第六章 対石追跡 10
十
さっそく、月麿のいる庵へ向かおうと、片付けと支度を始めた。
みんなが慌しく動いている中で、榎はふと、宵月夜の気配に気付いた。
高い松の木の頂上から降りてきて、低い紅葉の木の股に、腰掛けている。相変わらず、呆然として、遠くを見つめて物思いに耽っていた。
白神石には、榎たちの心配とは裏腹に、妖怪たちの手に渡れば大きな脅威が訪れそうな危険はなかった。
宵月夜は単純に、再び封印されないためにと、四季姫の妨害として、石を探していたに過ぎない。
今から、榎たちは大事な石の探索を行うわけだが――。
本音を言うと、別に、見つからなくてもいいのではと、思っていた。
榎は以前、四季山で宵月夜たちを助けたときから、何となく考えていた。
宵月夜は恐るべき破壊力を持った、危険な妖怪かもしれない。
だが、今は悪鬼に怯えて、その力を制限されているし、手下の妖怪たちと静かに暮らす生活を求めている。
もし、その願いを現実にできるなら、無理に安全策をとって封印を行わなくても、周が実践しているみたいに、仲良く共存しあえる関係を築けるかもしれない。
宵月夜とのコミュニケーションの確保ができないだろうか。榎の思考は、和解の方向へと傾いていた。
「よう、宵月夜。委員長の家、快適そうだな」
榎は親しみを込めて、接触を試みた。宵月夜は榎のほうに視線も向けず、軽く息を付いて返事してきた。
「……住めば都」
「……お前、委員長に、ちゃんと感謝しているのか?」
有難みを感じさせない返事に、榎は呆れた。無償で世話になっている奴の態度とは思えない。
やっぱり、宵月夜と親密に会話を成立させるには、まだまだ距離がありそうだ。
「構いまへんで、榎はん。私が一方的に、うちに住んでくれ、とお願いしただけどすから」
側に周がやってきて、苦笑いを浮かべていた。相変わらず、妖怪が相手だと、態度が寛大だ。
周は妖怪たちに甘すぎる。宵月夜みたいな、やさぐれた態度は、きちんと改善させるべきだと思う。
「お前ら、白神石が、俺に渡してはならないものだと、気付いたらしいな。せっかく、ひと働きしてもらおうと思っていたのに、残念だ」
突然、宵月夜が話を振ってきた。妙に含みのある台詞だ。
「残念って、どういう意味だよ?」
尋ねると、宵月夜は鼻で笑った。
「白神石は、陰陽師が作り出した封印石だ。俺たち妖怪よりも、お前らのほうが情報網が広く、探索者として有利だ。俺たちが無計画に探し回るよりも、お前らに見つけさせて、奪ったほうが早いと思った。だから、そこにいる変な人間に情報を流して、泳がせていたのさ」
周が、驚いた様子で体を震わせた。榎も衝撃を受け、嫌味に笑う宵月夜を睨み上げた。
「お前、白神石を手に入れるために、あたしたちを利用するつもりだったのか!?」
宵月夜が、探し物が見つからなくて困っていると知れば、周は絶対に、協力しようと行動する。その心理を巧みに突いて、宵月夜は楽をして、榎たちに石探しをさせようとしていたのか。
「お前たち、月麿から、白神石について何も聞かされていなかったんだろう? 石について無知なくせに、馬鹿みたいに行動力だけはある。優秀な手足として使えそうだったから、使ってやろうと思っただけだ」
使うなんて、人を物みたいに。
聞き捨てならない言葉だ。あまりに狡猾で薄情で、人の優しさを無碍にする宵月夜の態度に、榎は怒りを隠しきれなかった。
「そんな考え、酷すぎるだろう。委員長は、お前らのためを思って、色々と親切にしてくれているんだぞ。恩を仇で返すなんて、最低だ!」
「知るか。別に頼んだわけでもない。熱心に妖怪に接触しようとしてくるから、相手をしてやっているんだ。感謝されるべきは、俺たちのほうだぞ」
宵月夜に、悔い改める姿勢は見られない。榎には信じられなかった。敵対する立場の榎たちならともかく、妖怪たちと親しくなりたいと、努力している周に対しては、僅かでも心を開いてくれていると思っていたのに。
「だいたい、その人間だって、妖怪についてあれこれ詮索してくるが、何が目的なのか、さっぱり分からねえ。そいつこそ、俺たちを利用して、何か悪事をやらかそうとしてるんじゃねえのか?」
「宵月夜、お前な……!」
怒りが限界に達した榎は、縁側に降り立とうとした。木によじ登って、とっ捕まえてやらなくては気が済まない。
だが、腕を周に掴まれ、制止された。周は悲しげな表情を浮かべつつ、必死で首を横に振っていた。
榎も、無理には振り解けなかった。
「お前みたいな、甘っちょろい四季姫には分からないだろうけれどな、親切ぶって妖怪に近付いて来る人間なんて、ろくな奴はいねえんだ。千年前だって同じだ、俺が人間なんかに心を許したばかりに、大切なものをたくさん失った。同じ過ちを、繰り返すわけにはいかないんだよ!」
「つまり、委員長がお前たちのために行ってきた親切も、あたしがお前たちを悪鬼から助けた行動も、全部、人間の自己満足だって言いたいわけだな。あたしは、もし、妖怪たちと分かり合えるなら、無理に封印なんてしなくてもいいと思っていたんだ。みんなで、別の方法を考える道だって、あると信じていたのに――」
くだらない希望を抱いていた、榎が馬鹿だった。
やっぱり、妖怪は人間の敵。倒し、封じるべき標的でしかないのかもしれない。
「お前がそういう態度なら、あたしたちだって、黙っていないからな! 先に白神石を見つけて、四季姫を揃えて、お前を封印する!」
榎は声を荒げ、宵月夜に指を突き出した。初めて、心から行う、妖怪への宣戦布告でもあった。
「やれるもんなら、やってみろ。白神石は、俺たちが先に手に入れる」
宵月夜も榎を睨みつけ、空へと飛び去っていった。
「榎はん、落ちついてください。興奮せんと」
周に宥められ、榎は昂ぶった気持ちを鎮めた。急に体の力が抜けて、縁側にへたりこむ。
「大丈夫どすか? 榎はん」
「ごめん。でも、何だかショックでさ。……あいつは、もっと、いい奴だと思っていたんだ。あんまりだよな。妖怪と仲良くしたくて、努力している委員長の気持ちまで、踏み躙るなんて」
榎への態度よりも、周に向けられた敵意のほうが、許しがたかった。
でも、周は優しく微笑んで、榎の背中をさすって、落ち着かせてくれた。
「たとえ、利用するつもりでも、私と関わりを持とうとしてくださった。宵月夜はんの態度としては、大きな前進やと思うとります。私は、満足どすえ」
とても前向きな周だったが、榎には同じ考えを、持てそうになかった。
絶対に、白神石を手に入れる。宵月夜に、邪魔なんてさせない。
気持ちを固めて、意気込んだ。




