第七章 姫君召集 13
十三
了生が新聞に書き込んだ、三行広告。
文面は、〝四季姫〟に宛てたものだった。
榎たちは、その文章を読んだから、四季姫として妙霊山に赴いた。
全く同じ動機で、新聞を見た最後の四季姫が、同じ場所にやってきても、何の不思議もない。
――秋姫が、目の前に現れた。
突然かつ、意外な登場に、榎たちは呆気にとられるしかなかった。
「まったく、いちいち変身しないと力も使えないなんて、本当に面倒臭いよな」
萩はつまらなさそうに、漆黒の大鎌を、片手で軽々と振るった。
あの白く細い腕のどこに、そんな力があるのか。柊さえも顔負けの怪力だった。
「まあ、妖怪を好きなだけ蹴散らせるんだから、アタシは満足だけどな」
急に、萩の表情に笑顔が浮かんだ。
榎は、背筋が凍りつきそうになった。夏にも拘らず、体中の体温が、一気に奪われていく。
楽しそうな、萩の笑顔。その笑みが、この世のものとは思えないほど、邪悪なものに見えた。
萩は両手で、鎌についた長い柄を握り締める。まるで、死神が持つ鎌みたいだ。
萩を中心として、激しい力場が発生する。強烈な気が充満し始めた。
暴れまわっていた妖怪たちが、動きを止めて怯え始める。金縛りにでもあったみたいに、動けなくなっていた。
直後。萩の鎌が、萩を軸にして一回転、空を凪いだ。
冷たく、激しい木枯しが巻き起こり、周囲一帯のものを吹き飛ばす。
榎たちは飛ばされまいと、踏ん張った。鎌の間合いに入った妖怪たちは、四肢を切り刻まれ、断末魔の悲鳴をあげる間もなく、消滅した。
鮮やかなまでに、一瞬の出来事。榎は愕然とする。
腕に、誰かがしがみついてきた。椿だった。
椿は恐怖に体を震わせて、必死で榎に張り付いていた。表情は強張り、目に涙を滲ませている。
尋常ではない椿の怯え方も、理解できた。実際、榎の足も、立っている状態がやっとなほどに、震えている。
反対隣では、柊も無言で立ち尽くしていた。椿よりは冷静さを保っている風に見えるが、顔からは完全に、血の気が引いていた。
秋姫の放つ力。その威力も、雰囲気も、何もかもが、榎たちの知る退魔の力とは一線を画している。
強く、激しく、容赦がない。
あれが本来の、四季姫の持つ力なのだろうか。陰陽師の、本質的な姿なのだろうか。
圧倒的な格差に、榎たちは全てを否定され、覆された気がしていた。
――〝お遊び〟。〝陰陽師ごっこ〟。
榎たちの今までの戦いが、そんな一言で、終わらされそうな気さえした。
「……お前ら、散れ! あいつには近寄るな!」
宵月夜の怒声で、我に返った。一撃にして仲間の妖怪を消し去られた宵月夜の警戒心は、最高潮に達していた。
素早く指示を送り、下等妖怪たちを逃がす。腰が抜けて動けなくなっている妖怪たちを担ぎ上げ、素早く遠くへ投げ飛ばしていた。飛んできた妖怪を、八咫が非難させていく。
周も側で、一心不乱に妖怪たちの救助を行っていた。青褪めた、鬼気迫る表情だ。
再び、萩が静かに鎌を構える。気付いた宵月夜は、逃げ遅れた妖怪を庇い、萩の前に立ちはだかった。
今までとは、比べ物にならないほど、激しい殺気を萩に向けていた。あんな威圧を受けたら、榎ならばきっと、萎縮して動けなくなるだろう。
だが、萩は違った。殺気を心地よい、そよ風みたいに受け止めている。さも嬉しそうに、笑みを浮かべていた。
「雑魚は、後でも仕留められるか。――お前は、かなり強そうだな。斬り甲斐がある」
快楽に包まれた表情で、萩は楽しそうに、唇を舐めた。相手の――宵月夜の技量を知った上で、臆しもせずに、真正面から突っ込んでいく気だ。
「やめろ、宵月夜は危険な力を秘めているんだ! 下手に手を出すと、大変な事態になる」
嫌な予感がした。反動的に、榎は声を上げていた。
この二人がぶつかったら、何が起こるか分からない。秋姫の身の心配よりも、榎は宵月夜の状態について、激しく危惧していた。
萩の力を持って攻撃すれば、宵月夜も無傷ではすまない。致命傷でも受けて、内に秘めた力が暴走を始めたら、きっと誰も、太刀打ちできなくなる。
だが、萩は榎の静止を、唾と一緒に吐き捨てた。
「馬鹿か、お前。そんなくだらない理由で、楽しみを棒に振るつもりかよ。妖怪をこの世から抹消するために、アタシたち四季姫は存在しているんだろうが。妥協してたまるか」
萩の言葉に、榎は何も返せなかった。
前から、いつも考えていた。
陰陽師として、妖怪とどう接するか。
人間に危害を加える妖怪を、許すわけにはいかない。倒すべき対象だ。
だが、たとえ相手が悪い妖怪であっても、戦う相手として、敬意を示したい。
正々堂々と戦って、悪を糺して、決着をつけていきたい。
その考えが、榎の心の柱であり、一つの目標でもあった。
以前、周は「妖怪に対しても礼儀を欠かない、潔い夏姫の姿が好きだ」といってくれた。榎自身も、その行為が正しく、真っ当であると、自信を持って戦ってきた。その考えを軸にして、修行を積めば、きっと誰よりも強い陰陽師になれると、信じていた。
なのに、その思想が、一気にひっくり返された。
目の前で、榎たちよりも遥かに強い力を持つ秋姫が、戦っている。
だが、その目的は、思想は、榎が貫いてきたものとは、まるで違った。完全に間逆と言ってもいい。
妖怪を蹴散らし、いたぶり、傷つける工程を楽しむ。その目的のために、力を発揮する。
歪んだ秋姫の本質を、垣間見た。
見たくもなかった。この先、同じ四季姫として、一緒に戦っていかなければならない仲間が、榎の最も嫌う考えを、簡単に言ってのけるなんて。
榎の頭は混乱した。どうすればいいのか、何も分からなくなった。
「存分に、痛めつけてやる。〝断頭の木枯し〟」
榎の存在など、萩は既に眼中にない。軽快な身のこなしで大鎌を振るい、萩は技を発動した。
宵月夜も負けじと、大きな風の刃を繰り出し、鎌にぶつけた。
激しく火花を散らす。だが、萩の力が、宵月夜を凌駕した。
鎌の鋭い刃が、宵月夜を襲う。
一瞬の出来事だった。
宵月夜の腹部が、横一文字に切り裂かれた。
着物が、皮膚が一気に開き、血が噴き出す。
宵月夜は倒れた。側に座り込んでいた周の顔、体に、血飛沫が飛び散った。宵月夜の血に塗れた周は、甲高い悲鳴をあげた。
「宵月夜はん! しっかりするどす!」
周の呼びかけに、宵月夜は応じない。傷の深さは、遠目からでは分からなかった。だが、間違いなく致命傷だ。
周は諦めずに、宵月夜の着物の袖を噛み千切った。傷口と心臓の間の胴体に、千切った袖をきつく巻きつけ、出血を止めようとしている。
普通の人間ならば、間違いなく致死量の出血だ。妖怪の宵月夜であっても、同様なのだろうか。
「てめえは部外者だろう? すっこんでろ」
必死で手当てを施す周を睨みつけ、萩が近くに寄ってきた。周は萩を睨み返し、宵月夜を庇う体勢をとる。
「なんで、こないな残酷な真似ができるんや。……四季姫とは、そないに冷徹にならんといかん存在どすか?」
周の声は、怯えで震えていた。いや、怒りかもしれない。
「あなたみたいな陰陽師を、私は軽蔑するどす!」
萩に向かって、周は楯突いていた。
だが、そんな周の言葉も、萩には届かない。冷たい、秋めいた風に流され、かき消されていった。
「一般人の意見なんて、どうでもいいんだよ。お前らはアタシたちのお陰で、妖怪の脅威を受けずに、のうのうと暮らしていられるんだ。黙って感謝していればいい」
萩は冷たく吐き捨てる。周は負けじと、萩を睨みつけた。
次第に、周を見る、萩の目の色が変わってきた。
「お前は、人間のくせに、妖怪に味方するのか? 人間の掟を破る、反逆者か。捨て置けねえな、汚らわしい」
萩の標的が、周に移った。周は一瞬、体を震わせたが、果敢にも萩から目を逸らさなかった。
「私は、無責任な行動をとりたくないだけどす! 妖怪とは何か、陰陽師とは何か。自分で理解もせずに、他人の意見に流されて、納得させられて生きていくくらいなら、死んだほうがましどす!」
周は必死で、訴えた。周の本音だ。
何が本当に正しいのか。周は常に、真実を追い求めて、立ち向かっている。
強い決意だ。榎たちよりも、明確な意志をもって、妖怪と接している。
「じゃあ、死ねよ。目障りだ」
だが、萩にとっては、どうでもいい叫びだった。無慈悲にも、鎌が周を狙う。
一般人の周にまで、武器を向けるつもりか――。
榎の体が、ようやく動いた。百合の髪飾りを掴んで、構える。
勇気を振り絞り、夏姫に変身した。
白銀の剣を構え、切っ先を、萩の横顔に向けた。
萩の瞳が、鋭く榎を射る。榎の身が、瞬時に竦んだ。
まるで、蛇に睨まれた蛙状態だ。威嚇するはずが、完全に立場が逆になっている。
足が震える。榎は、何をするために変身したのだろう。行動に、自信がなくなってきた。
気持ちを掻き乱される中、両側から力強い気配が感じ取れた。
冬姫の薙刀が、萩に突きつけられる。
春姫が笛を構え、立ちはだかる。
左右に、気心の知れた、仲間が集った。
お陰で、気持ちが楽になった。
三人は勇気を奮い立たせ、秋姫に狙いを定めた。




