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四季姫Biography~陰陽師少女転生譚~  作者: 幹谷セイ(せい。)
第二部 四季姫進化の巻
155/331

第十三章 秋姫進化 1

 一

 今から六年前。

 長月ながつき しゅうは、生まれて初めて妖怪を見た。


 小学一年生の秋。

 連休の最終日。長月一家は揃って行楽に出掛けた。

 楸の家族は父の柿太郎と母の桔梗ききょう。三つ年下の弟、あおいの四人だ。

 運転好きの父の車でやって来た場所は、四季ヶ丘の南の端にある、広い自然公園だった。

 敷地内に大きな湖があり、峠道や原生林が広がる、静かで穏やかな場所だった。

 秋めいた季節になると、園内に植えられた銀杏いちょう紅葉もみじが色濃く染まり、一面に彩りを添えた。湖の水面にひらりと落ちて、船みたいに浮かぶ姿もまた、風流だった。

 公園の散歩を楽しみ、一家は車で帰路につこうとしていた。

 時刻は午後五時を回ったくらい。日の入りがだんだん早くなり、既に夕闇が迫る頃となっていた。

「公園の紅葉こうよう、綺麗どしたなぁ」

「春には、桜も満開らしい。次は花見やな」

 父は運転席、母は助手席で、今日の散策の感想や次の予定を、楽しそうに語っていた。

「葵。運転中は、立ち上がったらあかんどす」

 楸は後ろの席で、まだ幼い弟の葵をあやしていた。四つになったばかりの葵は、まだまだ手のかかる歳だ。楸は率先して、可愛い弟の世話を焼いていた。

 急なカーブの多い峠道に差し掛かった頃。突然、柿太郎が「危ない!」と声を張り上げた。同時に急ブレーキが掛けられ、シートベルトに支えられながらも、体が激しく前のめりになった。

 楸はびっくりして、頭の中が一瞬、真っ白になる。葵が泣き出す声で我に返った。楸は慌てて葵のシートベルトを外し、抱き上げて桔梗に渡した。

「お父はん、どないしやはったんや?」

 葵を抱いて宥めながら、桔梗は不安そうに尋ねる。

「急に、車の前に誰かが……」

 柿太郎はドアを開けて頭を突き出し、前方を確認した。楸も、身を乗り出して車の前を見る。ヘッドライトに照らされた道路で、人が尻餅をついて座りこんでいた。

「大丈夫ですか!? お怪我は」

 車から飛び出し、柿太郎はその人物の元へ駆け寄った。ハイキング客だろう、小さなリュックを担いだ、壮年の男だった。

「いやぁ、大変、失礼いたしました。急いでいたもので、車に気付かずに飛び出してしまって」

 男は己の非を詫びて、頭を下げてきた。柔らかな物腰の、優しそうな人だった。

 怪我もなさそうだったし、柿太郎は安心して男と会話を続けた。

「そんなに慌てて、どちらへ?」

「実は今夜、可愛い姪っ子の結婚式がありましてね。祝いの品が決まらなくて。とりあえず麓に行こうと急いでいたのです」

 男は山の向こう側に住んでいると説明した。

 話が盛り上がり、人の良い柿太郎は、男に笑顔で祝福を送った。

「そら、おめでとうございます。こんな場所で会ったんも、何かの縁です、一緒に乗っていかれませんか? もうじき、日も落ちます。夜道は危ないですよ」

 親切心から同乗を勧めたが、男はやんわりと断ってきた。にやりと、目を細めて笑う。その顔を見た途端、楸の背筋に寒気が走った。

「いや、結構です。崖を下れば、麓まで一直線ですし」

 直後。突然、車が前進しはじめた。運転席には誰も乗っていないのに、どんどん進んでいく。

 柿太郎の慌てる声、桔梗の悲鳴が響く。進行方向の先は、切り立った崖だ。ガードレールがあったはずなのに、なぜかなくなっていた。

 柿太郎が車に飛び乗ってブレーキを踏むが、止まる気配がない。

「あかん、みんな、降りるんや!」

 諦めてみんなを逃がそうとしたが、手遅れだった。

 四人を乗せた車は、崖下へと一直線に落下した。

 激しく車が破壊される音。体に走る痛みと衝撃。

 車の間に挟まれながらも、楸は辛うじて意識を保ち、朦朧としながら惨状を目の当たりにしていた。

 柿太郎は車から投げ出され、鬱蒼と繁る木々の間に倒れ込んでいた。桔梗は、葵を強く抱きしめたまま、助手席で、ぐったりと項垂れていた。葵の泣き声も、聞こえてこない。

 ぐしゃぐしゃになった車の側に、誰かが歩いてくる音がした。

 さっきの男だ。楸は助けを求めようとしたが、声が出なかった。

 誰が見ても、酷い惨劇だ。きっとすぐに、この男が救急車を呼んでくれる。

 そう信じていたのに、男の行動は奇妙かつ、非人道的だった。

「ありがたいねぇ。麓まで行かなくても、よい人魂ひとだまが手に入った」

 男は不気味な笑みを浮かべながら、倒れて動かない父の頭を掴んで、揺らしはじめた。やがて、柿太郎の額から、ぼんやりと光る青白い塊が飛び出した。

 魚みたいに、ゆらゆらと動く塊を、男は素手でがっしりと掴んで、リュックに詰め込んだ。

 続いて、桔梗と葵にも同じ動作を行い、二人の中から出てきた青白いものを捕獲していった。

 最後に、男は楸にも近付いてきた。頭に触れようとしたが、楸がまだ意識を保っていると気付き、手を引っ込めた。

「まだ一人、生き残っていたか。すぐに楽にしてやるからね」

 男は、楸に向かって妙な力を送りはじめた。だんだんと息苦しくなり、目を開けていられなくなる。

 薄れゆく意識の中で、何度も鳴る鐘の音を聞いた。

 男の耳にも音が聞こえたらしく、急に慌てだした。

「いかん。宴が始まる。三つで我慢するか」

 急いだ様子で、男はその場から立ち去って行った。

 楸は茫然と、男の向かった方角を見つめていた。

 山の木々の合間に、怪しげな光が、列を成して続いていく。さっきの鐘の音も、行列のある場所から響いてきた。

 黒い着物を纏った狐達が、わいわいと騒ぎながら歩いていく。行列の中心では、立派なお籠が運ばれていた。籠の中には、純白の白無垢しろむくを着た狐が、つつましく座っていた。

 前に、学校の図書室で読んだ本に、似た情景が描かれていた気がする。楸は無意識に、記憶の糸を手繰り寄せた。

「狐の、嫁入り……」

 確か、そう説明書きがあった。思い出すと、急に頭が真っ白になり、意識が完全に途絶えた。

 次に目を覚ますと、楸は病院のベッドの上にいた。

「楸ちゃん! よかった、目ぇ醒ましたんやねぇ。ほんまに、よかった……」

 側には、母親の妹にあたる女性――はなぶさがいた。涙を流しながら、楸の目覚めを喜んでくれた。

 体調が回復してくると、病室に刑事がやってきて、色々と聞かれたし、聞かされた。

 一連の出来事は、ハンドル操作を過って峠から転落した事故とされていた。当時の事情を根掘り葉掘り尋ねられ、楸はありのままを話して聞かせた。

 カウンセリングを受けながら、家族の死を理解していると判断され、楸は両親と引き合わされた。

 みんなは霊安室で並んで横たわり、白い布を顔に被せられていた。

「お父はん、お母はん、葵……」

 たった一人、生き残ってしまった。素直には、喜べなかった。一つしかない貴重な命を取り留めたところで、家族を失った身では、絶望と不安しか残されていない。

 いっそ、一緒に死ねていれば、どれだけ幸せだったか。現実に思考がついて来ず、涙さえ流す余裕はなかった。

 放心状態の楸に、英は優しく接してくれた。

「今日からは、叔母さんと暮らそうな。お母はんの代わりになれるかは分からんけど、努力するから……」

 葬式を済ませ、楸は英に引き取られた。母たちも両親を既になくし、まだ大学生で独り身の英もまた、天涯孤独の人だった。たった一人の姉をなくした英の悲しみは、母をなくした楸とも共有できるものがあった。

 楸も、いつも優しく気に懸けてくれる英が好きだ。だから、うまくやっていけると思った。

「一緒に、協力して暮らそうね、楸ちゃん」

「よろしゅう、お願いします、お母はん……」

 まだ、戸惑いもあったが、受け入れた。受け入れるしか、ないのだから。

「無理に、環境に慣れようとせんでもええんよ。少しずつ、変わっていこう」

 英は、楸をとても気遣ってくれた。有り難さを通り越して、申し訳ないほどに。

 せめて、迷惑を掛けないようにしなければと、気持ちを引き締めた。

「楸ちゃんの戸籍名は、あまねなんやね。楸は人名漢字やないから、使えへんのか。二つも名前があると、ややこしいねぇ」

 役場への手続きや変更を行いながら、英が不意に呟く。

 楸は、柿太郎がどうしても付けたがった名前だが、戸籍に登録できない文字だった。だから戸籍上は別の名前で通し、表向きは楸と呼ばれていた。

 楸も、父がくれた名前が好きだ。気に入っている。

 だけど、英にお世話になるために邪魔となる名前なら、無理して使おうとは思わない。

「ほんなら、周と呼んでください。学校でも、そう名乗りますさかい。楸の名前は、家族と一緒に墓へ仕舞っておきます」

 変わろうと思った。何もかも、一から始めるために。

 表向きは、努力で繕っていけた。英との関係も良好で、穏やかな生活を過ごせた。

 だが、心の中には大きなわだかまりが残ったままだった。時間が経過し、心が休まるのと並行して、枕を涙で濡らす日も増えた。

 何度も何度も、事故当時の出来事を夢に見た。その度に脳裏に過ぎる、事故の原因となった、〝あの男〟の存在。

 事故を通報してくれた人が車を発見したときには、誰もいなかったそうだ。何の痕跡も残さず、煙みたいに消えてしまった。

 警察には、見たままの光景を、しっかりと話して聞かせた。あの男についても、ありのままを。

 一応、事情を知っている可能性があるとして、男の行方を捜索はしてくれたが、手がかりも目撃情報もなく、すぐに打ち切られた。最終的には、楸の記憶がショックで錯乱し、幻覚を見たのだと決め付けられ、家族は完璧に事故死として扱われた。

 子供の主張なんて、大人は真剣に聞いてくれない。

 でも、夢でも幻でもなかった。当時の光景は、ずっと瞼の裏に焼き付いて、離れない。

「あいつ、人間やなかった。変な気配がした……」

 本能的に、感じていた。

 核心もしていた。みんなは、事故で死んだのではない。意図的に、あの男に殺されたのだと。

 でも、見つからなければ、逮捕もできない。存在の証明もできないし、罪を認めさせられない。

 そもそも、人でなければ、人の力ではどうにもならないのではないだろうか。

「人の法では、裁けへんかもしれん。せめて私が、何とかせんと……」

 ただの事故死で済まされては、みんなが浮かばれない。

 楸は心の中で、静かに復讐の炎をたぎらせていた。何ができるかわからなかったが、何かしなければと、心は急いた。

 あの男の正体が、人間の皮を被った゛妖怪゛なる存在だと気付くには、まだ時期早尚だった。


 * * *

 時が流れ、楸は小学六年生になった。

 一時期は周囲の目をはばかって転校もしたが、名前を変えて再び、馴染みある四季ヶ丘小学校に通っていた。

 大学を卒業した英は、実家と縁のある茶道や華道、舞妓の踊りの講師などの職を得て、結婚もせずに楸を養ってくれた。

 忙しい英のためにと、楸は弓の習い事や勉学の傍ら、家事を手伝った。

 穏やかに過ぎる、平和な時間。

 時間が経つとともに、楸の中で燃えていた復讐の憎悪も、少しずつ薄らぎはじめていた。そもそも、あの男を探す手だてが何もないのだから、ろくな行動はできない。今の生活が幸福なら、と考えが改められていった。

 家族の命日が近づいた、ある日。学校からの帰り道、楸は急に、妙な気配に足を止めた。

 以前にも感じた気配。楸の記憶の奥に忘れ去られていた感覚が、一気に蘇ってきた。

「この気配……間違いないどす、前に感じたものと、同じどす」

 楸は精神統一をして、呼吸を整えた。目を閉じて感覚を研ぎ澄まし、気配の出所を探る。

 道路脇にある小さな山の登山道から、不思議な気が漂っていた。

 何のためらいもなく、楸は山道を駆け登った。

 狭い道を上りきった場所には、小さな祠が建てられていた。

 気配が濃くなる。楸は物影に潜んで、様子を伺った。

 祠の脇に、若い男が一人、立っていた。見知らぬ男だ。

 だが、事故現場に居合わせた、壮年の男と同じ気配を放っていた。

 何か、あの当時の男の手がかりになるかもしれない。楸は気配を消して、目の前の若い男を観察しつづけた。

 男は周囲をきょろきょろと、注意深く見回していた。やがて、誰もいないと察すると、急に体から煙を出し、全身を包んだ。

 直後。煙の中から出てきた姿は、人間ではなかった。

「姿が変わった!? 狐……どすか?」

 赤みがかった毛並みの、大きな狐だった。尻尾が付け根から何本も生え、時代劇で問屋が着ていそうな、黒っぽい着物を身につけていた。

 狐は茂みに飛び込んで、姿を消した。楸は慌てて、後を追い掛けた。

 無我夢中で熊笹を掻き分けて進み、広葉樹が鬱蒼うっそうと繁る場所へやってきたが、狐の足取りは、ぱったりと分からなくなった。

「しまったどす、見失ってしもうた」

 探すべきか、引き返すべきか。

 冷静になった途端、楸は山の中で道に迷っていると気付いた。前も後ろも、似た景色。

 どの方角に向かえば麓に出られるか、分からない。色づいた山の中は、一気に紅葉こうようの迷宮と化した。

 途方に暮れて立ち尽くしていると、周囲を奇妙なものが飛び交っている様子が、視界に入ってきた。ぼんやりと光を放つ、虫みたいなものがフワフワと漂っている。木の上では小さな人の形や動物の形をした何かが、甲高い笑い声を上げて楸を指差していた。

「山の中って、こないに奇妙な生き物が、おるんどすな」

 不思議と怖くはなかったが、好奇心をくすぐられた。いままでに見た、どんな図鑑にも載っていない生き物たち。どうして、今まで存在に気づかなかったのだろう。

 同時に、楸の心の奥から、熱く強い力が込み上げてきた。初めての感覚に、少し戸惑いもあった。

 やがて、その熱が体内に充満すると、樹上の小人たちの言葉が、突然、解るようになった。

「人間だ。人間が迷い込んできた」

「面白い。我々の姿が見える人間か」

「さぞかし、上質な魂を持っておるのだろうな」

「子供の体は、軟らかくて美味いしな」

 可愛いげのあった小人たちが、急に邪悪な気配を放ちはじめた。舌なめずりする音、殺気。

 命を狙われていると気付き、楸は身を竦めた。

 じりじりと、木々や茂みの中から、奇妙な姿の生き物たちが出てきて、詰め寄ってくる。

 気づけば、囲まれていた。

 逃げられない。どうすればいい?

 絶体絶命の窮地に陥った時、心の奥から、言葉が浮かんできた。

 和歌みたいな、綺麗な調べだった。

「紅葉降る 暮れの夕焼け 燃ゆる空 富める山々 儚く満る」

 全身を、眩しい光と不思議な力に包まれていく。周囲に、真っ赤な紅葉が降り注いだ。

「――秋姫、見参どす!」

 気付くと、楸は橙色の十二単を身に纏い、手には長い梓弓を握りしめていた。

「何どすか、この格好は……」

 突然の変貌に、楸は動揺する。

 頭の中で、声が響いた。

 ――人に仇なすものを倒せ。使命を果たせ。

「何だ、こいつは! 奇妙な力を持っているぞ」

「我らの敵かもしれん。殺せ!」

 楸の変身に驚いた山の住民たちは、殺気を漏らしながら、楸に襲い掛かってきた。恐怖に駆られた楸は、無我夢中で背負った矢を掴み、弓を引いていた。

 放った矢は、一匹の小人の顔面を打ち抜いた。悲鳴をあげる暇もなく、小人は光の粒となって消滅した。

「こいつ、強いぞ!」

「我等では、手に負えん! 逃げろ!」

 楸の力に恐れを成したものたちは、一目散に山奥へ消えて行った。

 脱力し、楸は地面に座りこんだ。薄暗かった山に光が射し、出口もはっきりと見て取れた。

 気付けば、楸の格好は元の私服に戻っていた。ランドセルも、側に落ちている。

 右手に、綺麗な彼岸花の髪飾りを握りしめていた。今まで存在しなかったものの出現を、楸は茫然と見ていた。

 ただ、冷静に、さっきの不思議な力について、思考を巡らせていた。

 突然現れた、奇妙な生き物たち。さらに、その生き物たちを一撃で倒せる力を、楸は手に入れた。

 山の奥へと姿を消した、人間か狐か、よく分からない存在。家族の死に深く関わるあの生き物も、この力で倒せるのではないか。

 復讐を果たす力を手に入れたと、瞬時に察した。まるで、目に見えない誰かが、家族のかたきを討てと、後押ししているみたいだ。

 だが、同時に恐怖が襲った。

「あかん、無理どす。こんな恐ろしい力、使えへん……!」

 得体の知れない力。もし安易に使って、周囲にも悪い影響が起こったら。楸が扱うには、不相応な力に感じられた。

 憎しみに駆られたせいで楸自身が自滅しても、自業自得だ。だが、英や、楸を大切に思ってくれる人達にまで被害が及んだら。そう思うと、怖くて怖くて堪らなかった。

 楸は髪飾りをポケットの奥にねじ込み、家へと逃げ帰った。

 部屋の勉強机の一番奥に、ハンカチで包んで突っ込み、隠した。

 捨てれば良かったのかもしれない。でも、何をするにも恐さが付き纏い、冷静な思考が働かなかった。

 その日の出来事は忘れようと決め、髪飾りにも二度と触れないと心に誓った。


 * * *

 半年経ち、楸は中学生になった。

 何事もなく平和な時間が過ぎた。時々、宙を漂う奇妙なものが視界に入る時はあったが、無視していれば何の干渉もしてこなかった。

 たくさん勉強して良い学校へ進学し、英を安心させよう。最近はあまり過去を顧みず、前を向いて勉学に勤しむ姿勢が身についていた。

 休日。図書館から帰る途中に、ある人影を見かけた。

 背の高い、男の子みたいな風貌の少女。

 水無月榎。中学入学と同時に、名古屋からやってきた少女だ。

 家庭の事情で離れ離れになり、現在は従姉妹の如月椿の家に居候している。

 家族と離れて、慣れない土地で暮らす。その境遇が楸とも少し似ていて、同情心を抱いた。人懐っこい性格だし、やたらと興味を引かれ、色々と世話を焼きたくなる存在でもあった。

 榎は周囲の景色を確かめながら、黙々と山道を上って行った。榎の向かった先には、寂れた廃寺があるだけのはずだが。いったい、何をしに行くのだろう。

 気になった楸は、胸騒ぎと誘惑に勝てず、榎の後をこっそりとつけた。

 なぜか、追い掛けなければならないと、全身が訴えている感じさえした。

 木の影で見張っていると、わけの分からない人間たちが、ゾロゾロと集まってきた。

 平安時代の貴族みたいな格好をした、まんまるの男や、怪しい祈祷師みたいな女。

 楸は、だんだん心配になってきた。榎は人が善いから、変な詐欺集団に捕まって、騙されているのではないか。金をせびられたり、暴行を受けるのでは。何もかも搾り取られて破滅の道へ落ちる前に、助けなければ。

 様子を伺っていると、突然、木の上から大きな烏が現れた。山伏姿をした、三本足の烏。

 間違いなく、ただの烏ではない。以前見た、謎の生き物たちと同じ系統の存在か。

 さらに、その姿が、榎たちにも見えているのだと気付き、驚いた。

 祈祷師の女が果敢に戦いを挑むが、見せかけだけで、まるで歯が立たない。かなり強い烏だ。

 放っておけば、みんなやられる。榎も、無事では済まない。

 半年前の力があれば助けられると、一瞬、脳裏を過ぎった。

 だが、力を使うために必要だと思われる髪飾りが、手元になかった。

 もし、変身できたとしても、本当に戦えるのだろうか。

 謎の生き物を矢で射て倒して以来、怖くて弓も握れなくなっているのに。

 また、何もできないのか。誰も助けられずに、傍観するだけなのか。

 過去の記憶が蘇り、楸の心を痛め付けた。

 役に立たなくても、出ていくべきか。覚悟を決め兼ねていると、榎が烏の前に立ちはだかった。

 手には、綺麗な百合の髪飾りが握られていた。一瞬、楸の髪飾りと印象が重なり、心臓が大きく高鳴った。

「いと高き 夏の日差しの 力以て 天へ伸びゆく 清き百合花」

 草木がざわめき、榎が真っ白な光に包まれていく。楸は瞬きも忘れて、その光景に魅入った。

 直後。榎の姿は大きく変貌していた。髪は腰近くまで長く伸び、頭上で纏め上げられていた。格好は、緑を基調とした、十二単。手には白銀の剣を握りしめていた。

「夏姫、ここに見参!」

 剣を構え、榎は凛々しく名乗りを挙げる。

 楸は榎の姿を目の当たりにして、硬直した。

「夏姫……? 私と同じどす。水無月はんにも、不思議な力が……?」

 楸の他にも、同じ力を持つものが存在したとは。かつて手に入れた、恐れていたはずの力に、大きな興味と可能性がり返してきた。

 榎は、この力を使いこなし、楸が知りえない知識も持っている。興奮が勝り、楸は茂みから飛び出していた。

 榎――夏姫が妖怪と戦う姿を見て、だんだん、勇気が沸いてきた。

 単純に、恐ろしいものと決め付けて、真っ向から向き合ってこなかった。でも、力の扱いや、周りに及ぼす影響は、楸のコントロール次第でいくらでも制御できるのではないか、とも思えた。

 妖怪を撃退した榎から、一連の話を説明してもらった。

 四季姫。この世に四人存在する、妖怪を倒す使命を帯びて生まれ変わった、千年前の陰陽師。

 その内の一人が、楸――秋姫なのだと理解した。

 榎は、ともに戦うべき四季姫を探していた。すぐに名乗り出るべきだったのかもしれない。でも、勇気が持てなかった。

 何より、榎と楸では、戦う目的が違う。世のため平和のために、と力を使う榎の潔さとは違い、楸は復讐に使う力としか、考えていなかった。陰湿で、嫌な理由だ。

 そんな状態で仲間だと申し出たとしても、きっと一緒になんて、戦えない。

 四季姫たちが戦うべき敵――妖怪について、楸は何も知らない。どんな連中がいて、どんな生活を送って、人間にどんな影響を及ぼすのか。

 家族の命を奪うきっかけを作ったあの男や、同じ気配を有していた狐も、みんな妖怪なのかもしれない。真実を確かめるために、もっと妖怪について調べる必要がある。

 その上で、楸の持つ秋姫の力がどう使えるか、見定めたい。

 楸自身の気持ちの整理がつくまで、素性は隠しておこうと決めた。

 榎たちと別れ、楸は図書館に舞い戻った。妖怪について記された本を、片っ端から読み漁った。

 妖怪とは、基本は人の命を奪う災害や疫病などを擬人化させた存在である、とされていた。要するに、単なる迷信や民俗学的な伝説に過ぎない存在だ。

 今までなら、その存在も簡単には信じなかったかもしれないが、その姿を視界に捉えてしまった以上、否定はできない。ますます、妖怪に興味が湧いた。

 自宅に戻った楸は、半年ぶりに自ら封じた机の引き出しを開いた。

 奥に押し込まれた、ハンカチに包まれた髪飾り。再び取り出して、眺める。

 光を反射して赤く輝く、硝子細工の彼岸花。内側から、燃えたぎる憎悪を巻き起こしているかに見えた。

「――私の持つ力は、妖怪を倒すための力。私たちを襲った奴は、妖怪」

 ようやく、確信が持てた。楸が探し続けた家族の仇は、間違いなく妖怪なのだと。

 あの狐の姿をした妖怪を探すためは、妖怪に接触して手掛かりを得る方法が最短だ。榎が敵対している、烏の妖怪たちを標的に選んだ。

 危険を伴うかもしれないが、もう楸の勢いは、止められそうになかった。

 榎に手傷を追わされた烏を助けに来た、少年の姿をした妖怪を思い出す。かなり強そうだったし、きっと、楸の探す狐の妖怪についても、何か知っているはずだ。好意を持ったふりをして近づき、警戒心を解かせて、利用しよう。

「仲間を探してはる榎はんには申し訳ないどすが、私は、私のやるべき目的を果たさねばならんどす。私の持つ力は、復讐のために、使わせてもらいます」

 楸の覚悟は、四季姫の使命とは異なる形で固まった。


 * * *

 意識が切り替わり、楸は目を覚ました。

 布団から飛び起きると、汗だくだった。部屋は明るい。窓の外は、朝日が昇りはじめていた。

「夢、どすか……」

 過去の夢を、久しぶりに見ていた。辛い過去から、秋姫として戦いを決意するまで。

 現在に至る長い時間を、一晩かけて旅行した気分だ。

「最近は慌しくて、昔の夢も見んかったのに」

 結局、倒すべき妖怪の手掛かりは掴めず、秋姫として正体を明かし、四季姫たちと行動を共にし始めた。その後は色々と忙しい出来事が続いて、本来の目的から遠ざかっていた。

 今になって、再び夢に出てきた理由は、そろそろ敵討ちの使命を思い出せと、心の中で本心が焦っているからかもしれない。

 四季姫としての役目はまだ残っているが、のんびりもしていられなかった。

 何より、居心地のよい場所を見つけたせいで、この憎しみが消えてしまうのではないかと思うと、怖かった。

 秋姫の力は、復讐のために。

 そう、決めたのだから、この気持ちを風化させるわけにはいかなかった。

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