第七章 姫君召集 6
六
「先祖代々、受け継いだ力に、衰えはないらしいな。陰陽師の系譜から外れた一族の分際で、忌々しい」
宵月夜は警戒を緩めず、上空から了生を睨んだ。
「元となる力は、修験者も陰陽師も、対して変わらん。その威力もな」
了生の受け流した態度に、宵月夜は苛立って、鼻を鳴らす。
かつて、四季山などで榎たちと対峙したときの勢いと比べると、我を忘れた激しい怒りではなかった。だが、心中に沸き起こっているだろう冷たい怒りが、周囲の空気を震わせている。
今までとは種類の違う剣幕。榎の体にも、悪寒が走った。
「嚥下の人間が、四季姫に味方などしなければ、俺は封印などされずに済んだんだ。お前たち一族の姑息な真似が、俺から大切なものをたくさん、奪った……!」
宵月夜の苦しみ、憎しみが、言霊になって空中を舞う。
以前にも、聞いた台詞だった。千年前、宵月夜は四季姫に騙されて封印石に入れられた。そのせいで、多くの仲間の妖怪たちを、みすみす陰陽師に退治され、失う羽目になった。
前回の怒りの矛先は、封印を施した四季姫たちだったが、今は変わって、了生に――嚥下家の人間へと向けられている。
かつて、嚥下家の一族が、封印石を作り、四季姫に渡さなければ、宵月夜は封じられなかったのに、と。
宵月夜が恨む理由も、理解できる。だからといって、恨ませ続けておく訳にはいかないが。
「お前らの猿知恵には、随分と振り回された。今回は、四季姫どもではなく、俺たち妖怪のために働いてもらうぞ」
宵月夜は掌で小さな旋風を起こし、飛ばしてきた。風は薄い刃物みたいに変形し、了生を襲う。
至近距離からの攻撃だったにも拘らず、了生の錫杖は難なく、風を受け止めて相殺した。
「宵月夜。貴様と関わるつもりはない。手下共を連れて、大人しゅう山を去れ!」
「黙れ。お前の指図など、受けるか!」
了生の忠告に、宵月夜は耳を貸さない。さらに攻撃しようと、風を凝縮し始めた。
やむを得ず、といった様子で、了生が反撃に転じた。錫杖の上部に取り付けられた小さな輪を素早く取り外し、宵月夜に投げつける。
今までとは毛色が違う、単純な飛び道具の物理攻撃だ。宵月夜は軽い手捌きで、飛んできた輪を弾き飛ばした。
ところが、宵月夜の手と輪が触れた瞬間、輪が強烈な光を発した。あまりの眩しさに、榎たちは腕で顔を庇い、目を閉じた。
次に瞼を上げた時には、錫杖の輪が宵月夜の手首に嵌っていた。
輪は形状を変化させ、宵月夜の両手首に撒きついている。両手の距離は徐々に縮まり、二つの輪の一点が、完全に結合していく。まるで手錠を掛けられたみたいに、腕が胴体の前で固定された。
宵月夜は慌てて輪を外そうともがくが、びくともしない。
了生はさらにもう二つ、輪を投げた。輪の一つは急速に伸びて広がり、フラフープみたいに大きくなった。輪は宵月夜の体に纏わりつき、胴体と翼を一気に締め上げた。もう一つの輪も少し大きくなり、宵月夜の足首を包み込む。完全に、宵月夜は束縛された。
手足と翼の自由を奪われた宵月夜は、飛行能力も失い、地面に落ちて倒れこんだ。芋虫みたいに体をくねらせるだけで、精一杯だ。
「宵月夜を、いとも簡単に……」
榎は、唖然とする。あの宵月夜が、人間を相手にして、手も足も出ないなんて。
宵月夜は大声で怒鳴り散らしていたが、了生はどこ吹く風と、涼しげな顔だ。
「しばらく、じっとしていてもらうぞ。たとえ捕まえたとしても、絶対に手を出すなと、住職から念を押されとる」
宵月夜の威嚇や殺気に臆さず、了生は淡々と言い放った。
「下手に致命傷でも与えたら、力が暴走するかもしれんからな」
「もしや! 首を狩ったら、ドロドロしたもんが、どばーって出てきて、触れたもんは、みんな死んでまうとか……!?」
突然、柊が目を輝かせて、テンションを上げた。期待を込めた眼差しで、宵月夜を見つめる。嫌な視線を突き刺された宵月夜は、怯えた様子で体を震わせていた。
「だから、そんなアニメ現象、ないっての。テレビの見過ぎだ」
榎は冷ややかに突っ込み、柊を現実に引き戻した。
「皆さん、ご無事どすか!? 妖怪はんたちは……」
戦闘が落ち着き、時が止まったかに見える静寂の中。
遅れて、荷物を背負った周がやってきた。キャンプの火を消して、榎たちの貴重品を纏めて持って来てくれた。
「……この短期間に、何があったんどすか?」
追いついてきたものの、辺り一帯で、倒れて痙攣している妖怪たちの異様な光景に困惑し、周は動揺を隠せずにいた。
「ごめん、あたしたちにも、何が何だか分からなくて」
尋ねられても、榎たちには即座に説明ができなかった。
周は独自に状況を判断しようと、妖怪たちの側に近寄って、倒れた原因を探っていた。
下等妖怪たちの現状をそれとなく察し、一人だけ様子が違う宵月夜に、心配そうな表情で歩み寄った。
宵月夜は激しくもがいていたが、やがて力なく動きを止めた。あの錫杖の輪が、宵月夜の力までもを制御しているのだろうか。周は宵月夜を助けようと輪に手をかけていたが、びくともしない。
「了生さん、宵月夜や妖怪たちを、どうするつもりなのですか? もう、抵抗はしてこないと思いますけれど」
了生の力は、見事なものだ。一網打尽となり、宵月夜さえ行動不能になった今、奴らに戦意が残っているとも思えない。
この状態から、悪さをした妖怪たちを残らず消滅させる、なんて行為は、残酷に思う。流石の榎にも、嫌悪感があった。
「四季姫様は、妖怪に対して、いと、優し。伝承の通りですな」
榎の言葉を聞き、了生は穏やかに笑った。
よくいわれるが、優しいのかどうかは、相変わらず分からない。でもきっと、妖怪と関わり、倒す力を持つ者から見れば、きっと榎の考えなんて、甘く思えるのだろう。
そんな榎を律するでも馬鹿にするでもなく、了生は一個人の意見として受け入れてくれていた。とても、心の広い人だ。
「安心してください。この妖怪たちを、どうこうするつもりはありません」
温厚な返答を受けて、榎は無意識に安心していた。了生も、退魔の力を持つ人間として、まともな精神を持っている。娯楽や私情のために、無抵抗な妖怪を甚振る真似は、決してしない。
「宵月夜に施した戒めも、俺の実力では長くは保ちません。早ければ一時間程度で解けますし、後遺症もありません」
了生は、心配そうに宵月夜の側についている周に向かって、丁寧に説明した。
榎が妖怪に対して優しい、と喩えてくる割には、了生も、妖怪に対する扱いは寛容だ。
でもきっと、了生の場合は親切心ではなく、余裕からくるものなのだろう。この程度の妖怪など、いつ、どれだけ襲って来ようが、簡単に成敗できると、示しているみたいだ。
「せやけど、なんでいきなり、俺に襲い掛かってきたんか、理由くらいは吐いてもらいたいところやが」
了生には、襲撃を受けた心当たりがないらしく、訝しげな表情を浮かべていた。
「妖怪たちは、あなたから、白神石を破壊する方法を聞きだそうとしていたらしいです。あなたが、封印石を作った人物の末裔だから、作る方法も壊す方法も、知っているだろう、と……」
榎が説明すると、了生はなんとなく、感心した声を上げた。
「なるほど。頓知の効いた考えやが、無駄骨やったな。そんな芸当ができるんやったら、とっくに白神石も、お前が封印されとった黒神石も、塵一つ残さず、粉々にしとる」
確かに、了生の言う通りだ。復活すると危険だと分かっているものを、いつまでもそのまま置いておく道理はない。壊せるものなら、はるか昔に消滅させているだろう。
妖怪たちの目論みは、無駄に終わった。榎たちは、無事に白神石の封印を解いて、朝月夜を蘇らせられそうだ。
「仮に、石を破壊したところで、中に封印されとるもんには、何の影響もない。封印が解かれて、外に出てくるだけや。それ以前に白神石は、お前の時とは違って、かなり強固に封をかけてあるしな。生半可な力では、どないもできん」
横たわる宵月夜の側に屈み込み、相変わらず淡白な顔で、了生は吐き捨てた。宵月夜は怒りで顔を真っ赤にしていたが、束縛する輪っかのせいで、ろくに抵抗もできずにいた。
「さて。事態も落ち着きましたし、そろそろ、本題に入りましょうか。俺が皆さんを山へ呼んだ理由を、話させてください。立ち話もなんですから、どうぞ、変身を解いて、寺へ」
話を切り替えて、了生は榎たちを歓迎し、寺へと招いてくれた。
ようやく、榎たちを呼び出した理由を、話してもらえる。
榎たちは、顔を見合わせて頷く。
陰陽師の力を解いて、了生の招きに応じた。




