第十三章 秋姫進化 11
十一
陣の中で身動きが取れず、化け狐――赤尾は、稲荷寿司を咥えたまま、もがいていた。
五芒星の陣から青白い筋状の光が迸り、赤尾に纏わり付いて、猿轡の役割を果たしていた。
「久しぶりだな、赤尾。不様な格好だ」
赤尾の目の前に屈み込み、宵が低い声を放った。寿司を飲み下した赤尾は、細く鋭い目で周囲を見渡した。
楸の姿を視界に入れると、不愉快そうに舌を鳴らした。
「誰かと思えば、宵月夜の坊ちゃんじゃねえですかい。解せませんね、四季姫とグルになって、あっしを捕まえるなんて。妖怪の風上にも置けねえや」
「千年前にも、同じ台詞を吐いていたな。今でも、はっきり覚えているぞ。俺たち兄弟が陰陽師と関わっているなんて、お前もとっくに知っていただろうが」
「仰るとおりで。皮肉なんて、吐いても無意味でしたか。封印から出て、晴れて自由の身になれたんですってね。おめでとうございやす」
赤尾の棒読みの祝言に、宵はつまらなさそうに鼻を鳴らした。
「白々しい。俺が召集を掛けた時には、見向きもしなかったくせに」
「あっしも、忙しい身ですからね。野暮用で出掛けていて、お受けできなかったんですよ」
「野暮用ってのは、また人間でも襲って、魂を抜き取っていたのか?」
宵は眉を顰めて、核心を突く問い掛けをぶつけた。
赤尾の口から直接、六年前の話を引き出すつもりだ。ほぼ間違いないだろうが、確証がないかぎりは、赤尾を仇とは決め付けられない。
もうすぐ、真実が明らかになる。ずっと、憶測でしかなかった家族の死の意味が、はっきりとわかる。
楸は眼前で行われるやり取りを、固唾を飲んで見守った。
宵の意図になど、気付いた素振りもない赤尾は、宵の話に釣られて楽しそうに語りはじめた。
「最近は人間も、飢餓や寿命で早死にする奴が減りましたからねぇ。自殺や病死は増えてますから、崖の下やら樹海やら、あと病院を見張っていると、効率がいいんですけどねぇ」
赤尾は、クククと不気味に笑う。人の命を軽率に扱う発言。楸の心の中に、嫌悪感が広がった。
震える手を、宵が握り締めてくれた。
楸とは反して、宵は冷静に赤尾に接し続けていた。今、怒りや敵意を剥き出しにすれば、赤尾は何も語らなくなる。
落ち着かなくては。楸も、小さく呼吸を繰り返し、宵の手を握り返した。
場の空気も平常になり、会話が続く。
「――六年前、この辺りで人間を狩ったか? 四人の家族連れだ」
「さぁねぇ。奪った魂の顔や名前まで、いちいち覚えているわけもないでやんすし」
「その頃、お前の姪御の結婚式があったそうだが」
細かく突き詰めていくと、赤尾の記憶が蘇ったらしく、いきなり声を大きくした。
「そうそう! 祝いの品が、なかなか決まらなくてねぇ。結局、探すのも面倒になって、途中で会った人間を適当に三人ほど殺して、その魂を詰め合わせて贈ったんでやんすよ。なのに、厳選された魂じゃなきゃ美味くないって、姪のやつ、あっしの祝い品を棄てやがったんですよ。……って、何で、宵月夜さまがご存知なんです?」
まるで、他愛もない思い出話でも語るみたいに、赤尾はグダグダとつまらなさそうに話を続ける。
楸の体が、勝手に動いた。赤尾の首に手を伸ばし、締め付けようとした。
赤尾は驚き警戒し、全身の毛を逆立てた。
「やめろ、無闇に手を出すな」
勢いよく、宵に引き戻される。
「止めんといてください。こいつが、私の家族を殺した。ゴミみたいに、命を、魂を奪った……!」
口では喚いていたが、頭の中では冷静に現状を把握していた。
楸が狐の首から手を離した瞬間、腕のあった場所に、赤尾が鋭い牙を向けてきた。そのままの体勢でいたら、間違いなく噛み千切られていただろう。
赤尾は威嚇しながら、楸を睨みつけていた。楸も負けじと、赤尾を睨みつけた。
「あー、思い出したぁ。たしか六年前、通りすがりの家族の魂を奪った時に、時間がなくて一人、始末できなかったんだよ。――お前が、あの時の生き残りかい、秋姫」
楸の正体を悟った途端、赤尾の瞳に嫌な光が宿った。ずっと前に狩り損ねた獲物を、再び見つけた、と喜んでいる表情だった。
だが、楸も立場は同じだ。ようやく、倒すべき標的をはっきり定められた。
「両親と弟の仇、とらせてもらうどす! 覚悟しなはれ」
宵に引き止められながらも、楸は赤尾に食ってかかった。
赤尾は相変わらず、危機感のない緩い笑みを浮かべていた。捕らえられて身動きもできないのに、随分と余裕だ。
その態度の意味を察知できなかった点が、楸の失態に繋がった。
楸たちがいる、銀杏の木を中心にして、濃い妖気が渦巻いていた。気付いたときには、完全に囲まれて、逃げ場を失っていた。
足元で、赤い光がぼんやりと放たれる。光は地上に浮かび上がると同時に、火の玉と化した。
「狐火である! 触れてはなりませぬぞ!」
八咫が楸と宵を、狐火から引き離す。
狐火は昔から、人を惑わす存在とされ、恐れられてきた。時には迷い人を正しい道へ誘う救いの炎となる時もあったらしいが、所詮は獣の気紛れだ。
火に触れると、原因不明の高熱にうなされる症状も、でるらしい。気をつけなければ。
捕らえられていても、まだ余裕で妖力を使えるのか。赤尾がいつ、どんな攻撃を仕掛けてくるか、分からない。
楸は素早く秋姫に変身し、宵を庇って攻撃に備えた。
秋姫の姿を見ても、赤尾は変わらず、余裕の表情だ。
「覚悟すんのは、お前らだよぉ。万が一にと思って、下準備をしておいて、正解だった。狐招きの術は、人間だけが行える特別な儀式じゃあ、ないんだよ?」
赤尾の言葉の意味は、楸にはよく分からなかった。
だが、宵は状況を察知したらしく、八咫に素早く指示を送った。八咫は勢いよく上空に飛び上がった。
「宵月夜さま! 五芒星でありまする! 狐火が、巨大な円陣を描いておりまするぞ」
「先に、陣を敷いてやがったのか……」
宵が舌打ちする。楸にも状況が察知できた。
赤尾は、楸たちの懐に飛び込んでくる前に、一帯に罠を張り巡らせていたらしい。
楸たちが気付かないほど大きな、狐招きの罠。
つまり、楸たちは知らない間に、赤尾の部下の狐たちを招き寄せるための、餌にされていたわけだ。
狐火のさらに外周に、夥しい数の妖気が集まってきた。気がついた時には、たくさんの妖狐に包囲されていた。
狐たちの牽制に威嚇を返しているうちに、隙を突いて一匹の狐が陣の中に入り込んできた。赤尾を捉えていた陣を素早く足で掻き消す。
陣の効果が消えると、赤尾は素早く脱出して、陣の外へ飛んで行った。
「あっしは、忙しいんでね。失礼しやすよ」
手下の狐たちを壁にして、赤尾はそそくさと逃走した。
「待つどす! 今度こそ、逃がしまへん!」
楸は赤尾を追いかけようと駆け出した。だが、すぐに狐たちに道を塞がれた。
とんでもない数の妖狐だ。一匹一匹の力は微弱そうだが、相手にしていては、時間がいくらあっても足りない。
通せん坊を食らっている間にも、どんどん赤尾との距離が開いていく。焦りが、楸の頭を襲った。
どうすればいいか分からなくなっていると、背後で狐たちの悲鳴が上がった。
土煙を上げて、狐が上空に跳ね飛ばされる。物凄い勢いで狐たちが吹き飛ばされ、楸たちのいる場所まで一本の道ができた。
道の向こうから、榎たちが突っ込んできた。大量の妖気に気付いて、駆けつけてくれた。
椿が、テンポの速い曲を演奏する。妖怪たちの脳を強烈に刺激する曲らしく、近くにいた狐から順番に、頭を抱えて倒れ始めた。
「邪魔だ、道を明けろ! 〝真空断戯〟!」
榎の剣術が炸裂し、赤尾が逃げた方向にいた狐たちが、一直線に吹き飛んだ。
さらに、柊が両刃の薙刀を振りかざすと、狐たちが凍りつき、大きな壁になった。
壁と壁の間に、道ができあがった。その道の先には、赤尾が逃げていった気配が、しっかりと残っている。
「行け、楸! こいつらは、あたしたちが引き受ける」
「しっかり、敵討ってくるんやで!」
「皆さん……おおきにどす!」
みんなの援助を受け、楸は大きく頷いた。梓弓を強く握り締め、仲間が文字通り切り開いてくれた道を、全速力で駆け抜けた。




