第十四章 春姫進化 5
五
椿は部屋に戻り、素早くお気に入りの洋服に着替えた。フリルがたくさんついた、ミニスカートのワンピースだ。
上からカーディガンを羽織って、髪も下ろして整え直す。デートの準備を整え、朝を連れて寺を後にした。
やっぱり、服装が違うだけで、気分も大きく変わる。苦痛なだけのトレーニングから解放されて、椿は機嫌が良かった。
朝の服装が、了生のコーディネートした、ダサい普段着でなければ、もっと良かったのに。
「すいません。僕がついてきたばっかりに、話がややこしくなったみたいです」
「朝ちゃんは悪くないわ。お寺に興味があっただけなんだから」
道中、朝は申し訳なさそうに詫びてきた。
木蓮と了海のやり取りを、まだ気にしている様子だったが、あんな馬鹿らしいやり取りを気に懸ける必要はない。むしろ椿は、さっさと忘れてしまいたかった。
何か別の話題を振ろうとは思うが、椿も先刻の会話が頭の中でグルグルと回って、離れずにいた。
「朝ちゃんは将来、お坊さんになるの?」
迷ったが、意を決して尋ねた。
「まだ、分かりません。ただ、僕自身と向かい合える生活を送りたいと思っています。気持ちを鎮めて禅の境地に身を委ねるならば、僧になる道が最適かと」
目的を話す朝の表情は、穏やかながら真剣そのものだ。
了封寺に会いに行ったときも、座禅を組んで瞑想していた。お寺での厳しい生活を、とても居心地が良いと思っているのだろう。
「だから、花春寺に来たかったの?」
訊ねると、朝は素直に頷いた。
「現代の寺院のしきたりや構造、仏僧のお勤めは、千年前とは大きく異なっているみたいなので、参考のために見ておきたいと思ったのです。椿さんのお宅のお寺は、静かで落ち着きますね。修行にはもってこいの場所です。可能ならば、花春寺で修行を積みたいものですね」
お寺を褒められると、嬉しかった。今までにお寺を訪れた連中の、化け物屋敷でも見るみたいな反応とは全く違う。
静かで落ち着いたお寺の雰囲気は、椿も大好きだ。椿と同じ感性を共有できる相手がいるだけで、安心できた。
だが、朝の言葉には、他にも気になる含みがあった。椿は思いきって、話題を向けた。
「もし朝ちゃんが将来、花春寺でお坊さんになるなら、その、つまり、椿の……お婿さんに、なるの?」
木蓮が堂々と言い放っていたみたいに、椿がお婿を取って寺を継ぐ、なんて発想は、今までに一度もなかった。
椿は大人になったら、東京に出て楽しい生活を送るのだから、いつまでもこんな田舎にいる気はない、と考えていたが。
もし、朝が花春寺に来てくれるなら。
―—椿と結婚してくれるなら。
少し考えを変えてもいいかな、と現金に考えていた。
朝が相手なら、木蓮の勘繰りが現実になっても悪くない。
期待を込めて尋ねたが、朝の返答はとても、あっさりしていた。
「住職さまの仰る通り、椿さんには相応しい相手が、どこかにいらっしゃると思いますよ」
修行をするために僧になりたいと言っているのだから、椿みたいに不純な理由は、朝の中にはないのだろう。
朝が花春寺に興味を持って、居心地の良さを感じた理由には、椿の存在は何の影響も与えていない。
椿は遠回しに振られた気がして、切ない気持ちになった。
***
デートといっても、四季ヶ丘の中を並んで歩き回るだけだから、散歩と大して変わりない。
椿はできるだけ人目を避け、静かで落ち着いた道を選んで歩いた。
住宅街の中心部から少し外れた山沿いの地域には、密集して家がたくさん建っているけれど、空き家が多い。
一度は田舎の生活に憧れて引っ越してきたものの、都会の生活に慣れ過ぎて田舎の不便な生活に耐え切れず、再び出て行った人達もたくさんいる。
不便さを理由に去っていく人を見ると、椿は少し勝利の余韻に浸れた。侵略された陣地を敵から取り戻せた気分になって、何となく嬉しかった。だから、住民の少ないエリアを通ると、楽しい気持ちになれた。
朝も、初めて通る道ばかりだから、楽しそうに辺りを見渡していた。
見慣れた場所の風景しか知らない椿は、どこにでもありそうな住宅街を見ただけでは、興味が持てない。
少し都会に出たり、大きなテーマパークや海を訪れると、椿も心が躍る。今の朝の気持ちは、椿が賑やかで派手な場所に行って凄いと感じる時と、同じなのだろうか。
椿も、都会の裏通りなどを歩いて、新しい道を発見したら、楽しい気持ちになれるだろうか。
「朝ちゃんは、現代の京都で新しい生活を始めて、どんな気持ち? 平安時代に暮らしていた時と比べて、新鮮さや自由を感じる?」
ふと、気になって尋ねた。封印される前の朝は、平安時代の京都で暮らしていたわけだから、時間を跨いで現代に引っ越してきたようなものだ。
ちょっと当たり前の質問をすると、すぐに馬鹿にしてくる都会からの余所者には、口が裂けても訊く気になれなかったが、朝なら普通に答えてくれるだろうと、期待もあった。
「日常生活は、今までと全く違って、とても新鮮ですよ。初めての出来事ばかりで戸惑うときもありますが、爺さまや兄さまが、親切に教えてくださいますし。自由……という点でも、以前よりはかなり、好きにやらせていただいています」
この時代に来てからの生活を、思い返しているのだろう。遠くを見つめる朝の表情は、とても柔らかだった。現状の生活に満足している証拠だ。
「でも、逆に落ち着かない時もあります。自由すぎる生活は、僕の性分には合っていないみたいです。ある程度の役割や使命がないと、地に足がついていない感じがして」
ぎこちなく、言葉を選びながら、朝はいいところも悪いところも、丁寧に説明してくれた。
朝らしい意見だと思った。朝はとても真面目な性格だし、ずっと四季姫に仕えてきたから、自由奔放な生活には、慣れないのだろう。
椿とは真逆なのだなと思った。でも、確実に以前よりも自由を得られている朝を、羨ましいと思った。
「いいなぁ。椿も、知らない町で自由に、新しい気持ちを持って暮らしたいなぁ」
本音を呟くと、朝は意外そうに椿を見てきた。
「椿さんは、別の場所で暮らしたいのですか? この町が、お嫌いですか」
「昔は好きだったんだけれどね。生活するにつれて、嫌な思い出が、いっぱいできちゃったし。一度、全部忘れてリセットできたらなあって、思うのよ」
「嫌な思い出とは?」
「椿は、子供の頃の生活で満足していたの。でも、知らない人たちが、どんどんこの町に増えてきて、環境が変わっちゃって―—」
椿の口からは、今まで溜め込んできた色んな気持ちが溢れだして、抑制が効かなくなった。
余所からやってきて、町の環境を塗り替えていった人たちや、弱いのに強さを求められる四季姫のプレッシャー。今まで誰にも話さなかったのに、朝の前では何でも言ってしまえた。朝も、表情一つ変えずに、黙って椿の話を聞いてくれた。
切りの良いところまで話し終えると、椿は頭の整理がつき、気持ちが落ち着いてきた。
「ごめんね。なんだか愚痴ばっかり言っちゃって」
人の文句なんて、聞いていて楽しい人はいない。椿も愚痴る度に嫌そうな顔をされたから、今まで人に話さずにいたわけだし。
朝も、嫌な気持ちばかり内側に溜め込んでいる椿に、辟易しただろうか。嫌がられたかもしれない、と思うと、少し怖かった。
「いいえ、今の僕には何の力もありませんし、話を聞くくらいしか、できませんから。ですが、お陰で、椿さんを苛めているもが何か、理解できました」
だが、朝の反応は思っていた以上に柔らかく、親切だった。
「お気持ちは、よく分かりますよ。僕も、戦いや争いは嫌いですし、人付き合いも苦手です。願わくば、誰も傷つかずに、平穏に暮らせればいいと思っています」
椿の心情に同意して、朝は微笑んできた。
朝は平和主義者だ。戦うべき時には覚悟と度胸を見せる強さを持っているが、好んで戦いに赴くタイプではない。
単純に親切ぶっているだけでもない。朝も容姿のせいで、学校で色々と嫌な思いをしてきているから、他と違うだけで爪弾きにされる理不尽さは、よく知っている。だから、椿の気持ちも、すぐに理解して受け入れてくれた。
朝の温厚で優しい雰囲気に、椿は救われた。
「でも、周りの環境の変化が椿さんを苦しめていても、逃げる必要はないと思います。椿さんは、何も悪くないのですから」
朝の言葉は、妙に説得力があった。
話を聞いて初めて、椿はどうにもできない現実から「逃げよう」としていたのだと気付いた。
椿は弱いから、逃げる方法でしか椿自身の身を守れない。都会に憧れて、東京に出たいと考える強い思いも、全ては思い通りにならない日常から逃げ出すための口実に過ぎなかった。
朝は強い。居心地の悪い場所であっても、きちんと自分自身の居場所を確保して、主張できる。周囲の否定や差別なんて、ものともしない。
堂々と、周りに臆さずに、同じ場所に立っていられる。
椿も、朝みたいになりたいと思った。
「大丈夫ですよ。椿さんが幸せに過ごせる時間は、きっとすぐに取り戻せます」
朝は穏やかな口調で、励ましてくれた。
前向きな言葉を聞いていると、椿の気持ちも軽くなった。今までなら、きっと無理だろうと決めつけていたが、朝に言われると、なんでもできそうな気がしてくる。
「ありがとう」と、椿も微笑んでおいた。
ただ、現状では、平和な生活を取り戻すには、深淵に潜む悪鬼たちを倒さなくてはならない。
倒すためには、四季姫としてパワーアップして強くならなくては―—と、結局は考えたくない現実に引き戻されるわけだが。
やっぱり、人に言われるままに流されるだけではなく、椿にできる、椿だけの方法で乗り越えていくべきだと思った。パワーアップする以外の方法を。
少し前向きに考えはじめた矢先。
周囲の空気が変わりはじめた。




