第一章 夏姫覚醒 4
今回の項より、関西弁(主に京都弁)が登場します。
ニュアンスの分かりづらい表現を、いくつか標準語に直した表を前書きに載せますので、参考になればと思います。
・大きゅうなったね → 大きくなったね
・ほんま → 本当
・よろしゅうお頼申します → よろしくお願い申し上げます
・思えへん → 思えない
・せやな → そうだな
四
終点でバスを降りると、いかにも田舎、といった風景の場所にたどり着いた。
〝四季が丘〟という町らしい。民家はほとんど見えず、広い土地の多くが、田んぼだった。
「のどかな場所だな~。こういう静かな所、結構好きかも」
「えー、いいですかねぇ? 椿は田舎より、都会が好きですぅ」
榎が和んでいると、椿は表情を歪めた。
「榎さんって、名古屋から来たんでしょう? 名古屋って、超都会ですよねぇ。いいなぁ」
「都会っていいかなぁ? 人も建物もごちゃごちゃしていて、なんだか落ち着かないけどな」
どうも椿とは、考え方が正反対だなと、苦笑した。
椿に連れられて、榎は風情のある田舎道を、観光気分で物珍しく見渡しながら歩いた。
日の当たる場所では、木々や草花が少しずつ芽吹き、春の装いを見せていた。変わって、日陰には、まだ雪が融けずに残っている場所もあった。冬と春が同居している風景に、榎はとても魅せられた。
田畑には蓮華や、小さな白や青色の花が咲いていた。遠くの畑には、菜の花も植えてあった。美しい自然の色合いだ。名古屋の実家の周囲では、なかなかお目にかかれない。
「着きましたよ! こちらが、花春寺の入り口ですぅ」
椿が立ち止まり、指をさした先には、途方もなく長い石段があった。道と階段の境には、〝花春寺〟と文字の彫られた、縦長の御影石が立てられていた。
「流石、お寺だな……。階段を登らなきゃいけないんだね」
石段は両側を竹林に挟まれていた。手前に枝垂れる竹の葉で視界が遮られ、石段の頂上が見えなかった。どこまで続いているのか、まったく分からなくて、少し途方に暮れた。
椿を先頭に、一列になって狭い石段を登っていった。勾配もかなり急なので、ゆっくりなペースで足を進めた。
どのくらい登ったか分からないが、徐々に椿の足取りが遅くなってきた。椿は息を切らし、途中で足を止めて膝に手をついた。
「疲れるわぁ。いつもは、裏手にある緩やかな坂道を、車や徒歩で上り下りするんです。バス停からだと、階段のほうが近いと思ったんですけど、遠回りしても坂道にしたほうが、よかったかなぁ」
辛そうにしながらも、愚痴をはく元気はある様子だった。
「榎さん、大文夫ですか!? もう少しで、頂上ですからね!」
榎にも励ましの言葉をかけてくれるが、榎は椿ほど、息を切らしても疲弊してもいなかった。
「ありがとう。思ったよりも、大した階段ではなさそうだし、大丈夫だよ」
瓢々と榎が応えると、椿は驚いて、目を輝かせた。
「すっごーい。尊敬しちゃいますぅ。椿の友達なんて、遊びで登っても、階段の半分くらいでへたばるのに。榎さんって、なにかスポーツしてるんですか?」
「名古屋にいた頃は、剣道の道場に通っていたんだ。これから通う中学にもあるかな? 剣道部」
「かぁっこいい~! 剣道ですか、素敵ですね! 中学に入っても剣道部に入るつもりなんですね!? あると思いますよー、青春に武道って、つきものですからね! がんばってください!」
椿に応援されて、榎は妙に照れた。
「ありがとう。がんばるよ」
あとは無言のまま、ひたすら石段を踏みつけ続けた。
太陽が真上から柔らかな光を注いでくる。そろそろお昼時だろうか。
「はー、やっと到着ですぅ。こちらがお寺の玄関ですよー」
ようやく頂上まで登りきると、視界が開けた。見事な広い庭と、歴史のありそうな木造の建造物が姿を現した。
寺の門扉の前で、二人の男女が並んで立ち、こちらを見ていた。
「パパとママだわ! ただいま~」
椿は嬉しそうに二人に駆け寄った。着物姿がよく似合う、小柄でおっとりした女性が、椿を笑顔で迎え入れた。
「お帰りなさい、椿ちゃん。ちゃんとお使いできたみたいやねぇ。ご苦労さま」
京都弁を話す女性は、椿の頭を撫でたあと、榎に向き直った。女性は榎よりも背が低く、少し上目遣いで、榎を見てきた。
「水無月榎さんやね。大きゅうなったねぇ、叔母さんを覚えてる?」
「はあ、ええ、まあ……」
曖味に返事をしたが、本当はまったく記憶がなかった。
「覚えてるわけ、ないわねぇ。まだ小ちゃかった頃に、一度、会ったきりやもんねぇ。椿の母の桜です。こっちは椿の父親で、お寺の住職の木蓮。家族一同、よろしゅうお頼申します」
桜は、礼儀正しく挨拶してきた。隣に立っていた作務衣姿の男性――木連にも、笑顔で会釈された。榎も慌てて、お辞儀を返した。
「ほんまは、私が車で駅まで迎えにいくつもりやってんけど、急な用事ができてしもうて。堪忍やったで。おうちのほうは大変みたいやけど、帰れる目処がたつまで、自分の家やと思うて、寛いでください」
「こちらこそ。突然、居候する羽目になって。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」
「ほお、礼儀のしっかりした、ええ子やなぁ。姉さんの子供とは思えへんわ。椿も見習わなあかんで」
木蓮が大声で笑った。榎にとっては血の繋がった叔父にあたる人だ。 どことなく、目元が梢に似ているなと思った。
「もぉ、やだー、パパったら! 椿だって、いい子だもん! ご挨拶だって、ちゃんとできるもん!」
榎と比べられて、椿は怒った。木蓮の背中を叩いて、ふくれっ面をした。
「せやなぁ。椿もできるなぁ。ええ子やな」
別に痛くも痒くもなさそうに、木蓮は再び、豪快に笑った。
寺の坊主がパパ、と呼ばれている情景に、珍妙な違和感を覚えたが、とても仲のよい親子なのだなと、榎は少し羨ましく思った。
家族か。榎は記憶の中の、いつも賑やかで笑いの絶えない、水無月家の姿を思い起こした。
みんな今頃、どうしているだろう。名古屋を出て、まだ一日も経っていないのに、榎は既に家が恋しくなっていた。