二章Interval~伝師 綴~
金曜日の、夜が暮れた。
田舎の四季が丘町は外灯の数も少なく、病室の窓から眺めた景色は、ほぼ真っ暗闇だった。
綴は車椅子に乗って窓の側へ寄り、窓の桟に肘を乗せて頬杖をついていた。外の暗闇をじっと見つめ、物思いに耽っていた。
今日、綴の病室を訪れた少女――水無月榎の存在が、綴の頭の中の大半を占めていた。
榎は背も高く、大人びて見えたが、顔をつきあわせて言葉を交わせば、子供なのだとすぐに分かった。悪びれたところが少しもない、素直で明るく、礼儀正しい少女だった。
時々、遠慮がちな態度を示したり、自信のなさが表情から垣間見える時があった。おそらく、男勝りな性格がコンプレックスになっていて、おしとやかで可憐な少女像に憧れる本能との間で、葛藤を起こしているのだろう、と綴は推察した。
物書きの性分なのか、綴は榎の言動を思い出し、冷静に分析していた。思考を巡らせれば巡らせるほど、榎の気取らない仕草や言葉に好感を覚え、自然と口の端がつり上がった。
榎は、綴に女の子だと認識された事実が信じられないらしく、驚き、困惑し、頬を赤く染めていた。恥ずかしがる榎の姿が、今も目を閉じれば瞼の裏に、鮮明に焼き付いていた。
綴は車椅子を操ってベッドの脇へ戻った。ベッドの脇に取り付けられた明かりが、スポットライトみたいに綴のベッドをてらしていた。ゆっくりと体を移動させて、布団の上に腰を下ろした。
足の上に机をセットし、ベッド横のチェストから取り出した、原稿用紙の束を広げた。
子供の頃から精密機械は苦手で、パソコンやワープロを触ると、途端に目眩を覚えた。なので、綴は原稿を書く際には、必ず手書きで執筆を行った。
鉛筆を握り、綴は原稿を書き始めた。
現代に蘇った陰陽師、四季姫の物語。
榎から聞いた話と、綴が夢の中で実際に見た光景を重ね合わせて、物語を織りなしていった。
――夏姫は戦う。身を挺し、心を、体を傷つけられる恐怖さえ厭わずに、妖怪へと立ち向かう――
夏姫に感情移入しながら筆を走らせていると、無性に心に痛みを感じた。
凛々しく戦う強き姫君と、病室で出会った榎の姿が、うまく重ならなかった。なぜだろう――と考えた。
綴は脳裏によぎった疑問を、原稿にぶつけた。
――夏姫よ。君はなぜ、戦うのか?
美しい肌を傷つけ、命さえもを削りながら戦い続けた果てに、何を見出しているのか?
君は、こちらの世界へ来てはいけない。もっと、ふさわしい場所が、穏やかな世界にはあるはずだ。
願わくば、君が戦いなど忘れて、一人の可憐な少女として、流れゆく時を静かに生きて欲しいと――
音を立てて、鉛筆の芯が折れた。
綴の指に、思いがけない力が入った。書きかけの原稿用紙を強く握りしめ、両手で握りつぶした。
今日は書けないと瞬時に悟り、綴はベッドに背中を預け、明かりを消した。
「もっと、君について知らなければ、続きへは進めないみたいだね。榎ちゃん」
綴は薄暗い天井に、語りかけた。
「夏姫よ、いつか僕に、教えて欲しい。君の描く、戦ってでもてに入れたい、君の未来を」
窓の外が、だんだん白けてきた。もう朝が、訪れ始めていた。
思いがけず、徹夜になってしまった。また医者や看護師たちに怒られなるなと思い、綴は今からでも眠ろうと、ベッドに横たわった。
サイドランプのスイッチを切り、綴はゆっくり、目を閉じた。
凛々しく、可憐に戦う夏姫に、夢の中で逢えたらいいなと、少し期待を込めながら、眠りの世界へと降下していった。
* * *
お昼頃。綴は烏の妖怪を相手に戦う、珍妙な格好をした妹の姿を夢に見て、悲鳴をあげて飛び起きる羽目になった。




