第十一章 悪鬼奇襲 3
三
翌日。
榎たちは四季ヶ丘を離れて、少し都会へ赴いていた。
京都市と四季ヶ丘との中間地点にある複合施設。西都タワーだ。
映画館や娯楽施設がある大型のショッピングモールとなると、この西都タワーが、四季ヶ丘からは一番近い。
榎の送別会を兼ねて、田舎の中学生としては、少し奮発した遠出となった。
『行かないで、あなた! 私の側から離れないで!』
『止めないでくれ。どんな理由があっても、この場に留まっていられないんだ』
『駄目よ、私は知っているもの。今いけば、あなたは二度と戻ってこないわ』
『分かってくれ。たとえ永遠の別れになろうとも、俺は君を愛している――』
映画館の中。
スクリーンに映し出された役者の演技を干渉しながら、榎は呆然としていた。
上映が終わり、外に出る。
「いやー、ええ話やったわぁ」
「クライマックスは、なかなか盛り上がりましたな」
「椿、感動しちゃって……。涙がとまらないよぉ」
みんな、非常に満足そうだ。
「……あのさ、おかしくないか?」
だが、榎は一人だけ、腑に落ちなかった。
「何で、あたしの送別会で、永遠の別れを描いた悲劇のラブストーリーなんて見るんだよ。不吉だろう!?」
なんだか、榎までみんなと永遠に会えなくなりそうな気がして、不安を掻き立てられた。
「せやけど、榎にも聞いたやないか。どの映画を観たいか」
「榎はんのリクエストどすえ? 『チビくまポロちゃん おかたづけ星の大冒険』と、どっちがええかとお聞きしたら、この映画を即答されました」
柊と楸は、開き直った態度だ。すべての責任を、榎に押し付けてきた。
「何で、そんな微妙な二択しかなかったの!? もっと他に、良さそうな映画があるだろうが」
必死で訴えるが、榎への対応は変わらない。
「どうせ観るなら、お得な映画がよいどすから」
「お得って、何が……? 料金は変わらなかったけど」
不思議に思っていると、椿が喜声を上げながら駆け寄ってきた。
「やったわ、みんなー! 西都タワー展望台の無料入場券、当たったわよ!」
「よっしゃー! ついとるな、うちら!」
柊たちは万歳して大喜びする。周囲の迷惑そうな視線も、お構いなしだった。恥ずかしい奴らだ。
「今、キャンペーン中でして。選択肢に挙げとった二本の映画のうち、どちらかを観たら、抽選で展望室の入場券が当たるんどす」
楸に説明してもらい、ようやく意味が分かった。
「なるほど。けど、よく当たったな」
「日頃の行いが、ええからどす」
「たまには、ええ思いしたって、バチは当たらへんわ」
榎たちは上機嫌で、展望台へ登った。
たくさんの客が、外の景色に夢中になっていた。大きなカメラを構えて撮影している人もいる。
ガラス張りの展望台からは、京都市内を形作る升目通りが一望できた。今日は霞がかかっているが、空気が澄んでいれば大阪や兵庫、滋賀の景色も見えるらしい。
「素敵な眺めー! 京都の町並みが綺麗ね!」
「妙霊山も見えるで。山越えた向こう側が、四季が丘町や」
「流石に、四季ヶ丘の住宅地は、見えまへんなぁ」
高い場所から見る風景は、一味違って壮大だ。
名古屋へ帰れば、しばらくは京都の景色を拝めない。榎は今のうちにと、目に焼き付けた。
「朝ちゃんや宵ちゃんも、一緒に来られたらよかったのにね」
「二人とやったら、いつでも来れるやん。今日は、四人で思い出を作りにきたんや」
柊の言葉が、妙に胸に突き刺さった。
「……京都に来る羽目になったときには、みんなと一緒に行動するなんて、想像もしていなかったな。四季姫として覚醒したり、妖怪や悪鬼と戦ったり。本当に目まぐるしかった」
懐かしい思い出が、脳裏に蘇る。
何もかもが想定外の出来事ばかりだった。今となっては、よく順応してこれたなと、驚きを隠せなかった。
「椿だって同じだよ。えのちゃんたちと一緒に、あんな戦いに身を投じるなんて、思ってなかった」
「小学校の時に、偶然知り合っただけの榎と、京都で再会するとは、想像もしてへんかったけどな。今にしてみれば、必然やったんかもな」
「私は、皆さんと会えて良かったと思うとります。一緒に戦える、覚悟を決められた。榎はんのお陰で、自分に素直になれました」
みんなの視線が、榎に向けられた。榎は緊張して、呼吸すら忘れた。
「ほんまに、感謝しとります、榎はん」
「えのちゃんのお陰で、椿たちは強くなれたのよ」
「離れたって、この思い出は消えへん。うちらの絆は、一生もんや」
榎を囲み、三人は暖かな微笑みを送ってくれた。
感情が高ぶる。気付くと、榎の目からは、大量の涙が溢れ出していた。
「泣くなや、辛気臭いな」
「ごめん。でも、我慢できなくて……」
柊に肩を叩かれると、ますます涙が止まらなくなった。
「みんな、結構あっさりとした態度だったから。あたしが名古屋に帰っても、何ともないんだと思ってた。別に、いてもいなくても、同じなのかと……」
思わず本音を漏らす。黙って聞いていた椿が、声を張り上げた。
「そんなわけないでしょう!? 椿だって、えのちゃんと離れたくないわ。ずっと、うちにいてもらいたかった」
「せやけど、榎はんには、ちゃんと帰る家があるどす。自立して生きていけるまで、親御さんと一緒に過ごすべきです」
みんなは、榎の幸せを一番に考えてくれていた。思いやりの気持ちを痛烈に受け止め、榎は激しく嗚咽を漏らした。
「駄目だよ、えのちゃんが泣き止まないから、椿まで……」
椿まで、もらい泣きを始めた。
「笑顔で、お見送りしようって、決めてたのに!」
椿は榎に抱きついてきた。榎も、椿を強く抱きしめ返した。
榎たちの様子を見ていた、楸と柊の瞳も、潤んでいた。
「ありがとう。みんなが、四季姫の、仲間で良かった」
榎は果報者だ。こんなに優しい友人達に恵まれて。
生活の場所が遠く離れても、この出会いは、思い出は、決して忘れない。
満たされた気持ちで、強く決意した。
――直後。
ぞくりと、榎の背筋に悪寒が走った。
榎は椿から離れ、周囲を見渡した。
だが、特に異変は見られない。
「今、何か、変な感じがしなかったか?」
榎は、三人に確認した。
みんなは顔を合わせて、不思議そうな顔をする。
「何か、感じたか?」
「いいえ、私は何も」
「椿も、よく分からない」
誰も、榎と感覚を共有していなかった。
勘違いだったのか、もしくは、榎だけが、何かを感じ取ったのか。
正体が分からない以上、変に騒いでみんなを不安にさせたくない。
「ごめん、気のせいみたいだ。気持ちが昂ぶって、感覚が狂ったのかな」
はぐらかして、話しを終わらせた。気付けば、妙な気配は消えていた。
「もう、ええ時間やな。遅うなる前に、帰ろうか」
みんなは不思議そうな顔をしていたが、気を取り直して柊が切り出した。
異論はなく、榎たちは展望室から出た。
途中、大きなカメラ機材を担いだ男の人の脇をすり抜けた。すれ違い様、男の人が何かを床に落とした。
榎は、足を止めて床に目を向けた。掌に収まるくらいの、小さな丸鏡が落ちていた。
「鏡、落としましたよ」
拾い上げて、男の人に声をかけた。
室内なのに、テンガロンハットを目深く被った若い男性だった。日に焼けた浅黒い顔に、爽やかな笑みを浮かべる。
男の人に、鏡を手渡した。一瞬、鏡が反転して、鏡面が榎を映し出す。
硬直した。鏡に映った榎の姿は、変身したときの夏姫だった。
なぜ、鏡に夏姫がーー。
考えを纏める暇もなく、男の人は鏡を懐にしまい込んだ。
「わざわざ、ありがとうございます」
軽く頭を下げ、男の人は去っていった。
「何だ、今の鏡……?」
榎は困惑して、椿たちに呼ばれるまで立ち尽くしていた。




