十四章 Interval~時渡りのからくり~
東京、六本木某所。
大企業がこぞって拠点を構える高層建築物群に混じって、伝師一族が牛耳るビルが聳えていた。
五十階建てのビルの上半分を提携会社や子会社に間貸しして、下半分と地下部分を、伝師が独占している。
地上の人目に触れる階では、主にコンピュータ・プログラムの開発やシステム・セキュリティの管理を行っている。他にも生活に役立つ製品を開発、販売する部署も、活発に営業を行っていた。
伝師奏は、十六歳にして製品開発部の監督・主任の地位を持つ。今までにも特殊な電波を使って肩凝り、腰痛を治すマッサージ器や、足への負荷を三十パーセント軽減する特殊ランニングシューズなど、そこそこ売れ筋の商品開発に携わり、伝師の会計を支えてきた。
だが、その職務は、あくまで〝表の顔〟だ。
裏の顔は、地下で活動する者のみぞ知る。
ビルの地下一階から三階までの空間では、伝師一族の本来の生業―—陰陽師についての研究が行われていた。
長い歴史の中で廃れ、忘れ去られた陰陽師の使用した術を、現代まで文献によって残されてきた天文学や陰陽道のしきたりの中から読み解いて、復活させる研究だ。
古の力を蘇らせて、現代の繁栄の基盤となった科学技術と融合させる。やがて最終的には、全く新しいエネルギーを開発し、伝師一族の偉業の復活のため、足掛かりにする。
その目的ために、奏は研究に心血を注いでいた。
だが、今まで、どんなに専門的な文献を読み解いても、伝師がかつて使用していたと言われる、退魔の秘術について、大きな手掛かりは得られなかった。
そもそも、陰陽師の使役してきた技術が廃れきった現代において力を復活させたとして、誰がどのようにして、その古の力を使い、存在を証明してみせるのか。
奏自身、陰陽師の家系に生まれながらも、妖怪と渡り合えるほど強い神通力など、少しも持っていなかった。
人には見えない、裏の世界の住民たちの姿を見分ける視覚と、人並みよりも少し優れた程度の知力と発想力で、僅かに効力のある道具を利用して退魔師まがいの活動を実践してきたに過ぎない。
陰陽師として相応しい行動もできない奏に、未知の存在に等しい退魔の力なんて、果して扱えるのか。
研究を行えば行うほど、不安と猜疑が高まっていく日々だった。
だが、そんな途方に暮れた状況に、一筋の光明を射す人物が現れた。
陰陽月麿。
平安時代から、伝師が編み出した禁術を用いて時を渡り、現代にやってきた男だ。
この男の登場によって、今まで嘘か本当かも分からなかった、陰陽師が使用した、神懸かった奇跡の力の存在を奏自身の目で認識し、確信できた。
月麿の存在は、奏の研究に著しい前進をもたらした。だが、同時に、伝師の闇に塗れた、恐ろしい歴史をも垣間見せた。
伝説だと思われていた四季姫の復活。その存在はすなわち、伝師が過去に犯した、繁栄という名の欲に支配された、愚かな過ちに他ならなかった。
千年前の伝師の命令で現代にやってきた、月麿の背負った運命は、とても重く残酷なものだった。
その断片に触れて、奏は伝師という家に生まれてきた重みと、罪を清算しなければならない責任の重大さを再認識した。
陰陽師の失われた力は、現代に蘇らせないほうが良いかもしれない。研究ならば、いつでも辞する準備はできていた。
だが、伝師の愚かな考えのせいで不幸な人生を歩まざるを得なかった、哀れな男だけは、救いたかった。
無力な奏でも、 陰陽師一族の末裔として、 少しくらいは役に立てるはずだ。いや、伝師の血を人間として、過去の行いを清算するために、何が何でも尽力しなければならない。
そう思ったから、四季姫を覚醒させる一連の使命を終えた月麿を、奏は東京本社のビルに招いた。
月麿は、かつて暮らしていた平安京への未練が断ち切れず、時間を逆行して再び千年前に戻る方法を模索していた。奏は、月麿の研究を全面的にバックアップしようと決めた。
伝師のために一生を捧げ、縛られて生き続けきた月麿への、せめてもの償いのつもりだ。
地下三階の半分を占める巨大な研究室を、月麿にあてがった。
奏は登録された者の、指紋認証のみで開く扉に手を触れ、中に入った。
月麿の要望で畳の間に改装した室内には、ところ狭しと半紙が散らばっていた。紙面には、筆で書かれた文字が、のたくっている。一見、落書きにしか見えないが、月麿にしか判別できない暗号になっている。
月麿は部屋の隅で、紙や書物の海に溺れながら、うんうん、唸っていた。
「月麿。研究、ご苦労さまです」
ねぎらいの声を掛けると、月麿は一瞬、奏を見て会釈した。だが、すぐに視線を手元に戻し、再び紙を睨みながら唸りだした。
神通力を駆使して、陰陽師たちがあらゆる術を使用していた平安時代でも、過去に時間を遡って移動する方法までは確立されなかった。一から手がかりを見つけなければならない月麿の作業は、非常に難航していた。
月麿の側では、飛び散った半紙を拾い集めて分析している、小さな子供の姿があった。
伝師語。歳の離れた、奏の弟だ。
語は幼少の頃から、伝師の〝表〟の家業を受け継ぐために、あらゆる英才教育を受けて育った。その成果は存分に発揮され、齢八歳にしてアメリカのハーバード大学に入学した。さらに飛び級をして二年で卒業、現在に至る。
その教育の影響か、時々奏にも分からない発想で突飛な言動を起こす時もあるが、奏や兄の綴には、普通の子供と変わらない、屈託ない態度で甘えてくる。
奏にとってはかけがえのない、可愛い弟だ。
「語も手伝っているのね。頼もしいわ」
語は持ち前の優秀な頭脳をもって、月麿の使用する暗号を簡単に解読したらしい。内容の理解をきっかけに、月麿の研究にとても興味を示し、時間を見つけては手伝っていた。
月麿も、優秀な助手に助けられているお陰で、仕事が捗る、と喜んだ。
「時渡り、って方法のメカニズムが解明できれば、きっと世の中の役にも立つよ」と、語は嬉しそうに、笑いかけてくる。「ただ海を渡るだけの留学なんて、飽き飽きしていたからね。研究が完成したら、僕も麿のおじさんに、平安時代に連れていってもらうんだ」
実に子供らしい、夢にあふれた言葉だ。なんとも微笑ましい。
「夢が実現するときが、早く訪れるといいわね」
奏は、きっと叶うと信じていた。今まで、人間の歴史の闇に葬り去られていた、幻の陰陽師の力の存在を目の当たりにしてから、この力があれば、どんな奇跡でも起こせるはずだと考えて疑わなかった。
ただし、いつになるかは、まだ予測もつかないが。
集中力が切れたのか、月麿は達磨みたいな身体を、ごろんと畳に横たえた。
「麿が知る、時渡りの術の発動方法では、上手くいかないでおじゃる。過去に戻る方法も、原理は同じのはずなのに。やはり、人の手の及ばぬ境地の技なのか。もしくは、千年も時が経って、力の均衡に様々な変化が生じておるのじゃろうか」
この時代に渡ってきてから、月麿は常に違和感を覚えていたという。退魔の術を使用しても、全力が出せずに、いつも消化不良だと困っていた。
その現象と、研究が捗らない理由に、関連性があるのだろうか。
「月麿は、どのような方法を用いて時渡りを行ったのです?」
靴を脱いで畳に上がり、月麿の側に正座した。
奏の問い掛けに答えようと、月麿は側の半紙を漁りはじめた。
「麿が暮らしておった平安の京は、四神の加護によって守られた地でありました。唐から伝わりし四体の神獣が、各方角を守護して、都に迫る悪しきものを寄せ付けぬ役割を果たしておったのです」
月麿は、四枚の奇妙な動物を描いた紙を、間隔を開けて四角く並べた。
「四神―—玄武、青龍、朱雀、白虎ですわね。奈良の明日香村にある高松塚古墳からも、よく似た絵が描かれた壁画が見つかっています。昔から、日本人にとって、守護の要だったのですね」
月麿は大きく頷いた。
「四神の力を、均衡を保ちながら解放すると、中心部に強力な力場が発生します。時間の流れを歪める作用を持つ、空間の渦が発生するのでおじゃる。その力場の中心にいるものは渦に巻き込まれ、遥か未来の世界に渡れるのであります。あとは、術者の力量次第で、望む時代に近しい場所に辿り着けるのです」
懇々と説明したあと、月麿は半紙を押さえていた文鎮を、四枚の絵の中心に置いた。月麿が指を組んで術を唱えると、絵の中心部に、雷を伴った小さな穴が開いた。タイム・ホールとでも呼ぶのだろうか。
奏が驚いて声を上げると同時に、穴は激しく渦を描き、竜巻みたいに風を起こしはじめた。穴は文鎮を勢いよく吸い込み、一瞬にして閉じた。
側では、月麿が汗だくになって息を切らしている。
「今の術が、〝時渡り〟なのですか?」
「左様。以前、発動したときと比べると、かなり制御が難しくなっておるが」
「では、先程巻き込まれた文鎮は、未来に跳んでいったのですか?」
「いかにも。じゃが、未来といっても、そう遠くはありませぬ。しばらく、文鎮のあった場所を見ておられよ」
月麿に言われたままに、奏は畳の上を凝視した。
五分ほど経った頃。再び空間に穴が空き、中から、さっき吸い込まれた文鎮が落ちてきた。奏は唖然と、文鎮を見つめ続けた。
文鎮は間違いなく、”今〟から姿を消し、〝未来〟に飛んで姿を現した。奏の胸が、激しく高鳴った。
「素晴らしいですわ! このの現象が、時渡りのメカニズムなのですね!」
感動した奏は、月麿に賛辞を送った。だが、月麿は浮かない表情を見せる。
「今はなぜか、この程度が限界なのでおじゃる。何か、麿の力の作用を邪魔しておる要素が、この時代にはあるのかもしれぬが、検討がつかぬ」
以前は千年のもの時を渡ってこられたのに、今では数分が限界。原因が分からず悩んでいたが、考えても拉致があかないらしく、肩を落とした。
早く、力がうまく使えない理由が分かればいいのだが。力になれない奏は、もどかしかった。
「ときに、四季姫たちが悪鬼に対抗するため、禁術の会得に励んでおると聞きましたが」
気分を切り替えて、月麿が話を振ってきた。ずっと地下に閉じこもっている月麿のために、奏が外の様子を、時々話して聞かせている。四季姫たちの行動は常に気に懸けているらしく、積極的に尋ねてきた。
「ええ。四季姫の皆さん、着々と新しい技を習得していますわよ」
奏も、京都と東京を行き来して、月麿に四季姫たちについて報告する時を、いつも楽しみにしていた。早速、最新の情報を教えた。内容は主に、四季姫たちが禁術を会得して、更なる進化を遂げている話題だ。
奏が直接、この目で成長を見届ける機会はなかったが、榎が綴のところに逐一報告に来るため、奏の耳にもしっかり入ってきている。
「前世の四季姫たちも、用いておった禁術。その技は、京の守護の力―—すなわち四神の力を己の体に宿して発動するものです。四方を司る強大な力を使用すると、時に術者の周囲の空間が歪みを生じさせる時がありました。その力を、一介の陰陽師でも使えるように抑え、発生する空間の歪みを自在に操って、望む未来へ移動する術として確立したものが、時渡りの術なのでおじゃる」
時渡りと禁術は、どちらも四神の力を駆使して発動する大技だ。何か、深い関わりがありそうだ。
「ならば、四季姫たちが禁術を使いこなせれば、時渡りの研究が進むかもしれませんわね」
期待を込めて言うが、月麿の顔は険しい。
「千年前に比べて、四神の力も随分と衰えておる。榎たちが禁術を会得したとしても、あまり威力は期待できぬかもしれぬな」
「冬姫の時は巨大な龍が、秋姫には鳳凰らしき炎を纏った巨鳥が。さらに春姫の元には、巨大な亀―—おそらく玄武でしょう―—が姿を見せたと訊きましたが」
奏の話を聞いて、月麿が初めて、大きく反応を示した。
「なんと? 妙な話でおじゃるな」
「何が、妙ですの?」
「四神は、それぞれ決まった季節を司る神獣でもあります。青龍は春、朱雀は夏、玄武は冬を守護する存在と定められており、四季姫たちも各々の司る季節の聖獣の力しか得られぬはず。なぜ、別の方位の神獣が放つ技を使えたのか……?」
月麿に言われて、奏も何となく、力の作用の奇妙さに気付いた。
俳句の世界には、春の季語として〝青帝〟と呼ばれるものがある。青帝は春と東を司る王―—すなわち、青龍に通じる。
つまり、禁術を発動する場合、青龍の力を借りて禁術を発動できる四季姫は、従来なら春姫であったはず。なのに青龍は、冬姫に力を与えた。同様に、夏を司る朱雀は秋姫に、冬を司る玄武は春姫に手を貸した。
「その事実は、何を意味するのでしょう?」
「魂が転生する際に、何か変化が起こったのか? ……もしや、四季姫たちの魂が輪廻の輪に入ると同時期に、麿が時渡りを行ったために、四神の力に大きな付加がかかって、歪みが生じたのかも知れぬ」
月麿は、短い腕を組んで、再三、唸りはじめた。やがて、何らかの結論に辿り着いたらしく、新しい半紙を取り出して筆を走らせ始めた。
「ならば、この式や図の形状も、昔と現代では大きく理が違ってくるのでは!?」
奏と語が見守る中、月麿は次々と半紙を埋めていく。筆が止まったときには、顔中が汗でビッショリに濡れていた。
「間違いない。長い時の流れの間に、四神の司る方位が変わってしまっておる。昔の常識が、今の時代では通用しなくなっておるのか。道理で、本気を出しても満足に術が使えぬはずでおじゃる!」
一息ついた月麿は、脂ぎった顔を奏に突き出してきた。
「奏姫、榎の、夏姫の禁術発動は、まだでおじゃるか!」
「ええ、まだ、発動したという報告は、受けておりません」
身体をのけ反らせて返答すると、月麿はさらに大きく唸りはじめた。
「このような立派な部屋を宛がってもらって申し訳ないが、今のまま篭って研究をしていても、拉致があかぬ。この時代の時渡りの鍵は、四季姫たちが握っておると考えて、間違いない」
四季姫たちの習得した、新たなる理の上に成り立つ力。その力の分析こそが、時渡りを成功させる鍵になる。
「なら、四季姫たちに会いに、京都に戻らなくてはなりませんね。手配いたします」
全てを察した奏は、素早く立ち上がった。
「かたじけない。奏姫には、本当によくしていただいて……」
申し訳なさそうに、月麿は頭を下げた。
「いいえ。研究の完成まで、一歩前進できたのですから。少しでもお役に立てたのなら、わたくしも嬉しですわ」
奏は慈愛を込めて、微笑んだ。
「ちょうど良かったわ。もうじき、伝師の当主交代の儀が京都で行われます。あなたにも参加していただきましょう」
奏の話に、月麿は驚いていた。当主交代の節目に立ち会える機会など、滅多にない。驚きながらも、嬉しそうだった。
「では、新たなる長がお立ちになられるのですか」
「ええ、正式にね」
「是非とも祝いをさせていただきたい! 長にも、しばらく会うておらぬ。麿の処遇を善処してくださった礼を申さねば」
奏は月麿を見て、目を細めた。
長の本当の姿を目の当たりにしたとき、月麿は今と同じ気持ちでいられるだろうか、と。
だが、今は全てを教えるべき時ではない。奏は複雑な気持ちを、心の奥に押しやった。
「語も、行きましょうね。お兄様のお誕生日も、お祝いしなくては」
声を掛けると、語も笑顔で大きく頷いた。
もうじき、伝師に新しい時代が始まる。
奏たちは運命の時を見届けるために、遥か西の土地に、思いを馳せた。




