第三章 春姫覚醒 5
五
週明けの、放課後。今日から、テスト一週間前の準備期間に入った。
「なんとか学級閉鎖には、ならずに済んだどすな。中間テストも、予定通りの期間で行えるらしいどす」
榎は周と一緒に、学校一階の廊下を歩いていた。周は職員室で中間テスト実施の情報を手に入れて、鞄を抱きしめて安堵の息を吐いていた。
「休んでいる人たちは、後日に改めて試験を受けられるんだってね」
「今日から試験一週間前。部活も休みどす。頑張って勉強どすな、榎はん!」
鼻息の荒い周とは真逆で、榎は気持ちが重苦しかった。
「勉強ね。嫌だけれど、赤点を取らない程度には、頑張らなきゃな。お母さんに殺される」
「榎はん、親御さんと離れて暮らしてはるんやから、別に怒られはせんでっしゃろ?」
不思議そうに尋ねてくる周に、榎は乾いた笑いを浮かべた。
「実はさ、椿のお母さんが、あたしのテストを逐次FAXで、お母さんの住んでいるところに送っているんだよ。この前の漢字の小テスト、百点中十点だったんだけれど、送った途端に電話がかかってきて。こってり絞られたよ」
電話口で、梢の怒声を聞いた瞬間の恐怖を、鮮明に思いだした。榎の背筋に悪寒が走った。
「あきまへんなぁ。お母はんを心配させんためにも、勉学に力を入れんと」
「学校の勉強に部活に、妖怪退治。毎日忙しすぎるよ。あたしも風邪ひきたいなぁ。寝込んでいれば、少しは体も休められるのに」
周の説教も、もっともだが、榎の体力も、そろそろ限界に近かった。
本当に風邪で苦しんでいる人達には申し訳ないと思いつつ、榎は本気で寝込みたかった。
「まったくだな。どうしてお前らは、病にかからないんだ」
突然、背後から声がした。
驚いて振り返り、榎は校内の中庭に響くほどの大声をあげた。
榎たちの背後には、蝙蝠みたいに逆さまになって、あぐらをかいて浮かんでいる宵月夜がいた。
「宵月夜!? どうして学校に、宵月夜がいるんだ!」
榎は高鳴る心臓を落ち着かせながら、反射的に身構えた。
逆に、周は驚きながらも、極上の笑顔を浮かべて宵月夜に視線を送っていた。
「宵月夜はん! 私に会いに来てくれはったんどすか!? 感激どすぅ~!」
宵月夜の手を取り、周は頬を赤く染めて、にやけた。
「違う、断じて違うぞ! お前に会いに来てなどいない! 俺はこの周囲に放った手下の妖怪が、ちゃんと仕事をこなしているか確認に来ただけだ」
宵月夜は表情を引き攣らせて、必死の動きで周から逃れた。
「手下の妖怪だと!? いったい、何の悪さをさせているんだ!」
聞き捨てならない宵月夜の言葉に、榎は嫌な予感を覚えた。宵月夜は体を反転させて正位置に戻し、榎を見下ろして、せせら笑った。
「俺の放った妖怪は、あらゆる病の原因を作り出す『病魔』だ。病魔の妖気に触れ続けた者は、不治の病に侵される」
宵月夜はあたりを見渡し、指笛を吹いた。
「病魔、でてこい、病魔!」
「はいはい、お呼びですかな、宵月夜さま」
宵月夜の掛け声に応じて、どこからともなく、病魔がやってきた。
病魔は、死に装束みたいに真っ白の着物をきた、病弱そうな男の姿をした妖怪だった。懐に古ぼけた本を突っ込み、薬臭さの漂う籠を背負っていた。籠からは、擦り棒やトカゲらしい爬虫類の干物、小刀などが飛び出していた。
「病魔。俺は病を流行らせて、夏姫を行動不能にしておけと命じたはずだ。なのに、なぜ夏姫は今もピンピンしているんだ」
宵月夜は病魔を睨みつけた。病魔は悪びれた態度など微塵も見せず、宵月夜と榎を交互に見て、嫌みな笑いを浮かべた。
「病原菌は順調に、辺りに蔓延しております。ですが、病気の種類にも色々ございますし、人間にも耐性があったりなかったりで、未だに万能の域には達しておりません。さらに、夏姫に効く病を選んでぶつけるとなると、なかなか至難の業です。ひょっとしたら、どんな病も、夏姫には通じぬかもしれませんしなぁ。馬鹿は風邪を引かぬ、といいますし」
淡々と応えつつ、病魔は榎を挑発的な目で見下して、嘲笑した。
「なんだとぉ!? 誰が馬鹿だ、馬鹿だけど!」
榎は無性に腹が立ち、病魔を睨み返した。
「榎はんに失礼どすえ。天才の私が引いとらんのどす、馬鹿が風邪を引かないなんて、迷信どす!」
「委員長、あたしが馬鹿だって話は、否定してくれないんだね……」
周も病魔に対して反論してくれたが、どうにも榎を庇っての発言ではない気がして、少しショックだった。
気持ちを切り換えて、榎は宵月夜たちを指差し、怒りをぶつけた。
「町中で流行っている病気は、お前らの仕業か! 今すぐやめさせろ」
「榎はんの言う通りどす。さらに病人が増えたら、ほんまにテストが中止になるどす。悪さはいけまへんで、宵月夜はん」
「うるせえ。人間どもが病気でどうなろうが、知るか。俺の邪魔をする奴らは、全員、報いを受ければいい」
榎や周の訴えなど歯牙にもかけず、宵月夜は鼻を鳴らして流した。
「病魔、今よりも、もっと強力な病気を辺りに蔓延させてやれ」
宵月夜は病魔に命令を下した。病魔は楽しそうに、懐から小さな壷を取りだし、被せてあった木蓋を開けた。
壷の中から、光を放つ隣粉らしきものが飛び出し、空気中に飛散した。
「あの光っとる粉が、病気の原因どすかな」
様子を見ていた周の言葉に、榎は焦った。
「やめろ! これ以上、病気を広げるつもりなら、あたしが許さないぞ!」
一刻も早く、病魔を倒す必要があった。榎は百合の髪飾りに手を翳した。
だが、榎は手を周に掴まれた。驚いて周を見ると、周は榎を見て、真剣な表情で首を横に振った。
「榎はん、学校で戦うのはまずいどす」
周の判断は、正しかった。放課後とはいえ、学校にはまだ人が残っていた。榎が変身して、剣を振り回している姿なんて見られたら、大騒ぎになる。
榎は舌を打ち、夏姫への変身を諦めた。
「お前たちとの戦いは、すぐにあたしが受けて立つ! だから、卑怯な真似は止めて、あたしと戦え、宵月夜!」
せめて、学校で病原菌を撒き散らす行為だけは止めさせなくては。
榎は必死で、宵月夜に訴えかけた。
しばらく、榎を睨んでいた宵月夜だったが、優勢の状況から、余裕の態度を見せていた。
榎の言葉を受け入れたらしく、頷いた。
「いいだろう。生半可な病原菌では、貴様は倒せないらしいからな。夕刻、裏の山にて待つ。お前に最強の病をくれてやるから、覚悟して来い」
宵月夜は、病魔を引き連れて、学校の裏山へと飛び去って行った。
「まさか、流行り風邪が、妖怪はんの仕業やったとは、驚きどすなぁ。病魔が原因なんやったら、倒せばみんな、元気になるでしょうか」
宵月夜たちの飛んで行った空を見上げながら、周が漠然と呟いた。榎は大きく頷いた。
「きっとなるよ。一刻も早く、病原菌を駆除しなくちゃね。今から宵月夜を追いかけて、病魔を倒しにいこう」
榎は気合いを入れて、周を促した。
「すんませんけど、私は今回、パスさせていただきます。勉強のために時間を割きたいので」
なのに、榎とは裏腹に、周は冷めた態度で軽く手を振った。榎の勇むテンションに乗ってくるとばかり思っていたのに。期待が外れて、少し調子が狂った。
「マイペースだなぁ、委員長。まあ、来ないほうが安全だと思うから、別に構わないけれどさ」
「言うときますけど、今回だけどすえ? テストが終わったら、またご一緒しますからな」
周の意見を快く受け入れて賛成した榎に、周はすかさず念を押してきた。妖怪に対する周の情熱は、冷めた態度の中にも、熱く煮えたぎっていた。
「あっ、えのちゃん、みっけ~。今日から部活、お休みよ! 一緒におうち帰りましょ」
椿の声が、廊下に響いた。嬉しそうな顔をして、椿は榎たちの側へと、駆け寄ってきた。
今日からテスト一週間前で、部活も休みに入っていた。榎と一緒に下校したいと考えている椿にとっては、恰好の期間だった。
逆に榎にとっては、非常に困った事態だった。部活がないため、言い訳めいた下手な嘘を、椿に吐けない。榎は、とても焦った。どこへ行くと説明しても、椿はついて来そうな気がした。
「あの、ごめん、椿。あたし今からちょっと、用事があって」
結局、いい嘘は浮かんでこなかった。榎は言葉を濁して、さりげなく椿の誘いを断ろうとした。
「じゃあ、用事が終わるまで待ってるよ」
だが、椿も決して引き下がらなかった。椿は一歩、榎ににじり寄った。榎は困って、一歩後ずさった。
「いや、たぶん、かなり遅くなると思うから。椿は、先に帰ったほうが……」
榎の逃げの態度に、椿の表情から笑顔が消えた。場の空気が、一気に凍りついた。
「用事って、何よ。さっちゃんには話せるのに、椿には内容も教えてくれないの!?」
椿は今にも泣きそうな顔をしていた。同時に、怒りも浮かべていた。榎は言葉も出ず、唖然として、椿を見つめていた。
「それとも、用事なんて嘘? 言い訳? 本当は、椿と一緒に帰りたくないんでしょう」
「違うよ、あたしだって本当は、椿と一緒に早く帰りたいんだ。でも、深い事情があって……」
正直に、言ってしまおうか。榎は意を決したが、椿は既に、榎の言葉になんて、耳を貸してはくれなかった。
「椿は、えのちゃんのいとこなのに。一緒に住んでいるのに。一番仲良しだと思っていたのに……。どうして椿だけ、仲間外れなのよぉ!!」
椿の金切り声が、頭にも心にも、硝子の破片みたいに突き刺さった。
「違うんだ、仲間外れにしているわけじゃなくて、だから……」
「うっさい! 何も教えてくれへん、えのちゃんなんて大っ嫌いや、あほんだら―!!」
椿は榎に怒鳴り付けて、踵を返して走り去っていった。
「ひいゃあああ、椿が、めちゃくちゃ怒ってるー! 口調が関西弁になってた。あほんだらって言われた……。どうしよう、委員長!」
気が動転した榎は、慌てふためいた。周に助けを求め、周の腕を強く掴んだ。
「まあ、いっときの怒りでしょうから、冷めれば向こうから謝ってくるかもしれまへんけれど」
「さらっというね、委員長。ちょっと扱いが軽すぎない? 椿が可哀相だよぉ!」
周の冷たい言葉を、榎は非難した。周は不愉快そうな表情で、榎を軽く睨んだ。
「責任転嫁は、やめなはれ。椿はんを傷付けた張本人は、他でもない榎はんなんやさかい」
榎は言葉を詰まらせた。周は間違っていない。椿を怒らせて、泣かせた元凶は、榎自身だ。榎は気持ちを落ち着けて、冷静になった。
「ごめん。無意識に、逃げていた。あたしが、悪いんだ……」
「私は、椿はんとは幼稚園の頃からの腐れ縁どすから。キレて走っていく姿は、初めて見たわけやないどす。椿はん、寂しがり屋どすから、喧嘩とか絶交とか、言い出しても長くもたへんどす。気にしすぎても、事態はようなりまへんで」
周は俯く榎の背中を軽く叩いた。自己嫌悪する榎を宥めてくれていたが、榎は周の言葉には甘えられなかった。
「寂しがり屋なんだったら、なおさら放っとけないよ。ちゃんと、あたしから謝らなくちゃ」
もう、面倒を嫌がって逃げたくなかった。榎は椿と真っ正面から向き合う決意を固めた。
「私には私の、榎はんには榎はんの、椿はんに対する接し方があるはずどす。妖怪退治は後回しにして、今は椿はんとの仲直りが優先どすな」
周は笑って、榎を応援してくれた。
「椿を追いかけて、今日はまっすぐ帰るよ」
榎は周に別れを告げて、帰り支度を整えて学校を飛び出した。




