第十二章 冬姫進化 1
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師走柊は、四季が丘の町並みから外れた、田園地帯の一角に住んでいる。
父親の実家で、祖母と二人きりの、気楽な田舎暮らしをしていた。
夏休みも後半に入り、お盆を過ぎると、山間の四季が丘は朝晩の気温が下がって、涼しくなってきた。
寝苦しさが和らぐ時期になると、祖母の梅は毎年、老人会の友人たちと長期の温泉旅行へ出掛けている。
今年は伊豆まで足を運ぶそうで、一週間も前から楽しみにしていた。
「ほな、行ってくるさかい。留守番と戸締り、頼むわな」
念を推しているが、さほど心配もしているわけでもい。空き巣や強盗に対する危機感の薄い、田舎特有の形式的な口癖だ。
「大丈夫や。心配せんと、楽しんできぃや」
家の前まで来てくれた送迎バスに乗って、梅は機嫌よく出発した。
旅行者一行を見送り、柊は一息ついて、家の中に入った。
静かだ。普段から賑やかな家ではなかったが、同居人の有無だけで、雰囲気が一気に変わる。
一人の時間にも慣れていたつもりだったが、誰もいない古風な家に佇んでいると、少し物寂しく感じた。
「あかんなぁ。まだまだ、祖母ちゃんに甘えてばっかりや」
自嘲して、ひとりごちる。
孤独を怖がるなんて発想、柊には必要ない。将来は、気ままに一人で生きていくと決めているのだから、寂しさなんて感じるだけ無意味だ。
気を取り直し、柊は戸締まりをして、出掛ける支度を始めた。
今日は妙霊山でみんなと集まって、今後の作戦会議だ。
目の前に立ちはだかる、強大な敵を倒す方法を考えなくては。
現状は、明らかに実力不足だった。どうやってパワーアップを計り、悪鬼との戦いに備えるか。
四季姫全員で意見を出し合って、打開策を見つけなければならなかった。
鞄を背負って、外に出た。玄関の鍵を閉めていると、車のエンジン音が近づいてきた。
田舎の風景にはそぐわない、気取った外車。車の全貌を視界に捉えた瞬間、柊のこめかみが痙攣した。
高級外車は、師走家の庭に入ってきて停まった。運転席から、スーツ姿の中年男が出てきた。
仮面みたいに冷たく変化に乏しい、澄ました表情の男。
師走 杷。柊の父親だ。
玄関へ向かって歩いてくる。目の前に立つ柊を、視界に入れているかも分からない、機械的な動作だ。
柊は既に慣れているが、父親が娘と向き合う態度では、決してない。
目を細めて、柊は杷を睨みつけた。
「祖母ちゃんは、旅行でおらへんで。うちも友達のところに出掛けるさかい」
用件だけ棒読みで伝え、柊はさっさと家から離れようとした。
何をしに来たかは知らないが、少なくとも柊に会いに来たわけではない。
実家なのだから父も合い鍵を持っている。出迎える義理もないし、勝手に用事を済ませて、さっさと帰ればいい。
父の脇をすり抜けて出ていこうとすると、車の助手席から降りてくる人影があった。
明るい色のスーツに身を包んだ、中年の女性だった。柊は思わず立ち止まる。女性は柊を見て、控えめに頭を下げてきた。
「再婚した相手や。お前も挨拶せえ」
話だけは、祖母から聞いていた。別に父親が誰とどうなろうが、柊には何の関係も興味もない。適当に聞き流していた。
何の説明も相談もして来なかったくせに、都合のいいときだけ娘面をしろなんて、図々しいにも程がある。
身勝手な父親の態度に、柊はさらに苛立ちを募らせた。
「挨拶したいと思うとる奴から頭を下げるんが、礼儀やろうが」
鼻を鳴らし、拒否した。
「新しい親になる人に対して、その態度は何や!」
杷は声を荒げる。機械的で、何の気持ちも篭らない説教だ。
「新しい親にも旧い親にも、平等に接しとるけど? 誰に対しても、特別扱いなんて嫌いやねん」
目も合わさず、柊は淡々と返した。子供らしく大人に敬意を払え、とでもいいたいのだろうが、親の責務さえ果たせない人間の台詞なんて、心にも響かない。
「柊ちゃんのいう通りやわ。私から挨拶せんと。初めまして、薊といいます」
連れの女性が割り込んで、柊に挨拶をしてきた。名前まで呼んできて、馴れ馴れしい女だ。
色白で、控えめで大人しく、いかにも小動物を彷彿とさせる。男が守ってやりたい、と思える特徴の女なのだろう。
柊や、出て行った母親とは似ても似つかない軟弱さ。一番、嫌いなタイプの女だった。
「中々、仕事で会えへんけど、柊ちゃんとも仲良くしたいと思うとるんよ。よろしくね」
少しでも気に入られようと、必死で愛想を振り撒いてくる。顔色を伺う仕種が、柊の癪に触った。
「旦那だけでは、満足できへんのか。欲張りな女やな」
柊が目を細めて睨みつけると、薊は怯えた様子を見せた。
のこのことやってきて、歓迎してもらえるとでも思っていたのだろうか。浅はかすぎて、馬鹿にする気も起こらない。
「祖母ちゃんに挨拶に来たんやったら、出直し。けど、祖父ちゃんの墓くらい、きちんと参って帰りや。社会人なんやから」
口論をする気も起こらない。柊は再び、歩きだした。
「友達のお家で、お勉強?」
柊の荷物を見て、薊が慌てて尋ねてくる。
足を止めて、柊は薊を見た。嫌味を込めて、笑ってやった。
「仕事にしか手の回らん余裕のない人間や、相手に媚び売ってばっかりの軟弱な奴には、なりとうないからな。今からしっかり勉強して、まともな人間にならなあかんねん」
父親は、まだ何か怒鳴っていたが、聞く耳も持たない。無視して、柊は妙霊山へと向かった。
* * *
了封寺に到着して、みんなで卓袱台を囲んでも、柊の気持ちは晴れなかった。
そもそも、寺の中に広がる、和気藹々ととした雰囲気が、更に柊を悶々とさせていた。
机の上には、大量のノートや問題集が散乱している。
机を挟んだ向側では、朝と宵が問題文とにらめっこをしながら、解答に取り組んでいた。隣では、楸が真剣な面持ちで二人をサポートする。
一区切りつき、満足な表情を浮かべた。
「お二人とも、ものすごい速さで学習されておりますな。ご立派どす」
「だろう!? 俺ってすごいよな! もっと褒めてくれ、楸!」
「この問題集、全問正解できたら褒めてあげるどす。私でもまだ、無理どすから」
「よぉし、頑張ってやるぜ、見ていてくれよ!」
更に難しい問題を突き付けられても、宵はめげずに挑み続けていた。
真面目に、こつこつと勉学に励む学生達の姿を横目に、柊は脳裏を過ぎった疑問と、一人で葛藤していた。
悪鬼対策の作戦会議をするはずが、なぜ、ただの談話兼勉強会になっているのだろう。
別に、みんなで楽しく勉強をしに来たわけではないのに。お気楽な雰囲気が、どうにも調子を狂わせていた。
もちろん、勉強は大事だ。柊だって、不愉快な大人たちに啖呵を切って出てきたのだから、異論はない。
だが、今日の勉強会は、明らかに現実逃避だ。
みんな、悪鬼を倒すための良案や覚悟が定まっていない。だから誰一人、話題にも出そうとせず、勉強で気を紛らせている。本題に入っていく心構えがないから、いっそう勉学に力を入れている状況だ。
正直、何の解決にもならない。話の流れを修正するべきだが、柊も、どう切り出せばいいか分からない。
柊自身も具体案が浮かばないのだから、口を挟む資格はなかった。
でも、話が進まないと気持ちのモヤモヤがとれない。
もう少し雰囲気を掴んで、タイミングを図ろう。柊はぼんやりと、友人達の勉強風景を眺めていた。
「まだまだですね。もっと学ばなければ、皆さんについていけません」
与えられた問題を解き終えた朝が、不満そうに唸った。解答を見ると、文句の付けられない正答だった。
初期動作の遅れや、現代への順応不足などのペナルティを負いながらも、朝は誰よりも努力して、平均の水準に追いついていた。物凄い才能だ。
だが、自分自身に厳しい性格なのだろう。誰に褒められても、満足していなかった。
「あんまり頑張られると、あたし、追い抜かれそうなんだけど……」
柊の隣では、榎が半泣きで、宿題の山に埋没していた。
四季姫の戦いや部活にかまけて、完全に勉強を疎かにしていた様子が丸分かりだった。
あわよくば、楸に教えてもらおうと期待していたのだろうが、当の楸は双子の世話につきっきりで、榎には見向きもしない。
「平安人に勉強負けとったら、現代人の恥やで」
重圧に押し潰されかかっている榎に、更に発破をかけておいた。柊の言葉が突き刺さり、榎は心臓を押さえて苦しみだした。
「大丈夫よ。えのちゃんも朝ちゃんも、頑張って!」
椿の声援が飛ぶ。寺にきてからずっと、椿は朝の側につきっきりだ。楸の補助的なポジションで、嬉しそうに朝に勉強を教えていた。
椿は朝にご執心だった。側にいられるだけで幸せ。なんて考えていそうな表情を浮かべている。
男にベタベタと媚びへつらって、何が楽しいのか。期待する反応が返ってくる保証もないのに。
柊にはいまいち、椿の夢見がちな気持ちは理解できなかった。
「皆様。少し休憩して、お茶でも如何であるか」
勉強も区切りが着いた頃。障子が開いて、廊下から烏が飛び込んできた。
山伏姿の大きな烏の妖怪、八咫だ。
やたらと人間の周りに纏わり付いている、人懐っこい妖怪だった。
以前は人間との関係を絶ち、仲間とともに山深くに見を潜めていた。だが、親分と慕っていた宵が人間になったと知り、守り世話をするために、再び側に居座っている。
八咫だけでなく、宵の腹心の部下だった妖怪達も、一緒に寺に住み着いていた。ただの居候ではなく、迷惑のかからない範囲で、宵たちの手伝いを行っていた。
小さな下等妖怪たちが、せっせと茶と菓子を運んでくる。
「下働きか、精が出るな」
「少しでも、宵月夜さまのお力になれるのならば、八咫は何でもいたす!」
榎の労いに、八咫は踏ん反り返って胸肉を叩いた。
「朝月夜さまも生きておられた。我ら下等妖怪にとっては、とても嬉しい出来事! ますます気合を入れてお仕えせねばならぬ」
「二人とも、お助けするよー」
「宵月夜さま、すきー。朝月夜さまも、すきー」
妖怪たちにとっては、朝も大切な主君だった。嬉しそうにじゃれついてくる妖怪達の頭を、朝は嬉しそうに撫でていた。
「ありがとう。僕もこの時代に、早く馴染まなければならない。時代の流れを見続けてきたお前たちに、色々と教えてもらいたい」
「もちろんですとも! まずは人間に菓子を強請るときの手法から、お教えいたす!」
「どうでもいい知恵を刷り込むなよ!」
妖怪たちが混ざって、また、室内が賑やかになった。
騒がしい場所は、昔から好きになれない。大声を出されると、頭に響いて痛くなる。
今日は調子が悪いから、尚更だった。元はといえば、急にやって来た馬鹿親共のせいだ。柊は再び、憎らしさを込み上げさせていた。
「ひいちゃん、元気ないのね。大丈夫?」
黙って項垂れていると、椿が心配そうに声をかけてきた。気取られないように気をつけていたつもりだったが、相当、余裕がなくなっているのだろうか。
「お疲れであるか。糖分を摂られるとよいぞ!」
八咫が饅頭を突き出してくるが、食べる気にはならない。
「なんや、体がだるうてな。食欲もないし。夏バテかもしれんな」
一々、事情を話すなんて馬鹿らしい。適当に理由を作って、柊は軽く笑っておいた。
「無理は、あきまへんえ。少し横になられたら、どないです?」
楸が隣に来て、枕がわりに座布団を勧めてきた。お言葉に甘えて、柊は横になった。
「家で、何かありましたか?」
小声で、楸が尋ねてくる。
楸は柊の家庭の事情も簡単に知っているから、着実に雰囲気を読んでくる。流石に嘘は吐き通せない。
柊が素直に頷くと、楸は優しく、頭を撫でてくれた。
「考えても埒が明かへんのやったら、頭を真っ白にするしかないどす。ゆっくり休んでください」
別に詳しい事情を聞いてくるでもなく、適度な距離で安らぎを与えてくれる。楸の態度は柊にとって、とても居心地がいい。
「おおきに、楸」
楸のこざっぱりとした親切には、いつも甘やかされる。
まだまだ自立するには程遠いなと、柊は自嘲して笑った。
気分が良くなり、柊は起き上がった。周囲は自由時間になり、賑やかさが増していた。
榎は頭から煙を噴き出す勢いで倒れているし、妖怪たちは茶菓子でドンチャン騒ぎを始めた。
ますます、「作戦会議はどうした」といいたくなる光景だ。
朝は喧噪などお構いなしに、椿と一緒に勉強に没頭している。
隣の宵は勉強に飽きたらしく、小学生向けの動物図鑑を見て、ひとり笑っていた。
「見ろよ、この珍獣! お前にそっくりだな、柊!」
宵が図鑑を広げて、柊の前に突き出してきた。
記載されている動物は、ゴリラ。学名ゴリラゴリラ。
一瞬にして、朝方から張り詰めていた色々なストレスの糸が、ブチ切れた。
気付けば体が勝手に動き、宵を一撃の元に撃沈させていた。
畳の上に倒れ伏す宵を見て、妖怪たちは朝に抱きついて悲鳴をあげた。
「舐めとんのか、おのれは」
「女の子をゴリラ扱いなんて、サイテー」
「急所を直撃だったな。大丈夫か? 宵」
「まあ、当然の結果どすけど」
周囲から白い野次や呆れた視線を飛ばされながらも、宵は自力で起き上がった。意外とタフだ。
「やっぱり、そっくりじゃねえかよ……。怪力ゴリラ女」
もう一撃、拳が決まった。再び倒れた宵は、完全に沈黙した。
「お勉強の邪魔をして、すいません。少し、お時間よろしいですか?」
静かになった部屋に、寺の副住職、了生がやってきた。柊たちは何もなかったかの如く、笑顔で迎え入れた。
「実は、皆さんにお見せしたいもんがありまして」
卓袱台の側に腰を据えた了生は、懐から円筒を取り出した。
封を剥がすと横長に広がり、薄く細い木の板を、紐で一列に繋ぎ合わせた形状になった。巻き寿司や、だし巻き卵を作る巻き簾に似ていたが、内側にはミミズがのたくった筆文字が記されていた。
「裏の蔵を整理しとったら出てきました。寺の開祖が書き記したとされる古文書です」
昔は紙ではなく、板に文字を書いていたのか。興味深く、柊たちは古文書を眺めた。
「千年前に書かれたものなんですか? その割には、綺麗ですね」
確かに、榎の指摘は鋭い。変色も腐食もない。木製だから紙よりは強いはずだが、全く古さを感じさせなかった。
「大事に保管されておったからでしょうな」
了生の一言で、全員、素直に納得した。
「簡単に解読してみたところ、四季姫さまが習得できる、強力な技の会得方法が一つ、載っておったんです」
場の空気が、張り詰めた。
誰もが逃避していた、悪鬼打倒の方法を、了生が持ってきてくれた。緊張が走る。
「四季姫なら、誰でも習得できる技なんですか?」
榎の問いに、了生は少し微妙な顔で、頷く。
「努力次第ですね。記されておる技は禁術として扱われておるくらい、威力が強く危険な技です。会得にはかなりの体力と精神力が必要とされます。本来、持ち備えている攻撃力の高さも要求されるでしょう」
「私や椿はん向けでは、なさそうどすな」
了生の見解を受けて、楸と椿は会得を辞退した。
「えのちゃんが覚えるべきよ。体力も精神力もあるし、剣での攻撃力も高いわ。リーダーとして、新しい必殺技を覚えてもらいましょうよ」
「おお、新必殺技! なんだか燃えるなぁ!」
持ち上げられて、榎はやる気になっていた。
四季姫の士気を上げるためにも、榎が適任だろう。
柊も異論なく、漠然と話の流れを見守っていた。
「俺は、この技の会得は、柊さんが適任かと思っておるんです」
了生が突然、話の流れを変えてきた。全員の視線が、柊に注がれる。
驚いて、柊のぼんやりしていた目が、一気に覚めた。
「剣は本来、相手を攻撃するための武器ではありません。動きやすい小回りを活かして要人の盾となり、守るための防衛の武器なんです。対して薙刀は、槍と共に先陣を切る、特効専用の武器です。威力も強力で、攻撃範囲も広い」
禁術を会得するためには、理想の武器だと、了生は主張した。
「冬姫様の使う技や体術は、力強く柔軟性もある。前線で戦いながらも周囲の状況を見極めて、臨機応変に対応できる才能は、見事なものです。古文書に記されておる禁術と、一番相性がええと思うたんですがね」
柊は、内心驚く。今までの数々の戦いで、大きな力を発揮して道を切り開いてきた先導者は、榎だ。柊は常に、榎のバックで補助をする目立たない戦い方に徹してきた。
過去の戦いの状況から、柊の力を見据えて分析している人間がいるなんて、想像もしていなかった。
柊の、縁の下で仲間を支えるだけの地味な戦いを評価されていたと実感し、少し動揺が走った。
「技をものにするために、一週間ほど寺に篭って修業してもらう形になるんですが。……柊さん、やってみませんか?」
了生に問われ、緊張が走る。柊の実力を認めた上で勧められているのなら、悪い話ではない。
「榎はんは、宿題で手一杯やから、一週間も修業に費やす余裕なんて、ないどすな」
楸に指摘され、榎はぐうの音も出なかった。反論もできず、悔しそうに納得していた。
家に戻っても、一人だ。まだ、今朝の苛立ちが覚め切らないから、どうせなら思いっきり体を動かして、発散したい。
柊は容易に、決心を固めた。
「ほんなら、うちが代表で、修行させてもらいますわ。宿題も終わって、暇を持て余しとったしな」
「お前、もう夏休みの宿題を終わらせたのか!? ちょっと分からないところがあるんだよ、見せてくれよ」
飛びついてくる榎を、素早くかわした。
「誰が見せるかい。丸写しするつもりやろ」
「榎はん。勉強は、自分の力で頑張ってするもんどす」
「そうよ、えのちゃん。椿も教えてあげるから、自力で頑張りましょ」
楸と椿に脇を固められ、榎は泣く泣く、宿題に向き合った。
話が纏まると、了生は嬉しそうに頭を下げてきた。
「では柊さん、よろしくお願いします。親御さんにも、うちで預かると、説明しといたほうがよろしいですな」
一緒に、家へ同行してくれるつもりだったらしいが、柊は即、断った。
「構へんで。両親なんぞ、家にはおらへんし。祖母ちゃんも丁度、老人会の温泉旅行に出掛けとる。今は家も、無人なんですわ」
柊が笑って説明すると、了生は少し複雑そうな表情を見せた。
「家に帰られても、お一人ですか」
寂しい家庭だと、同情でもしたのか。だったら、余計なお世話だが。
柊は一旦、家に戻った。不愉快な外車も、人の気配も既になかった。
屋内に入ると、微かに線香の香りが漂っていた。はた迷惑な二人は、仏壇に手を併せて、さっさと帰ったのだろう。鉢合わなくて、安心した。
旅行用のボストンバッグに着替えを詰めて、再び家を飛び出した。
了封寺に戻り、玄関で出迎えてくれた了生に、頭を下げる。
「ほんなら、今日からお世話になります」
「こちらこそ、よろしくお願い致します」
新しい力を得るため、柊の夏の戦いが始まった。




