第九章 陰陽真相 5
五
「本当に、何といってお詫びをすれば良いのか……。申し訳ありません!」
気絶した月麿をロープで雁字搦めにし、口に猿轡を嵌めたあと、奏は榎たちの前に膝を突き、土下座をしてきた。
榎たちは慌てて止めさせようとするが、奏は断固として聞こうとしない。
「わたくしは、恥ずかしい! 同じ血を引く伝師一族が、かくも恐ろしい所業に手を染めようとしていたとも知らずに、今までのうのうと暮らしていたなんて!」
額を地面に擦りつけ、奏は自責の念に駆られて、泣いた。
「奏さんに責任はないですよ。何も知らなかったんだし。いつもたくさん、助けてもらいました」
榎は、頑張って奏を宥める。奏は絶対に、悪くない。ずっと榎たちを、心から心配して、親切に接してくれた。その行動の悪意があるはずがない。
この場で、誰よりも榎たちに侘びを入れてくれている姿を見ていると、逆に榎たちのほうが罪悪感に襲われる。
「ですが、わたくしは皆さんの命を奪うための手伝いをしていたも同然。知らなかったなんて、言い訳に過ぎませんわ。どうして、もっと早く気付けなかったのでしょう……」
「顔を上げてください、奏さん。今までがどうであれ、あたしたちはまだ、生きています。奏さんが、助けてくれたんですよ。ありがとうございます。だから、悲しまないで」
奏での肩を掴み、起き上がらせる。奏は涙にぬれた顔で榎を見つめ、抱きついてきた。
「榎さん、わたくしは、罪もない人の命を奪ってまで繁栄しようとする一族になど、居りたくありません……!」
何度も何度も、「ごめんなさい」と謝り続けた。榎は奏が落ち着くまで、背中を撫で続けた。
「大丈夫ですよ。伝師には、奏さんや綴さんみたいに、優しい人がちゃんといる。裏では悪い行いをしてきたのかもしれないけれど、この先、奏さんたちの力で変えていけるはずですよ」
しばらく宥めていると、奏もようやく、落ち着いてくれた。
「取り乱して、すみません。わたくしがもっと、しっかりしなければなりませんわね。月麿には、目が覚めたら相応の処罰を与えます。同情はなさらないで。あの男の所業は、許されるものではありません」
「でも、麿も、千年前に仕えていた紬姫という人や、伝師の長に命令されてやっただけなのでは? 話を聞いてあげてくれませんか? 麿だけの責任では、ないと思います」
榎の意見に、奏の返答はなかった。
でも、表情は微かに変化した。
きっと、榎がわざわざいわなくたって、奏にも分かっているだろう。
話に区切りが付いた時を見計らい、楸と椿が歩み寄ってきた。みんな、変身を解いて、普段の姿に戻っている。
「榎はん。落ちておった髪飾りの破片を集めたどす。全部、揃っとると思います」
意識を取り戻した後、呆然とした気持ちを整理しようと、各々にできることはないかと、行動していた。
楸と椿は、先の戦いで壊され、地面に落ちていた百合の髪飾りを拾い集めてくれていた。
「ありがとう、楸、椿」
広げた白いハンカチの上に、無残な姿で横たわる、純白の髪飾り。
榎は受け取り、掌の上で、残骸を見つめた。
接着剤でくっつけたとしても、見た目だけ直したところで、力は戻らないだろう。
切ない気持ちが、込み上げてきた。
「髪飾りが壊れちゃったから、えのちゃんはもう、変身できないの?」
心配そうに、椿が尋ねてくる。
榎は髪飾りが壊された瞬間、もう、夏姫にはなれないと思った。
根拠はなかったが、魂が確信しているみたいだった。
「せやけど、夏の間やったら、何もなくても夏姫はんになれるんと違うんか?」
広場の脇の石に腰掛けて、大人しくしていた柊が口を挟んだ。
確かに、変身が解けそうになった後も、榎は再び夏姫の姿を維持できた。
あの時は無我夢中で、何がどうなったのか、さっぱり記憶にない。
ただ、綴に勇気をもらえた気がする。進むべき道を、示してもらえたみたいに。
髪飾りなんてなくても、榎は変身できるのだろうか。それだけの力を、目覚めさせられたのだろうか。
気持ちを集中させ、壊れた髪飾りを握り締め、その拳を天高く突き上げた。
「とりゃあっ! 変っ身!」
無意識に変なポーズを取り、榎は声を上げる。
だが、榎の体には、何の力も漲ってこない。
辺りでは、さっきまでと変わらず、日が照り、蝉がやかましく鳴いている。
唯一の変化といえば、周囲で榎を見ていた仲間たちの視線が、凍えそうなほど白けたものになったくらいだ。別に受けを狙ったつもりはないが、逆に榎が恥ずかしくなった。
「分からーん! 変身って、どうすりゃいいんだ!? あたしは今までどうやって、夏姫に変身していたんだ!?」
頭を抱えて煩悶する。今まで、何も考えずに変身してきたから、意識してやろうとしても、要領がさっぱり掴めない。
「やっぱり、無理なのね……」
残念そうに、椿は俯いた。
「でも、さっきは変身できたのに!」
「一発まぐれ、やったんかもしれまへんな。自然の力を扱うなんて、人間には過ぎた力どす。私たちの誰にも、自力でコントロールは無理なんでしょう」
楸の無常な言葉に、榎は愕然とするしかなかった。
「じゃあ、もう、四季姫は……」
揃わない。
四人揃って戦える機会は、永久になくなってしまったのか。
「まあ今更、四人揃って力を使うても、意味がないかもな。最大の目的やった、宵月夜の封印は、する必要もなさそうやし。白神石の封印を解いたら、うちらは死ぬらしいし」
柊が、肩を竦める。
確かに、柊の言い分も分かる。
今更、四人揃ったところで、いったい何を成せというのか。
今まで、榎たちが力を覚醒させ、頑張ってきた努力は、全部、無駄だったのか。
殺されるために、生かされてきた。
実感するにつれて嫌な感覚に襲われる。榎たちの気持ちは沈んだ。
「肩透かしな終わり方どすな。なんや、消化不良どす。せめてもう少し、詳しい話を聞きたいどすな」
不満そうに、楸が呟く。
確かに、利用されて、命まで狙われた身としては、もっと詳細な事情を知りたいものだ。
「でしたら、俺の知る話を、少しさせていただきましょうか。白神石と、伝師の関係について」
側に寄ってきた了生が、声を掛けてきた。
榎たちを月麿の手から助けてくれた時の手際のよさからも、了生が何らかの詳しい事情を知った上で、この場に立ち会ったのでは、と思えた。
教えてもらえるならば、せひ聞きたい。
榎たちがお願いすると、了生はゆっくりと、話し始めた。
「皆さんと寺でお話をさせていただいた後、俺なりに千年前の嚥下家の動向について、可能な限り調べておったんです。その結果、贔屓目ではなく、平等な目で見て、嚥下家が四季姫様を騙してはおらんかったと、結論が出ましてな。言い訳がましく聞こえるかもしれませんが、事実です」
月麿は以前、了生の先祖である嚥下家の一族が、不完全な封印石を作って四季姫を騙したために、悲劇が生まれたと語った。
あの話は、四季姫が伝師の監視を離れ、嚥下家と再び手を組む事態を避けるための、月麿の苦肉の嘘だったのだろう。
あの、嚥下を恨み、己の運命を嘆いた涙までもが、演技だったとは思えないが――。
結論としては、嚥下家の存在は、間違いなくシロだ。
「そもそも、四季姫様たちは最初に、非常に強固な白神石の製作を俺の先祖に依頼したんです。黒神石は、その過程で作り出された、最初から不完全やと分かっておった産物やったんです。四季姫様たちは、白神石への朝月夜の封印を妨害しようとした宵月夜を、一時的に封印する程度の目的で、黒神石を使用された。四季姫様たちにとっては、宵月夜がいつ、封印から解き放たれてもよかったんですな。運悪く、千年もの間、誰にも触れられずに封印が続いておっただけで」
「宵月夜の封印が、千年前の四季姫たちの目的では、なかったわけですね」
確認すると、了生は頷く。
「白神石の封印は、伝師の一族にとっては想定外であり、非常に困るものやった。何とか封印を解きたかったが、封印解除の力を持っておる四季姫は、千年前には既に亡く。やむなく、千年後の、転生した四季姫様――皆さんに、白羽の矢を立てたんでしょう」
月麿が時を渡り、この時代へやってきて、四季姫の覚醒を進めていった理由。
やはり、白神石の封印を解くためだった。
榎に会う前から、月麿は何もかも分かった上で、四季姫を探していたのか。最初から、命を奪う結果になると承知で。
納得したつもりでいたが、改めて確信すると、ショックだった。
「了生さんは、そこまで調べて、あたしたちを助けに来てくれたんですね……。法事とか、子泣き爺とか、色々と理由をつけて」
「決して、嘘でもないんですがね。昼から法事ですし。ただ今回は、伝師の連中の動向を探りたかったんで、俺の行動動機をさりげなく隠しておったんです」
恥ずかしそうに、了生は笑う。だが結果的に、助けられた事実にかわりはない。榎たちは心からお礼を述べた。
「結局、前世の四季姫はんたちにとっては、白神石の封印が最重要事項やったわけどすな? 伝師一族にとっても、白神石に封じられた存在そのものが、何よりも大事やったと。つまり、中に封じられておる朝月夜はんが、伝師一族が欲しておる強大な力やと、考えてよろしいんですか?」
楸が考えを整理して、疑問を投げかける。
了生は頷くが、楸は煮え切らない、複雑な表情を更に歪めていった。
「……私にはまだ、私たちの知らん、何かが隠されておる気がしてならんのですが。なぜ、封印を解くだけで、私たちが死なねばならんのです?」
「その朝月夜が、よっぽど危険な奴やからと違うか?」
柊が軽いノリで意見を述べると、椿が突っ掛かった。
「違うわ! 朝月夜さまは、悪そうな人じゃなかった……。一度、姿を見ただけだけれど、優しそうな顔をしていたわ」
椿の持つ力は、不思議と封印されている朝月夜と同調しやすくなっている。
そのため、椿は榎たちの知らない朝月夜を知り、理解している。
憶測とはいえ、椿の直感や考えは、信じてもいいと思えた。
だったら、白神石の何が、伝師に力を与え、四季姫を死に追いやるのか。
益々、分からなくなる。
「おそらく、千年前に生きておった連中は、まだ、表沙汰になっておらん何かを、知っておるのかもしれませんな。――違うか? 宵月夜」
了生は、側で白神石を大事に持ち、物思いに耽っていた宵月夜に話を振った。
宵月夜は怯えた顔で、周囲を見渡す。
「……俺の口から話せるものなど、何もない」
「話せへんもんやったら、あるっちゅうわけやな?」
柊の挑発めいた突っ込みに、表情を歪ませて、俯いた。
「全てを明らかにするために、あたしは、白神石の封印を解きたい思っている」
何も語ろうとしない宵月夜に、榎は少し発破を掛けた。
「駄目だ、絶対に、解いてはならない!」
榎の言葉に激しく反応し、宵月夜は声を荒げる。
「まあ、今の状況じゃあ、解こうにも解けないんだけどな。あたし、変身できないし」
軽いノリで返すと、宵月夜はばつが悪そうに、視線を逸らした。
やっぱり、宵月夜は何かを知っているのだろう。
「血を分けた兄ちゃんが封印されているんだ。封印から解き放ってやりたいって、弟なら思うもんだろう? 特に、お前みたいな情に厚い奴なら」
性格はひねくれているが、薄情な少年ではない。今までの行動を見ていて、よく分かっていた。
「宵月夜はんの、白神石への扱い方からしても、兄弟仲が悪かったとは想像できまへん。封印を解いてはならんと仰るなら、何か深い事情があるんでしょうか?」
楸も、榎の言葉に便乗する。楸にまっすぐ見つめられ、宵月夜は少し、泣きそうになってた。
「人に話したくない、嫌な記憶なのかもしれない。でも、あたしたちは知らなくちゃいけない。まだ何か、白神石に秘密があるなら、教えてくれないか」
榎たちは詰め寄る。追い詰められた宵月夜は、一歩、後ずさった。
「ろくに過去の出来事と向き合えておらん小僧に、封印の真実を話させるんは、いささか酷じゃろうて」
ふと、宵月夜の頭を、杖でポン、と叩くものがあった。
驚いて、宵月夜は振り返る。榎たちも唖然として、杖の根元へ視線を動かす。
すぐ側には、作務衣姿の老人が立っていた。




