十一章Interval~悪鬼の居らぬ間に~
深い深い、山の奥。
巨大な、どすぐろい塊が、ゴロゴロと転がっていた。
「鬼蛇め、好き勝手しおって」
「息子の偏屈ぶりを見たら、鬼閻どのは、さぞ嘆かれたであろうな」
「ええい、腹立たしい! あの若造、どうやって懲らしめてやろうか」
「耳元で大声を出すな!」
「お前こそ、五月蝿いぞ!」
「側から離れられぬのだ、もっと仲良うせい」
現代に生きる、十体の悪鬼たちは、鬼蛇の力で体を接合され、ろくに動けなくなっていた。
生きる上での支障はない。だが、互いに馬の合わない連中同士、反発する性格は大きな枷となっていた。
「元の姿に戻らねば、何もできぬな」
「どうすれば、戻れるのだ」
「鬼蛇も知らぬ、と申しておった」
「無責任な。ああ、もどかしや、もどかしや」
時が経てば、自ずと解放されるかもしれない。
だが、いつまで待てばいいのか分からない。苛立ちだけが募っていった。
「やむをえん。我らが動けぬのなら、動ける連中を使うしかない」
「上等の、妖怪どもか」
悪鬼にとって、妖怪は最上のご馳走だ。妖力が強く、格が高いものほど美味であり、好物だった。
だが、妖怪も強ければ強いほど、扱いが難しい。食おうと襲い掛かっても、下手をすれば、悪鬼といえども深手を負うか、相打ちになる可能性が高かった。
それ故、悪鬼と上等妖怪たちとの間には、様々な条約が取り交わされていた。
互いの領域を侵さぬと条件をつけ、牽制しあうもの。
食わぬ代わりに恐怖を与えて忠誠を誓わせ、必要とあらば、悪鬼の命令に従って働くと約束させたもの。
もちろん、妖怪ごときに大きな顔はさせない。歯向かうもの、敵対するものが現れれば、命懸けでも食らい尽くす。
あくまで、悪鬼にとって有利な取り決めだった。
今回は、悪鬼に忠実な態度を貫く、上等妖怪を手足代わりにして、鬼閻の仇討ちを遂行しようと決めた。
「我らと契りを交わした者共よ、我らの元へ集え!」
悪鬼たちは念じる。深淵の力に屈する者たちを、力を送って呼び寄せた。
* * *
悪鬼の呼びかけに応じ、強い妖気を秘めた者たちが、やってきた。
目の前に並んだ妖怪は、いずれも名のある上等妖怪ばかり。
だが、深淵の悪鬼たちは、不満に思う。
「たったの三匹か。舐められたものだ」
悪鬼に忠誠を誓う上等妖怪は、もっとたくさんいたはずだ。
「上等妖怪は、互いの縄張りへの干渉を嫌う者が多い。遠く離れた場所で静かに暮らしておる故、呼びだすにも骨が折れる」
「身近にいた奴らが、飛んで来ただけか」
「良いではないか、上等妖怪には変わりない」
やってきた上等妖怪は、いずれも縄張りにこだわらない、放浪型の妖怪だった。
山々の清流を渡り歩いて自然を愛でる妖怪、小豆洗い。
人間の迷いに付け込んで命を食らう、悟りの眷属妖怪、梵我。
最後に、人間に取り憑いて長い時を生きてきた狐の妖怪、赤尾。
いかにも、ふらりと放浪中に立ち寄っただけ、といった雰囲気の連中が集まった。
「旦那さん方、随分と、面白い格好になりましたなぁ」
嫌味な狐顔を歪ませ、赤尾が笑った。
五百年前に襲ったときには、赤い九本の尻尾を振って、すぐに降伏してきた軟弱者だ。
以来、長らく下僕として扱ってきたが、未だに本性の読めない、食えぬ化け狐だった。
「鬼蛇に裏切られた。自由を奪われ、しばらく動けぬ」
「我らが長、鬼閻どのの仇を獲らねばならぬのだが、今は余裕がない」
「だからお前たちに、その役目を命ずる」
悪鬼たちは、手早く事情を話した。
「悪鬼の長を葬るほどの相手を、倒せと申されますか」
不安そうな顔を見せるは、梵我だ。
相手の心を見破る力に長けた妖怪だから、下手に騙しはできない。
だが、本気で圧力を掛けてやれば、扱いやすい妖怪だった。悪鬼たちの素直な殺気を受けて、誰よりも怯えているため、命令を与えやすい。
「鬼閻どのは、封印から放たれた直後で、弱っていた。別に相手が強かったわけではない。運が悪かったのだ」
「只の、陰陽師の小娘どもだ。お前たちでも充分に、倒せる」
「小娘さんかい。オラの娘と、仲良くしてくんねぇかな」
のほほんと、小豆洗いが明後日の方角を眺めた。
食っても腹の足しにならなさそうだから、放っている。見窄らしい妖怪だが、その力は未知数だ。
こんな奴等で、大丈夫だろうか。悪鬼たちの中に、不安が広がった。
役に立たないなら、さっさと食ってしまったほうがいい。上手い餌を食えば、悪鬼たちの復活も早まるかもしれない。
「皆様、ご安心くだされ! 必ずや、皆様のご期待に応えてみせましょう」
悪鬼の考えを悟った梵我が、慌てて名乗りをあげた。
「ならば、早く行け。説明せずとも、お前なら標的が分かるな。必ず四季姫を倒せ」
梵我は素早く、姿を消した。
「お前たちもだ。命令が聞けぬ場合はどうなるか、理解しておるな」
「もちろん、肝に銘じておりますよ」
赤尾は小豆洗いを連れて、悪鬼の元から去っていった。
* * *
人里の近くに降りて来た赤尾は、良い形の岩を見つけて飛び乗り、昼寝をはじめた。
「あんれ、お前さんは、悪鬼の旦那たちの言いつけを守らねえだか」
「梵我が行けば、あっし等の出番なんて、ないでしょう。あんな、ろくに動けない塊にビビッちゃって。真面目だねぇ、お前さんら」
やる気のない狐を見ながら、小豆洗いは困った顔をした。
「旦那たちが元に戻ったときが、怖えからな。オラは、娘を守らなきゃいけねえ」
平穏な生活を望む小豆洗いは、悪鬼たちの報復を恐れていた。
面倒だから適当に媚を売って受け流しているだけの赤尾とは、何もかもが違う。
「まあ、妖怪にも事情はそれぞれだわな。あっしは、悪鬼のいぬ間に、のんびりしますかね」
赤尾は大きく欠伸をした。
何をするにしても、まずは様子見だ。




