第十三章 秋姫進化 2
二
夏休み最後の日。
楸たちは例の如く了封寺に集まっていた。
縁側にビニールシートが敷かれ、その上に朝が座っていた。真っ白な長い髪を、了生がハサミを使って切っていく。
さすがに、学校へ長髪のままでは通えない。現代の人間社会で生きていくための最後の儀式、といった感じで、断髪が行われた。
腰近くまであった朝の髪は、ばっさりと切り落とされた。なよなよしい、女の子みたいだった風貌が、爽やかな好男子の姿に変わった。
「短い髪型も、似合ってるじゃん」
「素敵よ、朝ちゃん!」
榎や椿から茶化され、朝は恥ずかしそうに照れていた。
「髪の色は、どうするつもりや?」
柊の疑問に、一瞬、周囲が固まった。
「白いままでは、まずいでしょうか?」
悪いとは断言できない。だが、真っ白な髪は、恐らくとても目立つ。
「生まれつきやさかい、事情を話せば学校側は許容してくれるやろうけど……」
了生はあまり気にしていなかったが、あえて口に出されると、困った顔をしていた。
「問題は、生徒たちどすなぁ。みんな、珍しいもんには目がないどすから」
ちょっと周りと違うだけで、何かと話題に上り、目をつけられやすくなる。集団行動の嫌な面だ。
「朝は大人しいし、かなり、絡まれそうだよな」
「嫌やったら、黒に染めるって手もあるけどな。どないする? 朝」
了生に問われて、朝は少し戸惑って、考え込んでいた。でもすぐに顔を上げた。まっすぐな瞳に、迷いはなかった。
「……僕は、この髪に負い目を持ちたくありません。皆と違う容姿を毛嫌いする人も、いるかもしれませんけど、理解してもらうために、努力はします」
朝の立派な意見に、みんなのテンションが一気に上がった。
「よう言うた! 偉いで、朝!」
「漢の中の漢だ! あたしたちもフォローするからな」
「朝ちゃんをいじめる奴は、椿が許さないわ!」
背中をバシバシ叩かれて、朝は咳込んでいた。
「本当に明日から、学校とやらに通うのですね。何だか、緊張します」
散髪から解放された朝は、ようやく実感が湧いてきた様子で、少し頬を上気させていた。
平安時代にも、役人になるために通う学校や、文書生と呼ばれる学生達がいたはずだ。
まあ、妖怪だった朝や宵には、あまり縁のない人種だったかもしれない。そもそも昔は、財力や地位のある家柄の子供しか、勉強なんてできなかった。
誰でも平等に教育を受けられる現代の日本の制度に、驚いていたくらいだ。転入の手続きで一度訪れているはずだが、夏休みだし、雰囲気は掴みづらかったはずだ。きっと、学校がどんな環境の場所か、まだ想像もついていないだろう。
「まあ、慣れるまでの辛抱だ。人間たちの中に溶け込んじまえば、自然とやっていけるさ」
続いて髪を切ってもらっていた宵が、軽い口調で言った。朝と正反対に、とても堂々としている。あまり学校そのものに期待や興味を持っているわけでもなさそうだ。
「妖怪はんたちの間には、学校みたいな集まりは、なかったんどすか?」
お化けには試験も学校もない、とはよく聞く話だが、知能を持つ生命である以上は、何らかの情報を共有する集会などがあっても良いのでは。
「特定の場所に定期的に集まって、宴を開いたり情報交換を行う妖怪たちも、中にはいます。もしくは、僕たちみたいに集団を形成して生活したり」
「あんまりいいたくないけど、弱い奴らほど、群がりたがる傾向はあるな。強い奴らは単独行動を好む。何百年も姿を見せない奴もいるし」
「引き篭りかいな。妖怪にも、色々おるねんな」
妖怪の集まりについて、みんなが盛り上げっている中、楸は別の方面に思考を巡らせていた。
宵月夜が率いていた妖怪たちの中に、楸が追いかけている、狐らしき妖怪はいなかった。あの狐は、中級以上の力を持った妖怪なのだろう。
どこか、あの妖怪がやってくる集会所があるかもしれない。もしくは、単体で動いている可能性も考えておかなければ。
一人で探すには、かなり骨が折れそうだ。手掛かりが少なすぎる。
「楸は相変わらず、研究熱心だな。今でも妖怪について、調べているんだ」
考え込んでいる楸に、榎が笑いかけてきた。我に帰った楸は、慌てて笑い返し、はぐらかした。
「まあ、情報集めは、無駄にはなりまへんからな」
「だったら、俺が手取り足取り教えてやるぞ! 何なら、俺の全てを教えてやる」
散髪を終えた宵が、楸の前に飛んできて、手を握った。宵は普段から髪を首の後ろで結んでいたから、短くなっても印象はあまり変わらない。
前からだが、宵に言い寄られると、すぐに体が強張る。宵の瞳はいつも真っ直ぐで迷いがなく、圧倒された。まるで楸の心を覆っている、醜い復讐心を見透かされそうで、怖くなる。
緊張を悟られないように冷静さを保ち、楸は宵の手を振り払った。
「そういう知識は、要りまへん。あなたはもう、妖怪ではないんどすから、人間の世界に馴染む訓練だけ、しておったらええんどす」
強めに突っぱねると、宵は少し寂しそうな表情を見せた。
「相変わらず、宵には、つれないんやなぁ。楸は」
「人間になっちまったから、興味が半減したのかな」
外野は口々に、色々な憶測を掻き立てる。
でも、違う。逆だ。
宵も朝も、今はただの人間だ。強い妖怪に太刀打ちできる力なんて、使えないのだから。
四季姫たちの常人離れした戦いの場に、関わらせるわけにはいかない。
確かに、宵たちに聞けば、探している妖怪についても、より詳しい情報を掴める可能性は高い。親しくなった下等妖怪たちも、事情を話して詳しく尋ねれば、率先して妖怪探しに協力してくれるだろう。
宵は優しい。楸をいつも気に懸けてくれる。きっと楸の過去や目的を知れば、復讐に荷担するはずだ。宵自身に降りかかる危険なんて、お構いなしに。
楸の身近にいる妖怪たちは、そんな気のいい連中ばかりだ。
あの狐男がまた、楸の大切な人達の命を奪って行くのではないだろうか、想像するだけで、恐ろしかった。
どうして、こんなに親しくなってしまったのだろう。最初は、情報収集のために利用しようと思っていただけなのに。
気づけば妖怪たちは、楸にとってかけがえのない存在となっていた。
愛おしい人が増えれば増えるほど、その人が大切であればあるほど、失うかもしれない恐怖は増していく。
だから、目的が果たされるまで、秋姫としての使命を終え、一人の人間として宵と関われる日が来るまで、楸は距離を置くつもりだ。
不満そうに視線を送ってくる宵から、楸は静かに顔を背けた。




