第十五章 夏姫鬼化 3
三
寺を訪れた人物は、伝師奏、語の姉弟だった。
「皆さん、お久しぶりですわね」
「こんにちは、四季姫のお姉ちゃんたち」
「奏さん、お久しぶりです! 語くんも、久しぶりだね」
奏とは病院でちょくちょく会っているが、語とは悪鬼の封印解除のとき以来だ。
初めて出会った頃と変わらず、子供とは思えない、大人びて落ち着いた雰囲気を醸し出している。
「皆さん、お揃いですわね?」
軽く挨拶を済ませた奏は、辺りを見渡して、寺に集まっている面子を確認した。確認を終えると、輝くばかりの嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「今日は、皆さんに縁のある、懐かしい御仁をお連れしましたのよ」
「お、もしかして、噂をすればってやつか?」
柊を筆頭に、榎たちは奏の言葉に大きく反応した。
奏が連れてくる、懐かしい人物なんて、一人しか思いつかない。
月麿が、京都に戻ってきたのだろう。
寺の玄関先の方向から、ゆっくりと砂利を踏む足音が近づいてくる。久しぶりに会う月麿に、榎は喜びを胸に湧きあがらせた。
「皆の者、息災であったか」
だが、縁側に姿を現した人物を見て、榎たちは固まった。
月麿と同じ、お内裏様みたいな平安時代の装束を身に纏った男がやってきた。
でも、服装以外の外観は、月麿とは似ても似つかない。
無駄な贅肉を全てそぎ落とした、ほっそりとした体形。身長も高く、榎を頭一つくらい追い抜いていた。
ほんのりと化粧をしているのだろうか、瞼と唇は妖艶な輝きを帯び、伏し目がちの表情が妙に色っぽく感じる。
はっきり言って、月麿とは対極に値する美男子だった。
「……誰?」
親しげに声を掛けてくる見知らぬ男に、榎は茫然と訊ねた。男は形の良い眉を吊り上げて、表情に驚きと悲しみを浮かべた。
「なんと、いくら長い間、この地を離れておったからといって、麿の顔を忘れるとは。嘆かわしい話じゃ」
「忘れるも何も、どこかでお会いしましたっけ? ……って、今、麿って言った!?」
困惑していた榎たちだったが、男の話し方から、懐かしい面影を微かに感じ取った。
「麿って、まさか、あの麿ちゃん!?」
「昔の面影が、どこにもないやんけ! ほんまに本物か!?」
次々と、驚愕の声と悲鳴が飛び交う。
「当然でおじゃる! 疑うならば、お主たちがいつどこで、どうやって四季姫に覚醒したか、詳しく話してやろうか?」
榎たちの反応に不満を示しながら、月麿らしき男は堂々と言い放つ。
四季姫たちが覚醒した時の詳しい経緯を知っているものは、今この場にいるもの以外では月麿と綴くらいしかいない。
自信満々に言い放つからには、きっと本人なのだろう。
「この数か月の間に、何が起こったんどすか……?」
たとえ、目の前の男が本当の月麿だとしても、すんなり受け入れるには抵抗があった。
この現状を、どうやって納得すればいいのか。榎たちが途方に暮れていると、月麿の隣で奏が必死で笑いを堪えている姿が視界に入った。
「やりましたわ! 誰一人として、この姿を見て月麿だとは分かりませんでしたわね! わたくしの実験、大成功ですわー!」
ついに我慢できなくなったらしく、奏は高笑いを始めた。月麿のあり得ない変貌は、奏の仕業か。
「奏さん。今度はいったい、何を……?」
怪しい肉体改造でもしたのだろうか。榎は怖々と尋ねた。
奏は実に楽しそうに、懐から一本の瓶を取り出した。掌に載るくらいの小さな小瓶で、小さい複雑な文字列が書かれたラベルが貼られている。中には無色透明の、謎の液体が波打っていた。
「実は月麿に、この薬を飲ませたのです。様々な薬草や化学成分を絶妙のバランスで混ぜ込んだ、究極の薬ですわ!」
「何の薬なんですか? 変身薬……?」
「そんな現実性のないものでは、ありませんわよ。この薬を飲むと、飲んだ者の体の中で眠っている、真の姿を引き出すことができるのです!」
奏の説明を受けても、いまいち納得ができずに、榎は言葉に詰まった。
「要するに、ドーピング薬どすか?」
「絶対に、ヤバい薬やろう」
楸と柊が訝しい視線を向けるが、奏は二人の批判的な意見を一喝して跳ね返した。
「違いますわ! この薬に副作用などありません。更に言うなら、飲んだ者の中に引き出せる力が存在しなければ、ただのビタミン剤程度の効力しかないのです。実際、わたくしも飲みましたけれど、今のところ何も変化は見られませんもの」
口調は少し、残念そうだった。月麿を毒味に利用せず、奏がいの一番に薬の実験台になる辺りからして、今回の実験には相当入れ込んでいたのだろう。
この怪しい薬に危険な作用などないと、自信に満ち溢れていた。
「月麿は何らかの原因で、成長に異常を来していたのだと思われます。その異常が、この薬によって正常化され、本来の姿を取り戻したのですわ」
「本来の姿か……。けど、昔の面影、一欠けも残ってないよね。声まで変わってるし」
「今まで相当、異常やってんな、麿やん」
「失礼かもしれませんけど、にわかには、信じられんどす……」
口々に感想を述べるが、誰も現状を受け入れられていない。
「お主らが信じられずとも、無理はない。当人の麿こそが、誰よりもこの姿に驚いておるのだからな。見よ、この長く美しい手足を! 体を見下ろせば、腹ではなく足が見えるのじゃ! 視界も非常に高く、清々しい眺め! お主たち小娘が、本当に小娘に見えるぞ!」
月麿は上品に鼻で笑い、扇子を広げて口を覆った。着物をはためかせて、己の変貌した姿に、うっとりと見入っていた。
「本人は満足してんだな。すっごく、嬉しそうだ」
「今までの姿が、コンプレックスやったんどすな」
「まあ、麿やんが気に入っとるんやったら、ええんとちゃうか?」
今まで、榎たちは子供みたいに小さくて、達磨みたいにコロコロした月麿を、真っ当な大人として見ていなかった。
榎たちの態度は、月麿にしてみればとても不満だったのだろう。月麿は四季姫を覚醒させて戦いのノウハウを教えてきた。その功績をもっと評価され、陰陽師の先導者として敬われたいと思っていたのかもしれない。
確かに、今の月麿の姿を見て、今までと同じ接し方はできそうになかった。逆に、取っ付きにくくて苦手な雰囲気を感じていた。
「また、素晴らしい発明をしてしまいましたわ。わたくし、自分の才能が怖い!」
榎の思いには気づくそぶりもなく、奏は悦に入って自画自賛を続けていた。
「人間の隠された才能や能力を開花させる、素晴らしい秘薬ですわ。商品化して売り出せば大ヒット間違いなし!」
相変わらず、金儲けにも余念がない。
でも、自身の中に秘められた真の姿を解放でき、月麿みたいに大きな変貌を遂げられるのならば、きっと誰もがこの薬を買い求めるだろう。
もし見た目だけではなく、榎の中で燻っている、夏姫の隠された力を解放できるなら。
薬の力を借りて、禁術を会得できるかもしれない。是非とも飲んでみたいと思った。
「でも、必ずしも飲んだお人が内側に秘めた力が、良いものであったり、その人が望んだものであるとは限らんどす」
だが、楸のうたぐり深い一言で我に帰った。
奏は薬を飲んでも何の効果も得られなかったといっているし、絶対に力が解放できるわけではなさそうだ。
副作用がある危険性だって、否定できない。
「もちろん、どんな作用が起こるかは、まだまだ実験段階ですわ。今後も、データをたくさん取らなければ、統計的に良薬である確証を得られません。なので、皆さんもぜひ、飲んでみてくださいませんこと?」
奏は手荷物の中から、牛乳パックくらいの大きさの箱を取り出した。蓋を開けると、中には例の薬がぎっしりと詰め込まれていた。
薬の詰まった箱を、奏は縁側で様子を伺っていた了封寺の住人たちに差し出した。
朝と宵は、しばらく薬を見つめていた。やがて顔を見合わせて、揃って了生に視線を向けた。
「兄ちゃんが飲むなら、飲んでもいいぜ」
「僕も、兄上さまが飲まれるなら」
「何でや!? 卑怯やぞ、お前ら! 俺に毒味させるつもりやな!?」
周囲から一斉に視線を浴びた了生は、怯えた形相で身構えた。
「では了生さま、お飲みくださいまし」
絶望的な表情を浮かべる了生に、奏は容赦なく薬を突き付ける。
顔中に汗を浮かべて、しばらく薬を眺めていたが、急に苦しそうな声を上げた。
「……あうっ! 腹が痛くなってきた! 寒気もするし、熱も出てきたみたいや。今日は遠慮しますわ」
了生は立ち上がって、そそくさと廊下の奥に走っていった。
「逃げやがった」
「仮病なんて、情けない……」
逃げ去る背中を、朝と宵は冷めた目で見つめていた。
「まあ、飲まへんかったんは、賢明やと思うわ。流石は了生はんや」
みんなが呆れる中、柊は了生の判断を絶賛していた。
「皆さん、だらしがないですわね。どなたか、我こそは、と名乗りをあげる勇敢な人は、いないのかしら」
奏の追加の一声を聞き、迷いに迷っていた榎の気持ちが、一気に固まった。
「あたしが飲みます!」
榎の申し出を聞いた全員が、驚愕の表情を浮かべた。
「榎はん! 早まったら、あきまへん!」
「そうよ! いくら禁術を会得できないからって、自暴自棄にならないで!」
みんな、榎の意図を読み取ったのだろう。慌てて止めに入ってきた。
だが、榎の固まった意志は強かった。
「何か、きっかけになるかもしれないだろう? 何の効力も発揮しなくたって、副作用はないって奏さんも言っていたし」
「よくぞ決意なさいましたわ。立派ですわよ、榎さん。さあ、一思いに、ぐいっと飲んで下さいまし!」
奏が極上の笑顔で、薬の入った小瓶を差し出してきた。受けとった榎は、蓋を開けて、一気に飲み干した。
特に味はない。水みたいな液体だった。
「……どう? 何か、変化はある?」
しばらく様子を見て、椿が恐る恐る、尋ねてきた。
「いや、別に、何も」
だが、何か変化が起こった様子はない。薬の効果は、榎には作用しなかったのだろうか。
「つまり、榎の中には、秘められた本来の力なんて、何にもないっちゅーこっちゃな」
全員の表情に、落胆と安心、両方の感情が浮かんだ。
「残念ですわねぇ。ですが、効果が現れるまでに個体差があるかもしれません。もう少し、様子を見ましょう」
奏が一息吐いた直後。月麿が奇妙な声を上げた。
「おひょ? 何でおじゃるか、体の力が抜けて……」
月麿の体が、ブルブルと震え出す。急に体中から白い煙を噴き出した。
煙が晴れると、中にいた月麿は、今までの見慣れた姿になっていた。
「麿が元に戻った!」
「どうやら、薬の効果は一時的なのですわね」
月麿の様子を見て、奏は興味深そうに観察していた。
「永久に効果のある薬なんて、ないどすからな」
「そんな! 麿の美しい肉体が、顔が、視界があっ!」
しばらく放心していた月麿だが、我に帰ると同時に発狂したかの如く泣きわめきはじめた。
涙と洟水と涎を垂れ流しながら、震える手で奏に縋り付いた。
「奏姫、もう一度、薬をくだされ!」
歯を剥き出し、血走った目で迫りくる月麿に、流石の奏も引いていた。
「中毒症状が出るんどすな。充分な副作用どす」
一度飲むと、効果が切れた時に危険な状態になる可能性もあるのか。榎は少し、頬を引き攣らせた。
「えのちゃん、本当に大丈夫?」
「うん。今のところは、ね」
再度、心配してくる椿を宥めたものの、榎の中には一抹の不安が残っていた。
その頃、月麿は奏から新しい薬をもらって、一気に飲み下していた。
呼吸を整えて様子を伺うが、月麿の体に変化はない。今までと同じ、でっぷりした達磨体型のままだ。
その現状にショックを受けた月麿は、聞くものが恐怖するほどの、けたたましい悲鳴をあげた。
「なぜじゃ、なぜ薬を飲んだのに、体が変化せぬのだー!?」
「連続での使用には、効果がないのかしら。若しくは、一人につき、一度きりの作用だったのか。まだまだ、研究の余地がありますわね」
奏は腕を組んで、月麿の様子を眺めながら考え込んだ。
だが、地面に手を着いて、可哀相なほど落胆している月麿に同情する素振りもなく、すぐに気を取り直して喝を入れた。
「月麿。いつまでも落ち込んでいないで。変貌した姿を自慢するために、榎さんたちを訪ねてきたわけではないでしょう?」
奏の声を聞いて、月麿は顔を上げ、いつもの調子に戻った。
「おお、忘れておった! お主たち、麿がおらぬ間にも、禁術の会得に精を出しておるそうじゃな! 話はだいたい、伝わってきておる。早くも三人もの四季姫が、新たなる力に目覚めた。喜ばしい、見事な話でおじゃる!」
榎たちを見上げ、禁術の習得について、賛辞を送ってきた。
でも、単純に四季姫の成長を褒めるために京都に来たわけではないらしい。
「実は、お主たちが発動した禁術について話を聞くうちに、妙な食い違いに気付いた。その真意を確かめるために、麿はこの地に舞い戻ってきたのじゃ」
真剣な表情を浮かべ、月麿は話し出した。




