第一章 夏姫覚醒 8
八
榎の手から開放された月麿は、庵の前に置かれた平たい岩の上に立ち、軽く咳払いをした。
「改めて、自己紹介じゃ。麿は、陰陽月麿と申す」
「あたし、水無月榎。よろしくな、麿」
「誰が麿じゃ、無礼な! 月麿様と呼べ!」
「いいじゃん、面倒くさいし、麿で」
不満ありけり、と月麿はしつこく喚いていた。だが榎がいっこうに取り合わないので、しぶしぶ折れ、そのまま話を続けた。
「まずは、麿がこの地へ赴いた経緯から話そうぞ。麿はかつて、遥か千年の昔に栄えた、平安の京に住んでおった」
「平安の京……平安時代ってこと? 平安時代って、あの『鳴くようぐいす平安京』ってやつ?」
「なんじゃ、その呪文は? まあよい、ともかく麿は平安の京におったが、麿の仕える陰陽師の命によって、この時代へと時を渡り、やってきた」
「時を渡りって、タイムスリップみたいな!? すげ―、平安時代にタイムマシンなんてあったの!?」
「たいむましん? ……お主の発言は要領を得ぬ。しばし黙って麿の話を聞けい」
漫画の世界を彷彿とさせる話に興奮する榎を、言葉でおしつけ、月麿は出来事の発端を語った。
「麿の仕えていた陰陽師、名を伝師という。伝師の一族は代々、京を恐怖に陥れる妖怪を退治してきた、由緒ある家系じゃ。今から千年前、妖怪と伝師との間に大きな戦いが起こった。多くの犠牲を出しながらも、伝師は妖怪の根絶に成功したのじゃが……」
月麿はさも悔しげに、歯を食いしばった。
「伝師の長、紬姫の予言により、千年の後に、再び妖怪たちは力をつけて人間の世を襲い、伝師の一族に戦いを仕掛けてくると分かった。一族の末裔が滅びてしまわぬため、またしても妖怪に太刀打ちせねばならぬ、悲運な結果になってしまったのじゃ」
過去の出来事がよほど辛かったのだろうか、月麿はうなだれて、今にも泣きそうな顔をして、涙を必死でこらえていた。
「麿は長の命により、時を渡って千年後のこの時代にやってきた。理由はただひとつ。かつて、妖怪たちと戦って命を落とした伝師一族の陰陽師、四季姫の力を蘇らせるためなのじゃ!」
「その姫君が、あたしなのか?」
月麿は大きく頷いた。
「そなたは四季姫が一人、夏姫の生まれ変わり。運よく出会えたは幸運じゃったが、時が悪すぎた」
腕を組み、空を見上げて、月麿は唸った。
「この時代へやってきた麿は、先に力ある妖怪の復活を阻止するために、妖怪たちにとって非常に大きな影響力を持つ存在、宵月夜を封じた黒神石を探した。奴は千年前、前世のお主たちが命を諸して封じ込めた、妖怪。決して、世に出してはならぬ輩であった。とある廃寺に石ころの如く転がしてあったところを発見したゆえ、なにかの弾みで封印が解けてはいかんと、安全な場所に移し変えようとしていたのじゃが……」
「あたしが、封印を解いちゃったんだね……ごめん」
割れた黒神石を見つめて、榎はしょぼくれた。石の中から出てきた妖怪、宵月夜の姿を脳裏に思いだし、失態を悔やんだ。
「済んだ過ちを、いつまでも責める気はない。お主が自らの手で、再び封印すればよいだけの話でごじゃる」
短い腕を伸ばし、月麿は項垂れる榎の頭を、ぼんと撫でた。かなり嵩のある石の上に乗っているのに、月麿のほうが榎より背が低かった。
「宵月夜は強い。覚醒したばかりのお主では、到底、太刀打ちできぬ妖怪じゃ。これから鍛練を積み、前世の力を完壁に取り戻さねばならぬ。嫌とはいわせぬぞ、榎。お主は伝師の陰陽師、夏姫の生まれ変わりとして、この時代に再び蔓延ろうとしておる妖怪どもと、戦うのじゃ!」
嫌なんて、言うつもりはなかった。榎が負った責任なのだから、きちんと果たさなくてはと、腹をくくっていた。
ただ、一つだけ気がかりがあった。
「その、妖怪っていうのは、具体的に何をするの? さっきの貧乏神みたいに、人間に悪さをするのか?」
「無論。貧乏神など、可愛いものよ。さらに凶暴で恐ろしい妖怪になると、人間に命の危機をもたらす」
「命の危機って、人を殺すの?」
「そうじゃ。古来より妖怪たちは人間にとりつき、のっとり、殺し、食らってきた。妖怪たちから人々の暮らしを守るために、陰陽師は存在したのじゃ。人間の住まう世界を平穏に保ち続けるには、妖怪はなんとしても退治せねばならぬ」
「妖怪のせいで、あたしみたいに苦しんでいる人が、世の中にたくさんいるんだね? ほとんどの人が、妖怪のせいだとも気づかないし、抵抗する術も持たない。――だけど、あたしは戦える。さっきの力で、妖怪たちを倒せる」
貧乏神を倒した夏姫の力は、とても強かった。強い力は使い方を誤れば、必ず多くの悲しみを生みだす。力を間違った方向に振るわないためにも、妖怪がどういった存在なのか、知りたかった。
妖怪を倒す行為に、確固たる理由がない状態が、怖かった。
月麿の話を聞き、実際に貧乏神が、榎や、榎の周囲に与えた負の影響を、再度思い直した。
妖怪は悪だ。人間の敵だ。
榎の決意は固まった。
「やるよ、あたし。妖怪のせいで、あたしみたいに、あたし以上に不幸な目にあっている人たちを、少しでも救えるなら!」
榎の返事に、月麿は満足して笑った。
「よう言うた、期待しておるぞ! 今のところは、周囲に妖怪の気配は感じられぬ。普段の生活に戻るがよかろう。お主の力が必要になったら、また呼ぶ。麿はこの祠の中にでも隠れて、情報を集める故、呼ばれたらすぐにこの地へくるのじゃ」
「呼ぶって、どうやって?」
「お主の力を封じよ。変身を解くのじゃ。大きく息を吐き、体の力を抜けばよい」
言われた通りにしてみると、榎の身に纏っていた着物が、煙みたいに消えてなくなり、頭もすっと軽くなった。
「おおっ! すごい、服も髪も、元に戻ったよ」
驚いて、頭を触った。右上あたりの髪に、硬いものがくっついていた。取り外してみると、真っ白な百合の花の形をした、髪飾りだった。
「うわあ、綺麗だな。女の子がつけるやつみたい」
美しい装飾にみとれて、榎も女だという事実をすっかり忘れて感動した。
「お主の手にある、百合の花の髪飾りには、夏姫として戦うために必要なあらゆる力が封じ込められておる。必要に応じて、必要な力を引き出すために、これから修行をせねばならぬ。髪飾りを通じて、麿は神通力でお主に語りかけるゆえ、肌身離さず持っておれ」
要するに、無線機みたいな役割も果たすらしい。平安時代には便利なものがあったんだな、と榎は感嘆した。
「うん、分かった、呼ばれたらくるよ」
「くる際には、飯を持ってまいれ! よいな!」
「そうだね、お腹すくもんね……」
月麿は庵の中に篭るらしい。中に奉られていた地蔵を脇へと寄せ、丸い体を無理やり押し込めて、すし詰め状態になりながらも扉を開めた。
お地蔵様をぞんざいに扱って、バチは当たらないだろうか。月麿はこんなに狭い場所にはまり込んで、窮屈ではないのだろうか。
いろいろ思うところはあったが、今は気持ちを現実に戻すほうが先決だと、考えを切り替えた。
榎は髪飾りと如月家の通帳と印鑑、木刀を手に、花春寺へと引き返した。