第十章 封印解除 5
五
新たに得た力が、周囲の空気さえもを変えていった。
鬼閻も、その異質な変化に気付いたらしく、始めて視線を朝月夜から反らした。
暗い洞穴みたいな二つの目が、榎たちに向けられる。
吸い込まれそうな闇だ。だが、榎たちは臆さず、立ち向かった。
「〝縛りの矢〟!」
「〝戒めの旋律〟」
楸と椿のサポート攻撃が、連続して繰り出される。
光を纏った矢が楸の弓から放たれて、鬼閻の両手両足を見事に貫通。鬼閻は倒れ、体を大の字に広げて、地面に貼付けられた。
続いて椿の笛の音が響き渡る。今までとは違う、激しく力強い調べが木霊した。
楸の放った矢を力ずくで引き抜こうと体をよじる鬼閻の手足を、さらに強固な力によって封じた。二重の枷を付けられて、鬼閻は動けなくなる。
だが、一面に激しい衝撃を与える咆哮を放つ口は健在だ。特大の攻撃をお見舞いしようと、鬼閻は大口を開けて、力を溜めはじめている。
「柊、同時に行くぞ!」
先手必勝だ。榎は柊に合図を送るとともに、上空高く飛び上がった。
最初は重くてだるかった体が、今では羽でも生えたみたいに軽い。本当に、空を飛んでいる感覚だった。
前世の夏姫の力が、うまく榎の体に馴染んでいる証拠だ。何者にも負けない気さえした。
「まかしとき! 〝氷帝の牙〟!」
榎の合図を受けて、柊が勢いよく薙刀を頭上で回転させる。酷暑の季節などお構いなしに激しい冷気が渦を巻くはじめた。
やがて地面が凍りはじめ、冷気の塊が鬼閻に纏わり付きはじめた。
鬼閻が横たわる、すぐ真下の地面から、巨大で鋭利な氷の柱が突き出て、塔みたいに聳え立った。その尖った先端が、鬼閻の体を串刺しにした。
両手両足を地面に縛り付けられているため、氷柱は鬼閻の腹を突き破って、どんどん傷口を広げていく。
まるで、鬼閻の体から柱が立っているかに見えた。
体を突き破られた鬼閻の悲鳴は、凄まじい。この世の終わりかと思われる周波の音が耳を劈く。
その声が引き起こす衝撃だけで、頭の中が破壊されて気を失いそうだった。
だが、榎何とか耐え、上空から真下へ向けて、一直線に剣を突き立てた。
「最期だ! 〝貫命の落雷〟!」
夏姫の白銀の剣が、電流を帯びた。青白い光を纏い、柊の立てた氷の柱の脇をすり抜けて。
剣の切っ先が、鬼閻の顔面を直撃した。
鬼閻が吐き出す、断末魔の悲鳴。耳が、引き裂かれそうだった。
だが、その声もやがて止み、鬼閻の体は黒い泥上の物体へと変わっていった。
<死なぬ。我は、永久に、呪い続ける……>
頭の中に直接響いてくる、鬼閻の呪いの声。
声が果てるとともに、鬼閻の原形は完全に姿を消した。
だが――。
「まだ、生きとるで! 変な塊や!」
地面に突き立った榎の剣に、鬼閻の残骸と思われる、ドロドロの物質が絡み付いていた。
ヘドロみたいに悪臭を放ち、凄まじい粘着力で剣の腹に張り付き続けた。
「こいつが本体か!」
榎は握った柄から剣に直接、力を送った。剣は内側から激しい光を放ち、巻き付くヘドロを攻撃した。
煙をあげて蒸発し、ヘドロは黒い霧となって空気中に飛散した。
ヘドロが纏わり付いていた剣の腹には、どす黒い、奇妙な模様が浮かび上がっていた。
「気持ち悪っ! なんや、その跡……」
黒い、ナメクジがのたくった跡に似た柄に、駆け寄ってきた柊が嫌悪感を露にする。
「分からないけれど、消えたから、大丈夫かな?」
一瞬の出来事で、今は既に、榎の剣は普段の姿を取り戻していた。
榎の体内から、漲っていた強い力は消えてなくなった。脱力感は大きかったが、気持ちの高ぶりだけは衰えなかった。
同時に、周囲から悪鬼の気配も消えた。
榎はみんなの顔を見渡した。全員の満足した笑顔を見て、確信した。
「倒したぞ! 悪鬼をやっつけたぁー!!」
拳を頭上に突き上げて、歓声を上げた。四季姫全員の声が重なる。
みんなの力を合わせて、最大の敵を倒して見せた。見事に、四季姫としての使命を果たした。
大きな達成感に打ちひしがれた。
「本当に、やりやがった……」
端から見ていた宵月夜の、唖然とした声が聞こえてきたが、すぐに榎たちの叫びが掻き消した。
「皆さん、お疲れ様でした。四季姫さまの御力により、伝師、及び、世界を脅かす脅威は去りました。本当に、なんとお礼を言えばいいのか……」
奏も、極上の笑みで、四季姫の活躍を称賛してくれた。無事に使命を果たし終えた榎たちの勝利を喜ぶとともに、誰の犠牲も出ずに円満に解決できて、安堵している様子だった。
「ご苦労さま、四季姫のお姉ちゃんたち。今の戦い、長はちゃんと見ていたよ。要望通りに動いてくれて、とても喜んでいるはずさ。よかったね」
奏の隣では、語がのんびりした口調で声をかけてきた。まるでスポーツ観戦でもしていたみたいに、軽い調子だった。
命懸けで全力を尽くして戦った榎たちとは、明らかな温度差があった。
「僕は長のところへ帰って、もう少し詳しく説明をしなくちゃいけないから、帰るね。楽しかったよ、お姉ちゃんたちの戦い。――必死すぎるところが、最高に笑えたね」
目を細めて蔑んだ笑みを見せ、語はすぐに背を向けて、山を去っていった。
奏も、申し訳なさそうに榎たちに頭を下げ、語の後を追い掛けた。
「何やねん、あの餓鬼は! 最後の最後まで、腹の立つ奴やの!」
「放ってたおいたらええどす。ああいう屁理屈だけが取り得の性格は、死ぬまで治らんどす」
語の態度に苛立つ柊を、楸が鼻を鳴らして宥めた。
伝師の使者は去った。もう二度と、四季姫の命を狙いはしないだろう。狙う方法も、今となってはない。
唯一、この場に月麿が残っていた。魂が抜けたみたいに、呆然と立ち尽くしていた。
「麿! どうだ、あたしたちだけで、悪鬼を倒したぞ! 少しは見直したか?」
榎は月麿に歩みより、思いっきり踏ん反り返って自慢してやった。きっと月麿だって、四季姫たちがここまで完全に悪鬼を消滅させるとは、思っていなかっただろう。
徐々に月麿の表情に血の気が戻る。丸っこい肩を、ふるふると震わせはじめた。
「調子に乗って、おるで、ない! まだまだ、修行が、足り……充分じゃああああ!」
口を開くとともに嗚咽が漏れ、うまく話せていない。しかも、言葉も目茶苦茶だ。
「足りてないのか、充分なのか、どっちなんだよ……」
呆れながらも、月麿の号泣が喜びから来るものだと確信でき、榎は嬉しかった。
一生分の涙を流しているのではないかと思える月麿を宥めていると、了海と了生の親子が歩み寄ってきた。
二人とも、満足の笑顔だった。
「皆さん。ほんまに、お見事でした」
「お疲れさん。よう頑張らなさった」
「ありがとうございます。お二人に力を貸してもらったお陰です」
榎は二人に向き合って、深々と頭を下げた。二人も合掌して、お辞儀を返してきた。
「じゃが、まだやらんといかん後始末は、色々と残っておる」
了海は視線を脇に移した。同じ場所を目で追うと、その場所には横たわる朝月夜の姿があった。側では朝月夜の手を握り、深刻そうに見つめている宵月夜もいた。
朝月夜は、封印の中で長い間、体力を消耗してきた。その上、四季姫の力を返すために己の体を激しく損傷させた。
自力で突き破った胸の傷は、激しく煙を噴きながらも、塞がりつつあった。だが、白かった肌は浅黒くなり、血管が浮かび上がっていた。
宵月夜が致命傷を帯び、暴走しかかったときの状態に、よく似ている。
榎たちは慌てて、朝月夜の側に駆け寄った。宵月夜の時の教訓から分かっているとおり、椿の癒しの力は、妖怪にはあまり効き目がない。
試しに椿が曲を奏でてみたが、やはり効果は薄かった。
「満身創痍じゃ。妖力を使い果たして、体が維持できなくなっておる。辛うじて、朝月夜の人間の血肉が、意識と体を繋ぎとめておるのじゃ」
了海が説明を施すが、どういう意味なのか、よく分からない。
「人間の血肉とは?」
「この双子は、特殊な血統の持ち主でな。妖怪、悪鬼、人間。全ての血が混ざり合っておる。じゃから、普段から人間に近い姿を有し、かつ強大な妖気を操り、さらに悪鬼に対して多大な影響力を持つ」
生粋の妖怪ではないのか。伝師一族だって、多くは人間と悪鬼の混血だと言っていた。特殊な血を引く妖怪がいたとしても、おかしくはない。
「激しく命の危機に瀕すると、三つの力の均衡が崩れ、暴走を起こす。宵月夜、お前さんには覚えがあるじゃろう。ありゃあ危険な状態じゃ。周囲にとっても、暴走する本人にとっても」
指摘され、宵月夜は複雑な表情を浮かべた。先日の出来事は、忘れられない記憶だろう。
「まさか、朝月夜さまも、放っておけば暴走してしまうの?」
椿が心配そうに声を荒げた。生死の境をさ迷い、苦しんでいる朝月夜を、悲痛な表情で見つめる。
どうにかならないのだろうか。宵月夜の時は、運よく暴走が止められたが、今回も同様に助かるとは限らない。
「放っておけばな。じゃから、適当な処置を行えばよい。四季姫様方、力を貸してくださらんか」
了海は穏やかに笑みを浮かべ、榎たちに視線を送ってきた。
「何をするんどすか?」
「この二人の中で息づく、妖怪と悪鬼の力を、一時的に封印する。要するに、しばらくの間、ただの人間にしてしまうんじゃ」
そんな裏技あるとは。榎は声をあげて感心した。
「人間として療養すれば、暴走する心配はないわけか!」
「四季姫の力を使えば、こいつらの危ない力を封印できるんやな?」
「そういうお話やったら、お力になるどす」
「もちろんよ、すぐに始めましょう!」
全員、快諾だった。
了海からの指示を待たず、榎たちは自発的に動いた。
朝月夜の横たわる円陣の周囲を囲み込み、四角形を形どった。
「二人とも、準備はいいな?」
「ちょっと待て、何で俺まで……」
有無を言わさず円陣の中に閉じ込められた宵月夜は、慌てて外に出ようとする。
だが、榎たちはその行為を由としなかった。
「兄貴だけ力を封印されるなんて、不公平とちゃうか?」
「そうだぞ。双子は一蓮托生、ってな」
榎と柊が笑みを浮かべて威圧する。宵月夜は怯えた顔をしつつ、何も言い返してこなかった。
「千年前の時代に戻れるわけでもないし、この時代は何かと、妖怪には暮らし難い世の中じゃ。せっかくじゃし、人間として修行を積み、新しい人生を歩んでみてはどうかな?真面目に精進する気があるなら、うちの寺で世話をしてやろう」
了海の提案は、とても画期的なものだった。確かに、今の時代は、妖怪には住み辛い。
人間として生きるのであれば、多少の不自由があっても、榎たちも手助けができる。
「人として、生きる……」
宵月夜にとっては、考えもしなかった発想だっただろう。だが、ちらりと楸の顔を見て、まんざらでもなさそうな表情を浮かべた。
「まあ、朝月夜が元気になるまで、試してみればどうだ?」
さらに押してみると、宵月夜はまだ戸惑いつつも、折れた。
さっそく、榎たちは二人の力を封じるための儀式に取り掛かる。
得に難しい所作は、必要なかった。四人の心を一つにして、望みを念じるだけ。
封印解除の時と同じく、武器を胸元に翳して、祈りを捧げる。
激しい風が周囲に吹き荒れた。榎が閉じていた目を開くと、朝月夜、宵月夜兄弟の体に、梵字の縄みたいなものが複雑に巻き付いていた。
やがて縄は二人の体に纏わり付き、体に溶け込んで、消えていった。
直後。二人は間違いなく、人間になっていた。
「なるほど、力を封印すると、鳥人間が、人間になるわけか」
背中に生えていた翼が消え去り、鋭かった爪もなくなっていた。
朝月夜の、くすんで枯れ枝みたいになっていた腕には生気が戻り、致命傷の傷も何とか塞がり、穏やかな表情で眠りについていた。
「別に、見た目は大して変わっとらんどす」
「翼があったほうがよかったけどぉ、なくても素敵かなぁ」
「どや、なんか、変化でもあったか?」
口々に、宵月夜を突いたり、触ったり、尋ねてみる。
「うるせえな、俺だって、よく分からないんだよ! ベタベタ手を触れるな」
宵月夜は嫌がって逃げようとする。今までの妖怪じみた面影は見られず、ただの少年になっていた。
何気に、からかうと面白い。榎たちは宵月夜を弄って楽しんだ。
「やっと、四季姫さまも、役目を終わらせられたんやな。良かった、良かった」
その様子を見て、了生は嬉しそうに安堵の感想を述べていた。
だが、了海の表情は、いまいちはかばかしくない。
「さぁて。果たして、ほんまに終わったんかのう?」
榎の白銀の剣を見つめながら呟く、了海の声が耳に入った。
一瞬、気になったが、きっと気のせいだろう。
すぐに榎の頭の中から抜けて、消え去った。




