第十一章 悪鬼奇襲 7
七
翌日。榎たちは了封寺に集まっていた。
体の負傷は、春姫の治癒の力で治してもらえた。
だが、心に受けた傷、折れた心までは、陰陽師の力でも癒せなかった。
「手も、足もでんかった! なんでうちは、あないに弱いんや!」
卓袱台を、柊の拳が強く打ち付けた。湯飲みに注がれた緑茶が、左右に波打つ。
椿も楸も、生気を失った顔で、呆然としていた。深淵の悪鬼たちに打ちのめされたショックが抜け切らない。
榎も、同様だった。新たに出現した敵に対して、何の対抗策も見えてこない。ただ俯いて、卓袱台の木目を見つめるしか、できなかった。
「現代に生きる悪鬼。封印を解いて過去を清算した変わりに、とんでもないもんに目をつけられましたな」
話を聞いた了生は、深刻な表情で唸っていた。
「申し訳ありません。全て、僕のせいです」
榎たちと向き合って正座する朝が、青褪めた顔を歪めていた。
「僕がずっと、鬼閻を封じ続けてこれたなら、悪鬼達は動きはしなかったはずだ」
「朝ちゃんのせいではないわ。みんなで決めて、封印を解いたのだから」
「今更、済んだ話を蒸し返しても、何も変わりまへん。あなたに皆の意志を否定されたら、私たちは自信が持てなくなるどす」
椿も楸も、過敏に反応する。
八つ当たりに近かった。でも、朝の救出は、誰もが望んだ結果だ。悪い印象を根付かせたくなかった。
朝も、みんなの気持ちを汲んで、「すみませんでした」と謝った。
室内を、沈黙が襲う。
「ともかく、皆さんがご無事で何よりでした。宵も、生身の体で無理をしたらいかんぞ」
了生が間を繋いだ。朝の隣で、ふてくされている宵を叱る。
元々、治癒の力が効かない体質らしく、悪鬼に負わされた怪我は、春姫でも治しきれなかった。腕や首に巻かれた包帯が、痛々しい。
「兄ちゃん。俺たちの妖怪の力、元に戻せねえのか」
宵は了生に訴えかけた。悪鬼相手に手も足も出なかった苛立ちが、全身から滲み出ている。
「朝の悪鬼殺しの力があれば、俺の力と併せて、悪鬼なんて一網打尽にできるはずだ」
「無理じゃよ。封じた力は、お主らの精進によってのみ解放される。修行を積んで力を取り戻せるように努力するのじゃな」
廊下を歩いて来た了海が、やんわりと説教した。落ち着いた態度が頭にきたのか、宵は了海を睨みつける。
「そんな悠長な話をしていて、先に悪鬼が襲ってきたらどうするんだ!」
噛み付く勢いの宵を、了海は竹棒で叩き、鎮めた。
「焦りこそが、敗北を生む。落ち着いて、今のお前がすべき使命を考えよ」
了海の冷静な言葉は、榎の心にも強く響いた。
ずっと悶々としていた心の迷いが晴れ、一つの答に辿りついた。
「――強くなろう。あたしたちが、もっと力をつけて、悪鬼を倒すんだ」
朝や宵の力に頼りきるわけにもいかない。榎たちが蒔いた種なのだから、きちんと摘み取らなければ。
「強くなるって、どうすればいいの?」
椿が不安そうな視線を向けてくる。
「具体的には、分からないけれど。今まで以上に、努力するしかない。あたしたちの中に、眠っている四季姫の力があると、信じるしかない」
鬼蛇――響の言葉。なんの根拠も確信もないが、今はどんなものにでも縋りたい。
怪しいからと、疑って避けてなんて、やっていられない。
「せやな。前世の四季姫はんの力を使って、一度は悪鬼を倒せたんや。二度目かて、うちら自身の力で、何とかできるはずや」
柊も、榎に賛同した。やる気が湧いて、室内の雰囲気も明るくなってきた。
「せやけど、榎はんは名古屋に戻らんと……」
一番、ネックになっているところだった。楸に指摘され、榎は言葉を詰まらせる。
「……なんとか理由つけて、滞在を伸ばしてもらう。あの悪鬼たちを放ったまま、帰れない」
お別れ会までしてもらった手前、再び京都に居座るなんて、ばつが悪い。
でも、事態が急転したのだから、みんなも分かってくれるはずだ。
「みんな。もう少しだけ、四季姫としての戦いに、付き合ってくれ」
「付き合うも何も、うちら全体の使命やろう」
「力を合わせて、頑張りましょう!」
「私も、全力で努力をするどす」
全員の表情に、闘志が戻った。
ようやく、悪鬼と戦う展望が見えてきた。
* * *
家に帰った榎は、畳の上に寝転がった。
中途半端に荷造りの進んでいる、借り部屋。まとまりのない室内が、今の榎の心を表していた。
「残るといったものの、お母さんになんて言って、京都にいさせてもらおうか……」
悪鬼退治をするために残りたい、なんて言えない。四季姫についても話さなくてはならないし、妖怪や悪鬼についてなんて、どう説明すればいいのか分からない。
椿の家にも、さらに迷惑をかけるわけだから、くだらない理由を設定するわけにもいかない。
しっくりくる言い訳が思い浮かばず、汗を滲ませながら悶々としていた。
階下で、電話の音が聞こえた。止んでしばらくすると、部屋に桜がやってきた。
「榎さん、お電話がかかってますよ」
驚いて、榎は飛び起きる。
「お母さんからですか!?」
まだ、何も考えがまとまっていないのに。焦りと緊張で、さらに汗が吹き出した。
「いいえ、剣道部の部長さんて、いうてはったけど」
予想外の相手に、榎は固まった。
「部長? なんだろう、わざわざ」
部活には、それなりに顔を出しているし、電話で受けるほど大事な連絡なんて、下っ端の榎には、ないはずだが。
不思議に思いながら、榎は受話器を握った。
部長の話を聞いているうちに、頭の中を驚きに支配された。
「あたしが、秋冬の対抗試合の先鋒ですか!?」
あまりに大声を出したため、如月家の人々が何事かと様子を伺ってきた。
四季ヶ丘中学校の剣道部は、府内でも弱小のレベルだ。部員の実力差も然程ないため、年功序列で三年生から順番に、試合に参加できる。主に出られる学年は二年生以上で、どんなに強くても一年生は補欠扱いだった。
だが、試合に参加予定だった二年生の先輩が交通事故に遭って入院したため、補欠から補充するらしい。
そこで、一年生で一番経験も実力もある榎に、白羽の矢が立った。
剣道の試合に係わるとなると、京都に居残る格好の理由になった。両親も如月家の人達も、快く榎の残留を許可してくれる。
更に忙しさは増しそうだが、願ってもなかった。
「ぜひ、やらせていただきます。よろしくお願いします!」
頭を下げて、受話器を戻す。榎の拳に、力が入った。
再び受話器を取り上げ、黒電話のダイヤルを回す。
名古屋にいる母へ、事情を話した。試合が全て終わるまでの間、京都に残る許可を得た。
電話を桜にバトンタッチして、部屋に戻った。
なんとか、舞台は整った。気合を込めて、榎は腹から声を吐き出した。
「四季姫の戦い、第二ラウンド開始だ!」




