第十二章 冬姫進化 10
禁術発動の名残は、寺のあちこちに被害をもたらしていた。
了封時の縁側は完全に凍りつき、力を加えると砕けて壊れた。
損壊を最小限に抑えるために、朝と宵が湯を沸かし、凍った部分に少しずつかけて、氷を溶かしていっていた。
柊は門前の石段に座って、じっとしていた。休んでいると、体力も回復してくる。少し脱力感は残るが、変身を解くと通常の活力が戻ってきた。
空を見上げると、とても澄んで見える。
初めて経験する、清々しい気分だった。
天へと昇った龍と共に、柊の中で澱んでいた邪魔なものが、全部吹き飛んで行ったみたいだ。
大きく深呼吸していると、石段を駆け上ってくる人影が目に入った。
「着いたぞー! どこだ、妖怪!」
四季姫に変身した榎と椿が、勢いよく飛び込んできて構えた。
だが、標的はもういない。
「どうしたの!? 一面、氷の世界になっているわ……」
椿は、ありえない寺の有様に、困惑した顔をしていた。
「遅いわ。もう終わったで」
柊の一言で事情を察し、二人は脱力して四つん這いになった。
「何だよー、全速力で来たのにー!」
「せっかく来てもろうたのに、悪かったな。うちが倒してしもうたわ」
「出遅れたか……。まあ、無事に倒せたなら、いいけどさ」
がっかりしながら、榎は武器の剣を引いた。
いつも夏姫が携えている剣を見て、柊はふと、奇妙な違和感を覚えた。
「その剣、色が変やな。いつもと違う」
夏姫の武器は、直刃の白銀の剣だったはずだ。なのに、今の剣は、苔でも生えたみたいに、濃い緑に染まっていた。ところどころに濃淡があり、色むらが更に不気味さを演出している。
榎も気付いてはいるらしく、剣を構えて眺めた。
「なんか、鬼閻を倒してから、ずっとこんな様子なんだよ。拭いても取れないから、汚れじゃないんだと思う。技を出すには問題ないから、放ってるんだけど」
気にはしているが、榎の力ではどうにもならないらしい。剣先を頭上に翳すと、何か音を発している気がした。
頭の奥に響く、甲高い音だ。
「変な音、出てへんか? 鈴みたいな」
「さあ? あたしには、何も聞こえないけど……」
尋ねるが、榎には聞こえていない。空耳だろうか。
使用している榎に何の異変もないのだから、大丈夫なのだろう。
辺りを見回していた椿が、慌てて駆け寄ってきた。
「襲ってきた奴って、とっても強い妖怪だったんでしょう? ひいちゃんが、倒したの?」
驚いた顔を向けてきた。頷くと、さらに驚きが増す。
「じゃあ、さっき麓から見えた、巨大な龍は……」
「禁術を会得したんだな!?」
妙霊山の麓からでも、青龍が天を舞う姿は、よく見えたらしい。榎たちは息を荒げて、目を輝かせた。
「まあ、うちにしては、かーなり梃子摺ったけどな」
頭を掻きながら、短くも長かった修行の日々を思い返す。
今まで意識もしてこなかった、色んな感情に気付かされた。辛い思いもたくさんした。
でも、柊は今、心に残っている全ての結果に満足していた。
「何とか、大事なもんを失わずに済んだ……。間に合うて、よかったわ」
安堵で微笑む柊を見て、榎が手を差し出してきた。
「一歩、前進だな。お疲れ」
笑顔で、労ってくる。榎の掌に手を打ちつけ、柊も笑い返した。
「次は、自分らの番や。気張りや」
榎たちが変身を解いていると、八咫と一緒に楸が駆け上がってきた。
「遅れてすみまへん!」
「慌てなくても、大丈夫よ。妖怪は、ひいちゃんが一人で倒しちゃったわ」
息を切らせる楸に、一連の出来事を説明して聞かせる。
だが、話を聞いても、楸の焦りは消えなかった。
「妖怪の件は、良かったどすけど……。柊はん、早くお家に帰りなはれ」
ただならぬ様子に、柊も表情を強張らせる。
「どないしたんや? うちで、何かあったんか?」
「お婆さんが昨日、旅行から帰ってきはったみたいなんどすけど、柊はんがどこにもおらんと、大騒ぎになっておるどす。今朝、うちの家にも探しにこられて」
突然、非常事態が降って湧いた。柊は額を平手で叩き、焦った声を上げた。
「婆ちゃん、予定より早う帰ってきたんか。まずったなぁ」
先に帰って待っておく予定だったから、置手紙などもしていない。梅はとても心配しているだろう。
「友達の家に泊まっておるから大丈夫やて、説明はしといたんですけど。取り乱しておられましたから。警察沙汰にでもなったら、大変どす」
「教えてくれて、おおきに。すぐ帰るわ。了生はん、バタバタしてすんません」
柊は素早く、纏めてあった荷物を担いだ。作務衣に着替えて出てきた了生に、簡潔に事情を話して頭を下げた。
「俺も一緒に行きましょうか。きちんと説明したほうがよろしいでしょう」
心配した表情で同行を申し出てくるが、柊は笑って断った。
「いや、四季姫については、詳しく説明もできまへんからな。一人で戻って、うまく誤魔化します。また、お礼に伺わせて貰いますさかい」
いつもの調子で柊が答えると、了生はいつもの、優しい笑みを浮かべてくれた。
「いつでも、お待ちしております」
また、寺に戻ってこれる。救われる言葉だった。
気持ちを整え直し、柊は麓へ向かって駆け出した。




