第八章 秋姫対峙 11
十一
翌日。決着をつける時は、やってきた。
榎は朝一番で、月麿が勝手に居を構える、隣の山の庵の前へやってきた。広場もあるし、多少、荒い戦いになっても、周囲に迷惑がかからなさそうな場所だ。
無論、脇には月麿も控えていた。
「麿、ごめんね、つき合わせちゃって」
「何を遠慮しておる。四季姫の問題なら、麿の問題でもある。お主らしい解決法を見つけたのであろう? きっちりと、見届けさせてもらうぞ」
月麿も、榎に期待していた。萩と真正面にぶつかって、四季姫の統率を安定させられると、信じてくれていた。
「わたくしも、ご一緒させていただきますわ」
突如、榎たちの前に奏が現れた。榎たちは驚く。
「奏姫!? なぜ、かような場所へ……」
「昨日、榎さんの様子が変でしたし。月麿も何だかそわそわしていましたから、問い詰めようと思って来ましたの。でも、聞くまでもなく、大体、分かりましたわ。皆さん、隠し事が下手ですわね」
お得意の勘を働かせて、今日の戦いを嗅ぎつけてきたらしい。話も聞かれて、ほとんど把握されていた。なかなか、抜け目がない。
「わたくし、口も手も出せませんけれど、伝師の末裔として、四季姫の行く末は見届ける義務があると思っていますの。駄目といわれても、勝手に居座らせていただきますわよ」
腕を組み、庵の脇に陣取る。梃子でも動かない、といいたげな態度だ。
もちろん、奏にもいてもらえれば、有難い。奏は萩にはまだ会っていない。実際に戦いを見て、何か良い和解案を考えてくれるかもしれない。
「おや、夏姫様。また、お会いしましたな」
続いて、茂みの中から、なぜか了生までもが現れた。先日とはまた異なる、袈裟を被ったお坊さんの格好をしている。
「了生さん!? 何をなさっているのですか?」
「法事のために下山したんですが、ついでに、この近辺で子泣き爺が悪さをしとる気配を察知しましたんで、探しておったんです。……夏姫様こそ、こんな山の中で何を?」
驚いて尋ねると、了生も事情を話しつつ、質問を返してきた。
「この辺り、あたしたちの本拠地でして……」
榎がまごついた説明をしていると、了生は大体、察してくれたらしい。
「なるほど。あなた方が、伝師の末裔の方々ですか」
伝師と、了生の祖先である嚥下の一族は、過去のいざこざのせいで、仲が悪い。
了生も、榎たちから詐欺師呼ばわりされている、と話を聞いた後、独自に色々と調べたのだろうか。奏と月麿を、興味深そうな目で見つめていた。
「そう仰る、あなたはどちら様かしら?」
「拙僧、嚥下家の末裔、了生と申します」
了生は、特に動じる様子もなく、丁寧に合掌した。奏は目を細め、眉を吊り上げた。
月麿があれほど毛嫌いしているのだから、奏だって存在くらいは知っているだろう。
「なんじゃと!? では、お主が憎き嚥下の……」
更に激しく、月麿が突っかかり始めた。
榎たちの前に、月麿たちの喧嘩が勃発するのではないか。危惧した榎は、慌てて止めに入ろうとした。
「いがみ合いは、およしなさい。今は我々の諍いよりも、四季姫さんたちの問題解決が優先ですわ! わたくしの観戦の邪魔をしたら、末代まで祟りますわよ!」
榎よりも先に、奏の喝が飛んだ。一族同士の確執を知った上で、奏は冷静に対応していた。
「嚥下家のお方。今日は、四季姫の運命に、大きな決着をつける日なのです。あなたもかつて、四季姫と関わった者の末裔ならば、この場に居合わせたのも、何かの巡り合わせでしょう。最後まで、見届けてお行きなさい」
落ち着き払った調子で、奏は了生に説明をした。
「運命を、決める日ですか……。夏姫様、俺も同行させていただいても、よろしいでしょうか。あなた方が選んだ道の行く先を、きちんと見定めておきたい」
「お願いします。どうか、戦いの結末の、証人になってください」
四季姫と関わりのある多くの人が、同じ場所に集結してきた。何かが起こる、前触れだろうか。
榎は、妙に緊張していた。
しばらくすると、上空から宵月夜と八咫が飛んできた。地上には、たくさんの下等妖怪たちが、庵を囲んで大集合した。
妖怪たちと一緒に、周もやってきた。肩に弓矢を背負い、手には、ペットを運ぶ小型のゲージを持っている。
中には、萩によって妖怪に変えられた、あの猫が入っていた。既に、おぞましい邪気が外に漏れ出していた。
「榎はん、お待たせいたしました。……椿はんや、柊はんは、一緒には来られてないんどすか?」
周囲を見渡して、意外な顔触れに驚きつつも、肝心の四季姫が揃っていないと気付き、周は不思議そうにしていた。
「二人とも、どうしても外せない用事ができたから、少し遅れるって」
今朝になって、椿も柊も、急に慌てて断りを入れてきた。榎も深く詮索している余裕がなかったから、二人がどこで何をしているのか、詳しくは知らない。
「逃げ出したのか? 薄情な連中だな」
宵月夜が鼻を鳴らす。榎は軽く、上空を睨んだ。
「違う。二人は無茶な戦いだと分かった上で、力を貸してくれるんだ。到着するまで、戦いは待ってほしい、ともいわれた。きっと何か、心の準備が必要なのかもしれない」
二人の覚悟は、ちゃんと分かっている。確かに、昨日の二人の様子は、少しおかしいところもあったが、もし、戦意を失ったとしても、素直に申し出てくるはずだ。黙って逃げる真似なんて、決してしない。
「――でも、二人の助太刀を待っている時間もなさそうだから、一人でも戦うよ」
榎は既に、決心していた。この場に長く留まっているだけでも、妖気の集まりから、萩が状況を察知するかもしれない。先手を切るためにも、悠長に構えてはいられない。
周からゲージを受け取り、出入り口を開ける。猫は奥のほうで小さくなり、震えながら榎を威嚇していた。爪を立てられるかもしれないと思ったが、榎はそっと、中に手を入れた。
しばらくは警戒していたが、猫は次第に榎の手に興味を示し始める。匂いを嗅いで、体をこすり付けてきた。とても、冷たい体だ。
ゆっくりと誘導して、猫を外に出す。ぴんと立った尻尾の先が、二つに枝分かれしていた。
「猫又になりかけておる。放っておけば、悪霊への変身も、時間の問題であるぞ」
八咫の危惧を受け、榎は気持ちを固める。長い時間は、掛けていられない。
「ごめんね。何もかも済んだら、ちゃんと怨念を祓ってあげるから。萩を呼び出すために、力を貸してくれ」
榎の言葉が伝わったのか、分からない。だが、猫はどこか遠くを望み、低い唸り声を上げた。体中から禍々しい妖気が立ち上り始め、周囲に蔓延し始めた。
この気を感じ取れば、きっと萩はやってくるはず。榎はその時を見据えながら、集中力を高めた。
「我らも、念を送るぞ! 妖力が強ければ強いほど、秋姫は興味を示してやってくるはず!」
庵に集った妖怪たちも、妖力を放ち始めた。その影響か、空に黒い雲が集まり始め、山の上空一帯にだけ、渦巻く雷雲が発生する。不気味に稲光と音を轟かせた。
夏なのに、妙に背筋がぞくりとする。この空気が、妖怪の満ち溢れた世界のものなのだと、直感的に思った。
「恐ろしいほど、満ちた妖気じゃ。平安の空を思い出すのう」
月麿が、身を震わせていた。
空が暗くなり始めてからしばらく経ち、新たに、異なる気配が、近付いてきた。
妖怪たちが怯み始める。猫が背中の毛を逆立てて、激しく鳴いた。
みんなの視線の先を追うと、山道を、一人の少女が歩いてきた。
萩だ。
「ずいぶんと、大勢の妖怪どもの歓迎だな。よっぽど、早死にしたいらしい」
集結した妖怪の姿を見て、萩の機嫌はまずまずだった。
だが、妖怪たちと一緒に立つ周の姿を目にした途端、表情を歪める。
「その弓……てめえか、アタシに矢を撃ってきやがった奴は! 舐めた真似をしてくれたな、一般人の分際で!」
周は剣幕に怯み、一瞬、後ずさる。妖怪たちが周を庇おうと、萩の前に立った。
「皆さん、危ないどす。下がってください」
申し訳なさそうな顔で、周は妖怪たちに言い含める。だが、誰も周の言葉には応じなかった。
「周、俺の後ろにいろ。お前だけは、絶対に守る!」
降りてきた宵月夜が先陣を切り、周を守る。強敵を前にした、必死の形相だ。
「他の人や妖怪たちには、指一本触れさせない。お前を呼び出すために、手伝ってもらっただけなんだから」
だが、萩と妖怪たちを衝突させるつもりはない。妖怪たちに背を向けて、萩の眼前に、榎は立ち塞がった。
「お前の相手は、このあたしだ! 妖怪たちを狩り尽くしたければ、あたしを倒してからにしろ!」
榎は、真っ直ぐに萩を見据える。もう、心の中には、迷いも躊躇いもない。
絶対に負けないよ、綴さん。どうか、あたしの背中を、見ていてください――。
百合の花の髪飾りに、手をかけた。
「いと高き 夏の日差しの 力以て 天へ伸びゆく 清き百合花」
新緑の光に包まれて、十二単を身に纏い。
長い纏め髪を振り乱して、榎は白銀の剣を構えた。
「――夏姫、ここに見参!」
榎の姿を見て、萩は楽しそうに笑った。
「なるほど、本気でアタシを潰す気になったのか。少しくらいは、退屈凌ぎになれよ、榎」
萩も、菊の花の髪飾りを掴み、力を込める。
「乱れ風 日も夜も絶へず 時雨呼ぶ 葉踏む有蹄 破滅の足音」
木枯しに身を巻かれ、姫君姿の萩が、姿を現す。
手には、不気味に濡れた、漆黒の大鎌が握られている。
「――秋姫、見参だ」
榎たちは武器を構えて向き合った。
萩には、小手調べみたいなやり方は一切、通用しない。
全力でぶつかって、萩を打ち負かすしか、もう榎に道は残されていない。
榎の力が萩と同等、いや、それ以上だと証明する。対等以上の立場になって初めて、榎と萩の意思疎通は成立する。
榎が導き出した、最後かつ唯一の答だった。
「さっさと、かかってこい。手ぇ抜いたら、瞬殺するぞ」
萩が鎌を手に、挑発してくる。
榎は勢いをつけて、剣を振りかざした。
何度も何度も斬り付けるが、全て、萩の鎌に防がれた。
武器の大きさを考えれば、技を繰り出すスピードは、榎のほうが遥かに早いはずだ。なのに、萩は恐ろしいほどの腕力で弱点を克服し、榎の速度に追いついてくる。
さらに、攻撃力に関しては、圧倒的に磨きぬかれた鎌のほうが強い。受け止めたときに負う付加も、切り裂く刃物の鋭利さも、敵わない。
先日と同じだ。萩が攻撃に転じるとともに、榎は一気に、不利な状況へ追い込まれていった。
「力の差が、大きすぎますわ。榎さんよりも、強い陰陽師がいるなんて……」
外野で見ていた奏が、絶望的な声を上げた。
「秋姫の実力は、前世の姫君の力をも凌駕しておるかも知れぬ。人を超越した、禍々(まがまが)しいまでの力じゃ」
月麿も、榎と萩の歴然たる力の差に、息を詰まらせている。
「確かに、二人の実力には大きな開きが見えます。せやけど、夏姫様は潜在的な力を、まだ秘めておられる気がします。上手く力を引き出せれば、或いは……」
了生は冷静に戦いを眺め、落ち着いて分析を行っていた。
だが、やはりどう考えても、萩のほうに分がある。戦っている榎が一番、感じている。
「ですが秋姫も、全力で戦っていないのでは?」
奏の指摘は正しい。
榎を圧倒する戦いを見せながらも、萩にはまだ、余裕がある。
榎が汗の飛沫を撒き散らしながら、必死で戦っているにも拘らず、萩は涼しげな顔で、呼吸一つ、乱してはいない。
「もう息が上がってきたのか? 情けねえな」
だんだん、萩がつまらなさそうな表情になってきた。弱すぎる榎から、興味を失いかけている。
「うるさい! 今からが、本番だ!」
榎はいきり立つ。体力を消耗していても、まだまだ、限界には達していない。
何か、もっと要領よく、萩と対等に戦える力があるはずだ。榎の中で、まだ使いこなせていない力が。
おぼろげに、力の輪郭が見え隠れする。誰かが、頭の奥で呼んでいる気がする。だが、微かな雑音程度にしか聞こえない。
もう少し。落ち着いて意識を集中させれば、はっきりしそうなのに。
無慈悲な萩は、その一瞬を、待ってはくれない。
「やっぱり、お前如きじゃ、あたしの相手にはならなかったな。そろそろ、陰陽師の息の根、止めてやるぜ」
萩の動きが変わった。タイミングを崩されて、榎の体がぐらつく。
すかさず背後を取られ、萩は小回りな動きで、鎌を振り抜いた。
耳元で萩が「あばよ」と囁いた。
パキン、と、頭上で妙な音がした。
ばさりと、纏め上げられていた、長い黒髪の束が解けて、肩に覆い被さった。
がくりと、榎は地面に膝を突く。足元に、頭の上から、何かが落ちてきた。
純白の、百合の髪飾り――。
無残にも、真っ二つに割られ、花弁が砕けて散っていた。
髪飾りは、陰陽師・夏姫の力を引き出すために、必要不可欠なもの。夏姫として戦うための、大事な依代。
その髪飾りが破壊された。陰陽師の力が、使えなくなる。
榎は呆然と、地面に転がる、髪飾りを見つめていた。




