第十二章 冬姫進化 11
急いで家に戻ると、慌てふためく梅が飛び出してきた。近所の野次馬も数人集まって、家の周りが騒がしくなっている。
「柊、どこに行っとったんや! 長いこと家におった形跡がないから、攫われたんとちゃうかと、心配しとったんやで」
半泣きで縋りついてくる梅に、柊は大きな罪悪感を覚えた。
「ごめんなぁ、婆ちゃん。一人やとつまらんさかい、友達の家に厄介になっとったんや。婆ちゃんが戻るまでに、帰ろう思うとったんやけど、ちょっと間に合わんかったな。黙って出掛けて、心配かけたな」
祖母の背中を撫でながら、何度も何度も言い聞かせて、宥めた。
柊が無事に戻ってきたので、野次馬たちも去っていった。
だが、庭先にまだ残っている、一人の人間の姿が。
先日、父親と一緒にやってきた再婚相手――薊とかいう女だった。
柊が目を細めると、薊は嬉しそうに微笑んできた。
「よかった。学校のクラスメイトのお宅にも連絡をしたけれど、手掛かりがなくて。警察呼ぼうと思うとったんよ。みんなを心配させたらあかんわ」
「なんで、あんたがおるんや? 別に、探してくれなんて、頼んでへんし」
いくら取り乱したといっても、梅が呼んだとは思えない。きっと、梅が帰ってくる頃を見計らって再訪したら、偶然柊がいない騒ぎに遭遇した、といったところだろう。
だが、父親の姿も見えないし、なぜこの女だけが家に居座っているのか。
しかも、何の関係もない分際で説教とは。以前ほどではないが、少し苛立った。
「家にうちがおらんかっても、あんたや父親には、何の関係もあらへんやろう? 普段から、どこで何をしてようが気にするわけでもなし、ほったらかしのくせして。調子いいときだけ勝手に心配か。今までうちが何の問題も起こさへんかったんは、うちがしっかりしとるからやで。干渉せんのやったら、その程度の信用くらい、持ってくれてもええんと違うか?」
勢いよく捲くし立てると、薊は怯えた目を見せた。相変わらずの小動物っぷりだ。
子供相手に情けない。逆に可哀想に思えてくる。
柊の世界を見る目が変わったのだろうか。同情心が芽生えてきた。
「さっさと、婆ちゃんに挨拶なり何なりして、旦那連れて帰ってんか。うちは新学期の準備やらで、忙しいねん」
疲れたし、部屋で休みたい。家の中に入ろうとすると、庭に駆け込んでくる足音が聞こえた。
視線を向けると、汗だくで息を切らした父親――杷が立っていた。柊の姿を見て、呆然としている。
「……何しとるんや? 高そうなスーツ着て、ジョギングか?」
思わず、口を突いて嫌味が出る。杷は一瞬、激しい怒りを表情に浮かばせたが、すぐに押さえて俯いた。
反論もしてこないなんて、本当にジョギングだろうか。足元を見ると、いつも綺麗で高価な革靴が、泥や土埃でドロドロになっていた。
「お父さん、柊さんがいなくなったて聞いて、町中走り回って探してくれとったんよ。誰と仲がええんか、どんな場所で普段から遊んどるかも分からへんから」
薊の補足に、柊は一瞬、体を緊張させる。
わざわざ、探しに行っていた? どうでもいいはずの柊を?
本気で探していたとでもいうのか。何のために。
心配、してくれていたのだろうか。
町中を探すなら、お気に入りの外車に乗って探せばいいのに。そんな判断もできなくなるほど、慌てていたのか。
柊がいなくなった事実が、父親を動揺させた?
不器用な父親なりの、精一杯の行動だったのかもしれない。
柊は、唖然とするしかなかった。
「……無事に、帰ってきたんやったら、ええ」
杷は低く言い放って、薊から受け取ったタオルで汗を拭った。
そのまま、庭の脇に隠すみたいに停めてあった車に乗り込もうとした。
柊は反射的に、呼び止めていた。
「お父ちゃん。探してくれて、おおきに。心配掛けて、ごめんなさい」
意図もしない言葉が、口を突いて飛び出してきた。
柊自身が、一番驚いている。
今までなら、口が避けても出てこなかった言葉だ。けれど今は、自然と溢れ出てきた。
杷は一瞬、動きを止めた。
「また、日を改める」
静かに一言残して、去って行った。
次に来たときには、茶菓子くらいは出せるだろうか。
柊は少し、心の中が温かくなる感覚を覚えた。
軽く笑い、安心を取り戻して落ち着いた梅と一緒に、家の中へ入った。
祖母のお説教と、旅行の思い出話も聞かなければ。疲れているが、まだ休めそうにない。




