第二章 伝記進展 12
十二
「どうした人間! 来ぬのならば、我からいくぞ!」
八咫が再び、攻撃をしかけてきた。
奏をこれ以上、危険な状況で戦わせるわけにはいかなかった。
「奏さん。伏せて!」
榎は奏を庇って八咫の前に立ちふさがり、百合の花の髪飾りを頭上に掲げた。
「いと高し 夏の日差しの 力借り 天へ伸びゆく 強き百合花」
詩を詠み、榎の体に力が漲った。
「――夏姫、ここに見参!」
十二単を身にまとい、榎は夏姫へと変身を遂げた。
剣を構え、振りかざした。八咫が飛ばしてきた竜巻を、真っ二つに切り裂いた。
「んまあっ、榎さん、どこにそんなコスプレ衣装を、お隠しになっていらしたの!?」
変身の一部始終を、すぐ側で垣間見た奏は、驚いて声を張り上げた。榎は思わず脱力した。
「コスプレじゃないですよ!! 話すと長くなるんですけど」
「水無月はん、いったい、どうなっとるんどすか!」
突然、側の茂みから、私服姿の周が飛びだしてきた。予想もしない人物の登場に、榎はすごく動揺した。
「委員長l? どうして委員長がこんな場所にいるの!?」
まったくの部外者である周に、変身した姿を見られてしまった。榎の焦りは、最高潮に達した。
「図書館にでかけた帰りに偶然、水無月はんが歩いていく姿が見えたんどす。追いかけて、声をかけよう思うたら、山の中へ入って行きはったから、気になって、後をつけてきたんどす」
榎は不注意さを悔いた。道中に感じた、誰かの視線は、気のせいではなかった。まさか周だったとは、想像もつかなかった。
「様子を見とったら、変な祈祷師みたいな人はくるわ、しゃべる烏はでてくるわ。おまけに水無月はんまで、おかしな格好に……」
「委員長にも、あの烏が見えているの!?」
周は頷いた。榎は驚いた。周も、妖怪が見える体質なのかと。奏の他にも、妖怪が見える人がいるなんて。予想外の事実に、榎は困惑するしかなかった。
「どうなっとるんどす、水無月はんはいったい、何をしとるんどす? 説明してください!」
「わたくしも、聞きたいですわ。あなた、いったい何者ですの?」
奏と周、二人が揃って榎に食いついてきた。榎は困って、一歩後ずさった。
「えーとね、だから、話すと長くなるんだよ。この烏を倒したあとで説明するから、待ってて!」
二人が突き刺してくる視線を受け流し、榎は八咫に向き直って、剣を構えた。
「ほう、貴様が四季姫か。宵月夜さまを脅かす敵め! 我が始末してくれる!」
八咫の標的が、榎一人に絞られた。再び八咫は翼を開き、風を起こし始めた。
「やれるもんなら、やってみろ! 〝竹水の斬撃〟 !」
攻撃される前に、榎は素早く飛び上がり、技を繰りだした。
榎の攻撃を避け、間一髪で八咫は身を引いた。距離が開いたが、剣先が八咫の胴を、薄く切り裂いた。
「くわあっ!! な、なかなかやりおるな」
傷口は浅かったが、八咫にはそれなりにダメージを与えられたみたいだった。
腹を押さえ、八咫はひるんでいた。
「榎さんが、八咫烏を圧していますわ。なんてお強いの……!」
唖然とした奏の声が、背後から聞こえた。
「もういっちょ、これでとどめだ!」
榎は再び剣を構えた。逃げられる前に倒してしまおうと、一気に問合いをつめた。
「申し訳ありませぬ、宵月夜さま、八咫はもう、こやつにかないませぬ……!」
八咫は目を開じ、覚悟を決めて俯いた。
榎は八咫へと斬りつけた。はずだったが、剣には何の感触もなかった。
枝の上に、八咫の姿は見えなかった。地上に降り立った榎は、驚いて上空を見渡した。
「諦めるな、八咫。お前は死なない。俺が助けるからな」
突然、聴いた覚えのある少年の声が、頭上から響いた。反射的に榎が声のした方角を見ると、黒い羽を持つ着物姿の少年――宵月夜が空中に浮かんでいた。
腕には手負いの八咫を抱き締めていた。
「宵月夜さまあっ! 八咫を助けにきてくださったのか! ありがたき幸せ!」
八咫はしばらく困惑していたが、宵月夜の腕に抱かれていると気付いて、歓喜の声をあげて泣いた。
「夏姫、随分と俺の手下を可愛がってくれたみたいだな」
宵月夜の表情が怒りで歪んだ。噛み締めた口の中には、鋭い犬歯が覗いていた。
「八咫の傷の仕返しだ、くらいやがれ!」
八咫を片腕に抱えなおし、宵月夜はもう片方の腕を、頭上に突き上げた。
直後、八咫の作りだした風とは比べ物にならないほど、激しい突風が巻き起こった。まるで台風みたいに、辺りの松林をなぎ倒す勢いで、風が吹き荒れた。榎たちも吹き飛ばされそうになりながら、足を踏ん張った。
巻き上げられた小石が顔や腕にぶつかり、痛みが走った。
「どうしよう、攻撃したくても近づけない。全然、敵う気がしないよ、奏さんや委員長もいるっていうのに……」
榎は二人の防壁になるだけで、精一杯だった。とても今の体勢から、宵月夜に立ち向かうなど、不可能だった。
榎も結構強くなって、力をつけてきたと自信を持っていた。だが、宵月夜の本気の力には、とうてい敵わないのだと悟った。
もっと、真剣に鍛錬を積んでおけばばよかったと、普段以上に悔やんだ。
「おのれ、新手の妖怪め! いつまでも好き勝手はさせませんわ! 使いたくなかったのですが、奥の手です」
榎の隣に歩みを進めて、突然、奏が叫んだ。突風に負けじと足を踏ん張りながら、必死で懐に手を突っ込んでいた。
「伝師一族に代々伝わる、退魔の宝玉(非売品)!!」
奏が取り出した物は、占い師が使いそうな、丸い大きな水晶玉だった。奏がかざすとともに、青白い光を放って辺りを包み込んだ。
榎はあまりの眩しさに、目を細めた。宵月夜も手で顔を覆ったため、風が止んだ。
「くわあっ! 宵月夜さまっ、体が、傷が熱いです!」
急に、八咫が叫びだした。八咫の傷口から、白い煙が立ち上りはじめた。
「しっかりしろ、八咫! この光のせいか……忌ま忌ましい!」
水晶玉の放つ光が、八咫を苦しめていた。宵月夜は舌打ちし、八咫を光から庇いながら、さらに上空へと飛び上がった。
「妙なものを持ちだしやがって。覚えていろよ!」
宵月夜は傷ついた八咫を連れて、去っていった。
「なんとか、祓えましたわね……」
黒い影が見えなくなると、奏が力なく、膝を折った。
「奏さん、大丈夫ですか!?」
榎は慌てて、倒れそうになる奏を支えた。奏はひどく衰弱していて、呼吸も弱々しかった。
「退魔の宝玉は、一瞬だけ、強い威力を発しますけれど、使った者の体力を、かなり奪いますのよ。できれば、使いたく、なかったのですけれどね……」
特別な道具を使って、奏が榎を助けてくれた。四季姫の力も持たないのに、体を張って。
榎は、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「あたしが弱いばっかりに、無理をさせてすみません」
「何を仰るの、あなたは強いわ。わたくしみたいなまがいものではなく、本当の退魔の力を秘めている。あなたはいったい、何者です?」
敵も去った。体力を奪わせるほど戦いに巻き込んでおいて、何も説明しないわけにはいかなかった。榎は決心を固めた。
「あたしの軽い考えのせいで、みんなを巻き込んでしまったんだから。今から、話しますね」




