第十四章 春姫進化 11
十一
細く狭い獣道を進んでいくと、少し広い平地に出た。
足元は落ち葉で埋まっているが足場は均され、行く手を邪魔をする木々も、綺麗に選定されている。
明らかに、誰かの手によって整備された場所だ。人の入り込める領域ではない以上、妖怪か悪鬼の縄張りだと考えるしかない。
椿は周囲を警戒しながら、慎重に進んだ。
暫く歩くと、前方に立つ妖怪の姿が視界に入ってきた。
以前襲ってきた、河童やトカゲもいた。椿は茂みに隠れて、様子を伺った。
連中は椿に背を向けて、輪になって騒然としていた。何やら慌てふためきながら、口々に意見を交わしている。
「どう、処理をすれば良いものかな」
「本当に我々だけで、勝手に判断していいのだろうか?」
とぎれとぎれだが、途方に暮れた様子の声が聞こえてくる。
妖怪たちの輪の中心に、視線を集中する。よく目を懲らすと同時に、身体を強張らせた。
杉の幹に、縄で縛り付けられた少女―—梓がいた。全身に傷や痣が広がり、ぐったりとしている。
妖怪たちを裏切って、四季姫のところに助けを求めに行った梓を、粛正しようとしているのか。
「何をやっているのよ、やめなさい!」
椿は勢いよく飛び出して、妖怪たちの間に突っ込んだ。
不意を突かれた妖怪たちは驚き、戸惑っていた。椿は構わず梓に駆け寄り、縄を解いた。
「梓ちゃん! しっかりして」
梓は、力なく項垂れていた。気を失っている。椿が揺すって声をかけても、微動だにしなかった。
「その娘から離れてもらおうか、弱き陰陽師」
椿の背後から、妖怪が声をかけてきた。振り返ると、年老いた陸亀の姿をした妖怪が、杖を突いて立っていた。周囲の妖怪たちとの立ち位置の違いから察するに、今集まっている妖怪の中で、一番権威を持っていそうだ。
「あなたたちは、隠れ村の妖怪たちね」
「いかにも。私は村長の補佐をしている、萬鴻だ。我らは古来より人間との拘わりを絶ち、いっさいの干渉を拒んで暮らしてきた。だからこそ、今まで何の問題もなく生活を営めた」
「話は聞いているのだろう。我等は村の大事な柱―—村長を悪鬼に囚われた。我々は悪鬼の要求通り、お前たち四季姫を生け捕りにするために奮闘した。だが、我等だけでは力が及ばず、四季姫の中で一番弱い春姫だけでも捕まえたかった。力ずくでは他に邪魔が入ると思い、内側から説得して自ら悪鬼の元へ赴くように仕向けようと、梓をけしかけた」
萬鴻は妖怪たちの事情を淡々と話しはじめた。椿も口を挟まずに、相手の言い分を聴き続けた。
「なのに梓は、春姫の説得に成功しておきながら、春姫を連れてこなかった。この娘は、お前に情を移して、春姫を庇い、我等の期待を裏切ったのだ。今、その件について梓の処置を相談いているところだ」
「処置って、何をするつもり?」
聞き捨てならない話になってきた。椿は目を細めた。
「最悪、この娘の処罰を条件に、悪鬼に許しを請うしかあるまい。部外者は、ご遠慮願おうか」
「すべての責任を、梓ちゃんに押し付けるつもり!? させないわ、絶対に!」
椿は、萬鴻とまっすぐ向き合い、怒鳴りつけた。
「梓ちゃんを、放しなさい。春姫は、今から悪鬼の元に赴くわ。あなたたちの思い通りになるのだから、処罰なんてする必要、ないでしょう?」
椿の発言に、周囲が騒がしくなった。萬鴻も無言で、椿の姿を見据えていた。
「少しアクシデントがあって、梓ちゃんと一緒に来られなかっただけよ。椿は最初から、悪鬼のところにいくつもりだったわ。勝手な解釈をしないで」
しばらく、椿の言葉を受けて考え込んでいた萬鴻だが、納得したらしく、ゆっくりと頷いた。
「よかろう。そなたの覚悟、しかと受け止めた。梓を解放する。だが、お前はこの山からは出さぬ。覚悟して、悪鬼の元に参れ」
思っていたよりも、聞き分けのいい態度だった。梓を傷つける行為に抵抗を感じていたみたいだし、内心、安堵しているのかもしれない。椿の真剣な気持ちも、きっと伝わったのだろう。安心した。
「いわれるまでもないわ。椿は、もう決めたんだから。一人で、山を下りる気はないわ」
強気に言い返す。
次に下山するときは、大切な人を連れて帰る。椿の決心は、固かった。
萬鴻の指示によって、梓の縄が解かれた。解放されて地面に横たわる梓を、抱きしめて支える。
耳元で何度も名前を呼び掛けると、梓は呻きながら、目を覚ました。
「梓ちゃん、もう、大丈夫よ」
虚ろな瞳で、梓は椿の顔を見つめてくる、椿は優しく笑いかけた。
「椿ちゃん、こんな場所まで、来てくれたのか……?」
「当たり前でしょう? 助けるって、約束したんだもん。椿、嘘は嫌いよ」
椿の言葉を聞いた梓の瞳に、涙が滲んだ。
「村の、みんなは……」
何とか起き上がれるくらいに回復し、梓は這い蹲って地面に膝をついた。
梓の視線の先には、椿たちを取り囲む、妖怪たちが。
「梓よ。お前は我等との約束を守った。四季姫を連れて来たのに勘違いをして、すまなかった。大きな功績を上げたお前が、村の代表として赴くに相応しい。悪鬼の元に四季姫を連れていき、長を連れて戻るのだ」
萬鴻が代表して、意思を伝える。気を失っている間に起こった変化に驚いている様子だったが、事態がうまく収まったのだと理解したらしく、安心した表情を浮かべた。
「……分かった。みんなは村で、待っていてくれ」
梓の一言を聞き、妖怪たちは黙って従った。何の反論も文句もなく、山の奥へと去っていった。数体の妖怪たちが、広場からの出入り口の脇に立ち、待機した。椿が逃げ出さないように見張るための、門番みたいな役割なのだろう。完全に信頼されているわけでは、なさそうだ。
それでも、自由に動けるのだからありがたい。椿は村の妖怪たちの判断に、感謝した。
「村の人達、話せば分かってくれた。梓ちゃんの言うとおりだったわね。いい人たちだわ」
梓に声を掛けると、梓は辛そうな、ばつが悪そうな表情を浮かべて、俯いた。
「話、聞いたんだな。あたいは、椿ちゃんを騙していたんだ。悪鬼のところに連れていくために、本当の目的を隠していた」
梓の罪悪感は、表情によく出ていた。椿は肩を震わせる梓の頭を撫でて、宥めた。
「でも、梓ちゃんの気持ちは本物だったわ。悪鬼に捕らえられた、パパを助けたいって気持ちに、嘘なんてなかった」
当初の目的は、楸たちが予測した通り、四季姫を騙して悪鬼の元に連れていくためだったのだろう。だが、梓の心の優しさや、追い詰められて切羽詰まった状況は、偽りなく伝わってきた。
単純に四季姫を生贄に差し出すというより、厳しい現状を打破してくれる戦力として、可能性を期待してくれた。悪鬼を倒すために、椿たちの力を必要としてくれた。
その気持ちだけで、椿は充分だった。
梓は椿の言葉を受けて、泣き出した。椿は背中を摩りながら、宥める。
「梓ちゃん。朝ちゃんは、一緒じゃなかったの? 椿が気を失っている間に、梓ちゃんは朝ちゃんに連れて行かれたのだと思っていたんだけど」
梓と再会してから、ずっと気になっていた件を訊ねた。悪鬼のところに行くために、二人で行動しているのだと思っていたのに。
「あの白烏は、悪鬼の居場所を教えたら、一人でさっさと行っちまったよ」
涙を拭い、嗚咽を抑えながら、梓は説明した。
朝は一人で、悪鬼の元に。悪鬼も、組する妖怪たちも纏めて始末しそうな勢いだったから心配していたが、悪鬼に利用されている妖怪たちまで、倒すつもりはなかったのだろう。
少し安心したが、まだ朝の状況が分からないから、気を抜けない。
「梓ちゃん。椿たちも行きましょう。鬼の住処まで、案内して」
梓は頷いて、茂みの中に隠された細い通路に、椿を案内した。
椿は更に狭くなった道を、草木をかき分けながら進んでいった。
少し奥に進むと、見張りの妖怪たちの視界からも外れ、気配も遠ざかっていった。
道を抜けた先には、少し小さな吹き溜まりがあった。山の中には、こういった誰かの手が加わった休憩所みたいな場所が、いくつもあるらしい。
「悪鬼の住む山は、迷路みたいになっているから、目印になる場所が作ってあるんだ。悪鬼でさえ、迷う時があるらしいから」
なるほど、と納得する。相当、入り組んでいるみたいだ。椿一人では、とうてい攻略できなかった。
「次はどの道に行けばいいの?」
吹き溜まりの先に、進めそうな道が二本、伸びていた。きっとどちらかは、行き止まりなのだろう。
梓の案内なしでは、先に進めない。訊ねたが、梓は行き先を教えてくれなかった。
梓は強く握りしめていた拳を開き、頭上に掲げた。掌の上には、以前使っていた、自在に大きくなる豆が載っていた。
豆から勢いよく蔓が伸び始め、椿の周囲を覆い始めた。逃げる暇もなく、椿は、太い蔓と大きな葉っぱに包まれた空間に閉じ込められた。
初めて、梓に助けてもらった時と同じだ。だが今回は、状況が異なる。
「何をするの、梓ちゃん!」
「ごめんなさい。来てくれて嬉しいけれど、やっぱり、椿ちゃんを行かせるわけにはいかねえ。なにもかも終わるまで、この檻の中で大人しくしていてくれ」
外の様子が、透けて見えた。葉っぱの向こう側で、梓は悲しそうな顔をして立っていた。
「どうして!? 悪鬼のところに連れて行くって、約束したじゃない!」
「あたいは、椿ちゃんが好きだ。妖怪のあたいの言葉を受け入れてくれた、優しくしてくれた、初めての人間だ。危険な目に遭わせたくねえ。だから、白烏に解放された後も、椿ちゃんのところには戻らなかったんだ。一人で悪鬼のところに行くなんて、自殺行為だ。絶対に、させられないよ」
梓の心変わりに、椿は焦った。
好意を抱いてもらえるのは、とても嬉しい。だが、その気持ちが思っていたものと違う方向に動いている。
何とか、気持ちを変えさせなくては。
「でも、椿がいかなくちゃ、梓ちゃんが責任を果たせなくなるのよ! 梓ちゃんのパパや、村の妖怪たちを裏切る行為になるわ」
「分かってる。けど、椿ちゃんを犠牲にしてまで、果たしたいとは思わねえ」
梓の意志は固い。椿はさらに説得しようと声を上げ続けたが、梓は何の反応もしなくなった。椿の声まで、不思議な豆の葉に遮られて、外に届かなくなったらしい。蔓に囲まれた狭い空間で、空しく反響するだけだった。
「心配しなくても、大丈夫だ。あの白烏が悪鬼のところに行った。別に勝とうが負けようがどっちでもいいけど、悪鬼の目を逸らしてくれるなら、好都合だ。あいつが戦っている隙に、父ちゃんを助ける」
梓は、朝を囮として利用するつもりか。だが、朝がすべての悪鬼に立ち向かえるわけがないし、仮にうまく村長を助け出せたとしても、出し抜かれた悪鬼の怒りと報復からは、逃げられない。
「待って、梓ちゃん! 開けて、出して!」
蔓を掴んで引き千切ろうとしたが、とても頑丈で、椿の手に負えない。
何とか思いとどまらせようと呼び止めるが、梓にはもう、椿の声は届かなかった。
結局、誰の助けにもなれないのか。椿はずっと、無力な存在のまま。誰からも必要とされない存在なのだろうか。
たとえ弱くても、気持ちさえ前を向いていれば困難を乗り越えられる。そう、信じてきたのに。
結局、弱さは罪なのか。椿の中に、絶望が広がった。
梓が椿の元を去ろうとした時。
椿たちがやってきた道を通って吹き溜まりに飛び込んできた影があった。
その影は、三つ。
椿は顔を上げた。胸が締め付けられ、目に涙が溜まった。
「見つけたぞ、梓!」
聞きなれた。頼もしい声が響く。
十二単を身に纏った、榎たちだった。




