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肩書戦争  作者: サケ/坂石遊作
一章 不遇のヒーロー
10/16

日常は追いやられて(2)

 異世界ジルヴァーニに行って、俺は自分の無知を自覚した。

 そして、無知が危険であることを理解した。幸い、肩書戦争は公認参加者への対応は親切だ。しかし、情報源だけ持っていても、それを活用できなければ意味がない。なら、どうするか。……遠くのモノに手を出す前に、まずは身近なモノに手を出すべきだ。つまり――。


「げっ」


 停留所に向かう最中、俺の目の前で一台のバスが通過した。……俺が乗るつもりだったバスだ。

 今から走れば間に合うかもしれないが、ふと俺は、先程の考えを思い出す。


「いや……丁度いいか」


 今のうちに肩書の特典を試してみよう。

 真っ先に知るべきは、自身の力。知識よりも、経験だ。

 停留所をそのまま突き進み、俺は肩書リストの提示を脳内に呼びかける。まずは『高校生』から試してみよう。こちらは過去に一度だけ発動したことがあるが、あれは偶然という可能性もある。反面、ここで発動して効果が現れたら必然である可能性が高い。

 ここは隣町だ。この町に住む友人となると限られてくる。


「『高校生』、発動」


 通行人に聞こえないよう、小声で唱える。

 その特典である【青春の絆】は複雑な効果を持っていた。

 資料によれば、引き寄せることのできる友人は自分の最短距離にいる者だけとのことだ。複数の友人が周辺にいる場合でも、この特典の効果が発揮されるのはあくまでその一人のみ。発動条件も存在するようで、既に友人がいる状態では発動できないようだ。厳密には傍にいる友人が最短距離となるから、発動は可能だが効果は成さないということになる。

 不発に終える条件は……確か、五分以内に出会える相手がいない場合だったか。

 逆に五分以内に会えるのであれば、距離も時間も関係ないらしい。


「――真司さんっ!?」


 自分の名前が呼ばれたことに、特典の効果が発揮されたことを悟る。

 いや、しかし……これも偶然ではないのか? 

 効果が地味な分、どうしても実感が沸かない。発動と解除の際に奇妙な感覚を味わう他、今のところ俺が肩書の効果を実感できる要素はなかった。

 まあ、それも次の肩書では通用しない。

 もう一つの肩書である『人見知り』の特典は、発動すれば必ず効果を実感できる。それ程までに、この肩書は本来あり得ない現象を引き起こすのだ。

 鉄球女が手放したくなかったのも納得できる。

 そこまで考えて……俺は、漸く呼びかけられた声に振り向いた。


「あれ、姫?」


 そこにいたのは三人組の女の子だった。見た目からして中学生くらいか。その中に見知った顔があることに気づき、ほぼ無意識に浮かんだ愛称を口に出す。


「そ、その呼び方はもうやめて下さい!」


 顔を真っ赤にしてわたわたと慌てる彼女は、人形のような容姿をしていた。

 白いひらひらのついた衣服。そこから覗く肌もまた色白く、弱いウェーブのかかった金の髪が美しく映える。大きな碧眼は丸く、小さな顔の上でキョロキョロと動いていた。あまり肌を外に見せない服装は、生まれつきの病弱な体質が原因だろう。それを見越して俺と由奈が命名した「姫」という渾名は、やはり彼女にはぴったりだった。


「悪い悪い。……久しぶりだな、遥」


 顔つきに英傑の面影があるのも当然。

 彼女の名は直江遥。正真正銘、直江英傑の実妹だ。


「お久しぶりです真司さん」


 白羽といい、遥といい、今日は色んな人と再会している。

 最近は身体も丈夫になったきたようで何よりだ。家から一歩も出ることのできなかったあの頃の遥を知っている俺にとって、感慨深いものがある。


「今日は友達と買い物か?」

「はい。途中までは兄さんも一緒だったんですけど――」


 その台詞に、俺は思わず頬を緩める。

 同時に、遥はハッとして、自ら口元を手で塞いだ。


「心配しなくても、遥の大切なお兄ちゃんを取るつもりはないよ」


 今の俺は、相当、心優しく微笑んでいるのだろう。

 遥は昔、常に英傑の後ろについて行き、お兄ちゃんお兄ちゃんと甘えていた。病弱で家に篭りっきりで、あのときの遥は英傑しか頼れる相手がいなかったのだろう。なのに、俺は彼女の事情を顧みることなく英傑をヒーローごっこに誘った。俺たちが味を占めたのをいいことに、無神経に遥から英傑を遠ざけたのだ。

 私のお兄ちゃんを取らないで……そう言われて、俺は初めて自分の過ちを自覚した。


 そして、現在――遥は相変わらず、お兄ちゃんが好きらしい。

 俺は、なんだか温かい気持ちになった。カルガモ親子を眺めている気分だ。可愛いよな、アレ。ずっと見守ってやりたいというか。幸せに生きて欲しいと、思わず願う。


「ち、違います! 私べつに、そんなつもりじゃ……」

「無理すんなって。あの頃はごめんな」

「だから誤解です! ああもう、絶対こうなるから兄さんのこと話すの嫌だったのに……」

「その兄さんっていうのもさ、本当はお兄ちゃんって呼びたいんじゃないのか?」

「……もう良いです。何のために変えたと思ってるんですか……真司さんの馬鹿」


 素直じゃないなぁ、遥は。だがそれすらも、可愛らしい。

 目を逸らす遥の代わりに、俺は遥の友人たちからの視線を感じた。

 遥の背中に身を隠すように屈んでいる二人は、俺と目が合うとサッと顔を背ける。


「は、遥ちゃん。その人……誰?」


 二人は顔を真っ青にして遥に尋ねた。

 止めてくれ、そんな今にも死にそうな目をしないでくれ。

 俺は額に手をやって、行き場ない感情を息に乗せて吐き出した。そうだよな、それが普通の反応だよな。英傑と同じく、付き合いの長い遥が例外なだけだ。


「も、もしかして、遥ちゃんがいつも言ってるあの人?」

「えっ、あの男らしくて格好い――ぐむぅ!?」

「わあああああああ!? すみません失礼しますぅぅぅぅ!」


 友人の口を押さえ、遥は逃げるように去って行った。

 今の友人二人の反応……あれはやはり、遥が俺のことを噂しているということか。怖いとか気持ち悪いとか、散々言われているのだろうか。……想像したら涙が出てきた。

 周囲から喧騒が遠退いたことで、俺は本来の目的を思い出した。


「取り敢えず、『高校生』は成功ってことで」


 助けが欲しいときには上手く活用できるかもしれない。

 しかし、その場合は友人を巻き込むという罪悪感に苛まれることになる。呼び寄せた友人が肩書戦争の参加者とも限らないし、穴の多い肩書だ。レベルを上げれば効果も改善されるが、そのためには恋人を作る必要がある。狙って作れるようなら今頃ハーレムだ。

 閑話休題、俺は次に『人見知り』の特典を発動しようと思ったが、その効果を実感できる環境が見当たらなくて右往左往していた。『人見知り』の特典は【拒絶空間】と呼ばれるもので、効果は人を寄せ付けないという単純明快なもの。『高校生』とはまさに逆位置にある肩書だ。

 ただ、この効果は傍に他人がいると意味を成さない。『高校生』の場合は友人という狭い範囲でしかなかったが、『人見知り』の場合は自分以外の誰かがいる時点で失敗となるのだ。


「休日の昼間だしなぁ……どこもかしこも人だらけだ」


 国道から離れてみても、人っ子一人いない場所は見当たらなかった。

 この肩書は元々人通りの少ない場所で発動することを勧められている。

 効果の確認は簡単だ。発動後、適当に騒いだりしてわざと人を誘い出せばいい。あからさまに不自然なくらい人が寄り付かなければ、成功ということになる。

 鉄球女に襲撃されたあの公園での違和感の正体は『人見知り』の特典で間違いないだろう。あれだけの大惨事にも関わらず誰も騒がなかったのは、この肩書が俺たち以外の存在を引き付けなかったからだ。肩書がレベル二であることも何か関係しているのかもしれない。


「……結局、ここか」


 つくづく、路地裏とは縁があるようだった。

 既に自宅の近所だ。商店街の入り口付近にある路地裏は相変わらず薄汚く、歩く度に埃が舞う。思い返してみれば、ヒーローごっこで初めて活躍したのもこの場所だった。

 もしかして、この町って治安が悪いのだろうか。

 自分から進んで首を突っ込んでいる分、そう感じているだけかもしれないが。


「『人見知り』、発動」


 狭苦しい路地裏に声が反響する。

 同時に、紫色の波紋が俺の身体から放出された。それは俺を囲うように広がり、一定距離に達すればピタリと停止する。そうして生み出された紫色の結界は、恐らくこの肩書の効果範囲だろう。公園では見かけなかったことから、結界は使用者にのみ視認できると思われる。


 俺は表通りに近づき、通行人の様子を観察した。

 肩書の効果は如実に現れている。通行人は何かを察知しているのか、結界内に足を踏み入れようとしない。試しに声を出して呼びかけてみたが、見向きもしなかった。


 鉄球女がこの肩書を手放したくなかったのは……多分、肩書戦争のルールが関係する。

 基本的に、肩書の力は無関係者に認識されてはならない。肩書は神秘系統、または科学系統の技術とは一線を画する特殊な力だ。一般人がそれを知れば自身の価値観が崩れることは避けられないし、下手に巻き込まれると厄介なことになる可能性がある。肩書の情報は戦争の優劣を大きく左右する。一般人であっても十分に利用価値があるのだ。

 管理者はそういった不祥事のために存在する。

 巻き込まれた一般人に対し、管理者は二通りの手段をもって事態を収拾するのだ。一つ目は記憶を失わせ、元の日常へ送り届けること。二つ目は肩書戦争の全てを教え、一般人を参加者として迎え入れること。俺が受けたのは後者の措置である。


 この【拒絶空間】を上手く活用すれば、無関係者と距離を置くことができる。目当ての獲物だけを誘き寄せることに成功したら、思う存分に肩書の力を発揮できるのだ。

 言うなれば、戦いの舞台を整えるための肩書。

 そして、奇襲や後ろめたい手段では特に効果を発揮する肩書だ。

 実際、俺もこの肩書のせいで危うく死にかけたしな……。

 犯罪者にはうってつけの肩書だ。悪用されたらたまったものじゃない。

 いつまで経っても他人が結界内に足を踏み入れる気配はしない。『人見知り』の試運転も成功だ。人が見ていないのを良いことに、俺は「うーん」と大きく伸びをした。

 埃を取り払った壁に背中を預け、空を仰ぎ見る。 

 静かな場所で落ち着きたかったり、態勢を立て直すときにも使えるかもな……。


「――あはは、やっぱり油断してる」


 弾むようなその声に、心臓が飛び上がる。

 開いた口が塞がらなかった。『人見知り』の特典はまだ発動している。なのに、何故自分以外の誰かが結界内に忍び込んでいるのか。

 そして……どうしてそこにいる人物が、彼女なのか。


「久しぶりじゃない。約束通り、奪い返しに来たわよ」


 艶のある黒髪。凹凸のある体型。色気を感じさせる声遣い。

 右手に鎖を巻き付ける彼女は、紛れも無く鉄球女だった。


「本当に今日は、色んな人と再会する日だな……!」


 少なくとも、この女とは再会したくなかった。願わくば二度と会いたくないくらいだ。

 全神経を注ぎ、鉄球女の右腕の動きに注意する。

 あの鉄球が直撃すればひとたまりもない。かと言って防げる物もない。ならば避けるしかないのだが……この狭い道では、それすらも不可能に思えた。


「お前、どうしてこの中に入れたんだ?」


 苦し紛れの質問に、鉄球女はニタリと笑う。

 無駄な時間稼ぎと分かった上で、答えようとしているのだ。


「肩書ってね、意外と欠点が多いの。あなたが今発動している『人見知り』の効果は、周辺の他人を寄せ付けない空間の形成。でもそれって、つまり人々の本来の動きを阻害してるってことでしょ? だから、私はただ……不自然に動く人間を探しただけ」


 あんな風にね、と鉄球女が背後にある路地裏の入り口を親指で指す。

 警戒を張り巡らせながら見てみると、一人の男性が今にも路地裏に足を踏み入れようとしている。しかし……止まった。紫色の結界に触れる直前、不自然な動きで後ろに下がる。

 首を傾げて立ち去る男性に、俺は冷や汗を垂らした。


「肩書の本質は、資格。あなたは高校生として学生生活を謳歌する資格を持ち、人見知りとして他人を遠ざける資格を持っている。けど、それを行使するのはあくまであなた自身よ。資格を持っているからといって、本人が未熟なら宝の持ち腐れになってしまう」


 俺は、肩書の特典は発動さえすれば効果が保証されると思っていた。

 けれど、鉄球女の説明に確信する。肩書は強力な力を持ち、人間の人生を呆気無く左右する代物だが……絶対ではない。

 肩書は武器なのだ。与えられた力をどう扱うかは全て自分の裁量で決まる。下手な扱いをすればかえって自分の首を絞めることになるし、使いこなせなければガラクタに成り下がる。逆に、扱いに長ければ頼もしい味方になるだろう。

 お前には、肩書を扱うための実力が不足している。

 鉄球女は、暗にそう言ったのだ。


「……だとしても」


 ヒーローは絶対に諦めない。決して屈さない。

 背負ったものを全て受け入れ、投げ出すことなく最後まで走り切る。俺が求めている肩書とは……そういう奴に、なるための資格だ。

 振るえる膝を叩き、眼前の敵を捉える。

 公園での奇襲と違い、今の俺には明確な戦う意志というものが存在していた。

 肩書戦争に参加した俺なりの覚悟だ。最後まで抵抗してやる。


「諦めてたまるか!」


 ああ、俺……死んだかも。

 諦念する脳とは裏腹に、俺の身体は鉄球女へ疾駆した。

 鉄球女の右腕が振り翳される。ジャラジャラと音を立てて伸びる鎖。路地裏の闇から顔を出す鉛色の塊。コンクリートを引っ掻く刺は、敢えて注目しなかった。


「――真司!」


 そのとき、俺は無意識の内に脳内で肩書リストを開いていた。

 次に、俺は肩書を発動するときと、待機状態に戻るときに感じる不思議な感覚を思い出した。

 俺は今日、何度あの感覚を味わった?

 二度だ。『高校生』を発動するときと、『人見知り』を発動するときの二回……。


「英傑ッ!」


 路地裏に堂々入り込んできた親友の名を、俺は叫ぶ。

 湧き上がる興奮。開かれる活路。絶望が希望に上書きされていく。

 脳内で明かりを灯す『高校生』の肩書に感謝しながら、俺は続けざまにこう言った。


「そいつ……悪い奴だ!」


 *


 唐突だが、ここでヒーローごっこについて語りたいと思う。

 これは俺が七歳の頃に発案したもので、簡単に言えば、特撮テレビに出てくるヒーローの真似事をする遊びだ。悪を滅し正義を体現するヒーローに、幼い俺は一目惚れしたのだ。


 最初は俺一人で活動していた。覚えたての「パトロール」という言葉を何度も用いて町中を駆け回り、悪を滅ぼさんと日々正義に燃えていた。

 半年後、親友である直江英傑が新たなメンバーとして加わった。以降ずっとメンバーは変わることなく、凡そ六年もの間、俺と英傑は一緒にヒーローごっこをしていたことになる。たまに近所の悪ガキに協力を要請したこともあったが、基本的には俺たちだけだ。


 活動範囲は、子供のそれとは思えないほど広かった。当時から度々家を空ける俺の両親に加え、預け先である英傑の両親も遥の出産で忙しかったのだ。他所の子と比べ、俺たちは親の監視が緩かったのだろう。具体的には隣町の端までが俺たちの活動範囲だった。


 そんなヒーローごっこにも、始まりの合図というものがある。

 考えてみれば当然だ。俺がいきなり「ヒーローごっこしようぜ!」と言ったところで、当時の相方である英傑は狼狽えるだけだろう。なにせ、役者が揃っていない。悪を滅ぼす役者は俺と英傑で足りているが、肝心の滅ぼすべき悪がいないのだ。これでは始めようがない。

 代役では意味がない。いや、ごっこ遊びなのだから本来は代役があって当然なのだが、俺と英傑は代役を殴ったところで満足はしない。滅ぼすべき悪の存在は何よりも重大だった。


 だから、合図は滅ぼすべき悪を見つけたときに言う決まりになった。

 内容は実に簡単。

 俺と英傑のどちらかが、滅ぼすべき悪を指差してこう言うのだ。

 そいつ、悪い奴だ……と。


 *


 路地裏に木霊する俺の声を聞いて、英傑の目の色が変わった。

 その碧眼は鉄球女の顔を見て、次に彼女の全身を見て、最後に右腕から伸びる鎖を見た。

 直後、普段の親しみやすい英傑が消える。

 その瞳に燃えるような情熱を宿した英傑は、全身を満遍なく紫の結界に浸した。

 この瞬間、ヒーローごっこが始まった。


「――っ!?」


 鉄球女が驚愕の声を上げる。

 それは、無関係者が堂々とこの場に立ち入って来たからか。それとも、俺が素っ頓狂なことを叫んだからか。或いは……ただの通りすがりだと思っていた相手が、いきなり自分に殴りかかって来たからか。

 英傑の拳が鉄球女へと迫る。

 驚きに顔を染めたまま、鉄球女は右腕の鎖を引き上げた。

 しかし、その動きには迷いがある。肩書の力を無関係者に認識させるのはルール違反だ。既に一度それを破った彼女は、罰として俺に肩書を奪われている。

 ここで肩書の力を使うべきか否か、躊躇しているのだろう。

 鉄球女が俺から目を離し、背後の英傑へ振り返った。

 だがそれは、俺に背を向けるということだ。


「もらいッ!!」


 俺は鉄球女の右腕ではなく、そこから伸びる鎖を掴む。そして全力で下へ引っ張った。

 重心が右に崩れる鉄球女に向かって、放たれる英傑の拳。


「ぐぅ……!」


 呻き声を漏らす鉄球女に、英傑は視線を俺に寄越した。

 そうだ。ヒーローごっこでは、いつも俺が英傑に指示を出していたんだっけか。

 英傑は一度距離を置こうと考えている。相手が女性であることと、今の一撃に手応えを感じたからだろう。それでも俺は、英傑に追撃の意を伝える。


「まだだ!」

「了解!」


 相手は肩書所持者だ。この程度では安心できない。

 かつてのヒーローごっこと同じように、英傑は俺の指示に疑うことなく従った。

 これはヒーローごっこではなく、肩書戦争だ。頭ではそうわかっていても、俺の身体はすっかりヒーローごっことして行動していた。一年以上のブランクがある筈だが、俺と英傑の共闘はまるで廃れていない。頭で考えるよりも、身体が勝手に動いている。


「調子に乗るな!!」


 鉄球女が吠え、右腕を振り上げる。

 俺はジャラジャラと引かれる鎖を右手で握り締め、腰を屈めて踏ん張った。しかし、次の瞬間……驚くことに、鉄球女は俺の身体ごと鎖を持ち上げた。

 宙に浮く俺の姿に英傑は動揺するが、すぐに持ち直す。

 俺たちのヒーローごっこは苛烈だった。ときには二桁近くの敵を一度に相手することもあったし、ときには一回りも二回りも大きな相手と殴りあったこともある。

 今更、持ち上げられたくらいで動揺はしない。

 英傑が鉄球女の細長い足に向かって蹴りを入れた。足首を的確に狙ったそれは鉄球女に小さな隙を生み、続けざまに左拳を腹に入れる。今度は大きな隙が生まれた。


「こ、こいつら……!」


 英傑が鉄球女の懐に潜りこみ、アッパーを繰り出す。

 それを片手で容易く受け止める鉄球女に、俺は両手で掴みかかった。


「邪魔だっ!!」


 振り払うように鉄球女が腰を捻るが、その動きが止まる。英傑が鎖を踏みつけているのだ。

 俺は巨大な鉛筆削りを回すようにして、鉄球女の身体を強引に横に倒す。必死に体勢を整えようとする彼女の足を、右足で払い除けた。


 ほんの一瞬、宙に浮く鉄球女。

 英傑はそんな彼女の脇腹に向かって、容赦なく蹴りを放った。

 路地裏の端に間一髪で逸れた俺の横を鉄球女が飛んでいく。狭い道を抜けた、少し広い空間に女の身体が転がり込んだ。回転して頭を壁に衝突させる鉄球女は、頼りない足取りで身体を起こそうとする。まだ諦めていないようだ。


「あ、ああ、あああああ――っ!」


 狂った声とともに、鉄球女が立ち上がる。

 黒髪を濡らす流血に俺は息を飲んだ。これ以上の攻防は無駄かもしれない。後は話し合いで解決できるかもしれない。無関係者である英傑がこの場にいるのだから、彼女とて本来の実力を出せないだろう。そんな期待にも似た考えが瞬時に浮かんだ。

 だが、俺の甘い考えを一喝するかのように鉄球女は唱える。


「――『道化師』、発動ッ!」

「なっ!?」


 こいつ、肩書の力を使いやがった――っ!?

 無関係者の前で肩書の力を使えばどうなるか、それは彼女も当然知っている筈だ。ルールを犯した参加者は、管理者の手によって無力化される。この女はまさか、管理者が来るよりも早く俺たちを処理するつもりなのか……?


 異変はすぐに訪れた。

 突如として、俺たちの前に鉄球女の分身が現れたのだ。何の前兆もなく、それこそ瞬きの合間に一人一人と増えていく分身たち。彼女たちは一様に歪な笑みを浮かべている。

 俺は真横に立つ英傑の様子を窺った。

 口をパクパクと開閉させ、声も出せないほど驚いているといった様子だ。


「英傑、今は細かいことを考えるな」


 無理な相談だとはわかっている。しかし、だからといって肩書の力を無関係者である英傑に説明するわけにはいかない。適当に誤魔化そうにも、余裕がないのだ。


「と、取り敢えず下がった方が……」


 多少は冷静さを取り戻したのか、英傑が提案する。

 分身たちに囲まれつつある俺はその提案に同意しようと思ったが、すぐに考えを改めた。今の鉄球女は肩書の力を行使することに躊躇がない。だとすれば、俺が最も懸念していた鉄球による攻撃もしてくる可能性がある。

 背後の狭い道に逃げ込めば、あの鉄球は避けられない。

 自分と英傑が一瞬の内に肉塊と化す光景を浮かべて、背筋が凍りついた。


「駄目だ。このまま攻める」


 英傑が何か言いたげな表情をするも、ゆっくりと頷いた。

 直後、分身が一斉に襲い掛かって来る。


「英傑!」


 俺は目先の分身に回し蹴りを放つと当時に、英傑に飛び掛かる分身の襟元を掴む。首をガクンと揺らした分身を、英傑が余裕を持って迎撃した。


「おらァ!!」


 意識を失ったように動かなくなった分身を、迫り来る他の分身に投げ付ける。「きゃっ」と可愛らしい悲鳴が聞こえたが、俺と英傑は遠慮することなく追い打ちを仕掛けた。

 女のものとは思えないパンチが繰り出される。俺はそれを左掌で受け止め、更に右手で反時計回りに捻った。前のめりになって倒れる分身に向かって、膝を打ち付ける。膝の皿と分身の頬骨がぶつかり合い、軋むような音が鳴った。

 いつしか、英傑と町中を駆け巡っていた日々を思い出す。

 あの頃は……毎日が、こんな感じだったなぁ。


「嘘でしょっ!?」


 俺と英傑が五人目の分身を横たわらせると、流石の鉄球女も焦り始めた。

 六人目が襲い掛かって来る頃には、俺たちはどこか精神的な余裕を持っていた。危機感は消え去り、代わりに脳内を満たすのはひたすら過去の情景。ヒーローごっこを繰り返してきたあの毎日。俺と英傑は昔のように背中を預け合い、悪を殴り、不敵に笑った。


 いつの間にか英傑は鉄パイプを拾っており、それを上手く使って分身を迎え撃つ。

 武器を持つ者が相手となると分身も警戒心を露わにし、その隙を俺が突いていった。本体と違い、分身の右腕からは鎖が伸びていない。片や武器持ち片や素手のみとなると、確かに迂闊には近寄れない筈だ。分身の癖に、考える脳はあるらしい。


 俺の眼前で、一体の分身が重心を後ろに下げる。

 後退する――そう確信した俺は、背中合わせになった英傑の踵を、自身の踵で二度叩いた。

 意味を悟った英傑が、右肩で俺を押す。同じように、俺も右肩で英傑の身体を押した。

 視界が横薙ぎに移動する。俺と英傑は、時計回りに位置を入れ替えた。

 突如入れ替わった相手に目を見開く分身。だが、こちらに迫るその勢いは止められない。俺は右脇を締め、左拳で正拳突きを打つ。

 同時に、背後でもう一体の分身が倒れる気配がした。

 分身はさぞや驚いただろう。一度距離を置こうと考えた矢先に、相手が英傑に入れ替わったのだ。鉄パイプという長物を持つ英傑に、多少の後退は意味がない。俺の拳では届かないかもしれないが、英傑の持つ鉄パイプならば捉えられる。


「真司!」

「任せろ!」


 分身たちを倒し、開けた道を一直線に駆け抜ける。

 俺たちのヒーローごっこは何年間も続いた。数えきれない程の悪を滅ぼし、数えきれない程の返り討ちに遭った。それでも、俺たちが諦めたことは一度もない。

 こんな逆境、屁でもない。


「な、なんなのこいつら、素人の動きじゃ――」


 混乱に陥り、鉄球女は完全に戦意喪失していた。

 距離を詰めた俺は助走を活かし、そのまま高く跳躍し――。


「くたばれぇぇぇぇええ!!」


 必殺の飛び蹴りが炸裂する。

 まるでボディービルダーの胸板を蹴飛ばすような手応えだ。硬く、重く伸し掛かる重圧に俺は力を振り絞る。……問題ない。俺の飛び蹴りは、ボディービルダーお墨付きの一撃だ。


「ぎゃうっ!」


 鉄球女が背中を壁に強打し、頭を垂らした。

 スタイリッシュに着地を決めた俺は、周りの分身が一人残らず消えているのに気づいた。本外が気を失ったから、肩書の効果が消えたのだろう。


「相変わらず、真司の飛び蹴りは凄いね」

「必殺技だからな」


 殴り技や蹴り技の練習には励んだが、中でも飛び蹴りだけは力を入れて訓練したものだ。ド派手なアクションに、抜群の威力。七色の爆発でも起これば完璧だ。


「それにしても、流石にやり過ぎじゃない?」

「……いや、このくらいが丁度いい」

「真司がそう言うなら信じるけど。……それに、この人ちょっと変だったし」


 ちょっとどころか、英傑からしたらどこもかしこも不思議だらけだろう。

 分身したり、妙に重たい手応えだったり。お人好しの英傑もそんな奇妙な感覚に困惑しているのか、鉄球女に手を差し伸べることはなかった。


「鎖とか鉄球とか……真司を持ち上げる程の力に、分身まで……本当に、何者なんだろ」


 詳しい説明は俺ではなく、管理者に求めるべきだ。今この場で英傑にことの全てを追及されたところで、俺ではどうせ中途半端にしか教えられない。

 しかし……できることならば、英傑には記憶を失って欲しいと俺は思う。

 俺にとって英傑とは、俺の目指すべき目標であり、それ故に嫉妬の対象であり、けれども腐れ縁の続く親友なのだ。遥ともども、二人を危険な目に遭わせたくない。


「真司とのヒーローごっこも、久しぶりだね」


 やはり、英傑はこれがヒーローごっこだと勘違いしている。

 自分でそれを誘導しておいたくせに、俺は罪悪感を覚えていた。俺はヒーローごっこと偽って、大切な親友を肩書戦争という危険な戦いに巻き込んだのだ。


「お互い、腕が鈍ってなくてよかったよ」


 いつになく嬉しそうな英傑に、俺は小さく「そうだな」と返した。

 俺が英傑とヒーローごっこをしなくなった理由を、英傑は知っている。

 一人でヒーローごっこをすると言った俺に、英傑は反対しなかった。英傑も俺が一向に報われないことに同情していたのだろう。だが、俺はそれから今に至るまで、ずっと一人でヒーローごっこをしてきたが……結局、報われたことは一度もない。

 俺だって、本当は英傑とヒーローごっこを続けていたかった。

 けれど、堪えられなかった。どうしても報われない俺の目の前で、英傑が人々に称賛される光景に、制御しきれない程の劣等感が湧いてしまう。


「……取り敢えず、移動するか」


 紫色の結界はまだ保たれている。騒ぎが起こる心配はない。

 とは言え、この場に留まり続けるのは危険だ。もしかしたら鉄球女が目覚めるかもしれないし、そうなった場合は今度こそどうなるかわからない。

 路地裏の外は、まるでこことは乖離した空間のように人通りがある。

 俺は親友がついて来ていることを確認し、そこへ紛れ込むように進もうとした。






「――動くな」


 瞬間、俺は全身を萎縮させた。


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