第四章 悪鬼邂逅 8
八
『えのちゃん、えのちゃん! お願い、返事をして!』
耳元に響く悲痛な声を聞き、榎の意識が戻ってきた。
「椿の声がする……。どこから……?」
朦朧とする中、榎は体を起こして四つん這いになり、声に向かって返事をした。
『よかった、えのちゃん! 髪飾りで通信しているのよ』
椿の声が、頭の中でだんだんと鮮明になってきた。榎はやっと覚醒し、頭につけている百合の髪飾りに意識を集中させた。
「麿だけじゃなくて、椿とも交信できるんだ。便利だなぁ、電話いらずだ」
気持ちに余裕が生まれて、榎は軽く笑った。どうやら、土砂に巻き込まれて死んだわけではないらしい。生きていると分かっただけで、安堵が大きかった。
『麿ちゃんに助けを頼んだら、先ずは生きているかどうか確認しろって、言われたの。えのちゃん、無事? 怪我は?』
「大丈夫。あちこち痛むけど、動ける。土砂にも潰されていない。うまく、山の中の坑道に潜り込めたみたいだ」
榎は、心配してくれる椿に、現状を伝えた。だが、周囲は真っ暗で、詳しい状況の説明はできなかった。
「椿は? 委員長も無事なのか?」
『椿たちの心配なら、しなくていいよ。うまく岩影に隠れて、やり過ごしたから。さっちゃんも、八咫ちゃんも、一緒にいるわ』
みんなの無事を聞いて、榎はひとまず、安心した。
「悪鬼は!? まだ近くにいるのか?」
だが、坑道へ潜り込む直前の出来事を思い出した。悪鬼は椿たちに、危害を加えてはいないだろうか。心配になった。
『山の周りを、うろうろ歩き回っているの。椿たちなんて、眼中にないみたい。きっと、えのちゃんと一緒に崖崩れに巻き込まれた、宵月夜を探しているのよ』
外は、今のところ、心配ない様子だった。榎はようやく、現状を頭の中で整理した。
まず最初に、一緒に坑道の中に逃げ込んだ、宵月夜の存在が気に掛かった。榎の近くには、誰の気配もない。宵月夜や、一緒に連れていた狸宇は、無事に助かっているだろうか。
目が慣れて、坑道の輪郭がぼんやりと、分かり始めてきた。手探りならば、動けそうな気がした。
「少し、坑道を歩いてみるよ。出口が見つかるかもしれないし」
『わかったわ。気をつけてね』
通信を切り、榎は壁に手をついて、真っ暗な前方を凝視しながら、慎重に足を踏み出して行った。
足場は、元々でこぼこしているのだろうが、崩れた土砂が辺りに散らばって、踏みつけると足の裏が痛かった。躓きそうになりながら、へっぴり腰の千鳥足で、通路を前進した。
途中で、道が直角に折れていた。迷路みたいに入り組んでいると、迷子になりそうで困るなと、心配になった。
しばらく進むと、前方の道が、ぼんやりと淡い光を放っていた。視界が開けた気がして、出口かと思った。
榎は勢いづいて、光の見える方角へと走っていった。
近付いてみると、光は出口ではなかった。通路の途中で、地面に落ちている何かが、光っているみたいだった。
光の袂には、宵月夜が倒れこんでいた。榎よりも先に目を醒まして、出口を求めて彷徨っていたのだろうか。少し歩いて、力尽きて倒れた、といった感じの体勢だった。
榎は、宵月夜の側に歩み寄った。恐る恐る、手に触れてみると、血管が、普通に脈打っていた。気を失っているだけだと分かり、一応、安堵した。
足を怪我しているらしく、袴の裾が、血に滲んでいた。出血は止まっているみたいだったが、骨折でもしていては大変だと思った。
宵月夜は、首から、古めかしい首飾りをぶらされていた。光源は、首飾りの先端についている、ピンポン玉くらいの大きさのガラス玉だった。
榎はしばらく、首飾りを見つめていた。
『――助けて。苦しい。誰か……』
急に、頭の中に、誰かの声が流れ込んできた。榎は驚いて顔を上げて、周囲を見渡した。だが、榎と宵月夜の他には、人のいる気配などなかった。
「……気のせいかな?」
気のせいにしては、やけにはっきりとしていた。宵月夜の声とは、少し違った。
周囲の静寂に耳を済ませていると、突然、側で悲鳴があがった。榎は吃驚して、飛び起きた。
悲鳴の主は、宵月夜だった。頭を抱えて、声を張り上げていた。錯乱状態に陥っているのか、酷く暴れだした。
「落ち着けよ! 暴れるな、怪我をしているんだから」
榎は慌てて、宵月夜を押さえつけた。激しく暴れるので、上から乗っかって、なんとか動きを止めた。
「来るな、来るな! 来ないでくれ!」
魘されていた。悪鬼に怯えて、恐ろしい夢でも見ているのかもしれなかった。
宵月夜は顔中に汗を浮かべ、息を荒げながら、目を醒ました。榎は宵月夜の側から身を引き、顔を覗き込んだ。宵月夜も、榎の顔を無言で見つめていた。
「怖がらなくてもいいよ。あたしたち、坑道の中にいるんだ」
榎は宵月夜を宥める口調で、説明した。
「坑道に潜り込んだから、悪鬼は、あたしたちを見失ったんだ。外ではまだ、お前を探して歩き回っているらしいけど、ひとまずは安心だよ」
暗闇で見辛いかもしれないが、宵月夜を安心させようと、榎は気さくに笑いかけた。
「……なぜ、陰陽師が、妖怪を助けた」
宵月夜は訝しげに、榎を見つめてきた。榎は複雑な心境で、頭を掻いた。
「助けたくて、突っ込んだわけでもないんだよなぁ。体が勝手に、動いたんだよ。助かるかどうかも、五分五分だったしさ」
榎自身も、具体的な理由は説明できなかった。
宵月夜は腑に落ちない顔をしていたが、以後は何も言ってこなかった。
「外は危ないかもしれないけれど、いつまでも、こんな暗い場所にいるわけにもいかないな。出口を探して、進もう。足を怪我しているけど、立てるか?」
沈黙が落ち着かず、榎はすかさず、話を進めるために口を挟んだ。
「俺に構うな。外に出たければ、勝手に行け」
宵月夜は、ぶっきらぼうに言い放ってきた。宵月夜は、動こうとしなかった。一人では動けないが、弱みを見せたくなくて虚栄を張っているのだと察した。
坑道の中は狭すぎて、翼も広げられない。歩いて進むしかないが、足が使えない宵月夜には、無理そうだった。
榎は、近くに落ちていた棒切れを拾った。坑道の崩壊を防ぐために取り付けられていた支えの棒の一部かと思われた。古そうだが、しっかりした木だった。
宵月夜の袴を捲り上げ、棒切れを押し付けた。
「何をする! 俺に触るな!」
警戒して逃げようとする宵月夜の足を、強く押さえつけた。着物の裾を噛み千切り、足と棒切れをきつく結びつけた。最近、少し勉強した、骨折した人への応急処置だった。
「いきり立つなよ。同じ穴の貉だろう? お前は怪我のせいで、一人で歩けない。あたしは、道が分からないから、一人でうろうろできない。だったら、互いに協力したほうが、いいに決まってるじゃん。お互い、強がりは無しでいこうぜ」
榎が笑いかけると、宵月夜は薄明かりの中、少し苦い顔を浮かべていた。
宵月夜に肩を貸し、立ち上がらせた。宵月夜は榎に支えられながら、足を引き摺りながら、ゆっくりと歩き出した。
榎たちは、坑道に沿って、前へと進み始めた。




