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肩書戦争  作者: サケ/坂石遊作
一章 不遇のヒーロー
12/16

日常は追いやられて(4)

 訳の分からない嫌疑によって、警官の追跡から逃れた俺は、すぐさま家に帰って爆睡した。こういうことに慣れつつある自分が、本当に悲しい。逃げている間、警察官の方々が「なんだその面は!」「本官を侮辱しているのか!」「ひっ!?」という台詞を、延々と繰り返していたことを思い出す。どうやら風の噂によると、この町の警官はすぐに自ら辞職してしまうそうだが、それは流石に俺のせいじゃないだろう。流石に。

 ともあれ、翌日。

 睡眠から目覚めた俺は、机の上に見覚えのない手紙が置いてあることに気づいた。


「この印があるってことは……」


 十中八九、肩書戦争絡みだ。疲れきったこの身には厳しいものだが、見ないと更に厳しい目に遭う気がするので起き上がる。ついに非日常は俺から安息を奪い取るつもりらしい。


 開会式のそれとは違い、差出人にはきちんと名前が書かれていた。

 差出人は白羽雪。右脇の取り消し線の下には薄っすらとフィアと記されている。

 手紙の内容は、一言で言えば「自業自得ですね」だった。拝啓に始まり敬具で終わる礼儀正しい手紙だが、大凡四分の三くらいは嫌味と俺への苦言。恐らく、これを書いている最中に流石に言い過ぎかと感じたのだろう、最後の方に潰れかけた文字で心配の言葉が綴られている。


 問題の英傑だが、手紙によれば肩書戦争には関わらせないようだ。

 気絶していたので問答無用で記憶を消した、と物騒なことが書かれている。

 どうやら白羽は、この記憶を頼りにして、事の顛末を知ったそうだ。人から奪った記憶は管理者に限り、ある程度ならば共有が可能らしい。事件性があるのだ。プライバシーの侵害も、やむを得まい。

 英傑について……というか、厳密にはあの場での事件については、手紙の内容だけでは少々物足りない部分がある。その辺りは直接会って話せば良いか……などと思っていると、案の定それを見越した白羽は、『後日、直接そちらに参ります』の一文をもってして、手紙を締め括っていた。


「由奈、おはよう」


 階段降り、洗面所で顔を洗った俺は居間で由奈と顔を合わせた。時刻は午前八時。特撮テレビは既に終わっているが、録画済みなので抜かりはない。


「昨日、相当疲れていたみたいだけど。もう平気なの?」

「余裕のよっちゃん」

「古い」


 力瘤を作ってみせる俺に、由奈は呆れる。


「あ、そう言えば今朝ニュースでやってたんだけど。隣町辺りで、ちょっとした暴行事件があったんだって。なんでも犯人、まだ捕まってないらしいよ」

「そりゃ、大変だな」

「もしかして、お兄ちゃん?」

「んなわけないじゃん。はっはっはー」

「……」


 なんでうちの妹は、こんなに勘が鋭いのだろう。

 由奈の言う抗争の件については、偽造隊とやらが何かしらの方法で事実を隠蔽したのだろう。警察が本気で捜査を始めたら、今頃俺は取り調べを受けているに違いない。……いや、待てよ。こんな風に、誤解から警察に追いかけられることは、今回が初めてではない。肩書戦争に参加する以前から、何度もあったことだ。と言うことは、俺が逮捕されないのは、肩書とは無関係なのだろうか。

 まぁ、いい。不都合ではないのだから、悩む必要はない。


「お兄ちゃん……今日は家でゆっくりしたら?」

「そうだな……うん。よし、決めた。今日はオフだ」


 もう何もかもがオフだ。今日の俺は完全フリーダムだ。部屋で特撮ヒーロー物のDVDでも鑑賞していよう。最近は戦争関係のせいで、全然消化できていないんだ。

 束の間の休息なのだから、うかうかしている暇はない。

 なんて考えていると、廊下の固定電話が音を鳴らした。


「お兄ちゃーん、英傑さんから電話ー」


 電話に出た由奈が、廊下から顔を出す。

 すぐに廊下に出て、受話器を受け取った。


「もしもし、英傑か?」

『うん。こんな朝早くから、悪いね』

「気にすんな。それより身体、大丈夫か?」

『え? 僕は別に、何もないけど……』


 ……ああ、成る程。

 手紙の内容だけではわからなかったが、どうやら、あの路地裏での一件。英傑は、そもそも現場にいなかったことになっているらしい。考えてみれば、英傑が病院送りになるようならば、由奈がこうして家でのんびりとしている筈がない。……偽造隊にも、限界があるみたいだな。揉み消せたのは、関係者の情報についてのみか。テレビで報道があるということは、事件そのものは誤魔化しきれなかったようだ。

 ヒーローを志す者としては、今回の一件はあまり気分が良くない。

 今回、俺は街の平和を脅かしたと言っても過言ではないのだ。


『真司……真司、聞いてる?』

「ん、あぁ。悪い。もう一回言ってくれ」


 英傑と通話中であったことを思い出し、俺は咄嗟に言葉を絞り出す。


『じゃあ、もう一度、言うけれど。……今日の午後、空いてるかな? 皆でピクニックに行く予定なんだけど、よければ真司たちも来ないかと思って』


 今日は空いているも何も、ほんの少し前に完全フリーダム宣言をしたばかりだ。当然予定は何一つ入っていない。だが、かと言って今日は予定を入れるつもりでもない。家でのんびり、部屋でまったりと過ごすつもりであった俺は、英傑の誘いに乗り気にはなれなかった。

 先日のお礼に、と思ったものの、肝心の英傑がそれを覚えていなければ意味が無い。


「由奈には伝えたのか?」

『先に真司に伝えた方が良いと思ってね。真司の口から頼むよ』


 妙なところで義理立てする奴だ。

 既に頭の中では体の良い断り文句が浮かんでいるが、俺はもう少し悩んでみる。折角の誘いだし、それに休日を部屋でゴロゴロと過ごすだけでは体力が無駄に感じるというか。

 悩んでいると、唐突に玄関で呼び鈴が鳴った。

 由奈が俺に目配せし、小声で「はーい」と返事をしながら玄関を開ける。


「朝早くから申し訳ありません。こちらに萩一真司様はいますか?」


 そこに立つ銀髪の少女の姿に、俺は思わず受話器を落としかける。

 フィア……じゃなくて、この世界だと白羽雪か。確かに手紙には後日こちらに足を運ぶとは書いていたが、まさかこんなに早く来るとは思っていなかった。

 受話器の向こうで英傑が何か言ってくるが、俺の耳にはイマイチ届かない。


「お、お兄ちゃん! 雪さん来たよ!」

「わかってる、わかってるから。今、電話中だから――」


 興奮気味の由奈が、電話の最中にも関わらず俺に顔を迫らせる。

 元々異性との出会いが無く嘆いていたここ数年だ。それがいきなり自室に美少女を誑し込むようになり、更に立て続けにもう一度と来た。家族として興味が湧かないわけがない。俺だって由奈が英傑を部屋に招き入れたら全力で詰問にかかる。


『真司、今の声ってもしかして……白羽雪さん?』


 聞こえていたか……。

 既に隠し切れない事実となった今、俺は観念して正直に話すことにした。


「ああ、そうだけど。どうした英傑?」

『あ、いや、特に何もないんだけれど……』


 英傑が歯切れの悪い返事をしている間にも、俺たちの攻防は激しさを増していった。具体的には、由奈が近所のおばちゃんのように「どうぞどうぞ」と白羽を家に上がらせようとしているところを、俺が必死に「待て早まるな」と忠告する。しかし、やたらと機嫌の良くなった由奈には俺の言葉が一切通じることなく、白羽は雪駄を脱いで我が家の敷居を跨いだ。


『真司、そ、その……ちょっと、白羽さんと代わってくれないかな?』

「白羽と? 別に良いが……」


 名前を出したことで、当の本人が小首を傾げてこちらを見る。


「白羽、英傑が代わって欲しいって言ってるんだけど」

「面倒臭そうなのでお断りします」


 見せつけた受話器に冷酷な視線が突き刺さる。今の白羽の言葉、英傑は聞こえただろうか。あいつは誰に対してもこんな感じだということを先に教えるべきかもしれない。


「英傑、すまん。白羽は今、猛烈にお腹が痛いらしい。今、ダッシュでトイレに向か――ぐふぅ!?」

「まだ寝ぼけているみたいですね。ショック療法は効きましたか?」

「す、すまん、腹が痛いのは、俺の方だ……!」


 ショックが強すぎる。確実に症状が悪化するレベルだ。

 白羽に殴られた腹を、俺は受話器を持たない左手で、擦り続ける。


『ええと、大丈夫?』

「ああ、大丈夫だ。とにかく、白羽は出られないらしい」

『そ、そっか。良かったら白羽さんも一緒に来て欲しいと思ったんだけど……』

「……珍しいな、お前が自分から、異性と友好を深めようとするなんて」

『そ、そうかな?』


 基本的に、英傑は性格と容姿が相まって誰にでも好かれる体質を持っている。それこそ、自分からは全く近づかなくても、ある程度は仲が深まるくらいに。だからこそなのか、英傑はあまり自分から何かに誘おうとすることが少ない。俺や由奈のように昔からの馴染みであれば話は別だが、ただの学友相手だと自ら接点を持とうとしないのだ。特に異性相手だと、その特徴は如実に現れる。


 一方の俺はというと、自分から接点を持とうとしても中々実らないことが多いというのに……これが交友関係に恵まれている奴と恵まれていない奴との差だと理解すると、無性に腹が立ってきた。羨ましい限りだ、ちくしょうめ。


「あと、俺も今日はちょっと無理そうだ」


 白羽が家に来たということは、きっとそういうことになる。これで俺の一日オフ計画も破綻だ。ピクニックは勿論、部屋でのんびりまったりもできそうにない。


「由奈は暇そうだし、多分行くことになると思う」

『わかった。一応、由奈ちゃんにも代わってもらえる?』


 なら初めから由奈にも話しておけよと思いつつも由奈に受話器を渡し、俺は白羽と向き合った。由奈が送り出すように手を左右に振る。

 俺は渋々、白羽を部屋へ案内した。


「それにしても、よく無事でいましたね?」


 念入りに部屋のドアが閉まったのを確認した俺は、前回のときと違って白羽に椅子を貸そうと考えることもなくベッドに座った。白羽は文句を言うこともなく、床に正座する。


「たまたま『高校生』の解除を忘れていて、たまたま『人見知り』の解除を思いついただけだ」


 無事というのは所詮、結果論でしかない。俺は明らかに一命を取り留めただけで、相手の男はただ機会を逃しただけ。頃合いを見てもう一度襲ってくる可能性は大いにあるし、次に俺が凌げる可能性は限りなく零に近い。


「あまり謙遜なさらず。退けるだけで今の真司様には十分過ぎる成果ですよ」


 感嘆の篭った声が発せられ、俺は苦笑した。

 舐められているわけではなさそうだが、納得したかと言われれば首を横に降る。

 これ以上自分を責める気にはなれず、白羽に八つ当たりをすることもできない俺は、自分なりに有意義な話題へと路線を変えることにした。


「肩書って、重複して発動できるんだな」


「一概にそうとは言えませんが、殆どは可能です。仮に特典の効果が矛盾する場合でも、後に発動した肩書の効果が例外として発揮されるケースがあります。真司様の場合、『高校生』の再使用待機時間が上手く噛み合ったのでしょう」


 『高校生』は連続使用が不可能なため、再使用まで一定の時間を置く必要がある。

 一度目に『高校生』が発動した結果、俺は遥と邂逅した。その時点で『高校生』は効果を消し、再使用待機時間に入る。『高校生』の再使用待機時間は凡そ三十分だ。恐らく、俺が『人見知り』を発動してから鉄球女に襲われるまでの間に、待機時間が消化されたのだろう。

 ほんの少しでも順番やタイミングが狂えば、俺は無事では済まなかった。

 あのときの俺は、まさに首の皮一枚の状況だったのだ。


「結局、あいつらはどうなったんだ?」

「残念ながら、逃亡されました。私たちも全力で捜索しているのですが……向こうもそれなりのやり手でして。恐らく、個人ではなく組織が関わっているのだと」


 肩書戦争絡みで組織と言われると、本部で目撃したあの頭の悪そうな組織ばかりが浮かんでくる。鉄球女がハーレム撲滅委員会とやらの会員だとしたら、流石の俺も笑う自信がない。


「肩書で一般人を攻撃って、こんな頻繁に起こるものなのか?」


 譲渡の刑が執行されたことにより、鉄球女の刑期は満了となった。彼女が出歩いていることに不思議はない。それにしてもなりふり構わなさ過ぎる。思い出すのは、あの鉄球女が、英傑がいたにも関わらず肩書を使用したこと。いや、それだけではない。後から現れた、宙に浮く男。あいつも、英傑に手を出した。

 法的には駄目だった筈だ。鉄球女はその罰によって檻の中にいたし、譲渡の刑だって執行されている。参加者ならば、肩書の重要性だって理解しているだろう。


「普段はそんなこと、ないのですが……向こうは本格的に、規則を守る気のない犯罪者集団ですからね。正直、こちらの常識は通用しません。今後も注意が必要です」

「そうか。……取り敢えず、『高校生』はもう使わない方がいいな」

「そうですね。争いに、巻き込まれる可能性があります。ただ、誤解なさらないで欲しいのですが……」


 少し言葉を選びながら、白羽が口を開く。


「『高校生』の正しい使い方は、それで合っています。法規を逆手に取って、一時的な安全を確保する。……真司樣は、所持による効果ばかりに目を向けているようですが、『高校生』の特典である【青春の絆】は、中々使い勝手の良いものです。……ですので、今回の件が片付くまでは、使用を控えるのは結構ですが、その、勘違いはなさらないで下さい。肩書とは本来、使用者によって十人十色の使い道が生まれる、非常に柔軟な武器なのですから。その使い道を自ら狭めることは、決して賢明な判断とは言えません」


 懇切丁寧に説明する白羽。

 以前、教会で会った時も同様だったが、白羽は俺のことを、本格的にサポートしている。少なくとも、惰性や義務感によるものではないだろう。


「ありがとう。参考になるよ」

「……当然です。私は優秀な管理人ですので」


 背中を押してくれる誰かがいるというのは、なんとも頼もしい。

 くるくると髪を指先で弄る白羽に、俺は小さく笑った。


「話が逸れましたね。本題に戻します」

「ああ。俺も、まだ訊きたいことがあるんだ」


 元の調子に戻った白羽に、俺はずっと、気がかりだったことを尋ねる。 


「あの、赤目の男について、教えて欲しい」


 正直、あの時ほど命の危機を感じたことはない。

 真紅の瞳を持つ男――アグナと呼ばれていたか。奴だけは、駄目だ。倒そうにも、現状、倒せる手札が存在しない。敵対してはならない存在だ。既に手遅れだが……。


「例の、鉄球女……本名はエルドラですが、彼女の仲間である可能性が高いです。名前は、アグナ、でしょうか。記録では、ベックテレンと名乗る男に、そう呼ばれていましたね。ともあれ、エルドラの仲間である以上、あの男が真司樣に干渉してきた理由も……同じであると、考えられます」


 鉄球女から奪った『人見知り』を、取り返すこと。

 いや――俺の、肩書か。


「真司様も、今後は非公認参加者への警戒を怠らないように注意して下さい。彼らはその気になれば、容赦なく人を殺します。参加者、一般人を問わずです」


 神妙な面構えで忠告する白羽に、俺は頷いた。

 肩書戦争の法規の一つに、参加者の区分について記されている項目がある。

 戦争の参加者は二つに大別できる。公認参加者と、非公認参加者だ。意味は文字通りで、公認参加者になるためには肩書戦争統括本部にて公認登録を行う必要がある。

 俺が以前、異世界に訪れたときはこの用件を果たすのが目的だった。公認参加者はジルヴァーニにある統括本部や各世界にある支部から様々な情報を得ることが可能であり、そして何よりも、催し物への参加権や施設の利用権が手に入ることが大きい。公式大会は言わずもがな、本部にあった闘技場や肩書銀行の利用も公認登録さえすれば許可が出る。

 しかし、同時に公認参加者はある制約を受けるのだ。


「殺人に対するペナルティが、無いんだよな。非公認は」


 今度は、俺の言葉に、白羽が頷いた。

 公認参加者は、同じく公認参加者を殺してはならないという鉄則がある。もし殺してしまえば、公認参加者が持つ特殊な力が作用して、相応の報いが与えられるのだ。それがどのようなものなのかは不明だが、事実として抑制力にはなり得ているらしい。

 このルールによって、公認参加者は肩書の強奪に殺人という手段を用いることはできない。

 一般的な倫理観の持ち主ならば、抵抗することもなく公認登録を済ませるだろう。俺だって殺人はするのもされるのも嫌だし、施設などを利用したいから公認登録は了承した。


 逆に言えば、公認登録を拒む輩はそれなりに後ろめたい手段を考慮しているということだ。

 非公認参加者は催し物に参加できず、施設や設備も利用できないが……代わりに、殺人に関する制約を受けない。その気になれば相手を殺すこともできる。

 故に、非公認参加者はあまりいい目で見られない。

 鉄球女が非公認参加者であることは前回、彼女が牢に入れられた時点で判明している。だとすれば、彼女の仲間である赤目の男も非公認参加者と見て間違いない。譲渡の刑の執行時、俺は鉄球女の肩書リストを読み取ったが、その中に『道化師』は存在しなかった。釈放から新たな肩書を奪い、俺への襲撃を成功させたと考えると時間的に無理がある。『道化師』の肩書は鉄球女の所属する組織が元から所持していたと考えた方が自然だ。


「でも、非公認自体は犯罪ってわけじゃ、無いもんな」

「そうですね。ただ、関わらないに越したことはありません」

「そうだな。……禄に自衛もできない以上、文句は言ってられない」


 ヒーローは差別しない。千差万別の大衆を、全て受け入れる。

 けれどそれは、ヒーローがヒーローとしての強さを有しているからだ。今の俺では、首を突っ込むだけで死を招く世界が五万とある。ヒーローと言えど、積み上げの時間は必要だ。馬鹿な真似をして、命を散らすことはない。

 それに、こんな俺でも、心配してくれる人がいる。ヒーローとは関係無しに、そういう人たちには悲しんで欲しくないのだ。……目の前の白羽も、その内の一人だ。


「さて。それでは、そろそろ次の話題に入りましょう」

「次?」


 この辺で会話は終了するとばかり思っていたので、少しばかり驚いた。


「ええ。たかがお見舞い程度で、腰を持ち上げる私ではありません」

「腰が重いんだな」

「は?」

「待て! ちょっと待て! 慣用句! ただの言い回し! 文字通りの意味じゃないから! だからその鎖を向けるの止めろ! 先端尖らせるな!」

「……今、辞書で調べます」


 どこから取り出したのか。白羽は分厚い辞書を手に取る。

 そして、何時になく真剣な眼差しで、言葉を調べていた。


「本当、みたいですね」

「わかってくれたか……」

「申し訳ありません。日本語はどうにも、難しくて」

「そんだけ流暢に使っていて、良く言う」

「基本的な対話は、肩書の効果で翻訳できますから。ただ、その言語特有の言い回しなどは、流石に翻訳しきれません。……しかし、それも言い訳ですね。結局は私の勉強不足です」


 反省の意味も込めてか。白羽はペンで、辞書の該当する箇所にマークした。

 パタン、と音を立てて辞書を閉じる。白羽はそれを、背中の方に回した。身体を傾け、こっそり、白羽の背後へ目を通す。案の定、そこに辞書は無かった。


「さて。それでは改めて、用件をお伝えします」


 気を取り直した白羽に、俺も話を聞く体勢を取る。


「――開会式です。今から行きましょう」

「毎度毎度、いきなり過ぎる」


 一気に疲労感が押し寄せてきた。

 そしてそれに慣れつつある俺がいる。大丈夫か? 俺の頭は一般人のそれと大差ないよな? 鍛えぬかれた自身の精神が逆に心配だ。


「ちなみに冗談ではなく、本気です」


 本気と書いてマジと読んだか。そういう日本語は知っているんだな。だから何だって話だが、とにかく白羽が嘘や冗談の類を言っていないことは、理解した。


「でも、俺には何の知らせも来てないぞ?」

「開会式前後の襲撃は運営側でも問題視されていまして……日程については、当日まで内密にされる上、運営関係者による口頭でしか伝えられないようになっているのです」


 それで、初めから開会式を狩りの場と見ている連中を出し抜こうというわけか。

 最も、俺の場合は既に襲われた後なのだが。


「それで、いつまでそんな格好でいるんですか? 早く行きますよ」

「話を聞いてからまだそんなに時間経ってねぇよ」


 寝起きの俺が身に纏うスウェットが白羽には不評らしい。

 まあ、いくらなんでもこれで開会式には行けないよな。


「着替えるから一度部屋の外に出てくれ」

「別に見られて困るものでも無いでしょうに」

「見せるものでもないだろ」


 相変わらずドライな対応だ。種族は天使だと言っていたし、もしかすると白羽は俺の想像を絶する程の長い人生を歩んできたのかもしれない。つまり、白羽はその風体によらずかなりの年寄りということになり、恐らくそういった情事に対しては枯れているのだと思われ――。


「何か失礼なことを考えてませんか?」

「気のせいだ。早く出てくれ」


 極めて冷静に言ってのける俺に、白羽の不信感が突き刺さる。

 部屋の扉が閉じられた後、俺は外出用の私服へと着替えた。


「意外と、肩書戦争って複雑なルールしてるよな」


 嬉々としてピクニックの準備をする由奈を横目に、俺は靴を履いて玄関から外に出る。白羽は優雅に片足ずつ雪駄を履き、緩んだ和服を正してついて来た。


「歴史の深さと規模の大きさが原因でしょう。ただ、各世界の娯楽文化を参考に作られていることは確かですね。この世界で言うと、ゲームなどが良い例です」

「確かに、レベルとか経験値とかは如何にもそんな感じだよな」

「おかげで感覚的に捉えることできます。これも神様のお慈悲です」


 或いは単に神様がゲームなどといった娯楽文化にハマっているのか。あまり後者の可能性は考えたくない。そんな俗物的な神様を信じていいのか不安になってしまう。

 家を出た俺たちは、やはり例の公園へと向かった。

 やけに視線を受けると思ったら、それは俺ではなく白羽に対してだと気づく。傍から見て、今の俺たちは公園デートをしているカップルのように見えるのだろうか。俺は悔しそうな顔でこちらを覗き見る少年にドヤ顔で返事をした。


「では、門を開きます。招待状は持ってますね?」


 ポケットから取り出した紙を靡かせ「当然」と頷く。

 話に聞いた通り、ここから先は俺一人で行かないといけない。白羽が手伝ってくれるのは門を開くところまでだ。不安がないとは言い切れないが、俺も男。ここでへこたれるようでは肩書戦争で勝ち上がることなんて無理に決まっている。


「開いてくれ」


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