第十四章 春姫進化 1
一
如月椿は、京都の山奥にある四季ヶ丘町で生まれ育った。
家は、花春寺という、山の上にあるお寺。兄弟はいない、一人っ子だ。
田舎の雰囲気に似つかわしい、のんびりした性格の両親から、愛情をいっぱい受けて育った。
椿は、静かでゆっくりと時間が流れる、自然に囲まれた四季ヶ丘町が大好きだった。
お寺の古ぼけた柱や仏像の匂い。
ドジョウやメダカ、オタマジャクシが泳ぐ水田。
カブトムシやクワガタがたくさんいる山。
夏には蛍が飛び交う清流。
お寺の長い石段や広い庭。いつも可愛がってくれる、お歳を召した檀家の人達。
何の不満もなく、満たされていた、完成された世界。椿にとっては、これ以上ないほどの、素晴らしい環境だった。
でも、そんな楽しい暮らしや生活空間は、幼稚園に入る頃になると、大きく壊れはじめた。
四季ヶ丘町内の住宅地開発が進み、町中にたくさんの家が建ちはじめた。
大人の事情なんて椿には分からなかったが、田舎の閑静な環境で暮らしたいと考える都会の人たちが、続々と四季ヶ丘に引っ越して来ているらしい。
環境保全のため、椿の家の周辺には大して変化はなかったが、山上にあるお寺から見渡す景色は、どんどん変わっていった。
一面に広がっていた田んぼは、綺麗に埋め立てられた。山は削られ、道路も広げられて、たくさん家が建った。今まで町に点在して建っていた、瓦が立派な木造の古民家とは、趣が全然違う。
屋根にカラフルな板を貼った家。全体的にこぢんまりとしていて、どことなく洋風な雰囲気を醸していた。一軒一軒の家の大きさも小さく、たくさん密集して建てられている。
広い庭もない。すごく窮屈そうだ。
「仰山、お家が増えてきたねぇ。幼稚園行ったら、新しいお友達、いっぱいできるね」
母―—桜は嬉しそうに話すが、椿にはよく分からなかった。むしろ不安のほうが大きくて、怖く感じた。
椿は家の近所に、同じくらいの歳の遊び相手がいない。お隣りもすごく離れているし、高齢の人ばかりが住んでいた。田舎では親戚同士が近所に住んでいる場合も多いが、椿の親戚は名古屋など遠い場所で暮らしているから付き合いは殆どない。同じ歳のいとこもいるらしいが、顔も知らない。
幼馴染と呼べる相手もいなくて、いつも一人で遊んでいた椿には、同い年の子供達が集まる幼稚園なんて、未知の世界に等しかった。
父や母にいわせれば、子供はたくさん友達を作って、元気いっぱい遊べばいいそうだ。
だから椿も、新しい友達と仲良く遊ぶ想像を巡らせて、新生活を楽しもうと思った。
だが、大勢の子供達が集まる幼稚園は、椿にとっては非常に居心地の悪い場所だった。
狭い園内で、すし詰めになりながら走り回ったり、遊具や絵本はいつも取り合い。叫び声や泣き声が響き渡り、先生は倒れそうになりながら、てんやわんやしている。
こんな場所にいて、何が楽しいのだろうか。
一緒に遊ぶ友達もできたが、やりたくもない鬼ごっこやかくれんぼを延々と続けさせられる。椿は足が遅いから、いつもすぐに捕まって鬼になった。周りは楽しいのかもしれないが、椿は面白くない。
椿は、他の園児を楽しませるために幼稚園に通っているわけではないのに。不満だけが募った。
余所の都会から引っ越してきた子供達は、話が合わないと、いつも田舎の子供達を馬鹿にした。
遊び方が違うと、都会の遊び方を押し付けてくる。態度がでかくて、ずっと地元で暮らしている小数の子供達と比べると、明らかに図々しさが目立った。
まるで都会の子供は田舎の子供よりも偉い、とでもいいたげに、威張ったり仕切ったり、勝手にグループを作ってメンバーを振り分けようとしてくる。
住んでいる家にしても日常生活にしても、何でも小さく区切られていないと、気が済まないのだろうか。
外から来る人達は、心が狭いと思った。
決められたグループの中にも上下関係が存在し、すぐに共通点や相違点を見つけては差別化し、同じ境遇や考え方を持たない相手と比べて、優劣をつけたがった。地元民で、一度も引越しをした経験のない椿は、引越してきた子たちばかりのグループでは、仲間外れの格好の的になった。
余所の人間が勝手に作った勝手なルールで、椿は勝手に疎外され続けた。
だんだん、集団行動が嫌になり、椿は幼稚園の中でも一人でいる時が多くなった。
中には、落ち着いて話や遊びができる子もいた。
楸という名前の女の子は、椿が一人でお絵かきをしていると、遊び相手になってくれた。椿は大勢で騒ぐよりも、誰かと一対一で、こぢんまりと遊ぶほうが生に合っている。生まれたときから四季ヶ丘でずっと暮らしている楸も、椿の気持ちが分かるらしく、時々、一緒に静かな時間を楽しんだ。
でも、ずっと皆の輪から離れて過ごしていてはいけないと、楸は忠告もしてきた。
「お外から引っ越してきた子たちのほうが多いから、何をするにしても、その子たちが中心になっていくどす。今のうちに相手に合わせていかんと、世の中の流れに置いていかれますえ」
楸は賢くて、しっかりしているから、大勢の子供達とも、うまく渡り歩いていた。誰とでも違和感なく話をして、どんな環境でも上手に順応していた。
別に羨ましいとは思わないが、立派だとは思った。
椿には、真似できそうにない。相手に合わせて椿の気持ちを押し殺すなんて、耐えられない。
変わりはじめた四季ヶ丘町は、変わろうとしない椿なんて、必要としていないのだと感じた。
椿は友達と遊んでいるよりも、家でテレビを見たり、一人で遊んでいるほうが好きだ。
テレビでよく見る番組には、東京とかいう、とってもお洒落で素敵な場所が、いつも放送されていた。
言葉遣いも京都や大阪と違ってお洒落だし、皆が着ている服も素敵だ。
椿の知らない土地になら、椿がいられる居場所があるかもしれない。子供心に、期待を抱いた。
椿はいつしか、東京の生活に憧れるようになっていた。
* * *
小学校に入ると、椿と周りの子供達との間の溝は、ますます顕著になっていった。
住宅街の広がりは緩やかになっていたが、まだ入居者は耐えなかった。転入生がくるたびに、学校内の環境や雰囲気は目まぐるしく変わっていった。
いろんな人に会ううちに、椿は引っ越して来る人達の多くが大阪出身者だと気付いた。
大阪からきた人達は、椿が憧れる東京の人達とは雰囲気も違い、豪快で遠慮のない性格が好きになれなかった。
もちろん大阪出身でも、礼儀正しくて、しっかりした子もいる。
三年生の時に引っ越してきた柊という少女は、大阪生まれだけれど各地を転校して回っているせいか、とても大人びて落ち着いていた。誰にでも平等に接するし、相手に自分自身のルールを強要しない。かといって相手に合わせるわけでもなく、マイペースに自分自身の世界を作り上げている。その雰囲気も悪くなく、誰にも不満を抱かせない潔さが魅力だった。
気さくな感じが好きで、椿もすぐに仲良しになった。
たまに椿が余所者について愚痴っても、同意も馬鹿にもせずに、黙々と聞いてくれた。
そして時々、坦々と大人な意見を述べて、椿を諭してくた。
「日本も、狭いいうても意外と広いからな。いろんな場所に、いろんな人間が住んどるんや。すべての人間と打ち解けるなんて無理やけど、事実を受け入れたら、少しは楽になるで。子供のうちは難しいけど、椿も大人になったら好きな場所で好きに暮らしたらええねん。今は将来に向けて色々と準備する時やと思うて、堪えるしかないわ。時間が経てば、四季ヶ丘町も、住みやすい場所に変わるかもしれんしな」
そんな話をするうちに、椿のまだ見ぬ東京への憧れは、更に増していった。雑誌で東京の最先端の流行を追いかけ、標準語もマスターしようと努力に励んだ。
柊は二ヶ月ほどで、また転校して行った。とても別れが名残惜しく感じた。
再び、椿の周囲は、つまらない環境に逆戻りした。
都会からきた子供達は飽きっぽくて、すぐに新しいものを求める。学校の遊具がつまらなくなると、少し遠くの公園まで出かける時もあった。
「今日は、二丁目のほうの公園行って遊ぼうや!」
クラスメイトたちは、結構平気で遠出する。多少、帰りが遅くなっても町の中だから安全だし、みんな家が近くて集団で下校できるから、何の問題もないのだろう。
でも、椿は山奥から遠い道のりを歩いて学校に通っているから、皆と一緒に行動していると、家に帰る時間が、とても遅くなる。
夜の田舎道は外灯もないし、野性の動物も出る危険な場所だ。だから、いつも日が暮れる前に帰らなくてはならなかった。
田舎特有の事情で椿が先に抜けようとすると、良心の欠片もない生徒は「途中で帰るなら最初から来なければいいのに」と冷たい言葉をかけてくる。
誰も、椿の都合なんて考えてもくれない。
「公園、遠いし。行って遊んでたら、帰りが遅くなっちゃう。みんな、今日は椿の家に遊びに来ない?」
たまには、椿だって時間一杯まで遊びたい。お寺の周りなら、遊具なんてなくても、自然の中でたくさん遊べる。
本音を言うと、椿の家に友達を連れていく方法も、椿はあまり好ましく思っていなかった。
夜になると帰り道が危ないからといって、いつも母の桜が車で皆を家まで送る。余所から引っ越してきた都会の人達には自由になる車がなかったり、母親が免許を持っていなかったりと、迎えに来る足がない家が多い。
別になくても、買い物は歩いて行けるし、バスも通っているから不便ではないのだろう。だからいつも、不便な生活を補うために、車を持っている椿の家が気を遣わなくてはならなかった。逆に椿が遊びに行って遅くなった時には、必ず桜が迎えに来てくれた。
椿は、どこの家の親にも送り迎えをしてもらったためしがないのに、皆ばかり、椿の家の車に乗って家に帰るなんて、不公平で図々しいと思った。だから余所者は、田舎者は都会から来た人間の運転手をして当然だ、と勘違いして、ますます付け上がるのだと、不快に感じていた。
それでも、他にみんなと平等に遊ぶ方法が見つからないから、できるだけ便宜を図ろうと誘ってみるが、周りは難色を示して、はぐらかしはじめた。
「ごめーん。今日、塾やったわ。また今度な!」
みんな、椿から離れて分散しはじめた。椿の不愉快さが、また増した。
「嘘つき。椿の家に来たくないだけでしょ!」
逃げた子供達も、後で別の場所で合流してこっそり公園に行くに決まっている。嫌なら、普通に断ればいいのに。
椿はもう、気遣いをやめた。少しでも仲良くなれればと思って頑張ってきたが、限界だ。
椿が怒って去ろうとすると同時に、逃げていた子供達が戻ってきて、口々に陰口を叩きはじめた。
「椿ちゃんって、我儘や。すぐに拗ねるし。扱いにくいわ」
「変わってるやんな。関西人のくせに、標準語使おうとするし」
「椿ちゃんの家、お寺やし。寺なんて古臭いし、お化け出そうで怖いやん。絶対行きたくないわ」
「長い階段、登らなあかんしな。日が暮れるわ」
「トイレも水が流れるやつやないもん。お風呂にはシャワーもないねんで!古臭過ぎ」
「台所は竃なんやろ?ご飯とか竹筒に入れて炊いてるんとちゃうか?」
前に如月家に遊びにきた子供達の評価は、散々だった。
寺に隣接する、年季の入った古ぼけた雰囲気の如月家。トイレは和風の汲み取り式だし、お風呂は古ぼけた窯風呂。もちろん、シャワーなんてあるわけもない。
遊びにきた皆は、まるでお化け屋敷にでもやって来た感覚で、怖がって叫んで、物珍しく声を上げていた。人の住む家に訪れた、とは微塵も思っていなさそうな反応と態度だった。
さらには原始人みたいな暮らしをしていると、ありもしない噂まで立てられた。今どき、どこの誰が竹筒で米なんて炊くのか。失礼にもほどがある。
皆が椿の家を古臭く感じても、無理はなかった。椿も引っ越してきたクラスメイトの家に招待されて、大きな衝撃を受けた時があった。新しく建てられた家の中は全般的にフローリング。畳の部屋なんて、ほんの僅かしかなかった。学校にさえない、洋式の水洗トイレ。お風呂も綺麗で、ちゃんとシャワーも乾燥機もついている。縁側はなく、二階には可愛い植木鉢がインテリア風に置かれたベランダが設置されていた。
こんな設備は、都会では常識らしい。初めて見て驚いていた椿に、皆は嘲りの視線を向けてきた。珍しい動物でも発見したみたいな反応だった。
連中は、どうして当たり前の生活を知らないのかと、笑った。
その瞬間に、椿は余所からきた人達との決定的な壁を感じとった。
今まで当たり前だと持っていた日常や常識を、一気に突き壊された気がした。椿の心は、大きく傷ついた。
椿の暮らしてきた環境が、古臭くて遅れているからではない。
今まで満足していた生活を、他人に否定された事実が、悲しくて辛かった。
突然入り込んで、田舎の静寂を目茶苦茶にしてきた、余所者なんかに。
椿のよく知る町の常識が、知らない人達の知らない世界に、勝手に塗り変えられていく。何の権限があって、新しくやってきた人達は、我が物顔で町をうろつくのだろう。
人は数が多ければ、強いと勘違いする。強ければ何でもできると思っている。何をしてもいいと思っている。
椿は余所からきた人達が大嫌いだった。勝手に新しいものを持ち込んで、外の常識を押し付けて、旧いものを拒む。
侵略以外の何でもない。椿は知らない人達に好き勝手に作り変えられていく四季ヶ丘が、だんだん窮屈でつまらない場所に感じはじめていた。
「いいもん。椿は大きくなったら、東京に行くんだもん。いい子面しならがら陰口ばっかり叩く子たちに取られた町なんて、いたくない。京都の田舎なんて、ダサくて嫌い」
都会へ行きたい。都会に引っ越して、明るくて素敵な生活をしてみたい。
大阪なんて、興味もない。東京に出て、誰よりも最先端の生活をするんだ。
遠くに行けば、誰も椿を仲間外れにしない。椿の居場所があると、信じて疑わなかった。
* * *
時が経ち、椿は小学校を卒業した。
時代の変化は、椿が何もしなくても日常生活に変化を与え続けた。
花春寺も最新の設備を取り入れ、水洗の洋式トイレや、自動湯沸かしがついたシャワー付きのお風呂に変わった。乾燥機も付いているし、洗濯機もドラム式の新しいものに取り替えた。
はっきりいって、数年前に建てられた余所の家よりもずっと、綺麗で都会的になった。
椿の部屋も、畳からフローリングに変えてもらい、ベッドを置いて洋風な装飾になった。
きっと、建てた当時から環境が変わっていないだろう余所者たちの家なんて比べものにならないほど、快適で真新しいはずだ。
でも、椿の中では、あまり大きな満足感はなかった。
都会的な雰囲気を家の中に取り込めた点は嬉しかったが、昔の好きだった田舎の雰囲気とのギャップが大きすぎて、実感が沸かなかった。
やっぱり、都会の雰囲気は都会で味わうべきだ。いくら寺が新しく変わったって、付け焼き刃でしかない。
椿自身も少しは成長して、現状で妥協する癖もついていたが、やっぱり心のどこかで不満が残った。
周りに合わせているだけの環境なんて、居心地が悪い。
椿が心から満足して、落ち着いて過ごせる居場所は、どこにあるのだろう。遠くに行けばあるかもしれないが、今の椿には到底、探せない。
悶々と悩んでいるうちに、椿の生活に新しい変化が訪れた。
小学校を卒業した春休み。椿の家にいとこがやってきた。
水無月榎。
名古屋で暮らしている、父方の伯母の子供だそうだ。椿とは初対面だった。
最初は年上の少年かと勘違いしたほど、すらりと背の高い、格好いい容姿の少女だった。
正義感が強く根が真面目な榎は、どこか抜けているが、椿に対しても真摯できちんと向き合ってくれる、優しい少女だった。椿も榎に心を開き、仲良くなろうと頑張って前向きに接した。
だが、その生真面目さ故に、榎は京都に来てから妙な出来事に巻き込まれていた。
榎は四季姫という平安時代の陰陽師のお姫様に変身して、夜な夜な妖怪退治を繰り広げていた。
椿に迷惑をかけないために内緒にしていたらしいが、椿には隠れてコソコソしている風に見えた。だから椿も、一度は裏切られた気持ちになって激怒した。
でも、椿が榎と同じ使命を帯びた四季姫―—春姫の力を覚醒させてからは、より距離を縮めて、一緒に妖怪と戦える仲間になった。
その後は新しい仲間も次々と見つけて、紆余曲折しながらも、力を合わせて重大な使命を果たした。
四季姫として、榎たちと戦いに赴く日々は、椿にとっても刺激的で、かけがえのない日々となった。幼稚園に入る前に感じていた、生活の充実感が戻ってきた気さえした。
気心の知れた仲間たちとの、特別な日常。
都会に行かなくても、平穏は手に入るのだと、新しい発見をした。
この楽しい時間を、台無しにしたくない。椿は今まで以上に頑張って、仲間たちとの調和を大切にしていた。
でも最近―—深淵の悪鬼たちと戦わなくてはならなくなってから、少し気持ちが乱れはじめてきたと、椿は感じていた。




