第十三章 秋姫進化 9
九
作戦を提案した柊に従って、楸たちは、公園の広場を見渡せる茂みに身を潜めていた。
広場の真ん中には、各自が持ち寄ったピクニックシートが敷いてある。シートの上には、お昼に皆で食べようと思って楸が作ってきた、おにぎりやおかずが入った重箱が広げられていた。椿が持ってきてくれた、サンドイッチも一緒だ。
美味しそうなお弁当に囲まれた中心部に、榎が一人で座っていた。姿勢よく正座して、まっすぐ、前を見ている。
その表情は完全に無だ。明るく陽気に過ごせそうな舞台が整っているのに、哀愁さえ漂って見えた。
傍から見ていると、何とも奇妙な光景だった。
「本当に、こんな方法で、妖怪をおびき出せるのでしょうか……?」
茂みで榎の様子を窺っていた朝が、心配そうに呟いた。
「妖怪が榎を付け狙っとるんやったら、一人で無防備にさせとくんが一番や。絶対に、油断して姿を見せるで」
柊は、自信満々に提案した作戦を押し通して、満足していた。必ず成功すると、信じて疑わない。
確かに、榎の周囲を楸たちが固めていては、化け狐は警戒して気配も感じさせないだろう。わざと榎を泳がせておけば、たとえ不審に思ったとしても、相手が何らかの接触を試みてくる可能性があった。
作戦そのものは、決して悪くない。
なのに、楸は成功しない気がして、不安に掻き立てられていた。
「無防備っていうか、逆に不自然に見えるけどな」
隣で、宵がボソリと口を出した。せっかく柊が考えてくれた案だしと、発言を控えていた楸の、本音を代弁した台詞だった。
榎が一人でのんびりと余暇を楽しんでいる様子なら、問題なかったが。
見るからに、榎は緊張して体が強張っているし、遠目から観察していても、全然、楽しそうに見えない。
無理矢理、広場に座らされている感が出過ぎて、逆に申し訳なく感じた。
「もっと自然体で居れって言うたのに。演技が下手やなぁ」
柊が、苛立って舌を打つ。作戦を遂行するには、榎の態度は不適切だった。
だが、現在の榎の心境も、楸は痛いほどよく分かる。
何が楽しくて、人気のない、だだっ広い公園で、一人で弁当を広げて寛がなければならないのか。
静かで孤独な空間を好む人もいるだろうが、榎は確実に、真逆の性格の持ち主だ。
敵をおびき出すための作戦だと分かっていても、近くに仲間が隠れていると分かっていても、じわじわと感じる孤立感には、絶えられないものがあるだろう。
もともと寂しがり屋な性格だから、一人で置き去りにされたみたいな感覚で、尚更、辛いはずだ。
案の定、座ってじっとしていた榎の表情が、だんだんと歪んできた。小刻みに体を震わせて、目に涙を滲ませている。
小声で「寂しい、寂しい……」と、呟きが風に乗って聞こえてきた気がした。空耳ではない、と思う。
「榎さん、半泣きですが、大丈夫でしょうか?」
「このまま妖怪が出てこなかったら、えのちゃん、ただの痛くて寂しい子だわ……」
朝と椿が、いたたまれない視線を向ける。
「独りぼっちが寂しゅうて、妖怪が倒せるかい! 日々修行や!」
一人で気合を入れている柊は、どこか楽しそうだ。妖怪をおびき寄せる妙案に期待を寄せる以上に、榎の反応を見て楽しんでいる様子も見られた。相変わらず、いい性格をしている。
了封寺での禁術会得の修行を終えてから、柊は以前に増して豪快さが増し、勢いがついた気がする。了海の口癖が移ったらしく、よく修行、修行と周囲に喝を入れていた。
柊の暗い過去を知っているから、明るくなってくれた分には嬉しく思うが、ブレーキを掛けるタイミングが分からなくなって、少し戸惑いもあった。
「やっぱり、榎はんだけを可哀相な目に遭わせるわけには、いきまへん」
我慢できなくなり、楸は榎の側に行こうと、膝を伸ばした。
だが、素早く腕を掴まれる。視線を向けると、宵が真剣な表情で、顔を横に振っていた。
「楸は妖怪に顔が割れているだろう。動かないほうがいい。襲撃を受けても、接近戦なら、夏姫が一番、有利に戦える」
楸がいては、逆に足手纏いになる。遠回しに、示唆を受けた。
「せや。警戒されんようにせんと、元も子もないで」
みんなから割り込みを止められ、楸は戸惑った。
優柔不断だと思う。敵を捕まえるためなら、手段を選ばない、とさえ思っていたのに。
いざ、仲間が危険な目に遭うかもしれないと思うと、何を優先するべきか、分からなくなる。
どうして、敵の狙いは榎なのだろう。どうして、楸ではないのだろう。
楸は改めて、化け狐を恨んだ。
前にも後ろにも動けず、半腰で固まっていると、朝が鋭い声を放った。
「――静かに! 妖気を感じます」
全員が息を殺し、周囲を窺った。
間違いなく、化け狐の気配がした。不思議と、存在を撹乱しようとする様子は見られなかった。堂々と存在を露にする妖怪に、奇妙さを覚えた。
訝しく思いながら、神経を研ぎ澄まして、化け狐の居所を探す。
場所を特定した時には、既に化け狐は、榎のすぐ側まで接近していた。
* * *
楸が気付いた時には、手も足も出せなかった。
榎の目の前に、どこからともなく飛び出してきた、化け狐が直面する。
突然すぎて、榎も唖然として、身動き一つ取れなかった。
化け狐は、両手に四角い箱状の物体を持っていた。遠目ではっきりとは分からなかったが、カメラではないだろうか。
案の定、その箱は榎に向けると同時に、激しい光を放った。撮影のときの、フラッシュ光だ。
「うわっ! 眩しい!」
榎は、光に反応して目を閉じた。その直後には、化け狐はあっという間に姿を晦ませていた。
楸たちは慌てて榎に駆け寄ったが、後の祭りだ。
「何だったんだ、今の……?」
事情が飲み込めないまま、榎は困惑していた。
「狐の妖怪に、間違いなかったどす。物凄い速さでした。姿も、狐のままでしたし」
変化が得意な化け狐のことだから、また人間に化けて、榎に接触してくると思っていたのに。予想が大きく外れた。
「変化に妖力を割くと、本来の身体能力が使えなくなります。だから、あえて本来の姿のまま、速度重視で飛び込んできたのでしょう」
「けど、さっきの妖怪、カメラ持っとったで。榎の顔面撮影するために、本気モードになったっちゅうんか? 今時の妖怪は、よう分からんなぁ、ほんまに」
朝の説明に、柊が難色を示す。
やっぱり、見間違いではなかった。化け狐は、一瞬の隙を突いて、全力で榎の写真を撮って、逃げていった。
いったい、何の目的があるのだろうか。
「スキャンダルでも、狙っていたのかしら。えのちゃんって、妖怪たちの間では、すっごい有名人なのかも! すごーい! 今のうちに、サイン貰っておいたほうがいいかしら!?」
「そんな、アイドルみたいな存在じゃないって。落ち着いてよ」
椿が瞳をきらめかせて、榎を羨望の眼差しで見つけた。榎は困った顔をして、飛びついてくる椿を宥めた。
「まあ、妖怪をバカスカ倒していく、危険人物って点では、有名かもな」
「だったら、あたしだけじゃなくて、四季姫全員に言えると思うけどな……」
宵の言葉に、榎は戸惑った反応を見せていた。
榎の意見通り、四季姫について何らかの情報を集めているなら、誰が標的でもいいはずなのに。なぜ、榎なのだろう。
謎は、深まるばかりだった。
「けど、今回の作戦、なかなか良かったな。もう一回、やってみよか」
楽しげに柊が提案すると、榎は思いっきり首を横に振った。
「絶対に嫌だ! もう二度としないぞ。結局、捕まえられなかったし。あいつ、目茶苦茶、素早かったし!」
「もう、同じ手には乗ってこないでしょうね」
「別の方法を考えたほうが、よさそうだわ」
みんなも、榎と同じ意見らしい。新しい方法を模索する方向に、話は変わった。
「まだ、遠くへは逃げていないと思います。気配を消して、手分けして探しましょう」
微かに、狐の残り香が感じ取れる。まだ、化け狐は公園内に潜んでいるはずだ。
まだ、榎を狙っているのか。分からないが、今ならまだ、敵に近付く機会がありそうだった。
楸たちは手分けして、化け狐を探そうと動き出した。




