第八章 秋姫対峙 1
一
夏の夜の、四季が丘。
榎たち四季姫は、今日も陰陽師として鍛錬を積むため、修行に精を出していた。
今日の相手は、中等妖怪――鵺。
猿の頭と狸の胴体、虎の手足に蛇の尾を持つ、奇妙奇天烈な妖怪だ。
見た目のおぞましさに違わず、性格は獰猛で、攻撃的。夜に鳥そっくりな鳴き声を奏でて人を魅了し、暗がりに誘い寄せ、襲って喰らう。
戦国時代に捕らえられ、瀬戸内海の孤島へ閉じ込められたと伝承が残る妖怪だが、逃げ出したのか別物なのか、現代では四季が丘でも時々出没し、暴れていた。
榎たちは、鳴き声に呼び寄せられた振りをして鵺と接触。山の中で対決を繰り広げていた。
だが、相手はかなり頭のよい妖怪だ。多勢に無勢と悟ると、距離をとって暗闇に身を潜めた。だが、決して臆したわけではなく、隙を見つけては狡猾に襲い掛かってくる。
果敢に戦いを挑んだものの、榎たちは強気の一歩を踏み出せず、防戦一方の厳しい戦闘を強いられていた。
「柊、妖怪が向かって行ったぞ! 頼む!」
飛び掛ってきた鵺を、榎が剣で弾いた。飛ばされ、素早く方向転換した鵺が、柊のいる方向へと突っ込んで行く。
「任せとき! 逃がさへんでぇ、キメラ野郎!」
柊は自信に溢れた笑みを浮かべ、薙刀を構える。
キメラとは、一固体中にいろんな動物の遺伝子を持っているとされる、神話上の生物だ。要するに、西洋・現代風にいう鵺みたいなものだろう。
柊は突進してくる鵺めがけて、薙刀を振りかざした。
狸の毛皮に包まれた胴体に、横一文字に傷を与える。致命傷には至らなかったが、鵺はおぞましい悲鳴を上げて、体をくねらせた。
「今や、椿! 動きを止めてくれ!」
鵺の隙をつき、近くの茂みで待機していた椿が、笛を奏でた。相手の神経を麻痺させる効果のある調べだ。
鵺は体を痙攣させる。虎柄の四本の足が、プルプルと小刻みに震え始め、立っているだけで、やっとの状態だ。
チャンスだ、止めを討てる。
榎は素早く剣を構えて、鵺めがけて振りかざした。
だが、紙一重で攻撃をかわされた。鵺の再生能力は早く、傷口がみるみるうちに閉じていく。正常な動きを取り戻した鵺は、再び暗闇に隠れた。
また、一から戦闘のやり直しだ。疲労だけが溜まり、何の成果も上げられなかった。
「束縛が、弱すぎたか……。もう一回だ、みんな、行こう!」
諦めるわけにはいかない。手応えはあった。同じ方法が、有効のはずだ。
再度、鵺と戦うために、体勢を整え直す。
「かったりい。時間の無駄も、いいところだ」
榎たちの背後から、低い少女の声が聞こえた。
体を震わせて、榎たちは振り返る。
月明かりに照らされた、黄色い十二単の秋姫――萩が、鎌の柄で肩を叩きながら、気だるそうに立っていた。
戦闘を始めてから、ずっと同じ場所に立ち尽くしていた。手や口を出すわけでもなく、榎たちの戦う姿を、退屈そうに眺めていた。
榎たちが戦闘の仕切り直しを始めた様子を見て、痺れを切らしたらしい。萩は軽いフットワークで、地面を蹴る。鵺が隠れている茂みに突っ込み、一気に鎌を振るった。
鵺は逃げる暇さえなく、大きな刃の餌食となった。断末魔の悲鳴。飛び散った血の飛沫が、周囲の青葉を塗らす。その後、存在を証明する、あらゆるものが煙と化し、鵺は一瞬で消滅した。
榎たちは、唖然と立ち尽くすしかなかった。三人がかりで苦戦した相手を、たった一人の四季姫に、一撃で片付けられた。
悔しいが、完全に立つ瀬がなかった。
「お前らの、お飯事に振り回されている妖怪が、不憫に思えてきたぜ。さっさと楽にしてやれば、いいものを」
呆れた口振りで、榎たちの修行を貶してくる。
「お飯事で悪かったな。うちらは、あんたみたいに、ただ倒せりゃええとは、思うとらんのや」
「椿たちには、椿たちのやり方があるの!」
柊と椿が苛立ちを露にして、萩に噛み付いた。
萩は目を細めて二人を睨む。視線だけで相手を傷つけられそうなほど、鋭利な眼光だ。
「みんな、喧嘩はやめよう」
二人の身の危険を感じた。榎は慌てて、仲裁に入る。
「萩。あたしたちは四季姫として、まだ力足らずだ。容易く中級の妖怪を倒せるほどの攻撃力を持っていない。だから、みんなで協力して倒すんだ。今まで、このやり方で、何度もピンチを乗り越えてきた。みんなで強くならなくちゃ、意味がないんだ。あたしたちのやり方を受け入れてくれ」
四季姫としてのチームワークの大切さを、榎は分かってもらいたかった。本当なら、萩にも一緒に輪の中に入って、役割を担って戦って欲しい。
「お前らの生温いやり方を、アタシにまで強要させる気か。戯言も大概にしろよ」
説得できる自信はなかった。予想通り、萩に榎たちのやり方を、理解してはもらえなかった。
萩は心底つまらなさそうに、吐き捨てた。
「なぜ、強い奴が弱い奴に合わせなきゃならねえ。アタシが一人で倒せる妖怪を、なぜ協力して倒す必要がある? 力を合わせるなんて、ただの詭弁だ。弱者の都合のいい権限乱用だ。できる奴は必ず、できない奴の尻拭いをさせられる。お前らに楽をさせるために、アタシは強くなったつもりはない。弱い奴らが頭数を揃えたからって、多数決で主導権を握れると思うな」
萩の発言に、椿と柊の怒りは、爆発寸前だ。
唯一、萩から感じ取れる恐怖が、なんとか二人を押さえつけている。
萩の言葉に、間違いはない。きっと、一緒に戦えば、榎たちは萩の足を引っ張るのだろう。
だけど、そんなに酷い、決め付けた言い方をしなくてもいいのに。
萩には遠く及ばないだろうが、椿も柊も、榎だって、決して弱いわけではない。
初めて覚醒した頃に比べれば、格段に実力を伸ばしている。
時間は掛かるかもしれないが、近いうちに必ず、萩に追いつけるくらい、強くなれる。萩も、側で見ていれば、一緒に戦っていけば、榎たちの努力に気付けるはずだ。
どんな伝え方をすれば、萩に気持ちが届くのか。分からず、榎は途方に暮れた。
雰囲気は全然違うが、綴と話をしているときの感覚に似ている。どんなに大切な思いを、言葉にして伝えたって、本気で受け止めてもらえない。
榎の言葉は稚拙すぎて、人の心に響かないのだろうか。伝わらないくらい、浅はかに聞こえるのだろうか。複雑な気持ちに襲われた。
「うーむ。お主ら、全っ然、息が合っておらぬのう」
戦いの様子を観察していた月麿が、木陰から出てきて、ダメ出しした。
最初は、やっと四季姫が揃った、と大喜びしていた月麿だったが、今はかなり、雲行きの怪しそうな顔をしている。
「ようやく四人、揃ったのでおじゃる。伝師より賜った重大な使命を果たせるし、人類は救われるのでおじゃるよ! じゃから、もっと仲ようせい! 息が揃わねば、白神石の封印解除の準備が整えられぬ」
現世に蘇った、四季姫の最大の使命。宵月夜の封印だ。
実行するためには、白神石の封印を解いて、中に封じられた対になる妖怪――朝月夜を復活させる必要がある。
白神石の封印を解くためには、四季姫が息を揃えて、力を合わせなくてはならない。
榎たちの、協力して行う修行には、封印解除のために必要なチームワークを養う目的も含まれていた。
椿や柊は、榎ともかなり付き合いがあるし、理解しあえる間柄だから、息を合わせる動作は、さほど難しくなかった。
だが、萩とは――。
「封印だと? 馬鹿か、肉達磨が」
月麿に睨みを利かせ、萩は舌を打つ。
「妖怪を封印するなんて、わざわざ遠回りな方法を選んで、何の意味がある。倒せば済む話だろうが」
萩は、宵月夜の封印までもを拒否した。封印なんて、萩にとっては犬の餌のお預けと変わらない、嫌な行為なのだろう。
流石の月麿も、萩の凶暴な視線に身を竦ませ、体中から脂汗を噴き出していた。
「お前らみたいな脆弱な陰陽師では、封印なんて面倒な方法しか取れなかったのかもしれないけどな。この世に蔓延っている妖怪なんざ、アタシが一人で狩り尽くしてやるよ。この世から妖怪がいなくなれば、いちいち人間が怯えて暮らす必要もないだろう?」
「無理を申すな。今は形を潜めておるが、宵月夜は、かつて平安の京を壊滅に追い込もうとした、恐ろしい妖怪でおじゃる。手傷を負わせられたとしても、安全に止めを刺せる保証などない。慎重に扱わねばならぬのじゃ」
怯えてはいるが、月麿も陰陽師のはしくれ。四季姫を導き、束ねる存在として、果敢に萩へと物申した。
「千年前は、嚥下家のせいで不完全な封印しかできんかった。じゃが、今回は違う! 伝師のあらゆる力を結集して、完璧な封印を施すのじゃ!」
「知るか。てめえの指図は受けねえよ。結局、千年前は、お前らが弱すぎたから太刀打ちできなかっただけだろうが。だから、余所者に揚げ足を取られた。弱小者が、何でもかんでも、他人のせいにして粋がるな」
月麿の言葉など、あっさりと覆され、弾き返される。月麿よりも、萩の内側から漲る自信のほうが、はるかに大きかった。
「アタシは強い。歴代の、どんなに偉大と呼ばれた陰陽師よりもな。妖怪なんて、アタシが一人で絶滅させてやる。妖怪に怯えて暮らす世界なんて、根底から覆してやるよ」
鋭い目で威嚇して、萩は山を去っていった。
「なんと、野蛮な秋姫じゃ……。麿には、手に負えぬかもしれん」
散々に反論されて、月麿も、すっかり心を折られてしまっていた。絶望的な口振りに、同情したくなる。もう少し頑張れと、説得する気力すら、湧かなかった。
「なあ、麿やん。あの秋姫が、一人で全部、終わらせるて言うてるんやから、好きにさせといたらええんとちゃうんか?」
疲れきった、嫌気のさした顔で、柊が発言した。
完璧な、諦めの言葉だった。
「柊! 何をいいだすんだよ」
榎は慌てて、戦意を喪失した柊を思い止まらせる。
だが、柊の表情は変わらず暗い。
「せやかて、うちは前に聞いたで。四季姫が四人とも覚醒しても、宵月夜を倒すには力が及ばへんから、朝月夜を蘇らせて再び封印するんや、と。けど、あいつ一人で、宵月夜なんか倒せてまうんと違うんか? 何もかも、あいつ一人でけりがつくなら、うちらなんて必要あらへんがな」
先日の、了封寺での戦いの様子が、今でも尾を引いているのだろう。あの時は周や榎が仲裁に入り、事態を収束させたが。
あのまま戦っていたならば。
宵月夜は確かに恐ろしい存在だが、ひょっとすると、萩が一刀両断の元に消滅させていたかもしれない。
宵月夜がいなくなれば、榎たちが四季姫として蘇った意味そのものも、無と化す。
存在意義を奪われたも同然だ。やる気をなくした柊が、そんな憶測を巡らせていてもおかしくない。
「まだ、萩が宵月夜を倒せるかどうかなんて、分からないだろう? 前みたいに、下手に刺激して反撃を受けるかもしれないし、悪鬼が乱入してくるかもしれない。やっぱり、みんなで協力するべきだよ」
榎はやっぱり、四季姫が揃って力を合わせて、確実な封印を施すべきだと思う。誰もが無難に事態を収束できる、安全な方法だと信じている。
「あれを仲間やと呼ばなあかんのやったら、うちは冬姫をやめる」
柊の、苛立ちと苦痛に満ちた顔。
榎は何も言い返せなかった。
「ごめんね、えのちゃん。椿も、あの人とは一緒に戦えないわ。我侭かもしれないけれど、関わりたくないの」
側に歩み寄ってきた椿も、意を決した態度で、柊に同意してきた。顔からは血の気が引いて、貧血を起こしたみたいに青褪めていた。
「椿まで、どうして……」
理由は、分からないでもない。でも、尋ねずにはいられなかった。
「怖いのよ。あの人が近くにいると、足が竦むの」
返答は、おおよそ予想通りのものだった。
「椿だって、今まで力を使って、妖怪を倒してきたわ。あの人も、陰陽師として、同じ使命を果たしているだけ。なのに、違うって分かるの。上手くいえないけれど……」
榎たちと、萩は違う。
戦い方も、戦う目的も、価値観も何もかも。
見た目は同じでも、同じ四季姫として認められない。認めたくない。
椿の、素直な気持ちだった。
「まあ、勝手にやらしとけば、ええやんか。あとはあいつが、適当に妖怪を倒してくれるやろ。うちらは、お役御免や」
柊は、完全に四季姫の使命を投げた。本気の言葉ではないと信じたいが、今の状況が続けば、いずれは心からの本音に姿を変えるだろう。
二人は変身を解き、疲れきった様子で、山から去っていった。
残された榎は、立ち尽くす。月麿が、なんと声を掛ければいいか困りながら、無言で隣に直立していた。
「……麿も、結果的に人間が平和に暮らせる世界が訪れるなら、方法なんて、何でもいいと思うか?」
呆然と、榎は語りかける。
「萩だけに全部押し付けて、見ているだけなんてさ。あたしたち、何のために陰陽師として生まれ変わったんだよ。何のために、力を持っているんだよ」
榎は暗闇に向かって吐き捨てる。月麿からは、何も返ってこなかった。
月麿だって、どう返事をすればいいかなんて、分からないだろう。答なんて、誰にも分からない。
だからと言って、捨て置くわけにいかない。きちんとした、何らかの解決法を導き出さなくては。
「やりたい奴にやらせておけ、っていうなら、あたしも好きにするよ」
今のままで、四季姫が力を合わせるなんて、絶対に無理だ。
でも、互いに少しずつでも歩み寄れるならば、きっとみんなの関係や距離を、変えられるはず。
他の誰が諦めても、榎は絶対に、諦めるつもりはなかった。




