンが赤目の男に問い掛ける。
「会話する必要があるのか?」
「コミュニケーションは大事だぜ。それに、アグナもこいつと話してみたいだろ?」
「そんな気はない」
「あっれー、マジで? 冥土の土産に教えてやろうって台詞とか、憧れない?」
会話だけ聞いていれば隙だらけに思えてしまうが、アグナと呼ばれた赤目の男から放たれる殺気は依然としている。白羽が切り込むためのタイミングはまだ見つからない。
隙は……俺が作るしかないか。
「取引、しないか?」
両者からの視線が突き刺さる。ベックテレンは目を細めて「ほぅ」と関心を漏らし、アグナは相変わらず殺気の篭った視線をぶつけていた。
「お前ら、俺の肩書が欲しいんだろ? それを渡すから、二人を解放してくれ」
無論、その取引に応じるつもりは他ならぬ俺自身がない。肩書の譲渡はあくまで最悪の展開にまで取っておくべきだ。
「うーん、取引ねぇ。それは互いの信用を得てからじゃないと、無理かなぁ」
「信用って……俺がお前らを信じればいいのか?」
「ま、それもあるけど……」
完璧な信頼は無理だ。しかし、表面上ならば何とか取り繕えるかもしれない。
自信はないが、俺の目的は取引の成立ではなく、隙を作ることにある。
「取り敢えず、俺らの後ろに陣取っている女をどうにかしろよ」
「――っ!?」
刹那、巨大な銀の鎖が無数の柱となって天より降り注いだ。管理者のみが操ることを許された、無法者を捕縛するためのそれがコンクリートを砕く。
目を凝らす俺の眼前、銀の柱の麓では剣戟が奏でられていた。折り重なる金属と金属の衝突音は、ときに周辺の柱にぶつかり火花を散らしている。
「はぁッ!!」
白羽が鎖で象られた剣を振り翳す。ベックテレンはいつの間にかやや離れた位置へと退避しており、対するはアグナだった。柱に混じる剣閃にアグナは徒手空拳で応戦するが、その拳は寧ろ白羽の剣を物ともせず、押し返す勢いを持っている。
「真司様!」
退避命令が下されるのを確認した俺は、一目散で撤退した。手に汗握る展開、血の滾る熱い戦い……画面越しであれば、そう思っていたに違いない。現実はもっと怖く、俺如きが立ち入る余地はない劇的な殺し合いだ。
「そうは問屋が卸さない……ってな!」
「なっ!?」
突如前方に現れるベックテレンに、俺は足を止めた。さっきまでは遠くにいた筈だが……先回りのことといい、この男には瞬間移動のできる肩書があるのかもしれない。
前にはベックテレン、背後にはアグナ。左右には壁……駄目だ、逃げ場がない。
後はもう、白羽が二人を捕縛することだけを願うだけだ。
「――その肩書は、まさか!?」
白羽が驚愕し、攻撃の手を緩める。
アグナはその瞬間をまるで予測していたかのように、的確に攻めた。
「ご明察だ」
アグナが掌を白羽に向け、腕を付き出した。
直後、手首から放たれたのは……銀の鎖。白羽の放つ鎖と同色であり、同型のものだ。
蜘蛛の巣状に張り巡らせた鎖を、アグナが腕を振りかぶって手繰り寄せる。大木が倒れるような音を鳴らしつつ、連なる銀の柱が次々とへし折れていった。
アグナの鎖と白羽の鎖が互いに衝突し、互いに砕ける――強度も、同じだ。
「どこで、それをっ!?」
「決まっている。……貴様の同類からだ」
最悪の展開……白羽とアグナの実力が、拮抗している。
予想外だ。まさか、アグナが管理者の力を手に入れているだなんて。
「所詮は見物人だな。使い方が――粗い」
長槍と化した鎖を投擲したアグナに、白羽は鎖で盾を形成する。だが、双方が衝突する直前にアグナが長槍の形を崩した。元の鎖へ回帰したそれは、蜘蛛の手足のように白羽を盾ごと羽交い締めにする。囲まれれば最後、白羽には抜け出す術がない。
「同じ肩書がぶつかり合う場合、モノを言うのはレベルと経験だ。その点を考慮すれば、俺は運が良かったらしい。互いにレベルは同じ。なら、前線に出ている俺の方が、確実に有利だ」
「管理者も結局は、治安維持に貢献する、ただの一般人……こっちの世界風に言うなら、警官みたいなもんだ。拳銃持ってるからと言って、油断するんじゃねぇぞ」
ジャラジャラと鎖で白羽を締め付けながら、アグナは白羽を見下す。
その隣では、ベックテレンが指をピストルの形にして、何やら言っていた。
白羽とアグナの応酬は、驚くほどに呆気無く終えた。待ち構えていただけはある。俺が白羽を呼ぶことは勿論、その後の対処法まで考えていたのだろう。目前に立つベックテレンを睨みつけると、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべられた。
「さて、んじゃあ後は、お前の肩書を奪うだけだが……ふっふっふ。冥土の土産に、俺たちが何故お前を襲っているか、教えといてやろう」
やたらとテンションを上げて、ベックテレンが言う。
白羽が無力化された以上、俺には最早どうすることもできなかった。
「そもそも、お前のその肩書は、お前には似つかわしくないんだ」
「それは……俺の実力に合わないってことか?」
「違う違う、そうじゃなくて――お前にとってはマイナスの効果しかねぇんだよ」
白羽に聞いた通りだ。俺の持つ第四の肩書は、善行という概念とは逆位置に存在する。故に善行で報われることは難しい、と。俺にとって、と言う辺り、ベックテレンもまた、日頃の俺の行いを知っているのだろう。
「そこの管理者は懸命な判断を下したと思うぜ。最初に『高校生』を明かしたのは、良い選択だ。例の肩書を明かしていれば、お前は精神的に参っていたかもしれねぇ」
新規参加者は、運営側に所有する肩書を自覚させられることで成り立つ。
俺の場合は白羽によって『高校生』の存在を認識させられたが、思えばあの時点で白羽は第四の肩書を知っていたのだ。彼女はその上で、敢えて『高校生』を選択した。
管理者は参加者に対する必要以上の接触を認められていない。専属サポーターとなったことで多少の制約は緩んだものの、その原則は変わらない。『高校生』の存在を伝えられたのはあくまで俺が肩書戦争に参加するための通過儀礼のようなものだ。参加してしまった現在、白羽はそれ以外の肩書を伝えることはできない。
要するに、俺は俺自身の肩書を知る手段を、持っていなかった。
「お前の持つ、四つ目の肩書。……知りたいか?」
「……ああ」
だからこそ、俺はベックテレンの口の軽さを信用するしかない。
考え得る逆転の可能性は二つ。
一つ目は、ベックテレンとの会話を引き伸ばして時間を稼ぎ、その間に白羽が再度攻撃すること。或いは白羽本人でなくとも、運営側が対処できればそれで良い。
二つ目は……俺自身が、第四の肩書を行使してこの場を脱することだ。
『高校生』も『人見知り』も通用しない俺が頼れるのは、最早その肩書しかない。しかし、そのためにはまず、肩書の正体を認識することが必要となる。
本当の最後の手段、肩書の譲渡はまだ早い。
俺はベックテレンの言葉に集中する。
「じゃあ、ヒントを出してやる。お前の持つその肩書はな、別段珍しくない。じゃあ、どうして俺たちが、こんなにも欲しがっていると思う?」
いきなり予想外だった。価値のある肩書という前提で考えていたため、俺は当然の如く希少価値があるのだと予測していたのだ。大抵、希少価値の高いものは効果も高いものだ。
大して珍しくないにも関わらず、襲撃するに値する程の価値を持つ肩書。
これは肩書の話だ。なら、焦点を定めるべきは肩書の性質……。
「……レベルか?」
「正解!」
希少価値を除いて、肩書に価値を見いだせるステータスと言えば、やはりそれしかない。
「ということは、お前のその肩書がどの程度のレベルなのかも、想像がつくよな?」
大して珍しくないが、レベルが高いので価値がある。生半可なレベルだと他もゴロゴロと所有する者がいるだろうから、頭ひとつ抜きん出ているくらいか。
レベルは十段階。しかしレベル十は、本当に極限られた者しか所有していない。
順当に考えて……五か、六くらいが妥当だ。
「んじゃ、二つ目のヒントだ。これはさっきも言ったが、お前のその肩書は――」
「ベック、その辺にしておけ」
アグナがベックテレンの台詞を遮り、血のような色をした瞳でこちらを睨む。道の脇に転がる由奈のすぐ隣に、鎖で雁字搦めにされた白羽を置いた。
「良いんじゃねぇの? どうせ扱えないだろうし」
「止せと言っている。早く『お喋り』を解け」
「それは却下。だってこれ、俺のアイデンティティだし。これだけは絶対に解除しねぇよ」
これは……仲間割れか?
こちらから視線を逸らし、ベックテレンを睨みつけるアグナ。俺は銀の鎖の固まりに目を向け、その合間から覗く白羽の瞳へアイコンタクトを図った。
下手に抵抗をしてみせれば反撃を貰うだけだ。まだ行動は起こせない。
「大体よぉ、どうせコイツには扱えない代物だっての。肩書の性質とは対照的に、本人は至って善人……不自然なくらい善人だ。こうも不揃いな組み合わせ、俺は見たことない」
「見たことがないからこそ、お前は見届けてみたいんだろ?」
「……おおぅ、流石は相棒。お見通しってわけか」
「何でもかんでも娯楽にするのは、お前の悪い癖だ」
たはー、と困ったように顔を背けるベックテレン。腹が立つことこの上ないが、俺は彼の陽気な振る舞いに精神的に救われている部分があった。あれがアグナのように、全身から殺気を吹き出す男だとすれば……今頃は気を失っている。
「でもさ、実際気になるだろ? こんな機会滅多にねぇんだし、一目見ておいても損はないと思うぜ? 奪っちまえば最後、二度と確かめられねぇしな」
否定しきれないアグナに、ベックテレンがニヤリと微笑した。
どうやら……話の内容は、俺に都合が良いように転がっているみたいだ。抵抗の意志を瞳に宿す白羽に、俺は少し待つように視線で訴える。
口を閉ざしたアグナに、ベックテレンは話を続ける。
「さぁて、キーワートはもう十分だよな? ちなみに二つ目のヒントは、肩書の性質がお前の行動と逆位置にあることだ。人助けいつもご苦労さん。けど報われたことはないよな?」
善行と逆位置にあるのは悪行に他ならない。肩書の性質は悪行に加担するもの……しかしそれこそ、『殺人鬼』や『泥棒』など、幾らでも候補が上がる。
正解に辿り着けない俺にベックテレンは愉快そうに笑い、
「最後のヒント。お前が万人に恐怖されるのは、そう演じることを強いられているからだ」
三つ目の、最後のヒントが告げられる。
同時に、俺は脳味噌に雷が落ちたかのような衝撃を受けた。真っ白な閃光が呼び起こすフラッシュバックは、これまでに経験してきた苦痛を垂れ流す。
演じる。そのキーワードは、無数の候補から一つの答えを探し当てた。
肩書とは資格。演じる資格を持つ者とは……役者だ。
ならば、悪行を演じる役者を、人はどう呼ぶのか。
答えは――。
「『悪役』……」
カチリ、と謎を解くためのピースが埋められる。
一瞬、目の前の現実と頭の中が乖離したような錯覚を感じる。次いで去来するのは、もどかしさから解放された爽快感と、脳内に浮かぶ二文字のイメージ。
感動に浸っている場合でもなければ、悲しみに明け暮れる場合でもない。
自身の肩書リストに新たに追加されたそれを指定し、俺は唱えた。
「――発動」
その二文字が脳内で淡く点灯する。
同時に、様々な情報が一斉に雪崩れ込んできた。身体の奥底から湧き上がる活力にどこか興奮を覚えながらも、『悪役』の情報を一つ一つ整理する。
日頃学業に関しては駄目である俺も、このときばかりは予習、復習の重要さを認めた。
配布された資料に目を通しておいて本当に良かった……お陰様で、大雑把にではあるが『悪役』の効果は把握している。
問題である肩書のレベルは……。
「レベル、九……!?」
一体何をしたらそこまで高レベルに到れるのか。
該当経験値は害悪ポイント。これは悪の性質を持つ肩書であれば共通だった筈だ。
悪役というのだから、その役割に準ずる行為を延々と続ければ経験値は蓄積されるのだろうが……それにしても、高すぎやしないか?
「理解してるかわかんねぇーから言っとくけどさ、レベル九なんて、通常ではまず有り得ないからな。所持者の数は勿論、純粋に経験値をそこまで貯めるのは至難の業だ」
ベックテレンの解説を聞き流しながら、俺はアグナの視線に違和感を覚える。
不思議な気分だった。あれほど恐ろしいと感じていた殺気が、今はまるで感じないのだ。刺々しい雰囲気は依然として残っているが、そこに怯える要素はない。身の程知らずの餓鬼が喧嘩を売ってきているような、取るに足らない事象として捉えられる。
これが、『悪役』。その効果を実感した俺は、拳を握り締める。
内側から膨れ上がる存在感。誰が相手だろうと、負ける気がしない。
しかし――それだけだった。
「ほら見ろ、やっぱり使いこなせねぇ」
負ける気がしない。その感覚に狂いはない。
ただ、俺はそう感じているだけだった。負ける気はしないし、誰であろうと自分以下の小物に見える。けれども、その自信には根拠がない。突如として身体が強化されたわけでもなければ、五感が異様なまでに鋭くなったわけでもない。膨れ上がったのは気炎だけで、肝心の俺自身は微塵も変化を成していないのだ。
「レベル九もそうだが、こうも肩書を使いこなせないなんて、これまた珍しいケースだ」
答える義理はない。内心を見透かすその瞳の気持ち悪さに、俺は吐き気を催した。
大丈夫。落ち着いている。とは言え、冷静になっただけでは何一つ解決しない。
「基本的に、悪系統の肩書は悪事という結果を残す行動にしか効果を発揮しねぇ」
ベックテレンが、声を響かせる。
思えば、俺は肩書の特典を意識的に操作したことがない。『高校生』の【青春の絆】も、『人見知り』の【拒絶空間】も、スイッチを入れさえすれば後は自動で効果が現れる系統だ。
肩書の本質は……資格。
ならば、俺のこの第四の肩書、『悪役』の使い道は、悪行を演じることだ。
だが、悪行とは何だ? その膨大な範囲から、俺は何を選びどう行動すればいい?
「テメェに悪事が働けるか?」
アグナの放つその一言に、俺は唸った。
無理だ。齢十六歳、この内の何年をヒーローごっこに費やしてきたと思っているんだ。そこに検討の余地はない。あるのはただ、生理的な嫌悪だけ。
悪になりきれない俺に、『悪役』を扱うことはできない……。
「……待てよ」
それって、おかしくないか?
肩書の本質が資格であることは前提に考えよう。するとやはり、俺のこの『悪役』は悪を演じることによって力を発揮する肩書という結論に至る。
しかし、それでは今まで散々飲まされてきた苦汁の説明がつかない。
俺が他者から無意味に怯えられるのは『悪役』が原因だ。だが俺は、これまでに一度たりとも自ら進んで悪を演じたことがない。つまり、肩書を使いこなしていないにも関わらず、特典の効果が現れた……ということになる。
特にヒーローごっこに関しては、善行を演じていると言っても過言ではないだろう。
――矛盾している。
悪を演じていない。寧ろ善行を積んでいるのに、『悪役』が効果を発揮している。
おかしい。だが、ここで思考を止めるわけにはいかない。どういうわけか、俺はこの矛盾が状況を打破できる鍵だと信じて疑わなかった。
何故、俺以外はこの矛盾に関心を示さないのか。
白羽もベックテレンもアグナも、この点について深い疑問を持っていない。
ということは、俺と彼らの間には何かしらの差があり、それが原因で観点が異なっているのだ。問題のその原因だが……やはり思いつくのは、肩書戦争の経験。新規参加者である俺と違い、三人は明らかに戦争慣れしているように見える。
もう一度……俺は過去に得たキーワードを思い出す。悪の性質、善行、悪行、恐怖、レベル九、報われない、演じることを強いられて――。
「――おい」
今、かき集めた情報が一つの結論へと集約した。
確信を得るべく、俺はベックテレンとアグナに問い掛ける。
「どうして、『悪役』が人助けをしても報われないんだ?」
ここで俺は、全力で二人を観察した。アグナの殺気が僅かに緩み、ベックテレンは眉を跳ね上げて硬直する。それは些細なものだったが、二人は確実に悩んでいた。
「そりゃあ……『悪役』が、そういう性質を持っているからだろ」
――間違いない。
コイツら、わかってないんだ。
レベル九の肩書は、ベックテレンの言う通りかなりの規格外なんだろう。それこそ、無関係者を巻き込んでまで襲撃を続けるくらいに……。
そんな規格外の肩書を、彼らは俺の持つ『悪役』の他に知っているのだろうか?
そして、仮に知っていたとしても、その本質を理解しているのだろうか?
答えは否だ。レベル九の肩書は規格外過ぎて、彼らもその全貌を理解していない。
集約されたキーワードを、順当に繋げる。
『悪役』は、主に悪を演じることによって効果を表す肩書だ。しかし、ならば善行でその力が働くのはおかしい。人助けは善行であり、『悪役』が支援する悪行はどこにも含まれていない筈なのだ。従って、報われなかったとしてもそれは『悪役』の効果ではない。
だが、俺の持つ『悪役』はレベル九……規格外の能力を内包するものだ。
その効果は他の『悪役』とは一線を画するものだろう。
例えば――何もしていないただの日常ですら、悪を演じることを強いられたり。
更に言えば――如何なる善行を積もうが、結果的に悪に塗り替えられたり。
「最悪、だな……」
自然と浮かべてしまった笑みに、俺は愉快な気分になった。
ベックテレンとアグナもまた笑った。窮地に立たされた俺が自棄になったと思っているのだろう。唯一、白羽だけが悲壮感に満ちた表情を浮かべている。
彼らの敗因は、油断。
勝機を掴んだ俺は、足元の石ころを拾い上げ――ひょいと投げる。
「――は?」
ベックテレンが声を漏らしたのは、彼の背後で豪快な破壊音が響いた後だった。ガラガラと崩れる塀の中心には、先程俺が投げた小さな石ころがめり込んでいる。距離にして目測二十メートル。その間を小石は弾丸顔負けの速度で突き進み、直線軌道を描いて風を斬った。
馬鹿力――そんな一言では片付けられない異様な光景に、俺は再三笑う。
「お前、何を……何をしたっ!?」
怒鳴るベックテレンに、俺は腰に手をあてて余裕をアピールする。
「急にマジになるなよ。似合わねぇぞ」
「いいから、説明しろ……」
掛け合いを遮り、要所のみに注目しようとするアグナは流石と言える。だが、先程まであった殺気は失せ、心なしか存在そのものが薄れているように感じた。
「説明、と言われてもな。簡単に言うと、これは制御できる代物じゃなかったってことだ」
そりゃあ実感も湧かねぇわな、と納得する。
自身には一切の変化がない……その考えに間違いはない。現に、今の俺はどこにでもいる普通の高校生だ。ハンドボール投げもきっと三十メートル前後を記録するだろう。
しかし、ここで俺が再び小石を投げようとすれば、その力は急激に変化する。
「俺の『悪役』は、あらゆる行動によって生まれる結果を、『悪役』に相応しいものに塗り替える。褒められるという結果は、怯えられるという『悪役』らしい結果に。感謝は嫌悪に。期待は疑念に。……何もかもが、裏返ってしまう」
言ってみれば、これが、報われないという現象の正体だ。
白羽を含め、俺以外の三人はその言葉を素直に噛み砕いているようだった。混乱しているから、判断を自身に委ね難いのだろう。
息を呑んで、目を見開く。そんな三者一様の反応に満足した俺は続けざまに発す。
「つまり――俺の行動は、全てが『悪事』になる。……レベル九は、伊達じゃねぇな。なにせ因果にまで影響を及ぼすんだ。まったく、泣きたくなるくらい、強力だ。順序が逆なんだよ。悪いことを、俺がするんじゃねぇ。俺がすることは、なんでもかんでも悪事になるんだ」
涙を流すフリをして、俺は続けた。
「ところで、悪系統の肩書が効果を示す条件について、さっきお前は、なんて言っていたっけか。確か……悪事を働けば、いいんだっけか?」
そこで俺は、敢えてアグナが述べたことを、自らの口からもう一度告げる。
今の一言で彼らは気づいただろうから、俺は態とらしく下卑た表情を作った。『悪役』である俺にその顔は相応しい。正常に稼働している肩書からは、律儀に手応えが伝えられる。
悪役補正のかかった顔で、俺は二人の青ざめた形相を見た。
規格外の力を有した『悪役』は因果に干渉し、全ての結果を悪事に塗り替える。
早い話、行動さえすれば、俺の『悪役』はその全てに補正を加える。
悪役補正。それが、この『悪役』という肩書が持つ、本質的な力だ。
「だったら――楽勝だ」
今の俺は、呼吸するだけでも、悪事を働いていることになっているのだから。
足元のコンクリートを踵で叩く……それだけで罅が入り、走る亀裂はアグナとベックテレンの両者の中間で静止した。あまりのことに、二人は対応しきれていない。
この行動の一つ一つも、最後には自らに牙を剥くのだろう……。
このまま、ただの脅威への対抗手段として終わってくれないのが俺の『悪役』の欠点だ。
最も、それを考えてしまえば戦えない。
――【因果悪報】。
これが、俺の『悪役』の特典だ。
「ちっ!」
アグナが鎖を放ち、ベックテレンが後方へ退避する。
射出された銀の鎖の内、一つを右手で掴み取り……取り損ねたもう一つを左腕で防ぐ。気がつけば俺の全身はドス黒い帯状のオーラに覆われており、その一端が鎖を弾いた。
行動を開始した今の俺には、常に『悪役』が働きかけている……今、漸く実感が湧いた。
アグナは俺の掴んだ鎖を消そうとしたが、それよりも早く鎖を手繰り寄せる。
補正のかかった膂力による全身全霊……その力によって引っ張られたアグナは、ミサイルの如く頭からこちらに飛んできた。狼狽するベックテレンを横目に、俺は拳を唸らせる。
咄嗟に、アグナは鎖の盾を展開する。だが俺は、それを無視した。
「――ッ!!」
鎖の盾と、拳が衝突する。
ぐにゃりと凹む盾に俺は粘土を殴ったような感触を得たが、反動はない。
激しい衝撃に地面は砕け、舞い散る塵が水飛沫のように全身に飛び掛かった。それを、目前で黒いオーラが弾く。このオーラは、意識とは無関係であるらしい。
当たり前か。レベル九の肩書に、意識は不要。なら俺は――。
「――《魔帝玉座》」
無意識の領域から湧いてきた言葉を、無意識に紡ぐ。
人差し指と親指の表面を重ね、前方に突き出す。どす黒い波動が収束するのを感じつつ、俺は親指を向こう側へ弾いた。パチン、と軽快な音がする。
同時、アグナとベックテレンの間に、漆黒の「点」が生まれた。
その点は一瞬で膨張。刹那、二人を押し潰すように、黒い立方体が生まれた。先端は空と地を指し、真正面の俺からは、景色を分断する菱形が見える。
地面は抉れ、左右の壁を立体の角が穿つ。弾け飛んだ空間は、激しい暴風を生んだ。
アグナにもベックテレンにも直撃していない。経験による第六感が危険を察知したのか。彼らは間一髪で回避した。だが俺は、特に焦ることもなく次の一手を打つ。
砂塵の中、眼前の人影が体勢を崩したのを確認する。追撃を止め、俺は横へ跳躍した。
足を浮かせ、コンマ一秒も満たない内に、再び足を地につける。靴底が摩擦によって磨り減り、足裏には砂利道を滑ったようなジャリジャリとした感覚が伝わる。
驚愕に顔を染めるベックテレンと擦れ違う。直接的な戦闘力は持っていないのか、俺の接近を感じた奴は、真っ先に回避行動に移った。
視界の片隅で、ベックテレンの金髪が揺れる。
今ならまだ捉えられる……が、俺にはそれよりも優先すべきことがある。
「糞餓鬼――ッ!」
左右から、銀の鎖が飛んでくる。俺はそれを、屈んで回避した。頭上で衝突し、絡み合いながら勢いを相殺する鎖を手刀で叩き壊す。黒色のオーラは、俺の動きに応じて、鉄板のように掌に絡みついていた。鎖の
連結部分が砕け、環状の鉄が無数に飛び散る。
「……ふぅ」
そして、目的地に辿り着いた俺は、安堵に息を吐く。
「救出完了、と」
不敵にそう呟く俺の背には、寝転がっている白羽と由奈の姿があった。
「次は、テメェらだ」
白羽を拘束する鎖をバキンと破壊し、アグナとベックテレンを視界に収める。
「うは、うははははっ!! やっべぇ面白ェ!!」
「ベック、貴様、さっさと手伝え」
「いやいや、こりゃあ分が悪いって。俺的にはもう満足したし、ここらでお暇しようぜ?」
額に青筋を立てるアグナだが、ベックテレンはケラケラと笑うだけで一向にこちらを攻めようとしない。
「アグナが珍しく俺の口車に乗ったってのもあるが……やっぱ、舐めてたのが拙かったな。次の教訓には活きるだろうし、これ以外にも機会はある。何も『悪役』に拘る理由はねぇんだから、いっぺん頭冷やしに帰ろうぜ?」
荒い吐息を吐き出していたアグナが、次第に身体の揺れを落ち着かせた。
舐めていたという自覚はあるのだろう。歯軋りをして苛立ちを見せるが、殺気が薄れている。
背後で、白羽が震えながら立ち上がった。これで二対二……状況的には漸く並んだと考えられるが、『悪役』の力を考慮するとこちらが有利に思える。
向こうに隠し球があれば話は別だが――。
「ちっ、久々の失敗か……」
バラ撒かれていた鉄の輪が輝いたと思えば、粒子となって霧散する。
踵を返したアグナは一瞬だけこちらを一瞥した。紅い瞳には殺気も怒気も含まれておらず、眉間に寄った皺は自戒の念を表しているようだった。
「ベック、開けろ」
「あーいよ。……最後まで見届けられねぇのは残念だが、仕方ねぇわな」
最後――その言葉が、重く伸し掛かる。
彼らを退けたという俺の行動は、『悪役』によってどのように塗り替えられるのか。
今までは発動状態でなかったから、単に怯えられるだけで済んだのだ。思えば、俺の身体がやけに丈夫なのも、この肩書の恩恵なのかもしれない。待機状態にも関わらず効果を表す辺り、やはり規格外ではあるが……笑えない。
いざ発動してみれば、これほどの力だ。
デメリットがあることに納得してしまう。
「追う、なんて考えは止めとけよ? 流石の俺たちも、そのくらい対策してるぜ?」
釘を刺された白羽が舌打ちし、それ以降は一切口にせずに押し黙る。
ベックテレンの突き出した右掌を中心に、大気に波が走った。白羽に異世界への門を開いてもらったときのそれと全く同じ現象だ。波に触れる度にベックテレンとアグナの身体は幻のように揺らめき、輪郭と背景の境界が曖昧になる。
水面に映る月のように揺蕩う彼らは、いつの間にか消えていた。
「……終わった、のか?」
全身を包んでいた黒いオーラが消えると、多大な疲労感が押し寄せてきた。
同時に、膨れ上がっていた気炎も俺相応のスケールへと回帰し、気力、活力、その他諸々の力という力が抜け落ちる。
終わった? いいや、まだ何一つとして終わってはいない。
ここから先、俺は『悪役』の因果改変によって報われない結果を前にする。
それがどういったものなのか。どれくらいの苦痛なのか。慣れているとは言え、なまじこれから先に必ず起こるとしってしまったからか、普段よりも恐ろしく感じる。
「真司様……」
コンクリートの破片を踏み潰しながら、白羽は顔を上げた。
「じっとしてろ。取り敢えず、救急車呼んどくから」
「いえ、そうではなくて……」
中途半端に言葉を途切れさせる白羽は本調子である筈がなかった。
無理矢理にでも黙らせるか、それとも言わせるだけ言わせた方が良いか。彼女のためにどうすれば良いのか悩む俺に、本日何度目かになる予想外の一言が告げられる。
「――逃げましょう」




