日常は追いやられて(5)
時間が空いたので前回の粗筋。
鉄球女エルドラと、謎の襲撃者アグナを辛うじて退けた真司。
一息ついた頃、フィアこと白羽が、肩書戦争公式大会開会式の報せを告げる。
真司は開会式に参加するため、異世界への扉を開くよう、白羽へ促した。
異世界への扉を開く。その覚悟ができたことを伝える。
白羽が首を縦に振った直後、大気を波が這った。
今回は白羽は同伴しないが、受け取る感覚に変わりはない。二重、三重に突き通る玻璃に目を瞑る。徐々に足元の感触が消え、緑の匂いが遠退き、視界は白い光に包まれた。雲と雲の合間を抜けているような光景に息を呑み……次の瞬間、目の前の世界は切り替わる。
「到着っと」
港町ベルエナは、以前よりも遥かに多い人通りで賑わっていた。
道行く人々の殆どが税関へ歩を進める。彼らが片手に持つのは……俺と同じく、肩書戦争公式大会への招待状だ。遠巻きにこちらを見ている人集りは、大会の観客だろうか。俺の知る世界でのオリンピックだとかワールドカップのように、観戦すること自体が娯楽の一部になっているのかもしれない。戦争認識率十割近いだけはある。
「――確認しました。それではこちらへお並び下さい」
税関で招待状を見せた俺は、案内に従って人の列に紛れる。
俺は立ち止まると同時に「うへぇ」と情けない声を漏らした。立ち込める棘々とした雰囲気は、明らかに俺を警戒していた。この場にいる連中は全員今大会の参加者だ。当然、肩書戦争の参加者……つまり好敵手候補となる。
「……うそ」
四方八方好敵手だらけの環境に、視線を斜め上に逸らしていると、少し離れた位置から俺に対しての驚きの声が聞こえた。恐る恐る一瞥してみれば、同世代くらいと思われる一人の女性がわなわなと震えながらこちらを凝視している。
俺の強面は肩書戦争でも有効らしい。ちっとも嬉しくない。
肩書戦争に関わってから、俺を怖がらなかったのは最低でも六人だ。白羽……もといフィアに、肩書のトレードを申し込んできた筋肉ダルマ。後は税関と本部の受付で一人ずつ。そして最後に、これはカウントしない方が良いかもしれないが、襲撃者である鉄球女と赤目の男。
微妙な数だ。やはり、この怖がられ症候群(俺命名)は肩書戦争とは無関係なのだろうか。
ヒソヒソと周りに噂され始めたので、態とらしく咳をする。開会式前で既にこの状況、これから先も無事でやっていける自信はあまりない。精神的な意味で。
針の筵に座る気持ちとなった俺を他所に、列が動き始めた。
一同は顔を硬くして税関の裏口を通り、真正面に位置する肩書戦争統括本部へ入る。そこであらかじめ準備していた数人のスタッフから一人ひとり顔を確認され、俺たちは一人も欠けることなく開会式会場へと入場した。広報の拡声器による足元注意を聞き流しながら、適当に前の人について行く。途中、荷物チェックのために鞄の口を開けるよう言われたが、荷物と言える荷物は招待状だけだ。ところが中にはお泊りセットを持って来ている人もいるようで、最初は緊張感が無い奴だと思ったものの、よく考えてみればここ港町ベルエナは確かに景観も素晴らしく、観光地に相応しい。余裕ができたら俺もこの町に数日間滞在してみたいものだ。
反った木の板が敷き詰められた床を進んだ先に、白い事務的な空間があった。空間は扉を境目にしており、事務的なのは一室ではなく建物そのものだと悟る。どうやら俺たちは本部の通路を通り、隣接する別の建物へと入ったらしい。
「開会式までまだ暫くあります。それまでの間は自由時間となります。開会式開始の際には放送で呼び出しが掛かりますので、聞き逃さないように注意して下さい」
腰を曲げ、案内をしてくれた受付嬢が扉の向こうへと消える。
緊張感の張り詰めたこの場に逸早く居心地の悪さを感じた俺は、向かって左右にある扉を見た。この場で待機とは言われていないし、開かれているからきっと通行禁止でもない。
白い壁に挟まれた通路は、ゆったりと弧を描いている。恐らくだが、ここの中心に開会式を行う場所があるのだろう。スタジアムの構造と良く似ている。
「授乳室まであるのかよ。本格的だな」
右手の透明なガラスから外を眺めつつ、のんびり足を進める。通行人には軽く頭を下げているが、それよりも早く「ひっ」と驚かれることの方が多いので意味はない気がする。
しかし、肩書戦争の参加者は見た目では一般人と区別できないのが問題だ。
これでは誰が敵と成り得るかわからない。やはり『鑑定士』のような肩書が欲しいな。
「……おや」
前方から歩いてくる通行人に頭を下げようとした直前、相手が立ち止まる。そしてジロジロと俺を視線で舐め回した。白いスーツを見事に着こなした、初老の男性だ。
一目見て、俺は不思議だと感じた。どこにでもいる、世間一般のおじさんのように見えるこの男性だが……何故か、俺の胸には尊敬の念が生まれ始めている。その姿勢、その表情、どこを取っても優しく朗らかな印象ばかりが強く際立ち、悪印象は一つも浮かばない。
だからこそ反対に、俺は彼という存在に警戒心を膨らませた。
何故、こうも彼を信用足る人間として意識しているのか。まるで初めから親友であったかのような錯覚に、俺は自然と睨みつけるような目つきになる。人の良さそうなオーラというものが実在するにしても、これはあまりにも極端過ぎだ。
感情の機微には理由がある。嬉しいと思うのであれば、その人にとって嬉しい事実があったからに他ならないし、悲しみや苦しみも同じだ。しかし、ならば今の俺はどうなる。俺はこの男を信用に足る人物だと判断しているが、そう判断するための切っ掛けは一切存在しない。何せこの男とは初対面なのだ 理由も勿論ない。
「君、いいね。うん、凄くいいよ。これは有望だ」
気持ち悪い……この男ではなく、俺自身の胸に渦巻く感情が、だ。
奇妙な引力に引っ張られているような感覚。それに抗いさえしなければ、この気持ち悪さからは逃れられるだろう。だが、そうすれば取り返しのつかない事態になる気がする。所詮は気がするという程度の曖昧な予感に過ぎないが、俺はそれを馬鹿にできなかった。
「君、壇上に立ちなよ」
「……は?」
素通りしようとした俺に、男は立ち止まったままそう言った。
「選手宣誓だよ。決められた言葉を口にするだけの、簡単な仕事だ。どうだい?」
言葉の意味がわからないわけではない。ただ、それを初対面である俺に言うか? どうも大会の関係者らしいが、それにしてもいきなり過ぎる。
「おっと、警戒する必要はないよ。私は、大会の運営に関わっていてね。それに、こうして話し合っているのがいい証拠だ。ちゃんと拒否権は与えているだろう?」
その通りだ、と言葉を鵜呑みしそうになる寸前で気を改める。
距離感の掴めない相手だ。気を遣う必要がないと思ってしまう分、つい余計なことまで話してしまいそうになる。俺は深呼吸して落ち着きを取り戻した。
「どうして俺なんですか?」
「特に深い意味はないよ。ただ、君のような存在も知らしめないとね」
特に意味はない、か。選手宣誓くらいならば別に……とも思うが、実のところどのようなものなのかは想定がつかない。フィアがこの場にいないのが苦しいな。
「考え倦ねているようだね。……ふむ。ところで君は、目標となる肩書があるかい?」
「……一応、あります」
「なら助言しておこう。迷ったときは、目標である肩書に相応しい行動を目指すんだ。そうして育まれた精神は、肩書との親和性を高めることができる。……さて、ではこの場合、君の目指す肩書に相応しい対応は、どういったものかな?」
俺の目指す肩書とは、勿論『英雄』だ。
その肩書に相応しい対応……か。妙に説得力のある男の言葉に、俺は一考する。
「……わかりました。引き受けます」
ヒーローは決して目立つことを好むわけではない。しかし、ヒーローは誰にも、何にも臆さない。迫り来る障害は真正面からぶち破るし、それが可能であると常に信じている。ヒーローを目指すならば、そのくらいの器量が必要だ。
それに、悪に加担するというならば話は別だが、たかが選手宣誓である。
一通り頭の中でシミュレーションしてみても、これといって困ることはない。
「そうか。それは良かった。なら早速ついて来てくれるかい?」
ここは肩書戦争統括本部の隣。俺の知る世界で例えるならば、刑務所の隣にある公園だ。人通りも少なくないし、ここで騒ぎになるようなことが起きればすぐに人が駆けつける。それでも念のために多少警戒しながら、俺は男について行った。
関係者以外立ち入り禁止の看板の横を通り、階段を一つ上る。
「それじゃあ、まずはこれに目を通してくれ」
普通の、一般家庭にあるような扉を開き、中にある椅子に俺たちは座った。渡された一枚の紙には選手宣誓で使われる言葉が文章として記されている。運動会や体育祭で行われる選手宣誓とほぼ同じ内容だ。これといって代わり映えしない。
まあ、参加者は公認登録を済ませている者に限るし、それほど危険ではないのだろう。畏まった格式ある戦いというよりは、お祭り騒ぎと考えた方が良いのかもしれない。
「何か不都合なことは?」
「今のところは大丈夫ですが……これは、全部俺一人で?」
「いいや、君を含めて三人に頼んでいる。他の二人は別室で待機してるよ」
全文の三分の一で破線が一直線に紙を横切っており、三分の二の地点でも同じように破線が横断している。俺が担当するのはこの真中の部分だ。
初老の男が出した飲料を喉に通す。薄い茶色に透明のグラスときたら麦茶だ。日本人としての習慣が無意識の内にそう考えてしまったのか、俺は口に含んだ飲み物が麦茶だと信じて疑わず……思いっ切り噎せた。何だこれ、甘い。苺と珈琲を混ぜたような味がする。
「その飲み物はここの名産品だよ。口に合わなかったかい? ちなみに私もそれは嫌いだ」
「じゃあ何で俺に出したんだよ!」
「処理してくれるかと思ってね」
馴れ馴れしいな、この男……!
ちびちびとこの町の名産品である飲み物を口に含む。甘ったるいが不味い味ではない。若干のベトつきが気になるが、飲めない物ではなかった。
「ふむ、そろそろかな」
初老の男が腕時計を一瞥し、天井を仰ぎ見る。
次いで、俺たちの頭上にあるスピーカーから音声が流れた。公式大会の参加者たちに向けられた放送だ。よく通る聞き取りやすい女性の声が暫く響き、同じ言葉が最初から繰り返されると同時に階下から振動を感じる。
「ほら、君も行って来い」
フィアといい、この男といい、肩書戦争の運営側はどうも一方的な物言いだ。
俺はほぼ意地のみでグラスの中身を飲み干し、溜息をともに立ち上がる。
「……ああ、そう言えばまだ名乗ってなかったね」
部屋を出る俺の背に男が語りかける。
「私はアクセン。詳しくは……まぁ、サポーターにでも聞いてくれたまえ」
ドアノブを引いたままの状態である俺にそう告げ、アクセンと名乗る男は片手を振る。愛想の良さそうな笑顔だが、そこには年寄り臭いのらりくらりとした感情が含まれていた。祖父母が孫を送り出すような初老の態度に、俺は社交辞令として頭を下げてから部屋を出た。
「何なんだあの人……」
閉じた扉の向こうにいる男に聞こえないよう、小声で呟く。
階段を降りると、右手に関係者以外立ち入り禁止と書かれた看板がある。選手宣誓を任された参加者は通常とは異なる通路を利用するので、俺は左手の道へ進んだ。
狭い道の突き当たり、目的の扉を発見する。
「失礼しま――うわっ!?」
ドアを開けた途端、その騒々しさに驚いた。ザワザワとした人々の話し声が大幕の先から聞こえてくる。少し奥へ進んでみると、数え切れない人の姿がそこにはあった。
不意打ちを貰ったが、恐らくここは既に壇上の裏側なのだろう。
見下ろした先にある光景に思わず全身を震わせる。
「あんたもここに呼ばれたわけ?」
呆然とする俺に、一人の少女が声を掛けてきた。パイプ椅子に座った少女は身体をこちらに向け、サラリと髪を靡かせる。
「選手宣誓を任されたって意味なら、そうだな」
「見たことないわね。新人?」
「まあ、な」
この場には俺と目の前の少女しかいないみたいだ。
燃えるような赤髪に目を奪われながらも、俺は頷く。人間の髪は本来ならば、赤や緑といったカラフルな色にはならない。ジルヴァーニに来てからはその都度思うのだが、俺の知る世界の人間と、他所の世界の人間とだと根本的に何かが違うのかもしれないな……。
最も、中には染めているだけの人もいるかもしれないが。
「新人がいきなりこの場に立つなんて、珍しいわね。……と、そろそろ時間みたいよ」
大幕の向こうが静まり返り、開会式が始まる。初老の男ではない、更に年をとっていそうなしわがれた男性の声が反響する。開始早々の世間話はなく、学校の運動会や体育祭と違って、早くも俺たちの出番が回ってきそうだ。
「あれ、もう一人は?」
ぐるりと周囲を見るも、やはりこの場には二人しかいない。
アクセンから聞いた話だと、選手宣誓は三人で行う筈だが……。
「まだ来てないわ。遅刻確定ね」
何故だか楽しそうにする少女のノリに俺はついて行けなかった。そうこうしている内にも開会式は着々と進み、ついに俺たちの出番となる。
「あ、やべ。緊張してきた」
「今更どうにもならないでしょ。さっさと行くわよ」
怖気付く事無く、堂々と大幕の先に出る少女。
俺は掌に三回「人」と字を書き、それを飲み込む素振りしてから後を追った。
「……ある意味、絶景だな」
壇上に立つ俺たちに、多くの視線が注がれる。
見渡す限りの人、人、人の光景。壮観でありながらも、彼らを見下ろしているという事実が一種の快感となって押し寄せてくる。カラフルな頭髪をした人の群れは、映りの悪いテレビの画面を見るようで少し気持ち悪い。万年帰宅部である俺も諸事情により数回程、学校の講堂でこのように壇上に立つ機会があったのだが、そのときとは比べ物にならない感激がある。
赤髪の少女が壇上の中心に立つ。その際、黒スーツを纏った白髪の老人にマイクのようなものを持たされるのを尻目に、俺は眼下の参加者たちが話している内容に耳を傾けた。
三人目がいない。聞こえてくる喧騒の殆どがその内容だ。時折俺に向けて「怖い」だの「やばい」だの言ってくる輩もいるが、彼らはひと睨みすれば黙ってくれるのでまだいい。問題は三人目の所在であり、壇上に立つ他の関係者たちも焦燥していた。
「……ん?」
唐突に、俺は周りが暗くなったと感じる。太陽が雲に隠れたのかと思いきや、どうやら暗いと感じているのは俺らしく、眼下の参加者たちは一様に俺の頭上を指差していた。
直後――ズドン、と人影が落ちてきた。
「いやっはぁぁぁぁあぁぁぁあぁぁぁ――ッ!!」
降ってきた男が奇声を上げ、俺は思わず両耳を手で塞いだ。あまりにも突然過ぎて心臓の鼓動が息苦しくなるまで加速する。何だこいつ、誰だ、というかどっから来た!?
一歩二歩と後退った俺の前で、男は競歩の如き早歩きで赤髪の少女に寄る。
何をするかと思えば、マイクらしき物を少女から強引に奪い取り、こう叫んだ。
「ようこそ諸君! 俺様の門出を祝ってくれて、ありがとよ!」
大勢の観客を前にして、その男は一切物怖じない。
それどころか、全てを敵に回しかねない発言をしてみせた。
「俺様はガラム・イステッド!! 肩書は『目立ちたがり屋』の『格闘家』『高校生』だ!!」
あっさりと所持する肩書を言ってのけた、ガラムと名乗る男。会場は一瞬鎮まり返り……次の瞬間、大きく揺れた。それは何も眼下に集まる参加者たちだけでなく、俺たちの立つ壇上も同じだ。少女が不機嫌さを露わにして男にガンを飛ばし、他の関係者たちが必死な形相となって男を舞台裏へ引きずり込もうとしている。見て分かる通り明らかに異常事態だが、経験の浅い俺はここで何か行動を起こすこともできず……。
「そこのお前! ――引き立て役、ご苦労!」
ガラムが俺を標的に見定め、ただ一言そう発した。
俺は男の物言いに、カチンときた。
普段温厚な俺がこうも簡単に沸点に達してしまったのは、わけがある。
引き立て役……嫌な言葉を使ってくれる。俺が英傑と共にヒーローごっこをする度に、いつも悩まされていたことだ。どれだけ頑張っても、何を考慮しても俺は常に英傑の引き立て役で終わってしまう。そんな気は更々なくとも、いつの間にかそうなってしまう。
考え様によっては、俺は引き立て役を止めるために肩書戦争に参加したんだ。
引き立てるのは自分だ。俺は英傑ではなく、俺自身をヒーローにしたい。
そう思うと、無意識に口が開いた。
「誰が引き立て役だ」
予想外の反論だったのか、ガラムが目を丸くする。言い合いになる予感がしたのだろう、関係者の一人が俺に荒波を立てないよう注意してきた。
「おうおう。お前、俺様に口答えするってか。……中々いい度胸してるじゃねぇか」
「知るか。お前ほどじゃねぇよ」
橙色のオールバックヘアーを更に際立てるかのように、ガラムが両手で髪を整える。ギラギラとしたブラウンの瞳が睨んでくるが、俺は上等だと言わんばかりに睨み返した。
「名前、何て言うんだ?」
ざわめきが広がる中、ガラムの声はよく聞こえた。
「萩一真司だ」
「そうかそうか。……ははっ、面白ぇなぁオイ。前哨戦、いっとくか?」
ガラムの纏う雰囲気が変わった。攻撃的な、獣のようなそれはジリジリと肌を焦がす。俺はその空気に鉄球女の姿を思い出し……おいちょっと待て。まさか、ここで何かぶっ放すとか流石にないよな? いくらなんでも迷惑過ぎるぞ?
「――『魔術師』」
ゴウッ、と大気が燃えた。
唱えられたその肩書の効果が発動されたとき、俺は視界一杯に「蒼」を収めた。酸素を糧に轟々と燃え盛るそれはまさしく炎だが、俺の知る炎とは違い、目の前に広がる炎はただひたすら蒼かったのだ。バーナーの内炎に見られる半透明の青さではなく、もっと濃い、青色の絵の具のような、純粋でいて暗がりを思わせる深い色が煌めいている。
唱えたのはガラムではなく、赤髪の少女だった。
蒼炎は俺とガラムの間を遮るように立ち塞がり、観衆の誰もが閉口したのを確認してから、ひっそりと姿を霧散させる。
「はい、仕切り直し」
身体の奥底にある風船が一息に萎んだ感覚だった。先程までの苛立ちはどこかへ消え、あるのはただ「やってしまった」という後悔だけだ。
下を向いていたガラムが顔を上げると、そこには子供のような笑顔があった。
「お前も、中々面白そうだな……!」
「あんた、目立ちたがり屋というよりも戦闘狂ね。生憎私にその趣味はないわよ」
そいつは残念、とガラムが両手を広げておどける。
赤髪の少女にマイクらしき物を抵抗することなく奪われ、再び俺の方を向いた。
「おい。萩一真司」
「なんだよ」
「その面、覚えたからな」
沈んだ声色だった。妙な迫力を発しながら、ガラムは口を閉ざす。獰猛な獣が、餌を見つけて涎を垂らすモノとは、少し違う。喰らうためではない。獣が、同じ獣を見つけた時、舌舐めずりをして戦いに挑むような。そんな気配を感じた。
無言でガラムの言葉を聞き届ける。
俺だって、こいつの面は覚えた。
「――選手宣誓!」
赤髪の少女の甲高い声は、誰にも遮られることなく会場に響いた。




