第二章 伝記進展 2
二
その日の夜。榎は京都の山中を走り回っていた。
緑を基調とした、美しい十二単に身を包み、ポニーテールにまとめあげた長い黒髪をなびかせながら、軽い身のこなしで、木々の間をすり抜けた。
榎は目の前を逃げ回る、黒い影をひたすら追いかけていた。標的は、小さな鼠の姿をした妖怪、『家嵐』だった。
家嵐は、百年以上も生き続けた鼠が妖力を得て変貌した存在らしい。普段は山中で大人しくしているが、時に民家に取り付いて災いを招いたり、家を壊そうとする下等妖怪だった。
「食らえ、〝竹水の斬撃〟 !」
家嵐を竹林の奥に追い詰め、榎は剣を振るった。緑の光を帯びた剣は、冷たい飛沫を飛ばしながら、鼠の体を一刀両断。家嵐は小さな断末魔の悲鳴をあげて、光の粒となり消滅した。
「うむ、みごとな太刀捌きじゃ! 夏姫としての姿も戦いぶりも、ずいぶんと様になってきたのう、榎よ」
後ろから転がりながら追いかけてきた丸い男――月麿が、榎の戦いっぷりを賞賛した。
数日前に比べて、榎の剣の振るいかたは格段に上達した。一撃で相手に与えられるダメージも、かなり大きくなってきた。
「だよね! あたしも、初めて戦った日に比べたら、かなり強くなったと思うよ。もう、どんなに強い妖怪でも倒せそうな気がする」
剣の腹で肩を叩きながら、榎は余裕の素振りを見せた。妖怪退治も順調に進んでいるし、今のペースなら、誰にも負けない陰陽師になれるだろうと、信じて疑わなかった。
「力の過信はいかんぞ。強くなったとは言え、お主の実力では、まだまだ宵月夜の足元にも及ばぬのじゃからな」
月麿にあっさりと否定され、榎は少し不機嫌になり、月麿を睨みつけた。
「じゃあ、どこまで強くなればいいんだ? ちゃんと戦った経験もないのに、宵月夜との力の差なんて、分からないよ」
「宵月夜は強い。かつては、平安の京を滅ぼしかけた程の力を、内に秘めておる。どれだけ力をつけたとしても、決して正々堂々と戦おうとは考えぬべきじゃ」
恐ろしい記憶でも蘇ったのか、月麿は顔に影を落として、身震いした。平安時代の京で暮らしていた頃、妖怪たちのせいで、月麿はかなりひどい目にあってきたらしい。当時の思い出が、月麿をより慎重にさせているみたいだった。
でも、榎には月麿と考えを共有できなかった。榎だって、月麿同様に妖怪に酷い目に遭わされた経験のある被害者だが、月麿と榎の、妖怪に対する考えや感情には、激しい温度差があった。
「正々堂々と戦うなって、つまり、背後から隙を突いたり、寝込みを襲うって意味? いくら妖怪が相手でも、卑怯だよ。あたしはちゃんと、相手と向き合って戦いたい」
榎は本音をぶつけた。そもそも、小さい頃から榎が剣道で培ってきた武道の精神とは、一対一で相手としっかり対峙して、互いに正面から戦いを挑むものなのだから。奇襲で勝てても、榎はちっとも嬉しくなかった。
「不意打ちを卑怯と思ってはいかん。妖怪ごときに、正義など通用せぬのじゃ。一番の理想は、多勢に無勢。奴の力に対抗するには、力と頭数の両方が必要じゃ。お主は麿の指示通りに修業を積めばよい。さすれば、必ず宵月夜を倒せる日がくる」
自信満々の月麿だったが、榎の中には、反抗したい気持ちが沸き上がり、どうにも月麿の教えを鵜呑みにしようという気持ちになれなかった。
「麿のやり方だけに従うっていうのも、結構、不安があるんだよねぇ。本当に正しいのか、分からない話ばっかりだしさ」
榎はボソリと呟いた。せめてもう一人でも、月麿と同じ意見を持つ人がいれば、信じられそうなのに。もしくは、全く違う意見を出してくれる人でもいいから、現れてくれれば、少しは凝り固まった常識や概念を考え直すきっかけになるのにと、榎は心の中に不満を溜め込んでいた。
今の現状では、知識も経験も乏しい榎一人では、納得のいく答が出せそうになかった。非常にもどかしかった。
「頭数を揃えろっていってもさ、実際、この時代で妖怪と戦える人間なんて、あたしの他にいるの……? そうだ、確か、初めて夏姫に変身したとき、麿はあたしを四季姫の生まれ変わりの〝一人〟だって言っていたよね?」
ふと思いだし、榎は月麿に尋ねた。
「ひょっとして、あたしの他にも、陰陽師の力を持ったお姫様の生まれ変わりがいるとか?」
月麿はしばらく黙り込んだのち、こっくり領いた。
「なかなか、聡い娘じゃのう。四季姫とは、その呼び名が示すとおり、この島国を巡る四つの季節、春夏秋冬の自然の力を使って陰陽の術を起こす者たちなのじゃ。お主は、夏に現れる自然現象や、草花などの力を借りて戦う『夏姫』。他に三人、『春姫』『秋姫』『冬姫』が同じく転生して、この時代に生まれ変わっておるはずじゃ」
「あたし以外にも、妖怪と戦う使命を帯びた人がいるんだねぇ」
一人ではどうにもならない出来事も、四人揃えばきっと怖いものなしだろうなと、榎は想像した。きっと各々、妖怪に対する考え方や戦い方も違うだろうし、共に協力し合えれば、榎の心のもやもやも、晴れるのではと、少し希望が湧いた。
仲間が欲しい。ぜひとも、一緒に戦ってくれる仲間と会いたかった。
「最終的に、お主がどれほど強くなろうとも、残りの三人を見つけだし、力を合わせねば、宵月夜は倒せぬ。お主がもう少し力をつけてから伝えようと思っておったのじゃ」
「どこにいるんだろう、他の姫たちは? 何か、手掛かりは無いの?」
尋ねたが、月麿はゆっくりと、首を横に振った。
「残念ながら、無い。四季姫の放つ、わずかな力を感じ取ろうにも、覚醒の兆しがなければ、さっばりじゃ。初めて会った時のお主みたいに、未だに目覚めておらぬ可能性が高いしのう。お主が自力で見つけて、力を解き放ってやらねばならぬであろうな」
「あたしが、他の姫を見つけて、覚醒させるのか。……大変そうだなぁ」
前途多難だった。どこの誰とも分からない人を、四季姫として目覚めさせるなんて、榎にできるのか。心配だった。
「効率よく使命を果たすためにも、霊力をさらに磨いて経験を積むべきじゃ。明日はさらに強い妖怪を探しておく。頑張って倒すのじゃ」
月麿は意気込んでいた。反対に、明日と聞いて榎は、大事な行事がある現実を思いだし、月麿に手を合わせた。
「ごめん、麿。明日から学校なんだ。いろいろ忙しくなるから、しばらく来られないかも」
榎の言葉に、月麿は不愉快そうに眉根を寄せた。
「学校? またしても、訳の分からぬ話を。お主は夏姫としての使命に、もっと自覚を持たねばならぬ!」
「分かってるけどさ、あたしは夏姫である前に、ピッカピカの中学一年生なんだよ。勉強も部活も頑張らなくちゃいけないんだ」
妖怪退治は大事だ。大切な人たちが平和に暮らせる世界を作るためにも、榎は努力を惜しまないつもりだった。
とはいえ、妖怪にばかりかまけているわけにもいかない。榎自身にも、平和に暮らすための土台作りは必要だった。
「他の四季姫たちだって、あたしと同じく、学生やってるかもしれないでしょ。ちゃんと探しておくから。土曜日になったらまたくるよ。 じゃあねー」
「こりゃ、待たぬか榎! ええい、勝手な娘じゃのう!」
怒鳴る月麿を尻目に、変身を解いた榎は、一目散に花春寺へ戻って行った。




