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四季姫Biography~陰陽師少女転生譚~  作者: 幹谷セイ(せい。)
第二部 四季姫進化の巻
183/331

十四章 Interval~変化した理~

『醜き化け物よ。お前の命は伝師つたえしが貰い受けた。伝師に付き従い、伝師のために力を振るい、伝師を守って死ぬのだ』


 千年前。

 朝は幼い頃から陰陽師に囚われて暮らしてきた。悪鬼オニを敵に回した時に、悪鬼と戦える最後の切り札とするために、伝師一族に飼われていた。

 母親を殺され、弟を人質にとられながらも、怒りや憎しみの感情さえ押さえ込まれて生き続けてきた。

 切り札だからと言って、丁重に扱われるわけでもない。背中から生えた、さぎを思わせる白い翼、不気味なほどに真っ白い髪の色。周囲の人間から化け物と迫害を受けて当然の容姿だった。

 人として扱われもせず、ただ、戦いの道具として悪鬼の殺し方だけを教え込まれた。

 その待遇に反発する選択肢などなかった。外から見れば狂った環境も、朝にとっては刷り込まれた常識以外の何でもなかった。

 全て、この世で定められていることわり。変えるすべもない、拒む意志そのものが禁忌だった。

 化け物は化け物らしく、忌み嫌われながら生きていくだけ。化け物の定義は、人間が定めたものを鵜呑みにするだけ。

 人間の持つ偏見を押し付けられながら、朝は化け物と呼ばれながら成長した。

 それでも朝が、道を誤らずに生き続けてこられた理由は、四季姫たちが、側にいてくれたからだ。

 朝や宵を、人として扱ってくれたからだ。

 四季姫たちの慈悲と支えがあったお陰で、朝は息苦しい箱庭に閉じ込められ、卑下されながらも、人の心を保ってこられた。育んでこられた。

 本物の、化け物にならずに済んだ。

 四季姫たちから受けた恩は、言葉では感謝しきれないものだった。

 いつか、四季姫たちが朝の悪鬼殺しの力を必要としてくれたときには。

 力も命も、全てを差し出そうと誓った。

 だから、最恐の悪鬼―—鬼閻きえんを封印するための人柱にも、喜んで名乗りを上げた。

 四季姫たちから力を分け与えられ、身に宿る全ての生命力をもって、鬼閻を封じた。

 封印の中で、鬼閻の魂を抑え込み、じわじわと弱らせていく。

 その行いは同時に、朝の魂を削った。

 どちらが先に力尽きるか。永く静かな戦いが際限なく続いた。


 * * *


 どのくらいの時間が経ったのか、封印の中からでは、分からなかった。だが、鬼閻の強靭な生命力は、いつまで経っても朽ちる気配さえ見せなかった。まだまだ永い時を、この化け物と過ごさなければならないのだと悟った時、初めて絶望を感じた。

 思わず、外の世界に助けを求めてしまったほどに。

 無駄だとは分かっていた。恐らくもう、封印を施した四季姫たちは、この世にいない。朝の声を聞きとれる者など、存在しない。

 だが、不思議と、その心の叫びは外に届いた。

『大丈夫よ。すぐに、助けてあげるからね』

 封印の外から、誰かの声が頻繁に聞こえてきた。

 可愛らしく優しい、少女の声だった。

 なぜか、その少女とだけは意識が通じ合い、互いの声を聞き合えた。

 励ましてくれる少女の言葉が、絶望の淵に在った朝の心を支えてくれた。少女のお陰で、消えかけていた気力を取り戻せた。

 やがて朝は、千年後の時代に解放された。生まれ変わった四季姫に、助けられた。

 最初は、鬼閻が再び世に解き放たれる危機感しかなかった。再度、朝を鬼閻と共に封印するようにと四季姫に請うたが、拒まれた。

 四季姫の魂を受け継ぐ四人の少女たちは、元凶となった悪鬼を倒して、全ての脅威を取り払おうとしていた。さらに、朝さえもを、救うつもりでいた。

 朝は、四季姫たちの強い意志に惹かれた。根拠は何もなかったが、この少女たちなら、悪鬼さえも亡き者にできるのではないかと、直感的に悟った。

 鬼閻を倒すために、封印前に四季姫たちから与えてもらった退魔の力を返した。朝自身も、宵の力を借りて悪鬼殺しの力を振り絞り、共に立ち向かった。

 戦いの末、鬼閻は闇に葬られた。

 だが、その反動で、朝は多くの力を失い、理性を保てなくなった。

 意志による制御ができなくなり、朝の中に流れる悪鬼の血が、暴れ始めた。

 こんな場所で暴走すれば、四季姫たちや宵まで巻き込む。命を助けてくれた恩人たちを、危険に晒す結果になる。

 何としても、阻止したい。朝は、自ら命を絶とうとした。

 もともと、封印の中で尽きるはずだった命だ。最後に、自由を与えてくれた、弟に会わせてくれた、救いをもたらしてくれた人々を守るために、使い切りたいと思った。

 ところが、朝の意思とは反して、四季姫たちは、さらに朝の命を救ってくれた。

 悪鬼と妖怪の力を封じることによって、暴走を抑え込んだ。

 力を封じられ、朝と宵は、人間になった。

 朝にとっては、信じられない出来事だった。

 化け物は、永久に化け物である。望んだところで、求めたところで、人間としての生活など手に入らない。

 ずっと、その理を信じて生き続けてきた。

 なのに、目の前にいる四季姫たちは、そんな理をいとも容易く、ひっくり返してしまった。

 現代は、妖怪にとって、住み辛い世界。だから、人として平穏に暮らせばいい。

 人の血が流れる朝たちには、その生活が可能だと言ってくれた。

 朝たちの存在を、人として、受け入れてくれた。

 朝の中で、小さな世界を形成していた歪んだ常識の壁が、音を立てて崩れた。

 理に縛られなくてもいい、思いの侭に生きればいいのだと、この時代で最初に学んだ。現代は、そんな自由な生き方ができる時代なのだと、理解した。

 凝り固まった概念から解放された朝の眼窩には、優しく微笑んでくる、長く黒い髪の小柄な少女の姿が、しっかりと焼き付いていた。

 少女は、朝を死の淵から救ってくれた。朝が自由を得るために尽力してくれた。一生懸命、体を張って守ってくれた。

 新しい時代に生かされた、朝の命。本来なら、とっくに潰えていたはずの、魂の灯。

 叶うなら、この少女を守って、最後まで燃やし尽くしたい。全てを使い果たして、一生を終えたい。

 この命を、少女―—春姫に捧げる。

 朝の中で、強い決意が固まった。


 * * *


 傷が癒え、朝の、人間としての生活が始まった。

 右も左も分からない、千年も後の時代。宵みたいに、簡単に周りの環境に順応していけない朝は、要領が悪くても、少しずつ新しい暮らしに慣れていった。

 生活環境や風習や言葉遣いまでもが変わりつつあるこの世界で、一から全てを学んでいく。非常にやりがいのある日々だった。

 世話をしてくれる了封寺の人たち。常に気に懸けてくれる四季姫たち。感謝してもしきれない好環境に恵まれた。

 この時代の四季姫たちも、慈悲深く、親切な人ばかりだった。

 榎はいつも明るく元気で、時々ふさぎ込んでいる朝を、励ましてくれた。調子が悪い時には、凄い洞察力で瞬時に気付いて、気遣ってくれた。

 柊は家事が得意で、不器用な朝のために時々、料理の作り方を教えてくれた。上達する度に「ええ嫁さんになれるで」と褒めてくれた。

 楸はこの時代で暮らすために必要な、あらゆる学問を教えてくれた。一緒に並んで勉強に励んでいると、宵の嫉妬の目が突き刺さってきたが、丁寧に教えてもらえて、とても助かった。

 椿は―—。何をするでもなく、気付けばいつも側にいてくれた。他の四季姫たちみたいに、秀でた何かを持っているわけでもなかった。至って平凡で、少しそそっかしいところもあるくらいだった。

 でも、充分だった。近くにいて、笑いかけてくれるだけで、心が安らいだ。椿のお陰で、今の朝には居場所があるのだと、実感できた。

 平穏な生活の中で、椿のために何かできないかと、常に考えた。了海や了生から、「己の望む答を導き出すためには、己と向き合わなければならない」と教えられ、暇さえあれば座禅を組んで瞑想するようになった。

 このまま、この時代で生活を送り、僧となる道も悪くない気がしてきた。椿の家も、寺だと聞いた。坊主になれば、椿の暮らす寺とも縁ができる。常に側にいて、守ってあげられるかもしれない。

 椿の笑顔を思い浮かべながら、考えを纏めていた。

 だが、そんな平凡な日常も、突如として崩れ去った。

 鬼閻を倒したがために、深淵の悪鬼が動き出し、四季姫たちに報復を加えてきた。

 気紛れな鬼閻の息子―—鬼蛇きだによって、一時的に危機は脱したが、いずれは戦わなくてはならない現状に、変わりはない。

 どちらかが消滅するまで、戦いは終わらない。

 平和な生活を取り戻すために、四季姫たちは、もう一度、戦いに身を投じる決意をしていた。

 四季姫たちの中に秘められた陰陽師の力は、朝も感じ取っていた。力を解放できれば、まだまだ強くなれる。

 でも、その強大な力をもってしても、悪鬼を完全に倒すには及ばない。

 世の中には、力の均衡を決定することわりが、はるか昔から存在している。

 その理に支配されたこの世では、人間がいかなる強い力を手にしても、悪鬼の息の根を止めるまでには至らない。

 悪鬼を殺せる存在は、悪鬼のみ。

 遥か昔より、そう定められてきた。陰陽師であっても、不可能な御業だ。

 四季姫が悪鬼と対等以上に戦うためには、朝の力が必要になってくる。

 朝は完全な悪鬼以外で唯一、悪鬼に抗える存在だった。悪鬼の血を引く朝には、悪鬼を殺すための力が備わっている。

 本来なら、悪鬼と戦うべき相手は朝だ。千年前から続いている、朝の使命だ。

 人間になれたからと、喜んでぬるま湯に浸っている場合ではない。

 朝は人知れず封印を破り、妖怪と悪鬼の力を取り戻した。

 どうせ戦うなら、四季姫たちに危害が加わる前に、一人で決着をつけてしまいたい。

 ただ、悪鬼殺しの力は、朝の生命力そのものだ。十体もの悪鬼を相手にすれば、確実に朝の命も尽きる。

 迷いはあった。それでも、死の覚悟はすぐについた。

 出て行こうとした矢先、朝の行動は事態を察した了海に制止された。

「お主の力は、とかく暴走しがちじゃ。お主の持つ悪鬼の力が戦いの切り札になるのならば、一人で突っ走ってはいかん、時期を待つのじゃ。悪鬼たちは、今は自由には動けない、焦らずともよい。四季姫さまたちも、新たなる進化を遂げつつある。互いに力を合わせて戦わねば、十体もの悪鬼には勝てぬ」

 了海に諭され、朝は一度、気持ちを落ち着けた。

 朝は、悪鬼に致命傷を与えられる唯一の力を持っている。言い換えれば、朝さえいなくなれば、悪鬼たちが恐れるものは、何もいなくなる。

 封印が解けた事実は知られているだろうが、朝の現状や居場所は、悪鬼には知られていない。

 朝が悪鬼を倒せる状況で存在していると分かれば、悪鬼たちは確実に朝を狙ってやってくる。勝手に動いて少しでも奇襲の方法を誤れば、最悪の事態にもなりかねない。

 確実な戦いをするためにも、朝は力を隠して、きたるべき時がくるまで大人しくしていたほうがいい。

 了海の提案を受け、朝は力を取り戻した事実を誰にも告げずに、人間の生活に溶け込んで悪鬼たちの動向を伺った。


 * * *


 時が過ぎ、冬姫、秋姫が順調に新しい力を得て、強く進化を遂げた。

 だが、その直後に、悪鬼たちを封じていた鬼蛇の呪縛が破れてしまった。

 まだ、四季姫たちの準備は整っていない。それでも悪鬼たちは、容赦なく襲いに来る。

 朝はどんな行動に出るべきか。判断を迫られていた。

 迷い、考えているうちに、悪鬼のがわが先手を打ってきた。

 隠れ村の妖怪を利用し、こともあろうに椿に接触を試みてきた。

 椿は心の優しい少女だ。助けを求められれは、拒めない。現実、椿は梓の言葉を受け入れて、危険な駆け引きの道に足を踏み入れた。

 朝は椿を止めようとしたが逆効果で、説得すればするほど、椿は頑なになっていった。

 椿は本来、戦いを好まない。四季姫たちが一刻も早く禁術を会得して強くなろうと焦る間も、別の観点から戦いを見据えて、全く異なる意見をもっていた。力をつける以外の方法で、悪鬼を退ける方法はないかと、模索していた。

 椿らしい発想だが、本音を言うと、甘い考えだと思った。

 椿が梓に傾倒し、味方の立場をとろうとする理由も、朝には何となく分かった。

 梓と出会う直前。朝は椿と、「でーと」とかいうものを一緒にした。簡単に言えば公の男女の逢瀬みたいなものらしい。

 並んで町の中を歩いている時に、椿は初めて、朝に過去の話をしてくれた。

 驚いたが、椿も幼い頃に周囲から迫害を受けて暮らしてきたという。権力の強いものに巻かれ、穏やかな生活を奪われ、この静かで素敵な町から逃げ出したいと思うほどに、追い詰められていた。

 大切な故郷を、抗えない大きな力に奪われる悲しさ、悔しさを誰よりも知っているから、椿は梓を助けようと必死になっている。同じ思いを、助けを求めてきた少女にさせないために。

 同時に、梓を救えたなら、椿自身の押し殺してきた感情さえも、救えると思っているのかもしれない。

 朝と同じだと思った。朝も結局、椿を守る行為を利用して、昔の辛かった思い出を塗り変えようとしているだけだ。

 でも、たとえ心の救いになる行為だったとしても、椿の命を脅かす戦いをさせるわけにはいかない。

 一度は通じ合った二人の心は、今となっては離れていく一方だった。

 椿は、些細なきっかけから、朝月夜の力が戻っていると気付いた。力があるのに、口を出すだけで悪鬼と戦おうとしない朝に、椿は激しい怒りと嫌悪感を見せた。

『あなたの封印なんて、解かなければよかった』

 朝の存在を拒む椿の言葉が、強く朝の心に響いた。

 辛くなかったといえば、嘘になる。

 だが、正直に言ってもらえて、救われた。

 やっぱり、朝にとって平穏な生活など、不釣り合いだった。

 昔から、化け物として戦いの世界で生きてきた存在が、いまさら人間としての平和な生活なんて、可能性があっても望んではいけなかった。ねじ曲がったこの時代の理に、振り回された。

 そもそも、四季姫たちが深淵の悪鬼に狙われる原因を作った張本人は、鬼閻の封印を守り続けられなかった朝だ。本来ならば、朝が悪鬼の報復を受けるべきなのだから。

 やっぱり、どんな結果になっても、朝が一人で戦うべきだ。朝が悪鬼の元に赴き、連中と刺し違えれば、何の問題もない。

 椿も、その方法を望んでいる。

 椿の、四季姫たちの恩に報いるために、朝はこの時代で生かされていた。何も考える必要はない。

 まっすぐに、前を見据えた。一人で、全てを終わらせる決意をした。

 世話になった恩人たちに向けて、別れの言葉は遺してきた。直接説明する時間はなかったから、側に手紙を置いてきた。了封寺の自室や、大切な人の側に。

 みんなが手紙の内容を見る頃には、全てが終わっているだろう。

 朝は翼を操りながら、悪鬼が巣食う山に向かった。


 * * *


 鬱蒼と茂る、深く暗い針葉樹の山奥。

 木々の合間をすり抜けながら、白い翼を駆使して低空飛行を続けた朝は、悪鬼の放つ濃い気配に気付いて、地上に降り立った。

 急いで妖気を消して気配を殺す。背中の翼が消え、普段の人間の姿に戻った。

 より、効率よく悪鬼を倒すためにも、可能な限り奇襲を仕掛けたい。有利な戦況を逐次作っておかなければ、十体の悪鬼を全て倒す前に朝のほうが力尽きる。

 悪鬼の住処となっている領地の、西の端。本拠地となる中心部からかなり外れた場所に、物見櫓みたいな細く高い建物が聳えている。その建物の麓から、濃い気配は漂ってきていた。

 櫓の足元を目視し、朝は体を強張らせる。

 黒い、人の形状をした塊が、立ち尽くしていた。ぼんやりとした輪郭、その中からくっきりと浮かび上がってくる、狂気の塊。

 悪鬼だ。

 周囲にも気を配ったが、他に気配は感じない。どうやら、一体だけらしい。

 朝にとっては好都合だ。一体ずつ、確実に仕留められたほうが効率がいい。

 悪鬼との距離を保ちつつ、朝はゆっくり、妖怪の力を解放した。悪鬼の背後に回り、左手に力を込めた。鋭く長い爪がさらに伸び、固い刃物みたいな形状になった。

 斬りつけた傷口から朝の悪鬼殺しの気を流し込めば、息の根を止めることができる。隙さえ突けば、一瞬で終わる。

 朝が狙いを定めて、音もなく飛び出した瞬間。

 悪鬼が首を回して、朝を見てきた。

 眼球のない、虚無しか感じられない二つの穴に、吸い込まれそうな恐怖を覚える。朝は本能的に動きを止め、背後に飛んで逃げた。

 悪鬼に背は向けられない。悪鬼の姿を凝視しながら、後退る形で距離をとった。

 朝に向かって、悪鬼は避けるほど大きな口を三日月形に開き、不気味に笑った。

「久しぶりだなぁ、我等が愚弟」

 悪鬼が放った言葉に、朝の全身を悪寒が襲った。嫌悪感が広がり、眩暈がした。

「お前に、弟などと呼ばれる筋合いはない!」

 何とか気持ちを持ち直し、怒鳴りつける。悪鬼は朝の反応を楽しんで、肩を震わせて笑っていた。

「つれないな。同じ悪鬼の力を基盤として、この世に存在しているのだ。兄弟も同然であろう」

 嫌味な物言いだった。

 朝も、理解はしている。朝と宵は、人と妖怪の混血である母親と、深淵の悪鬼を作り出した元凶となった悪鬼との間に生まれた。だから、深淵の悪鬼たちと同じ系統の力を有している。

 だからといって、悪鬼共と馴れ合う気など、微塵もない。

 存在がバレた以上、気配を隠す必要もない。朝はありったけの殺気を、目の前の悪鬼にぶつけた。

 朝の様子を見て、悪鬼はつまらなさそうに目の穴を細めた。

もとが同じだからこそ、お前たち兄弟には、いささか失望している。脆弱な陰陽師の小娘共に飼い馴らされ、妖怪の力も悪鬼の誇りも捨て去るとは」

 要するに、朝たちを裏切り者だと言いたいのだろう。たとえ朝たちが悪鬼の側についていたとしても、ろくな待遇を与える気もなかっただろうに。

 所詮、朝や宵みたいな異端の存在にとっては、相手が人間だろうが悪鬼だろうが妖怪だろうが、対して変わりない。

 相手を受け入れる気持ちや思いやりというものは、種ではなく個に宿る感情だと、朝は人との生活の中で学んだ。その思想こそが、朝の中の全てであり、決してぶれない真実だ。

 付け加えれば、深淵の悪鬼の個々の感情の中に、異端のものを仲間として受け入れる態度は、微塵も存在しない。

「悪鬼としての誇りなど、最初から持ち合わせてなどいない。―—妖怪の力も、捨てたつもりはない」

 朝は静かに言葉を返し、目を細めて悪鬼を睨み付けた。

「僕の持つ力は、〝悪鬼殺し〟。お前たちをこの世から亡きものにするために、今まで誰にも悟られないように力を蓄えてきた」

 再び、左手を構える。鋭く尖った爪の先端を、悪鬼の心臓部に向ける。

「この場で、お前たちを伐つ。二度と、四季姫さまたちに手出しはさせない!」

 朝は素早く、地面を蹴った。相手が反応する暇さえ与えない。

 勢いをつけて、朝の爪が悪鬼の胸を突き刺した。迷いも躊躇いもなく、まっすぐ心臓を貫通し、爪の先が悪鬼の背から外に突き出した。

 悪鬼はどす黒い血を吐いた。少し体を震わせただけで、その後は微動だにしなかった。

 手応えはあった。だが、ありすぎる点が引っ掛かった。

 どうして抵抗しなかった?

 朝は敵を討った達成感よりも、嫌な気持ちに包まれていた。

 その予感は、見事に的中する。

 悪鬼は体に突き刺さった朝の手を掴み、引き抜いた。爪が体から抜けると、心臓を貫いたはずの致命傷は見る見るうちに塞がり、何事もなく消え去った。

 悪鬼の顔にも、余裕の笑みが溢れだしている。

「なぜだ、僕の攻撃が効かない!?」

 朝の気持ちが、動揺する。その隙を、悪鬼は見逃さなかった。

 悪鬼の放った気の塊を全身で食らい、朝は吹き飛ばされた。背後の太い杉の木に背中を強打する。口の中が切れ、滲み出た血を吐き出した。

 どうして、朝の力が効かなかったのか。悪鬼殺しの力を存分に込めた一撃だったのに。

 掠っただけでも体内に入り込み、じわじわと内側から浸食して、悪鬼の命を食らっていく。その力で心臓を突き破られて、無事で済むはずがないのに。

 困惑している朝を見て、悪鬼は腹を抱えて盛大に笑った。

「これは愉快! 封印されていたお前は、知らないのだな! お前が鬼閻どのと共に封じられていた間に、世の中の理が大きく変わったのさ。我ら悪鬼の眷属は、悪鬼殺しの力に対して耐性を持ったのだ」

 悪鬼の口から語られた話に、朝は衝撃を受けた。

「馬鹿な! 鬼閻には、間違いなく致命傷を負わせられたのに……」

「鬼閻どのは、お前と一緒にこの世とは異なる別空間に封印されていたのだ。外界の変化に影響されていなかったから、お前の攻撃が効いたに過ぎない」

 愕然とした。封印されていた千年の間に、この世で唯一、不変だと信じていた理が、完全に覆されていたなんて。

 だが、朝たちが人間として暮らせているという前例もある。この世界の理は、良い面も悪い面も、何もかもが朝の常識を遥かに凌駕した、全く新しいものに書き換えられているのかもしれない。

 何を基準に、何が正しいと考えればいいのか。分からない。

 朝は完全に、理解できない現実の中で遭難した。

「お前自身、我等を倒す切り札になろうと思って身を潜めていたのだろうが、無意味だったわけだ。最早、お前の力では我等は倒せぬ。残念だったな」

 悪鬼は同情めいた言葉を吐きつつも、顔には慈悲の欠片もなかった。体中から何本もの触手みたいな腕を伸ばして、朝を攻撃してきた。

 体を激しく殴打され、切り付けられる。朝の体に激痛が走り、血が噴き出した。

 悪鬼殺しの力が意味をなさなくなった今、朝に悪鬼に対抗する術はない。その絶望が、朝から逃げ出す気力さえ奪った。

 四季姫たちの役に立てないのなら、何のために封印から出て、生き永らえたのだろう。

「哀れだなぁ。封印の中で、力尽きて果てておけば、幸せだったのになぁ」

 悪鬼が笑う。奴の言う通りだ。やっぱり、封印の外になんて、出てくるべきではなかった。

「……殺せ。抵抗しない」

 朝の心が、折れた。動く気力もない。あとは、悪鬼のなすが儘に、身を委ねるだけだ。

「なに、まだ殺しはしない。お前には、まだ使い道があるからなぁ。妖怪どもが失敗した時のために、お前には四季姫をおびき寄せる餌になってもらう」

 悪鬼の危惧は、的を射ていた。

 悪鬼が嗾けた、梓とかいう妖怪の子供は、椿から引き離して軽く脅したら、もう四季姫には近付かないと言っていた。妖怪の側から身を引けば、もう、四季姫たちが危ない場所にやってくる理由も必要もない。

 悪鬼も薄々、作戦の失敗に気付いている。次の手段に向けて、新しい手札に朝を使おうと企んでいるのだろうが、きっと無意味だ。

「四季姫なんて、誰も、来るはずがない……。僕なんかに、人質の価値があるとでも思うのか」

 朝は自嘲して、鼻で笑った。悪鬼を倒せない朝なんて、下等妖怪以下の存在だ。誰も見向きもしない。

 利用価値のない道具を、わざわざ危険を冒して拾いに来る馬鹿もいないだろう。

 朝の言葉を聞き、悪鬼は再び笑い出した。

「なんだ、見捨てられたのか。そうだな、今のお前は、役立たずだもんなぁ。」

 まるで、朝の心の声を代弁するかのような台詞だった。正論のはずなのに、妙に苛立ち、心が痛んだ。

「なら、別に手加減する必要もないな。生きるか死ぬかは、運次第だ」

 悪鬼は再び、触手を突き出して朝に狙いを定めてきた。適当に打ち込んで、朝を捕獲するつもりらしい。

 これ以上、生き恥をさらすつもりはない。うまく場所を調整して、悪鬼の触手が急所を貫くように移動しよう。

 朝は己の死を確実なものにするために、集中力を高めた。

 触手が矢のごとく飛んできた瞬間。

 朝は体を押し飛ばされて、地面に転がった。触手は全て外れ、背後の木に突き刺さった。

 呆然と空を見ると、朝の上に馬乗りになり、息を切らせる宵の姿があった。

「何をボサっとしてやがる! あんな奴の攻撃、お前なら躱せるだろう!?」

 宵に怒鳴られた。普段なら言い返すところだが、今はそんな気力もない。

 止められるだろうから、何も告げずに出てきたのに。わざわざ危険な場所に追いかけてくるなんて。

 宵は朝とは違い、より純粋な妖怪に近い。そのせいで、強い妖気を発する度に悪鬼に感知され、幾度も食われそうになりながら、怯えて逃げる生活を続けていた。

 悪鬼を恐れる宵の心理は、朝もよく分かっている。深淵の悪鬼の住処に突っ込んでくるなんて、どれほどの覚悟と勇気が必要だったか。

 こんな、無能な兄のために。

「お前は、相変わらず無茶ばかりするな、宵」

 申し訳ないと思いつつも、強がっている宵の姿を見ていると、憎まれ口しか出てこなかった。

 千年前も、人柱になると決めた朝を助けるために四季姫たちに食って掛かり、逆に封印されてしまった。本当は、兄である朝が、宵に危害が及ばないように守らなければならなかったはずなのに。守ろうとしてきたのに。

 いつも、宵は朝の気持ちを裏切って、余計な行動ばかりする。

「朝よりマシだ」

 宵は表情を歪ませて、朝を睨み付けた。

「昔から、ずっと言ってきただろう。何でも一人で背負い込むな。お前のお荷物なんて、俺は御免なんだよ。俺の妖怪の力も戻った。充分、戦えるんだからな」

 何度も聞かされてきた、宵の小言だ。陰陽師に捕えられ、朝の枷となる立場を、宵はずっと嫌っていた。

 いつも、朝と対等であろうとしていた。

 昔を思い出して、少し懐かしくなった。

 朝は小声で、「悪かった」と囁いた。何度も繰り返されてきた、兄弟のお決まりの会話だ。

 宵はあまり真剣に受け止めていない顔で、鼻を鳴らした。

「どうして反撃しない。奴はまだ、呪縛から解放されたばかりで、満足に体も動かせていないんだぞ」

「どのみち、無理なんだ。僕たちが封印されている間に、世の中の理が変化した。……僕の悪鬼殺しの力は、こいつらには通用しない」

「何だと……!?」

 朝の話を聞くと、宵の表情も一気に歪んだ。やっぱり誰でも、同じ反応になる。

「だったら、逃げるぞ。一度体勢を整え直すんだ。他の方法を探せばいい」

 宵は素早く考えを纏めて、朝の腕を首に回し、立ち上がらせた。

「お前だけ逃げろ。悪鬼に食わせるわけにはいかない。手負いの僕を連れていては、確実に逃げられない」

「馬鹿言ってんじゃねえぞ! 何のために、お前を追いかけてきたと思ってるんだ!」

 朝は拒否し、宵から離れようとした。だが、宵は断固として、朝の手を離そうとしない。

「僕を連れて行ったところで、もう、何の力にもなれない……。悪鬼を倒す力を持たない僕は、ただの役立たずだ」

「春姫が、朝にそう言ったのか?」

 宵が眉を顰め、嫌悪感を示す。

 以前から、宵は春姫が朝に見せる我儘な態度を嫌う態度を見せる時があった。朝が強引に無茶を強いられているみたいに感じたのかもしれない。

 そうではない、と何度も言い聞かせてきたが、あまり伝わっていないのだろう。

 朝は再度、宵に言い正した。

「僕が、そう判断したんだ。誰かに言われたわけじゃないよ」

 朝は宵に笑いかけた。宵の手を素早く振り解き、突き飛ばした。油断していた宵は、木々の奥に広がる低木の茂みに転がっていった。

 朝は激痛の走る体に鞭打ち、宵を背に庇う体勢で立ち上がった。

 長々と言い合っている時間は、なさそうだ。

 視線を向けた先では、悪鬼がゆっくりと狙いを定めている。いつでも攻撃ができる、といった様子で、余裕よゆう綽々(しゃくしゃく)に構えていた。

「できの悪い兄で、悪かった。お前はもっと賢い方法で、大切な人を守るんだ」

 背後の弟に、囁いた。

 こんな無能な兄のために、危険を冒してやってきてくれた弟に詫びた。

 まっすぐ、正しい未来を見据えて進んでいける力を、宵は持っている。助けて、支えてくれる人たちも側にいる。必ず、人として幸せになれるはずだ。

 朝とは違う。だから、きっと大丈夫だ。

 続けて、この世の、朝を必要としてくれたすべてのものに、心の中で謝った。

 最後に、心から愛する大切な人に、詫びた。

 ―—役に立てずに、申し訳ありません。せめて、貴女の力になれる存在でありたかった。

 椿には、酷い言葉をぶつけた。足止めをするためとはいえ、身体も心も傷つけた。

 今更、何を言っても許してくれないだろう。心を開いてもくれないだろう。

 だが、ちょうどいい。

 朝の死を憐れんで泣く椿の姿なんて、想像もしたくない。

 悪鬼の触手が、今度こそ迷いなく飛んでくる。朝は目を閉じた。

「やめろ、兄貴!」

 背後から、茂みから飛び出す音と、宵の大声が聞こえた。

 同時に、朝の体を悪鬼の狂気が貫いた。

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